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十代の頃から顔肌にだけは自信があった。
ほくろの多さを考えなければ、いまでも肌はきれいなほうだ。
なにせ便秘ということがないからね、腸閉塞にならない限りは。

でも、いくら肌がきれいだといっても
シワがないわけではない。
以前はクリームをいくら塗っても乾燥して、コジワの原因になっていたけれど
3年ほど前からメディプ○スゲルを使い始めたところ
肌が乾いてシワになったり粉を吹いたりすることがなくなった。

常にしっとりしていて、さわり心地はかなりよいが
それでもパーンと肌が張ってシワが伸びるというわけではない。
生まれつき道具立てが地味な顔なので
目鼻が大きくシワが目立つ顔よりは、今となってはお得感があるが
それでも寄る年波、ほうれい線も目じりのシワもきちんとお目見えしている。

今朝、洗面所の鏡に映った自分の顔を見て、
なんとはなしに理解できた。
私はもう無理だ。
同年齢の人より若く見えるとか、50半ばには見えないとか
そんな風に思い込むのは、もう無理だ、と。

鏡の中の私は「幼稚園の運動会を見に来ているおばあちゃんたち」
と同じような顔をしていた。
すっぴんの顔の眉は半分までしかなくて
頭髪も細くて薄くてぺしゃんこで
若かった頃はそこそこノーブルな顔だっただろうと予想できる
(せめてものよく目をここに加えたいじゃないか!!)
おばあさんの顔だった。

とうちゃんとふたりで孫の話を楽しげにするくらいだもの、
おばあさんの顔になってたって当然だわね。

美しさで売ってる女優じゃないんだからさ、
もう無理だって認めなきゃという気がした。
通販の高いクリームのCMにでてくる、
シワがない上に髪までふさふさした美肌の婆さん70代には
私はなれやしないのだし
(金も髪もない!!)

かくなるうえはせいぜい、穏やかな優しい表情をした
いい感じのおばあさんを目指そう。
それならまだ、なんとか手が届くんじゃないかって気がする。

年齢を経て表面にでてくるのは内面だというからさ
今からだって穏やかで優しい人になれるよう努力すれば
きっとなんとかなるのだ、うん。

うむ、目的が出来てちょっと気分よし!

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昨日で娘の里帰り期間も終了し
今日から再び夫婦二人の日々が始まっています。

娘家族が去ってゆく車を見送りながら
自然と神様に感謝の言葉が口から出ていました。
赤ちゃんも娘もつつがなく過ごせたこと
それをこうして見送ることのできた感謝と。

なんでもない生活が出来ていることを
「当たり前だ」といよいよもって思えなくなっているのは
心配性が強まったのか
あるいは年のせいなのか
それとも年の瀬という時期のせいなのか
いや、たぶん、
大事なものが一番増えてきた年齢になっているからではないかしら。

若い夫婦とそれを継ぐまだ新しいやわらかな命が
どうかどうかこの世の
厳しい恐ろしい現実に直面せずにいられますよう
どうかどうかそれだけはと
心の底から祈ってしまうの。

子供を持つと、母親というものは全体に
この世界に存在する戦争紛争、事故事件、天災など
子供らの命を危うくするものに対して
恐怖と畏怖と憎しみとを抱くようになり
どうかそれらが起きないよう、無くなりますようにと
世界中の女のほとんどが願い、あるいは祈るのに
神様はこの世界が出来てからずっと
その祈りには、きっぱりと応えてくださらない。

それでもやはり私たち母親は願い、祈るのよ。
神様は昔から今までそれを
どんな思いで聞かれておられるのかしら。

みなさまとみなさまの大切なご家族がたの
平安と健康が守られますように。
今年も苦しく、悲しみばかりだった方々には
慰めと、勇気とそれから喜びが与えられますように。


ああ、今日はとうちゃんと二人だけだから
湯豆腐とかのシンプルな夕食で済ませていいんだわ
(楽だわ~)

溜めこんだクリミナルマインドも見ちゃおうっと。
(凶悪残虐な犯罪ものが好きという嗜好は
上述の祈りとひどく反している気がするし、
そもそもクリスチャンとしてどうなんだろうか・・・・)
10 01
2018

