困ったことも素敵なことも、春

こころ
03 /17 2018
もう40年近く前の話だけど、そのころは私の病気
日本に数名しかいなくって、こう教えられた。
「年をとったらこの病気、治っちゃうみたいなんだ」。

これが大間違いなことは、その20年後あたりにわかってきて
いまでは50代で発病したりする人もいるそうだ。
病気の発症が増えたというより
病気を見つけられる医学技術が進歩したのだって思うけどね。

最後に手術したのはおととしの8月だったけど
出来ればもう手術はしたくない。
体力も気力も落ちたから、「こんなの平気さ!」って
気丈に振舞える力が無くなっちゃったんだもん。

私の病気、いまはどうなんだろうね。
数日前、皮膚にまた合併症が顕かになり
ちょびっと気持ちがへこんだ。
体調が悪く感じられないのは、24時間高カロリー輸液が入っているからで
もしこれがなかったら、やっぱりふらふらだったのかな。

少しでも皮膚病変が広がらないよう完全禁食をしようとしたんだけど
今回はそれが出来なかった。
この2年、私は食べて過ごしてきたからさ、忍耐が続かないの。
この点においても年をとったってことなのかしら。

若いときはね、苦しくても忍耐が出来たんだ。
年をとると忍耐も出来ないや。
困ったねぇ。

年をとって、なにかいいことってあるのかな。
まだ50代なのだから、多少は残っているはずだよね、うん。

昨日とうちゃんと話したんだ。
義父義母がね、確か50代の頃北海道に旅行に行ったのよ。
気がついたらあれから25年あまりが過ぎててさ
義父はもう、旅行を楽しめる体力がなくなってる。
私たち夫婦も、いまからはきっと、あっという間に80代になって、
旅行なんて行けなくなってしまうんだろうね、と。

とうちゃんはいま高血圧で、内臓脂肪も多くてさ
肺も真っ黒だし、肝臓もきっと良くない。
私もバリバリ病気人間だし、点滴なしでは数時間でだめになるだろう。
先のことはわからない、わからないからね、
出来る限り仲良く、お互いを思いやって
楽しくできるうちは楽しく過ごそうって約束したんだ。

夫婦でこんな話が出来るのも、とても幸せなことだね。
年をとって良くなった事って、きっとこれだわ。
うん、すごく素敵なことね。

とうちゃん最近加齢臭ハンパないけど
とうちゃんと結婚して良かった。
とうちゃんが元気で穏やかに暮らせるよう
今夜もお祈りするんだ。

ところで、埼玉は昨日までものすごく暖かでね
昼間は22度まで上がって、まるっきりの春みたいだったけど
今朝は1度まで下がった。

でも、春だよ、見てみて、チオノドクサがついに咲いた。
DSCN0568.png
クロッカスに混じって、ひょっこり出てきたよ。
うれしくなっちゃう、これからもっとたくさん出てくるんだ。
クロッカスも、ひとつの球根から枯れては咲き枯れては咲き、
いくつも花開いてくれるから、うれしいね。

DSCN0569.png
ムスカリも花芽を伸ばし始めたんだ。
もう絶対に春。

そして春の庭の主人公チューリップさんはこのとおり。
DSCN0570.png

このチューリップ何色が、どんな品種が咲くか知らないの。
ただただ楽しみ。
チューリップの間にもしゃもしゃ出てきてるネモフィラが咲くのはいつになるかしら。
青い花は本当に美しいんだよ。

春の美しさは、神様からのプレゼント。
思い切り楽しまないとね。
スポンサーサイト

寒さにやられつつ代理母に来たコメントから考えること

こころ
01 /28 2018
寒さにも慣れた~なんて思ってたら
だめだわ、うん、だめ。

今日はね、午前中礼拝に行ってさ
午後は国道沿いのがってん寿司に行ったのね、
食べに行ったのじゃなくて、持ち帰り寿司で、
とうちゃんは帰ったらすぐ熱燗つけてもぐもぐにこにこで
がーっとお昼寝した。

