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老老介護

いろいろ感じたこと
10 /17 2018
義父がねぇ、弱ってきちゃっててさ。
それはもうね、80代も半ばになるわけだから
しょうがないっちゃあ、しょうがないんだけどもさ。

義父は自分がどんどん体力落ちて弱くなってきてるってことは
十分自覚しているわけよ、
自覚しているんではあるけどね
まだ「そこらへんのヨボヨボ爺ではない」とも思っているんだよね。

確かにね、来年の更新まで車も運転する気でいるし
仕事面ではとうちゃんの知らないこともいろいろ知っていて
とうちゃんに頼りにされているところもある。

でもねぇ、生活面においては、義父さんもうほとんど一人では
寝食もままならないというか、
義母さんがいないと到底無理という段階に入っているんだよ。

実はね、そこが最大のネックなの。
特に食事。
義父さんは胃癌で胃を半分以上切り取っちゃってから
食の問題がとても大きくなってしまったの。

胃を切り取った人たちが術後にさまざまな障害を抱え込んでしまうのは
決して少ないことではないんだよね。
それらの多くの障害を落ち着かせるには、とにかく徹底的な食事管理と
食事療法しかないのだけれども
義母さんは、それをこなせるだけの知識がないの。
胃切除後の食事のためのレシピ本とか、そういうものは
娘も仕事柄探してきてプレゼントしたのだけれど

・・・・・とても残念なことだけれども
義母さんは本を読んで学び覚えるということを
過去もほとんど経験したことがなく、
60代を過ぎてからはなおさら、それをする気にはなれず
いわゆる「おかゆ」とか「うどん」とか「煮魚」とか
一般に「病人食」みたいなものでやり過ごすつもりだったみたい。

でもね、義父さんの胃切除後の症状は、
風邪の人間が食べる食事みたいなもので済ませられるわけはないのね。
術後は「食べられない」「欲しくない」が常に根底にあるようになって
さらに好き嫌いも増えたのだけど、義父によると
好き嫌いではなくただただ「食べられない、飲み込めない」のだそうだよ。

義父は炊事なんてしたことがないからさ、食に対する感覚が幼くてね
目で見て欲しいと思うもの=食べられるもの、と思ってしまう。
だから簡単に言うのよ「どこそこのステーキ肉」
「どこそこの鉄火巻き」なら食えそうだ、なんてことを。
義母はいそいそとそれらを買ってくるのだけど
結局義父は箸もつけづに「食えない」となるの。

義母は一生懸命義父の希望を聞いてかなえようとするのだけれど
義父自身は自分の胃袋をよく理解してないから
結局食べられなくて、どんどんやせて衰えていくの。
痩せて動けなくなって不機嫌になって依存が強くなり
望み通りにならなくてさらに不機嫌になり、
もう悪循環だわよ。

確かにお義母さんの勉強不足はあるけれども
それでもさ義父さんは作ってくれている人、用意する側の労を
もっと考えてあげなきゃいけないんだと思う。
でも無理みたい。
お義父さんは自分の不調で手いっぱいだから。

でもさ、そんな日々が重なると、義母の方が参っちゃってね、
ときどき「うつ」っぽくなってきてしまった。
この義母を解放させるために
義父をたとえばデイサービスとかに行かせるのも一つの方法だと思う。
でもね、だめ。

義父は自分を「そこらのヨボヨボ爺」とは違うのだって思っているから
まだ自分で車運転できるうちは行かないって言ってる。
きちんと設備の整ったお風呂に入りに行く、くらいの気持ちになってくれると
お義母さんも助かるのだろうけどねぇ。

実際よく聞くよ、「そんなところに行けるか!」という
ご老人の話はさ。
でもさぁ、せっかく介護保険料払っているのだから
ひとつ使ってやろうか、これも社会勉強だ、くらいの気持ちになれないものかしらね。