昨日、台風がまだ関東に接近していない昼ごろ、
とうちゃんと私は認知症実母のいる施設に秋冬物の衣類を持っていった。
実母は今度の誕生日で90歳にもなる。
以前はひとりでマシンガンのようによくしゃべり
わけのわからない歌を歌い続ける明るい認知症症状を見せていたのだけれど
昨日の母はすっかり大人しくなって、出てくる声も小さかったし、
表情もほとんどなくなり、ただぽつんと座っているだけだった。

母には新しいパジャマとズボンも買って持っていった。
いつも複数枚のパジャマを持っていっているのに、介護の人たちはきっと忙しくて
手近なものばかり着せ続けてしまうのだろう、
去年の秋冬のパジャマが一枚、部分的にぼろきれになっていたからだ。
ズボンも一枚、ポケットから脇にかけて、ざっくり縫い目が割れていて
これもきっと去年はカタキに着させられたのだろう。
洗ってある清潔なものだとはいっても、毎回同じ格好をさせられているかもしれないのは
身内としては多少悲しい部分もある。
だが、これが預けるということだと、線引きをする。

ホールには誰も見ないテレビが台風情報を流しており、
母はただ無表情に椅子に座っていた。
母の隣に私はしゃがんだ。
母を苗字「●●さん」で呼ぶ。
母にはもう過去がないので、私という娘も存在していないから
介護の人みたいに苗字で呼ぶことにしている。
「●●さん、元気ですか、今日は雨ですよ、台風なんですよ」

母は私を見て、よくわからないことをつぶやき、
不思議な旋律に不思議な言葉を載せてひとりごちる。

「●●さん、ご飯食べましたか? おいしかったですか?
寒くないですか? 」
母からまともな答えなど最初から期待していない、
なんでもよい、ただ瞬間に気持ちを通わせるために
母の顔を見ながら思い切り微笑んで細い肩を抱きしめると
母はやっとこさ、にこにこーっと笑い、また不思議な言葉をしゃべる。

秋の終わりごろ、母にはひ孫が生まれるのだ。
母が私を懸命に支えてくれたように、私もいまできる限り
娘の力になろうとあれやこれやと努力協力しているが
それでも私の娘は健康体だし、近くに住んでいてくれるし、
車を運転して自らうちまで来てくれる。

私が母にかけた心配や苦労はこんな比ではない、
比べるのもおこがましい。
重い病気を抱えて子供を産んで育てるという私を
母は出来る限りのすべての労を惜しまず
あらん限りの心を注いで助け支えてくれたのだ。

母が必死に守ってくれた私、
私が通院するたび遠方から幼い娘をみにきてくれた母、
その幼かった娘が子供を産み、私はおばあちゃんになるのだ。
その私がこうして生きられたのは、この母の愛によるのだ。
こうしていくつも命が続いていくのは、
この母が持ちうる限りの愛を惜しまなかったからなのだ。

母の体を優しく抱きしめながら、お祈りをして、
ありがとう、といってみたら、もう涙がとめどなくでてきて
しょうがなかった。
母は相変わらず不思議な歌を小さな声で歌っていた。
もう日本語すらほとんどわからなくなっているのかもしれない。

ひとり小さな声で歌い続けている母を置いて
母の居室に入って衣類の整理をした。
オシッコの拭き残りがまだ床に少し残っていて
臭いが鼻をついた。
てきぱきと衣類を入れ替えるとまたホールにいる母のところに戻り
「●●さん、また来るね」と挨拶をした。
母は笑っているのかな、という曖昧な表情で、ちょっとだけ手を振ってくれた。

今日からしばらくは秋らしい涼しい日が続くということで
大変うれしい。

だが、おとといの日曜日には、車外を示す温度計は34度まで上がって、
用事で出かけた私は、帰宅後以降
暑さにやられて体温が下がらず、軽い脱水症状を起こし、
その余韻が今日もまだ続いているので
涼しいからってそう快調とはいえない。