私はおこたつ入ってゲームしたりテレビ見たりしていたんだけど
気がついたら、けっこうな吐き気が来ててさ、
車酔いのときのようなヤツなので
どうも冷えによる消化不良を起こしてるんじゃないかな。

私は恵方巻きを少し食べただけなんだけど
お寿司ってさ、絶対にレンチンしないでしょ、
冷たいごはんってさ、消化能力の低い人には鬼門なんだよね。
生ものも私には良くなかったのかもしれないなぁ。

午前中留守をしていたから家の中は5度ほどしかなくて
ストーブ入れたけれども、なかなか温まってくれない。
こたつに入って背中丸めて、おなかを圧迫していたのも良くなかったんだろうね、
気持ちが悪くなると同時に寒くて寒くて
インフルエンザもらってきたんじゃないかと思っちゃった。

室内は13度以上には上がりそうにないので
いろいろ着こんで、こたつに深くもぐってお腹を伸ばす姿勢で少し横になった。
2時間くらいで気持ち悪さはおさまったけど
まだ寒さは取れないなぁ。

来週には寒さが緩むという情報もあれば
木曜あたりにまた雪だという情報もあって
ほんとにほんとに油断してたら
やられちゃいそうな気がしてきた。

そういえば、いまちょうど大学の入試もはじまったんだってね。
よく行くスーパーではかごいっぱいにR-1ヨーグルトを買い込んでいく
お母さんたちを見るよ。
家族がインフルエンザにならないように心配りをしているんだねぇ。
こういう優しさって、ほんと、母親なればこそだと思うよ。

ああ、この言い方は御幣があるね、
母親でなくたって心配りをする人はいるよね、間違いなく。

代理母の問題ね、何人かがコメントを密かにくれたんだ。
貧しさから脱出するための一手段として容認出来るという考えもあるし
結局はお金がある人だけが可能な方法で、
貧しい人がいなくなったらこの方法は消滅すると考えている人もいた。
うん、どちらもよくわかるし、納得できる。

根本的なところで
何が何でも子供を持ちたいのかというコメントをくれた人もいた。
これはさ・・・・難しいよね。

私は運よく母親になれたけれど
同じ病気で重症者のほとんどの女性は
母親になることを最初から諦めていてさ、
だから結婚すら諦めている人も多いんだ。
私は、死んでもいいと思って妊娠したけど、
それは短慮だったから出来たことなんだ。

実際に死んでしまったら、とうちゃんはどうなっていたかな。
私のために何年間も仕事帰りに毎夜病院にきてくれた母は
どんなに悲しんだか知れない。
うん、母は妊娠に反対したもの。

かなり厳しいつらいことも味わわなければならなかったけれど
私は子供を産むことができた。
そしてそのために、今現在まで結婚妊娠を選択しなかった多くの重い患者たちの
何倍も体をぐちゃぐちゃにすることになった。

私が後悔せずにいられるのは、いろいろ厳しい現実を身に受けても
いま、このとき、笑っていられるからだろうな。

あのね、お母さんになる道を諦めた人もきっとそうよ。
いま、本心から笑っていられたら、それでいいのじゃないかしら。

どちらもさ、泣くことも悔しいこともいっぱい経験して、
それでもニコニコ笑顔になれる日々がくるなら
それでいいのよ、きっと。

人が望むことを精一杯やり遂げるにせよ
泣きながら諦めて唇を噛み締め天を見上げるにせよ
その人の意思を他人はあれこれいうことは出来ないのよ。

そして、当たり前だけど
どんな形であれ、生まれてきた命が決して粗末にされることなく
愛されて育つようにと、ただそれが一番大事。

容貌の変化

こころ
12 /10 2017
今日は家でゴロゴロしてると、とうちゃんが言ったので
午前中の礼拝を終えて急ぎ足で帰ってくると
家にはだあれもいなかった。

とうちゃん、プールに行ったのかな、
またパチンコに行ったのかな、
今日は疲れてるって言ってたのにな。

と思いながら、それじゃあ教会に戻って
クリスマス礼拝のビラ配りをすることにした。
わずか100戸ほどにビラを配り終えると
1時間弱過ぎていたので、帰宅したけど
やっぱりとうちゃんはいない。