義母はもともと義父にたてつく人ではなかったのだけれど
このごろさすがに強烈な愚痴や文句を発言するようになって
義父は義父でこれらに激怒して、
これまでの信頼を義母に対して一気に失ってしまったと言っている。

ああ難しい。
どうしたって無理なのかも、老老介護だもの。
間に入って誰かが助けてくれなかったら無理だよね。

仲良く年をとるのは、ほんとうに大変。
仲良くいるためにこそ、デイサービスなどの各種サービス事業を
進んで使うくらいでちょうどいいのかもしれない。
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秋の花壇が花ざかり

ガーデニング
10 /16 2018
いわゆる「ガーデニング」が流行し始めた20年くらい前だと
この季節、秋というのは本当に花が少なかったような気がする。

自分の庭を持ったのがちょうどそのあたりだったので
郊外型の巨大ホームセンターに出かけては
花の苗を買い込んでいたからよく覚えているんだ。

秋にはね、春に咲く球根類や種はたくさん売っていたけれど
今現在花の咲いている苗といえばパンジーが主流でさ、
秋の花壇って寂しいなぁって、つくづく思った。

ところがぎっちょんちょん、
うちの門扉脇にある植え込みは現在花盛りなんだ、ニコニコ

301015-2.png
301015-1.png

いや、これって右側から写したのと左側から写したもので
同じ場所なんだけども、2枚乗せたくなるくらい咲いてるんだぞというわけで。

ここは夏場、こんな感じだったんだよ。
7174.png

植えてある花もまったく同じでね、
オレンジ色のマリーゴールドが落とし種からまだ芽吹いていなかったとこが
違うだけなんだ。

真夏にどーんと咲き誇っていたニチニチソウが
秋になってどんどん元気になってきたアンゲロニア(紫)と
ペンタス(ピンクと白)の勢いに押されているのが今現在。

ニチニチソウもきれいだったけれど、
やはり気温が下がると花の色がぐっと冴えて美しいね。
アンゲロニアなんて同じ花とは思えないくらい鮮やかになった。

今の季節にこれだけ華やかに咲き誇ってくれているのが
とってもうれしいんだな。
ペンタスもアンゲロニアも別に秋の花というわけでもないんだけれど
10月の半ばを過ぎてなおこれだけ元気に咲き続けてくれているから
今年は初夏に植えた花の種類が、うまくいって、
長く楽しめているというわけなんだろうね。

さて、これからの季節はパンジー、ビオラが中心になるのだけれど
あれらには正直少し飽きちゃった感じがあるんだよ。
でも日曜日の朝にNHK趣味の園芸見ていたら
ビオラの寄せ植えをやっていてさ、
基本的に寄せ植えはあまり好みではないんだけれども
冬も来るし一鉢位はビオラあってもよいかなと早速作ってみたんだよん。

301015-3.png
うんとね、テレビで言ってた三角植えというやつ。
ビオラは花数を増やすためにほとんどちょん切っちゃったので
花がなくてとっても寂しいのだけれど、
植えてすぐよりそのうちよくなるのを楽しむのが園芸ってモンだわよ。

それからメキシカンセージがとりあえず咲き始めてる。
301015-4.png
これこそ去年、花壇がさびしくて仕方なしに植えた花だったのだけど
まぁ~そこそこ放置してたのに元気に咲いたわ。
この何とかセージって言う花たくさんの種類があって、
うちのあたりじゃよく見かけるんだよ。
でもさ、放置でよいからって手入れしないもので
丈が1メートルは楽に越えてる場合が多くってさ、
それは嫌なのでね、7月はじめに摘心したおかげで
ちょうどいい丈になっているんだなぁ。
ハーブだから、いい香りもするよ~

そうそう、とうちゃんはフリージアがすきでね、
(香る花がすきなんだよ、とうちゃんは)
それでこの間一般的な黄色いフリージアの球根を買ったわけよ。
で、植えた。
植えて3日目に、なんともう芽が出ちゃったんだよ!
で、今こんな感じ。
大丈夫なのかい、これ?
301015-5.png