湿度が高いせいか体温がまだきちんと下がってくれないので
バリバリ動くことが難しい。
編み物もする気にならない。
仕方がないので洗濯とご飯つくりはやるが
出来ればゴロゴロしていたい感じだ。

今日はつめたい麦茶や緑茶ではなく
久しぶりに熱い渋茶などを淹れて飲んでいるのだが、
茶菓子も食事もなしにお茶だけなので胃が痛くなる予感がする。

今日は月に2回あるお習字の日であった。
お習字では私よりも10ほど年上のみなさんと
いろいろ楽しく会話をし、情報を仕入れたりでき、
たいそうまったりしていてらくちんなのだが
そんな会でも、私のような付き合いべたな者には
人間関係が時に難しいなと感じることがある。

私は人に家族の話をするのが得意ではない。
アホだとか失敗したとか言う話しならあっけらかんとできて
笑われることで落ち着く。
けれども、家族の長所やステイタスを語ると
軽妙さを一瞬にして失ったかのように
優越を示そうとしてしまう気配がある。

周囲のおばさまがたはさして気にしていないのかもしれないが
私自身が自己嫌悪に陥るのである、いまこの瞬間のように。

今日はひとりのおばさまが、私の娘の職業を「栄養士」とだと思って
「自分の親戚にも栄養士がいる」と、どんどん話を進めるので
栄養士ではなくて管理栄養士だと2度ほど口を挟んでしまい、
3度目には栄養士は県知事都知事の名による免許であり
管理栄養士は国家試験だと、説明してしまった。

笑って流せばそれでよかった程度のことだった。
しかし私の言い方はきっと嵩にかかったものになっていただろう。
のんびりと話す埼玉の人々は
東京下町で生まれ育った私の早口でまくし立てるような口調を
強くてけんか腰だと受け取ることも少なくない。

私が埼玉の人間だったら、
「たかがその程度のことでナニそんなに威張っているんだ」と
思ってしまうだろう、
今日まさにそう感じたおばさまもいたかもしれない。

私は大人になってから、特にクリスチャンとしてはさらに、
人に接する際の穏やかさというものに憧れを持っている。
穏やかで謙虚な、自分の意見をことさらに主張しない人間になりたいと
思っている。

(ブログではときに地が出てるので、それで一息ついているのかもしれない)

正しかろうが間違いだろうが、
流せることは流せるようになりたい。
見せ掛けだけでも、穏やかで謙虚な人間になりたい。


流れ込み押しつぶし、砕いていった土石流が
暑すぎる太陽に表面上の水気を奪われて砂のようになっている。
その一見砂に見える土の下に家々があり車がある。

天から降った水がこんなにも地面を侵して
人の住む街を破壊してゆくのか。
土石流のニュースや映像は、これまでも見た覚えがあるのだけれど
今回の大豪雨によって起きた光景は
まるで安倍公房の小説「砂の女」が棲みそうな街が
リアル世界にあらわれたかのようで
その映像が、怖くて凄まじくて冷や汗が出てきた。

自分がもしこの大豪雨の被災者だったら
果たして・・・と想像しようとしても、恐怖で出来ない。

泥にまみれた自分の家を、家具ひとつずつでも片付けている
あれらの人々の心は到底平常心ではないのだろうけれど
ああやって動き続ける人を
私は心底尊敬する。
すごいよ、あの人たちはすごい。

いったい何をどうやって書けばいいのか、
迷うばかりだ。
私は何も出来ない。
義捐金を送ることが、ただひとつできることなのか。
何かもっと、できることがあればいいのに。

神様あの人たちを勇気付けてください、
あの人たちの心と体をどうか守ってください。
あの人たちが決して絶望することのないよう
はっきりとした希望を、形にして与えてください。
たくさんのたくましい心と腕が、
あの人たちのために集まり、手伝い助けてくれますように。
あの人たちの再生のために
多くの優れた知恵が用いられますように。

あの人たちの尊い忍耐を褒めてください、神様。
あの人たちが心から安心できるそのときを
どうか速やかに与えてください。
あの人たちをどうかどうか守ってください
慰めてください、癒してください。

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