これはプールじゃないな、パチンコだな、と推理する。
疲れてるとか、体がだるいとか言いながら
パチンコだけはできるんだもの、
「お仕事大変なのね」なんて理解を示してた自分の愚かさを
またしても再認識してしまったよ。

どうしてだろうね、ほかの人には嘘つかれても、ごまかされても
それほど腹は立たないのだけど
とうちゃんには、ちょっとしたことで、とっても不愉快になるんだよね。
これはきっと、私自身の依存や甘えが原因なんだろう。

とうちゃんが軽い気持ちで、言葉と行動を異にしたとしても
私は全然なんとも思いません、くらいになれたらいいなぁっていつも思う。

うちの家には主婦が大抵いて、滅多に空っぽになることがなくて
宅急便も必ず受け取ってくれるし
誰か帰ってきても家が寒いってことはないし
ご飯の用意もされているし
洗濯物もちゃんとしてあるし
お風呂もきちんと沸いているんだって
それがとうちゃんにとって当たり前になっているんだろうね。

私ねぇ、ときどきそれを自分の意志で裏切ってみたくなるんだ。
自分の意志でって言うのはさ、
入院したら自分の意志じゃなしにこの家の主婦はいなくなるけどね
それじゃなくて、
とうちゃんがしているみたいに「勝手にどこかに行って、家にいない」
ってやりたいってことなんだよ。

でもそれが、出来ないんだよね、私には。
どこにも行くところがないんだもの。
遊ぶお金も足もないんだものなぁ。
何より一日外にいて遊べるような、体力がないんだものなぁ。

ところでね、
娘の結婚式の写真が出来てね、
そこに写っている自分の容貌の衰えや
背中がすっとまっすぐじゃなくなっていることなんかに
私けっこうショックを受けちゃっててね、
仕方がないとは言え、
どこをどう見てもおばあさんなんだなぁってね。

いまや認知症の我が母なんぞは
かつてミスコンテストで入賞したような美貌の持ち主だから
姉や私の結婚式のときも
親族写真の中で花嫁より目立つくらいの美女なのに
何で私は母に似なかったんだろうな。
80半ばを過ぎ、歯が全部なくなって
ベリーショートカットになってもいまだに美人なのだもの、
ずるいよねぇ。

などと愚痴っていたら、とうちゃんは
「容貌はどうでもいいけどさ、
人相の悪い年寄りにだけはならないで」と言ってた。

ああ、昭和の女優顔の我が母が認知症になりかけの頃は
自身が精神的に混乱の極地にあったから
美人であるがゆえに般若のような顔になっていたものなぁ。
あれは本当にいやな顔つきだった。
完全に認知症が進んで、いまは元の美女になったけどさ。

人相の悪い年寄りになりたくはないよ、もちろん。
でもさぁ、こんな風な時間が多くなると
そうならないとは言えないなぁ。
目鼻立ちがきりっとしてないから般若にはならないかもしれないけど
孤独な顔にはなるかもしれない。

youtube履歴から見るプロファイリング風

こころ
11 /17 2017
この前、その人の本性を知るための手立てとして
youtubeの再生履歴を調べるというのがあったの。

こ、これは確かにけっこう本性でるかも知れない。

と、言うわけで自分の履歴を調べてみると
ここ数日は音楽ばっかり聴いているので赤面なし。
眠気を覚ますためとか、テンションをあげるBGMとか
川のせせらぎとか、小鳥の声とか、そんな感じだから
全然オッケーさ。

で、この前なにげなく「たろう16bit」という人の

【全部俺】絶対聴いたことある洋楽トランスメドレー byたろう16bit

をたまたま聴いてみたのよ、
だって個人の歌に600万もの視聴回数がついてたから
ちょっと興味半分にね。
そしたらびっくりしてしまった。
世の中って、こんな才能を静かに潜ませているんだわね、
コリャ600万視聴当然だわ・・・

