なにもできない

こころ
07 /13 2018
流れ込み押しつぶし、砕いていった土石流が
暑すぎる太陽に表面上の水気を奪われて砂のようになっている。
その一見砂に見える土の下に家々があり車がある。

天から降った水がこんなにも地面を侵して
人の住む街を破壊してゆくのか。
土石流のニュースや映像は、これまでも見た覚えがあるのだけれど
今回の大豪雨によって起きた光景は
まるで安倍公房の小説「砂の女」が棲みそうな街が
リアル世界にあらわれたかのようで
その映像が、怖くて凄まじくて冷や汗が出てきた。

自分がもしこの大豪雨の被災者だったら
果たして・・・と想像しようとしても、恐怖で出来ない。

泥にまみれた自分の家を、家具ひとつずつでも片付けている
あれらの人々の心は到底平常心ではないのだろうけれど
ああやって動き続ける人を
私は心底尊敬する。
すごいよ、あの人たちはすごい。

いったい何をどうやって書けばいいのか、
迷うばかりだ。
私は何も出来ない。
義捐金を送ることが、ただひとつできることなのか。
何かもっと、できることがあればいいのに。

神様あの人たちを勇気付けてください、
あの人たちの心と体をどうか守ってください。
あの人たちが決して絶望することのないよう
はっきりとした希望を、形にして与えてください。
たくさんのたくましい心と腕が、
あの人たちのために集まり、手伝い助けてくれますように。
あの人たちの再生のために
多くの優れた知恵が用いられますように。

あの人たちの尊い忍耐を褒めてください、神様。
あの人たちが心から安心できるそのときを
どうか速やかに与えてください。
あの人たちをどうかどうか守ってください
慰めてください、癒してください。

スポンサーサイト

年をとる

こころ
07 /12 2018
このごろ「年をとる」とはどういうことなのかと、よく考える。

最近、人や物や、場所の名前が出てこない状況が増えすぎて
イライラしたりモヤモヤしたりする感情すら面倒になって
ええぃ、もういいや!
と放り投げるみたいに知らんぷりした。
こんなふうに物忘れをあきらめたのは初めてだった(と思いたい)。

人名や地名やかつて知っていたはずの知識などは
ネットや本などで調べ出し、
もう一度頭の中に入れる(つもりになる)ことが出来るが

必要なものを仕舞った場所が分からなくなると
必死に20分探しても見つからない場合には
もはやお手上げ状態だ。

自分の母親がアルツハイマーだから、私もそれになりかけなのかなぁ
などと気持ちがへこみだし、
それすら考えるのがおっくうになって
もうどうでもいいっ! とテレビの前に座りこむも
「なんで今日はこんなつまんない番組ばっかりなのよ!」
と悪態をつく。
なんかもうダメな感じだ、そういう日は。

この前、下駄箱の上、定位置においてある
犬用のおやつ、上等な国産牛たんジャーキーが
梅雨時ゆえか見事に白くカビていたのだが
とうちゃんはそれに気づかず
1本を、遊びに来ていたちび犬に与えてしまった。
ちび犬はその後2日間ほど
お腹を壊し、元気がなくなってしまった。

カビを発見したのは娘だった。
ジャーキーは毎日目につく場所に置かれていたのに
私たち夫婦はそのカビに少しも気がつかずにいた。
「ああ、この人たちもついに老人になったのかもしれない」と
娘は感じたのだろう、彼女は私たちを責めず
おだやかに「このジャーキーはもう駄目だねぇ」とだけ言った。

私は愕然としてしまった。
義母の洗い終えた食器に残った汚れを見つけた時に感じた
「ああ汚らしい、ああ嫌! 年寄りは鈍い!」
という針のような非難の感情が
自分自身に向けられるべきであるのを感じたからだ。
そういう時期が来たのだ、
私に、そしてとうちゃんにも。

あはは、と笑って済ませてもよいのだが出来ない。
嫌なのだ、絶対に忌避すべきカビに気がつかずに
見過ごしてしまった自分自身が
その注意力散漫に過ぎる日常の惰性が、
どうにもこうにも受け入れがたいほど嫌だと思ったのだ。

白髪も増えたし、髪も減った
しわも増えたし、首の周りにちりめん肌がでてきた。
表がババアになるのだから中身もババアになってゆく。
外見も中身も、小汚い、だらしのない、ババアにはなりたくない。

