このごろ人妻の不倫、浮気がふわふわしてて気持ち悪い

こころ
05 /02 2017
マツコの知らない世界を見終わって、そのままにしていたら
「あなたのことは それほど」ってドラマがはじまっていて
あれこれ動きながらドラマの会話を聞いていたら
なんか、ものすごく、不愉快な気持ちになってきて
テレビをすぐに消した。

朝のバラエティとかでも
主婦の浮気が増えていることよく取り上げていて
もはやめずらしくないみたいに考えている人たちもいるようだけれど
あれはだめだよ、やっぱり。

なにがいけないって、
その恋に一切の真剣味がないことだね。

さっきのドラマの中の浮気や
このごろよく聞く主婦の昼顔不倫とかってさ
軽いんだよ、ふわふわしてるの、漂ってるの。

「彼がいるからこそ、主人や子供との関係にゆとりが出来て
穏やかないい母、妻でいられるんです」
なんて、もう倫理観、背徳感なんか微塵もないことを
まるで「いいこと」みたいに語る人もいるし。

自分じゃ気がつかないのだろうけれど
腐ってるよ、その思考。

好きで好きで仕方がないから恋を棄てられないというなら
もうしょうがない。
そのかわり、周囲の人間を傷つけたくないとか、
そんな自分を守るための言い訳は一切しないで
すべての泥を引っかぶっても
家庭も仕事も失ってもいい覚悟でいってほしい。

ああ、夜だよ、
かなり
強めに書いちゃったよ、
もうしらない。 
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祖父母たちと娘

こころ
04 /26 2017
私の母は小さい子供と遊ぶのがとにかく上手かった。
彼女は小さかったうちの娘と歩くときには手をつないで、
大声で歌を歌いながら歩いた。
歌はときどき替え歌になり、身振りつきの踊りになったりする。
娘も一緒に踊ったり歌ったりして、笑い声があたりに響いた。
もはやどっちが大人か子供か分からないくらい楽しそうに見えた。
娘の口に合う料理を好んでつくりもしたので、
娘はこの点でも喜び、この祖母を大好きだった。
大人で保護者で、大きくて面白いお友達として。

夫の母は兄弟姉妹が多かったので
子供の扱いがさぞや上手いだろうと思っていたが、さにあらず
彼女は娘と遊ぶことはせず、ただただ面倒を見る人だった。
ごはんを食べさせたり、背中におんぶして買い物に行ったり、
洋服やおもちゃを買ってくれたり、お小遣いをくれたりする。
娘はついて行くし、ありがとうと言う。
けれども、一緒になって笑い転げて遊ぶような状況にはならないので
娘はこの祖母を保護者として見た。

夫の父もまた子供に対して保護者として接する方法しかとらない人だ。
その方法しか知らないのだろうと思うし、
それ以外の方法があるのを知らないのかもしれない。
いろいろと大きなプレゼントをもらったにもかかわらず
娘はこの祖父にも深い感情は持っていないらしい。

私の父は性格的に非常に大きな問題があったが
犬や子供と言った無邪気な生き物が大好きだったので
これも子犬と遊ぶように娘と遊ぶタイプだった。
子犬が遊ぶのを眺めるように娘を眺めては面白がり、からかい、
可愛い可愛いと言葉に出した。
甘やかされて甘えた娘は当然この祖父を好きだった。

私の父は娘が中学時代に死に、
それとほぼ同時に母は認知症になった。
娘はわずか十数年ほどの記憶の中のふたりを
いまも大好きだという。
「結婚式には、ママのほうのおじいちゃん、おばあちゃんなら来て欲しかった」

夫の両親は娘のこの感情を知れば、深く傷つくだろう。
彼らは彼らなりに娘を大切にしてくれた。
ふたりの生き方は真面目で、忍耐と抑制が効き、
表から見えない底には穏やかな思いやりが流れている。
この見えない部分が、表に出てくれれば
娘も彼らをもっと理解してくれるのだろうに。