本当は深く植えつけるべきなのだけれど
鉢だから球根1個分だけの深さにしたんだよ、
そしたらこんなに早く出てきちゃって、
こんなんじゃ真冬にはどうなっちゃうんだろう、心配。

それからミックス種を古い土に蒔いた。
丈夫なんじゃあないかと思って全部再生土に蒔いたのだけど
う~ん、みんな細かい細かい土になっちゃっていたからねぇ
最初は良くてもやがて目詰まりして育ってくれないかもしれない。

そうなったら、なったときのことだけどさ・・・・
やっぱり咲いて欲しいなぁ。


結核

本にまつわる
10 /12 2018
NHKの朝ドラ「まんぷく」が、とてもよい感じに発進している。
長年朝ドラを見てきた身としては、飛びぬけて面白そう、というほどでもないのだが
前作があまりにアレだったために、余計に安心感がある。
ただ一点、松坂慶子演じる母親が、娘の人生にあれこれ口出ししすぎるために、
自分の母親を見ているようで苦痛に感じる視聴者がちらほらといる様子だ。

それともうひとつ、主人公の姉、
母親よりもずっと頼りになるしっかりもので家を支えてきた長女が
やっと結婚して自分のシアワセを手に入れたと思ったら
結核であっという間に重症化して、
今朝にはあっという間に亡くなってしまったのだが
この「結核」という病気に関して、ツイッターでは
「結核は隔離しないといけないはず」
「なんで普通に会話してるの? 感染するでしょ?」
「天皇の料理番でも結核のお兄ちゃん離れにいた」とか
「まんぷく」の長女が隔離もされずに病院に入院しているのが
しんじらんな~い的な書き込みがちょこちょことなされていた。

で、私が今日書きたいのはそこ。
私の父親が結核だった。

なんでも戦争前に父親は結核にかかったらしいけれど
幸運にも軽症で済んだのか、生き残った。
祖父の仕事柄、栄養のある食べ物を入手しやすい環境にあったからかもしれない。
今現在隔離隔離という人たちは、当時の結核発症者の数の多さを知らないのだろうが
結核と診断された患者を全員結核療養所に隔離することなど
到底不可能な数だったそうだ。

ツイッターには患者が出た家の人は世間にも忌避されてたはずなどもあり、
ハンセン氏病と勘違いしているのではないだろうか。
あるいはどこかの地方ではそんなことがあったのか。

ネットでそのことを調べてみたら壇一雄の「リツ子その愛・その死」
に触れている人がいて、
ああ、これは私が一生涯放さないぞと決めた本なんだよなぁと喜びつつ読んでいたら
なんとこれも「絶版」であった。
(でもkindleでは買える!!!!)

壇一雄の話しはずっと昔にこのブログでも書いたことがあった
その壇一雄が最初に結婚した相手が律子さんであった。
蜜月の頃はそれはもう親密で親密で、お見合いでもこんなに仲良くなれるんだ
とさえ思ったくらいなのだが、壇が戦争に行き
戦後やっと戻ってくると、愛しい妻の律子は結核になっていた。

壇一雄という人に関する論評やエッセイ、小説などを読むと
女性としては到底お近づきになりたくない男なのだが
この最初の妻との出会いから死までを描いた本書は
彼が普通以上に愛情深いのだということがわかる。

戦争から帰ってきた壇一雄は、結核の妻の世話をひたすらにし続ける。
飯を作り、洗濯をし、体を拭き糞尿の始末をする。
妻の病状はどんどん悪くなるが、妻は命を諦めない。
「こんなになってもまだ生きようとするのか」と壇一雄が思うほどに
ぼろぼろになってもだ。