たとえば家の中を汚いままにして
「まぁいいか」とあきらめるようにはなりたくない。
平均的に清潔で整頓されていたい。
体も住まいも、頭の中も。

だから最近になって、香水や制汗剤を使うようになった。
毎日化粧をするようになった。
高いシャンプーや洗顔石鹸にも凝りだした。

こうやって、ブログに書くことだって大事だ。
夫婦でどこかに行って楽しむことも大事だ。
花を育てることも、
編み物をすることも、
料理をいろいろ作り続けることも、
習い事も、
みんな大事だ。
無為な老人にならないために
意識的に前向きで活発であることはとても大事だ。

なんのため かしら

こころ
07 /04 2018
書く習慣をなくすと、ほんと書かなくても平気になってしまうので
脳内はいよいよもってヤバい感じになりつつある。

実は書かなくっちゃなぁ~と思ったことがあったが
つい面倒で書かずにきた。
書かなくっちゃなぁ~の内容が、そこそこしち面倒くさいにもかかわらず
読み手によっては全然読まない方面のものになること請け合いだし、
そもそもしち面倒くさいことを、なぜに私ごときが書かなくっちゃと思うのかが
自分自身でもよくわからんのだった。

だが、面倒くささにかまけていたために
自身の脳内が加速度的に加重的に溶け始めてきたような心持なので
仕方がないので今日は書いてみることにした。
会社にはデスクがあってPCも打ちやすいしね。
(今日のノルマ仕事は済ませました、一応)

ええとね、お友達のウロさんが先日ブログに書いていたのよ。

「なんのため」

これを読んで、まず思い出した。

娘がボーイスカウトに入っていたころの話。
ボーイスカウトの制服を着て行動している時には周囲の目が
「あの子たちはいい子で礼儀正しくて、決して電車のなかで騒いだりしない」
と思い込んでいるので、引率の大人たちは非常に苦労するらしい。
だって制服の下は普通の子だから、周囲とそれほど差異はないにきまってる。
宗教ってこれとよく似た受け止め方をされがちなのよね。


私は多分、生まれた時の宗教は仏教だったのだと思うんだ、
家にはよくわからない仏壇もあったし
お坊さんのお経も何度か聞いたことあるから、きっとそうだろう。
日本にはその昔、宗門人別改帳っていうのがあって
私の父の先祖も母の先祖も、
たぶんなんとか宗のなんとか寺の檀家だったと記載されていたに違いないので
無宿人でもない限り日本人の大半は仏教徒だったのではなかろうか。

むかしむかしは、適当に近所のお寺に所属させられて、
どこかしらに所属してないと無宿人とか非人とかにされてしまったからさ
なんてったって仏教徒でないといけなかったけどもさ
それこそボーイスカウトの制服と同じでさ
宗門改め帳に名前があるからって、全員が真面目に信仰心をもつわけもないし。

なんでもテキトウ、その位が一番手頃だし、楽ちんだ。
成田山やら浅草寺やら清水寺やら法隆寺やら観光したり
観光すればきちんと手を合わせてお参りしてくるんだしね。

道祖神とかお地蔵さんとか、お稲荷さんとかそこらじゅうにあるし
正月は神社に初もうでに行くし、山に登ればそこにも神社があるし
お参りしてたらどこかしらで御利益あるんじゃないかとか思ったりね。

でもさでもさ、そんな感じに宗教が大好きなくせにさ
ひとつの宗教がっつりいってると、どことな~く奇異な目でみられたりするのが
日本なんだよね。

まぁわからなくもないです。
大昔にやってきた正統的な各仏教やイザナギイザナミをはじめとする神道以外の
なんだかよくわからない新仏教や謎神様や
神や仏を洋の東西を問わずにごちゃまぜにした宗教や
あげくの果てに誰それの生まれ変わりが云々とか
そんなのだーれだって奇異な目で見ますよ、はい。


幸運なことに私の周囲にはその手の新興宗教系の人がいないので
いろいろな人を比較することが出来ない。
というか、私はキリスト教ですっていうと
勧誘の方々速やかに去られますです、エホバさんさえも。


ええと~個人的には宗教を「御利益系」と「哲学系」に分けているんだ。
御利益系ってのは読んだ通りの意味でね
馬券が当たったり、家内安全商売繁盛夫婦円満だったりするやつね。
哲学系は、そうね、「禅宗」とかだとわかりやすいかな。
哲学系は世の中の悲劇や苦しみを「在るもの、決してなくならないもの」として生きるわけよ。
ハッピーを目指して信仰したりはしないんだわね、
知ってます? 誤解されてる場合が多いけどキリスト教はこっちです。