感情を素直に表出して、子供のようにふざけることの出来た私の親は
怒りの感情も抑制せず、怒髪天の勢いで火をも吹いた。
ふたりの子供である私は、親の怒りや憎しみ感情の被害をもろに被って、
精神的な深手を負った。
孫である娘は彼らの深刻なマイナス面を知らぬままに済んだからこそ
彼らを好きだと言い続けられる。

幸せな子だ。

趣味の通信教育やりたいんだよぅ

こころ
04 /17 2017
通信教育ね、なにをやろうか迷ってる。
かなり以前に、ユーキャンの実用ボールペン字をやったことがあって
まぁ確かに、それまでの文字とは意識そのものから変わったかもしれない。
もっとも常に字を美しく書こうと思わない限り
字はどんどん乱雑でいい加減になっていくんだけど(-∀-)

いま欲しいのはなるべく純粋に楽しめる趣味で、
出来れば一生続いたりしたら最高だね。
で、そんなにお金がかからないって言うのは必須ね。

俳句って趣味としては最高だと思うんだ。
まず安上がりで、いつでもどこでも出来て
年をとっても出来て、句会とか入れば仲間も出来てさ、
いろいろな面でボケ防止にもなりそうな気がするんだよね~
だけど、なんか渋すぎてね、
もっと年をとってからでもいいんじゃないかと思ったりして。

絵は憧れるよ~
油絵は高くつくから水彩画とかさ。
美しい絵を描くのって楽しそうだもんね。
でもやったことがないんだ、絵画系って。
水彩画は道具類をまず広げなきゃいけない点が面倒かも。
自分の部屋があってそこで常に広げてあるならいいんだけどね。
(お習字とペン習字もそうだけど、気軽さって大事なのよ)
色鉛筆絵画って言うのがあって、なかなか楽しそうかなぁって思ってるの。
でも、どうだろう、飽きちゃうかなぁ。
お金を払うわけだから、飽きるものは嫌だなぁ、なんてけちなこと思ったり。

ガーデニング講座とかもいろんなところでけっこうあって
やれば多分すごく楽しいとは思うんだ。
ああ、そういえば椿の木に虫が付きだす頃だから消毒しなきゃいけない。
枝も込み入ってるところ切らなきゃいけない
・・・・・そうなのよ、ガーデニングは体力が基本なのよ、
人並みの体力がない場合はお遊び程度が精一杯ってところ。

でもなにかやりたいんだ!
そうでないと今度こそメンドクサイ病が進んでボケてしまうっ!

イースターエッグを食べながら

こころ
04 /16 2017
イースターエッグをもぐもぐ。
お塩をかけて食べているぞ。
今日はイースター。

近所のスーパーでは
「イースターは春を喜ぶお祭りです」なんて堂々と店内放送しちゃってる。
イースターって春とうさぎと卵のお祭りってな感じですか。

イースター

イエス・キリストが十字架に磔になって死んで(金曜日午後3時ごろ)
3日目(日曜日)の朝復活したっていう、
それがイースターのお祝いなんだよ~
なんて言ったって、はぁ? ってな感じなんでしょうな。

いいですよ、いいですよ、教会ではきちんとお祝いやってますから。
イースターエッグだってちゃんと配りましたから。
教会でイースターエッグもらったら、そりゃもう、本物です。

・・・・でも、なんで卵で、なんでうさぎなのかな。
だってプロテスタントだもん、卵に関することなんて聖書にないしさ。

調べてみるとやっぱり
春を喜ぶいろんな伝統や習慣とまざりあって、うさぎと卵なんだね。
それからカトリックと正教会では、礼拝中に卵の祝福を行うんだって。
へぇへぇへぇ、なんかかわいい。

イースター

子供の頃通ってた日曜学校では、
大きな公園に遠足に行って、卵探しとかやった思い出があるよ。
なんで卵なんだかわからないまんま、きゃあきゃあ言いながら卵探した。
「なんで~?」とか聞こうとも思わなかったな。

子供の頃ってすべてが「なんで~?」だから
いちいち理由なんか聞かないで、あるがまんま受け入れちゃう。
「なんで?」って思い始めて、納得できないと不快になるのは
何歳ぐらいからなのかしら。