この「こんなになっても生きる気か」という感情を
真実書き得た作家はそうそういない。
病を持つ私はこの作品に自分の根っこをぐらぐら揺さぶられた気がした。

ちなみに、本書の結核は肺結核ではなく腸結核のほうだ。
あたりまえだが結核菌で、
肺結核の菌が咳で飛ぶのと同様に、結核菌は便に混じる。
壇一雄はその便を始末し
子供に食べさせるご飯も炊く。
当然だが結核でも入院による隔離はされていない。

今現在、開放性の結核だった場合に自宅で治療する人はいないだろう。
私の父親も60代後半での結核再発の際は
診断がついたらそのまま清瀬の療養所に送られ2年ほど入ることになった。
娘は生まれたばかりで、結核がうつっているかも知れないからと
まだ小さいのに何度も何度も注射されるはめになった。

人にうつらない結核は今現在も普通に生活し、
投薬と休養で治癒を待ち、当然隔離されはしない。
今日もそれなりの数は存在している。
私も学生時代にふたりほどそういう友達がいた。
大学時代のゼミの教授は、
若い時代に4年ほど療養所に隔離されていたと聞いた。

結核=隔離と想像する人は結核になったリアルな人たちを
ほとんど知らないのかもしれない。

試練

神様
10 /11 2018
あのさ、病気になる人は少なくないし、
その病気が治らないものだったりする場合だって
ものすごく珍しいわけでもないし、
元気だった人が高齢になって重い病気になって亡くなることも
珍しいことなんかじゃないよね。

でもさぁ、20代、30代、40代くらいで
すこーんと命を落としてしまうとか
病名が分かるまでに月日がかかるような複雑な病気になるとか
あるいは病名がわかったところで治療法がないとか
そういうことってさ

普通一般世間に暮らしているとさ
それほど頻繁に見聞きすることじゃあないと思うんだよ、
自分の身近なところにはね。

でもさぁ、どこもそうだと思うんだけど
教会って、どうしてそういう人多いのかなぁ。
本当に多いの。
病気だけじゃなくってね、たくさんの災難が
いろんな形できているのを
いやというくらい見聞きする。

むかし、カトリックの曽野綾子がさ
(いまはヘンテコリンな説をがんがん書くばあさんになったけど)
重たい眼の病にかかってさ
失明するかもしれないってときにさ
こう考えてたっけ。
キリストはすべての人間の罪を背負って十字架にかかったが
あれから2000年も過ぎて人間の罪はますます増えて
イエスの十字架で背負いきれない罪を購うために
私はこの眼の病を与えられたのだって。

まぁ勝手に思って下さいって感じだけれどもね、
曽野綾子みたいに考えたら
与えられた災禍や病苦に対する姿勢が
少し違うのかもしれないなって思う。

理由もなく苦しみに遭わされるのって
人間なかなか納得できるものじゃないからさ、
その理由を与えられれば、違うよきっと。

その苦しみは試練という名前でね、
試練は人間を磨くのだって。
磨くために、神様は人間を試練に合わせるのだって。

人間は神様からの試練に歯を食いしばって耐えると思う?
神様はそこまで望んでないんだよ。
助けてください、この試練を取り除いてくださいって
泣き叫んでかまわないんだって。
恥も外聞もなく、小さい子が母親にすがりつくように
わんわん泣いて助けて助けてって
すがりついてかまわないんだって。

だって子供が母親にすがりつくのは
母親をとにかく無条件に信じているからでしょ、
神様は人間が「パパー」とすがりつくのを
待っているのだって。

そんなふうに教えられていてもさ
やっぱり現実の苦しみは出来れば与えられたくはないよね。
願わくば苦しみの味を忘れていられる生活がしたい。
子供のように神様にすがりついても
「おいで」とそのまま命を取り上げられることもあるし
「もっと磨こう」って試練を強められたり長くされたりすることもある。

理不尽だなぁって思うよ、苦しい時は特にね。
確か「大草原の小さな家」にこんなセリフがあったっけ。

「楽しいことは喜んで受けるくせに
苦しみや悲しみは受けないつもりなの?
同じ神様からなのよ」

そうね、とにかくどんな試練にも
全幅の信頼を損なうことなく
天を見上げて神に祈ることをしなければいけないわけで、
ちょっとでも揺らぐと
そこからめざとい悪魔がつけいってくるわけでさ。

それでもさ、教会の人たちに
よくもまぁ次々と
いろいろな試練をお与えになりますものよ、神様は。

おっさんずラブは主任が超好みなのよっ!