この苦しみにまみれた世界の中になにか一片の安らぎを、悟りを
得ようとする人々がいて、
あるいはどれほど汚れた世界の中にも、
花のように咲き出でる愛のあることを信じる人もいて、
それが宗教の存在意義なんだと私なんかは思うわけであります。

世界の貧困や戦争や飢えといった大きな問題にも
あるいは家庭内の不和や悲劇にも
立ち向かってゆかない信仰の姿勢に憤懣を覚える人もいるのはよく理解できるけれど

人が宗教に入ってゆくのは
圧倒的すぎて自分の力ではどうにもならないなにかに行く手をふさがれた時
というのが多いので、
つまり完全に自分の無力を理解したときなわけだから
もう一度立ち上がって戦えっていうのは、
けっこう難しい注文の場合もありますわなぁ。
ま、好戦的な人もおります。
ちなみに宗教とこれが絡むとかなり恐ろしい相手になりますぜ。
私は当然穏健好みです。

で現在、ある程度確信しているのは
武力であろうと言葉であろうと、
魂での勝利に勝るものはないのだろうということかな。
私自身にそれが出来るかどうかと言えば
絶対に「できません!」と答えるけれどね。

なんか話が広がってまとまらなかったなぁ。
やっぱり書きなれてない~

困ったことも素敵なことも、春

こころ
03 /17 2018
もう40年近く前の話だけど、そのころは私の病気
日本に数名しかいなくって、こう教えられた。
「年をとったらこの病気、治っちゃうみたいなんだ」。

これが大間違いなことは、その20年後あたりにわかってきて
いまでは50代で発病したりする人もいるそうだ。
病気の発症が増えたというより
病気を見つけられる医学技術が進歩したのだって思うけどね。

最後に手術したのはおととしの8月だったけど
出来ればもう手術はしたくない。
体力も気力も落ちたから、「こんなの平気さ!」って
気丈に振舞える力が無くなっちゃったんだもん。

私の病気、いまはどうなんだろうね。
数日前、皮膚にまた合併症が顕かになり
ちょびっと気持ちがへこんだ。
体調が悪く感じられないのは、24時間高カロリー輸液が入っているからで
もしこれがなかったら、やっぱりふらふらだったのかな。

少しでも皮膚病変が広がらないよう完全禁食をしようとしたんだけど
今回はそれが出来なかった。
この2年、私は食べて過ごしてきたからさ、忍耐が続かないの。
この点においても年をとったってことなのかしら。

若いときはね、苦しくても忍耐が出来たんだ。
年をとると忍耐も出来ないや。
困ったねぇ。

年をとって、なにかいいことってあるのかな。
まだ50代なのだから、多少は残っているはずだよね、うん。

昨日とうちゃんと話したんだ。
義父義母がね、確か50代の頃北海道に旅行に行ったのよ。
気がついたらあれから25年あまりが過ぎててさ
義父はもう、旅行を楽しめる体力がなくなってる。
私たち夫婦も、いまからはきっと、あっという間に80代になって、
旅行なんて行けなくなってしまうんだろうね、と。

とうちゃんはいま高血圧で、内臓脂肪も多くてさ
肺も真っ黒だし、肝臓もきっと良くない。
私もバリバリ病気人間だし、点滴なしでは数時間でだめになるだろう。
先のことはわからない、わからないからね、
出来る限り仲良く、お互いを思いやって
楽しくできるうちは楽しく過ごそうって約束したんだ。

夫婦でこんな話が出来るのも、とても幸せなことだね。
年をとって良くなった事って、きっとこれだわ。
うん、すごく素敵なことね。

とうちゃん最近加齢臭ハンパないけど
とうちゃんと結婚して良かった。
とうちゃんが元気で穏やかに暮らせるよう
今夜もお祈りするんだ。

ところで、埼玉は昨日までものすごく暖かでね
昼間は22度まで上がって、まるっきりの春みたいだったけど
今朝は1度まで下がった。

でも、春だよ、見てみて、チオノドクサがついに咲いた。
DSCN0568.png
クロッカスに混じって、ひょっこり出てきたよ。
うれしくなっちゃう、これからもっとたくさん出てくるんだ。
クロッカスも、ひとつの球根から枯れては咲き枯れては咲き、
いくつも花開いてくれるから、うれしいね。