「なんで?」をとにかくたずねる「歩く疑問符」みたいな子供は
やっぱり頭のつくりが違うんだね、
賢いからこその「なんで?」なんだろうね。
私なんかいまだに、わからなくてもほけ~っとしていられるからね。
理解が必要なものでさえも、わからないままにほったらかしたりしてさ。

私このごろ、自分がほんとに
何にも知らないなぁって強く感じるようになってきたんだ。
謙虚とか謙遜とかじゃなく、芯から「無知」なんだって感じる。
だからブログ村のカテゴリー「50代の生き方」なんて
そんな偉そうな、自信に満ちた響きのあるカテゴリーにいるの、
いたたまれなくなって変えたんだよね・・・・

何にも知らないって感じられるのって、悪くないよ。
少なくとも見栄ははらないで済むからね。
でも現状に甘んじるのも怠惰だよね、
なんか始めなきゃって、いつも思ってる。

で、はじめないんだけどね、いつも。
・・・・なんて平気で書いていてはいかんよねぇ。

思いやりで耐えること素直に泣いてすがること

こころ
04 /10 2017
教会での結婚式の誓いの通り
互いに信じあい愛し合い助け合い守りあってきた後期高齢者のご夫婦。
仕事のことお金のこと子供たちのこと舅や姑のこと親戚のこと、
大概の苦労はひととおり、人並みに、いや、人の倍は乗り越えてきたご夫婦。
子育てや介護、生活の苦労は当たり前に。
70代になって隣家からの出火で自宅が丸焼けになっても、
互いに入院するような重い病気になっても、
お二人は仲良く手を取り合って、支えあいながら乗り越えてきた。

ただ、今回は違うのよ、と奥様が語った。
ご主人の半年前の手術で取りきれたと考えられていた癌が
非常に良くない場所に、良くない段階で見つかってしまってから
ご夫婦の形が少しだけ変わってきたのだという。

明るくて活発で意志の強さを隠さないご主人が
何をするにも気力が出ないようになり
(抗がん剤のせいもあるらしい)
身の回りのものなどを、処分、片付けはじめ、
滅多にしないはずの書き物に没頭していることもあるそうだ。

「お父さん言いたがらないから、私も聞かないんだけど、
かなり良くないんだと思う、心も体も」
奥様は続けて、だからどうか主人のために祈ってください、
と、婦人会のメンバーに小さく語った。

クリスチャンは、死を恐れるようには教えられてはいない。
天国にいけることは約束されているから、むしろ喜びでさえあると
そんな風に私は考えてきていた。
だが、このご夫婦の話を聞けば、そう簡単には割り切れないことがわかる。

信仰篤いご主人は死を恐れてはいないだろう。
ただ、最愛の奥様やお子さんたちと、これまでの自分の人生との別れに
折り合いをつけるのが、非常に辛いのかもしれない。
お互い死ねば天国で会えるはずの二人であっても、
遺して行くのは心配でつらくて、遺されてゆくのは寂しくて悲しい。

厳粛な事柄を精一杯覚悟しようとしている夫に
妻はただ変わらぬ日々を守り、自然に振舞い、
流れに任せ、事実を探りはしない。
これは夫婦のよそよそしさでも溝でも秘密でもなく、
互いを思う愛の形に他ならない。

私もこのご夫婦くらいの年齢になったら
そんな風に夫を静かに見守るように愛せるかな、と考える。

今の私は愚か者だからきっと、耐え切れずに夫に泣きつき
死なないで欲しい、と言ってしまう。
むちゃくちゃな言葉とわかっていても言ってしまう。
言われたことで相手がさらに苦しんでも言ってしまう。

私の行動は思いやりがない、忍耐もない包容力もない。
なにより夫の苦しみを黙って見守ることのできる強さがない。
私はぐちゃぐちゃに泣くだろう、
夫もぼろぼろになって泣くかもしれない。
一緒に泣けるだけ泣くのも、大事な時間だと、無理にも思う。

愚かでも素直なのがいい場合もある。
大事なもののためには愚かになってもかまわない。
と、いまだ青い自分を見つめている。