テレビ
10 /10 2018
春だったか、夏前だったか、大いに話題になってたじゃないの
「おっさんずラブ」。

アマゾンプライムにそれが現れたからさ、見たんだわ、もちろん。

「花子とアン」の伝サマでおばさんたちのハートを射抜いた
渋い渋い吉田鋼太郎部長が年下の部下にラブしちゃって
「は~るたん♥♥」
とかわいく呼びながらうねうねする感じが、とってもキュートだった。

はるたんを演じた田中圭は以前から
「けっこういい感じの男子なのになんで人気でないの?」
と思っていた人、私のほかにも多かったようで
彼がこのドラマでブレイクしたのは喜ばしいわ~

「巨乳じゃなくて、キョ根じゃだめですか?」と
なかなかすごい台詞でシャワーを浴びてるはるたんに迫った林遣都のマキは
ちょっとあごが上向きな感じだけども
かわいいお顔には違いないので
彼のもともともファンやBL(ボーイズラブ)愛好家は
とっても喜んだって言うのも納得できるな~
切ない表情とってもよかったものね。

で~も~、私はこの3人じゃなくて、
ノンケの顔して実は思いっきりその世界の住人だったタケカワさん、
はるたんの上司、主任でマキの前彼という眞島 秀和が
いっちばん、いっちばん好みのタイプなのよ!

眞島 秀和もたくさんのドラマで何度も見てきたんだけど
そのたびに「あ~この人、すんごい好みだわ~」と
ずーっとずーっと思ってきたのよね。
眼福眼福。

若い役柄ではなくって、中年入りかけくらいの
ちょっと知的な仕事をやってる感じを演じてもらうと
ひたすら彼を眺めてるかもしれない~
その彼がさ~、いちゃいちゃしてくれたりするのかなぁ
なんて思ったけど、ドラマはあくまで
はるたんとマキという若い男同士の
チュッチュくらいでかわいく場面転換されちゃうからね、
その手の場面はなかった・・・・(´・_・`)

てかさ、このドラマはリアルなゲイカップルの話じゃなくってさ
あくまでおっさんたちのコメディだからさ
そっちが見たい層は、ほかを探さないといかんわね。
個人的にはもうちょっと深堀していただいても可なんですけども・・・・

でね、このドラマは深夜に放送されていたのだけれど
とっても人気を得たからさ
LGBTの人たちはこれを歓迎したりするのかしら、
というと、そう簡単でもないらしいね。

LGBTの恋愛をごく普通にまったく揶揄することなく
誠実に描いたから苦情がなかったんだろうっていう人もいるね。
悪意を持って描かれなかったことは確かに大きいよね、
まぁ「コメディ」だから「言うほどのことでもない」って
判断した人もいると思うな。
というか、主要人物たちがかなり魅力的な男性陣だからね
眼福、眼福って楽しみながら見てたホンモノさんもいっぱいいたかも、
私同様に (ノ´▽`*)b☆

恋愛ってこれまで王道の男性と女性のものばっかりだったけれどもさ
これからはいろんな形の恋愛が描かれてもよいと思うのよ。
というか、男女間の恋愛ドラマにはには飽き飽きしている私のようなのも
少なからずいる気がするしね。
悪意と批判が主眼で、見てて不愉快になるような作り方は
当然の当然、だめだけど。

それにしても、深夜ドラマっていろいろ自由でほんと、おもしろっ!