DSCN0569.png
ムスカリも花芽を伸ばし始めたんだ。
もう絶対に春。

そして春の庭の主人公チューリップさんはこのとおり。
DSCN0570.png

このチューリップ何色が、どんな品種が咲くか知らないの。
ただただ楽しみ。
チューリップの間にもしゃもしゃ出てきてるネモフィラが咲くのはいつになるかしら。
青い花は本当に美しいんだよ。

春の美しさは、神様からのプレゼント。
思い切り楽しまないとね。

寒さにやられつつ代理母に来たコメントから考えること

こころ
01 /28 2018
寒さにも慣れた~なんて思ってたら
だめだわ、うん、だめ。

今日はね、午前中礼拝に行ってさ
午後は国道沿いのがってん寿司に行ったのね、
食べに行ったのじゃなくて、持ち帰り寿司で、
とうちゃんは帰ったらすぐ熱燗つけてもぐもぐにこにこで
がーっとお昼寝した。

私はおこたつ入ってゲームしたりテレビ見たりしていたんだけど
気がついたら、けっこうな吐き気が来ててさ、
車酔いのときのようなヤツなので
どうも冷えによる消化不良を起こしてるんじゃないかな。

私は恵方巻きを少し食べただけなんだけど
お寿司ってさ、絶対にレンチンしないでしょ、
冷たいごはんってさ、消化能力の低い人には鬼門なんだよね。
生ものも私には良くなかったのかもしれないなぁ。

午前中留守をしていたから家の中は5度ほどしかなくて
ストーブ入れたけれども、なかなか温まってくれない。
こたつに入って背中丸めて、おなかを圧迫していたのも良くなかったんだろうね、
気持ちが悪くなると同時に寒くて寒くて
インフルエンザもらってきたんじゃないかと思っちゃった。

室内は13度以上には上がりそうにないので
いろいろ着こんで、こたつに深くもぐってお腹を伸ばす姿勢で少し横になった。
2時間くらいで気持ち悪さはおさまったけど
まだ寒さは取れないなぁ。

来週には寒さが緩むという情報もあれば
木曜あたりにまた雪だという情報もあって
ほんとにほんとに油断してたら
やられちゃいそうな気がしてきた。

そういえば、いまちょうど大学の入試もはじまったんだってね。
よく行くスーパーではかごいっぱいにR-1ヨーグルトを買い込んでいく
お母さんたちを見るよ。
家族がインフルエンザにならないように心配りをしているんだねぇ。
こういう優しさって、ほんと、母親なればこそだと思うよ。

ああ、この言い方は御幣があるね、
母親でなくたって心配りをする人はいるよね、間違いなく。

代理母の問題ね、何人かがコメントを密かにくれたんだ。
貧しさから脱出するための一手段として容認出来るという考えもあるし
結局はお金がある人だけが可能な方法で、
貧しい人がいなくなったらこの方法は消滅すると考えている人もいた。
うん、どちらもよくわかるし、納得できる。

根本的なところで
何が何でも子供を持ちたいのかというコメントをくれた人もいた。
これはさ・・・・難しいよね。

私は運よく母親になれたけれど
同じ病気で重症者のほとんどの女性は
母親になることを最初から諦めていてさ、
だから結婚すら諦めている人も多いんだ。
私は、死んでもいいと思って妊娠したけど、
それは短慮だったから出来たことなんだ。

実際に死んでしまったら、とうちゃんはどうなっていたかな。
私のために何年間も仕事帰りに毎夜病院にきてくれた母は
どんなに悲しんだか知れない。
うん、母は妊娠に反対したもの。

かなり厳しいつらいことも味わわなければならなかったけれど
私は子供を産むことができた。
そしてそのために、今現在まで結婚妊娠を選択しなかった多くの重い患者たちの
何倍も体をぐちゃぐちゃにすることになった。

私が後悔せずにいられるのは、いろいろ厳しい現実を身に受けても
いま、このとき、笑っていられるからだろうな。

あのね、お母さんになる道を諦めた人もきっとそうよ。
いま、本心から笑っていられたら、それでいいのじゃないかしら。

どちらもさ、泣くことも悔しいこともいっぱい経験して、
それでもニコニコ笑顔になれる日々がくるなら
それでいいのよ、きっと。

人が望むことを精一杯やり遂げるにせよ
泣きながら諦めて唇を噛み締め天を見上げるにせよ
その人の意思を他人はあれこれいうことは出来ないのよ。

そして、当たり前だけど
どんな形であれ、生まれてきた命が決して粗末にされることなく
愛されて育つようにと、ただそれが一番大事。