話がそれた、えっとそれから
かぎ針編みの中長編みの確認をしたくてその動画を1個見てて
(アランセーター製作中でノット模様=球っころ、を作るために必要だったの)

やばいのはそのあとからでね~
近親相姦の一族うんぬん、わけあり物件の心霊うんぬん、
猟奇事件のおっそろしい事件の動画がいくつも続いて
閲覧注意と書かれたえぐいものがうつってる動画がうわぁ複数続いてるよ。

いやぁ、この辺が私の本性を顕にしてるところだわ~
子供の頃から、お化け、幽霊、心霊、
殺人事件、呪い、刑罰、死体・etc ・・・・
私がえぐい洋ドラが好きな理由はこの辺にあるわけね、
と、自分で自分を分析してみるわけですな。

それから歴史系の動画もけっこう見ていて
大奥の実態とか吉原の悲劇とかシモネタ系ももちろんだけど
幕末の写真とか平安時代のどうのこうのとかも意外と好き。

賛美歌はもちろん見てますよ、
でもさ~、素人衆の歌声のものが日本人の賛美歌には多くってさ。
「上手でなくても録音が悪くても神を賛美していることが尊い」
というふうには私受け取れない性質なんだよね~
(自分たちで歌を楽しんだり感動したりするぶんにはいいんだけど
それを私も喜べるかっていうと、喜べませんので)

ふむふむ、ざっと見てきて私自身のことがちょっとわかったかもしれない。

全般にそれほど後ろめたい、隠したくなるような履歴はないけれど
ホラー、オカルト、犯罪、などに興味があり、
醜悪な外形、呪わしい心理などを平然と視聴できている。
クリスチャンでありながら、上述のような動画を喜び
賛美する同胞の上手い下手を理由に「ちょっと・・・」などと平気で言うので
この人物の信仰心は決して篤いものではないといえる。


我ながら、これ当たっているわ。

あのね、それとだいぶ前だけど、こんなのも見てた。


折り紙のり方を教える動画はけっこう人気あって
簡単かわいいものからレベルの高いものまであるのよ。
上に上げたバラ、これはかなり難易度高くて
私は挫折しましたです。

だらけたい自分を引き止める説得

こころ
08 /19 2017
先週があまりにも涼しくて快適だったので
昨日今日の久しぶりの暑さがこたえて、ちょっとナニな感じの今日。

明日は日曜日だから礼拝なんだけど、
もしも今日みたいな30度超えで蒸し暑い日だったら
久しぶりに教会休んじゃうかもしれない。
去年退院したときね、
死にかけの命をこうして永らえさせてもらっているのだから、
神様に感謝しないといけないって、
教会サボらずに行こうって、決心したんだよ。

で、とりあえず今年は、自宅にいない場合以外に休んだことはなかったの。
でもさ~、先週とかその少し前とか
暑いとマジきつくてさ、牧師の説教を聴いてられないんだ~

でも、でも、でもね。
神様は私が自分が決めたことを絶対に喜ばれているからさ
私はその期待に沿えるようがんばらねばならないのよ。
だって神様の命令ではなくて自分で決めたことなんだから、
よっぽどのことが無い限り、家でだらだらするくらいなら
教会は行くべきなのよ、自分的に。

人間ってさ、安易なほうへ安易なほうへと流れていくじゃない?
少しがんばれば出来ることをやらないじゃない、
楽だからってさぼったりやすんだり投げ出したりあるいはみょうちくりんな理屈つけたりしてさ。
私なんかその典型というか、もう見本みたいなモンでさ
体が弱い、病気だってことで、いろいろ周囲に甘ったれて
なんだかんだと見逃してもらってきたわけよ。

テヘへって後ろ向きでベロだしたりもしたよ、
あー助かった、って。
でもさぁ、面倒くさいからってどんどん逃げてたらさ
結局ボケるだけじゃない?
認知症の人を介護したことある人ならわかると思うけどさ
家事とか片付けとか人付き合いとか習い事とか
そういうの「わずらわしい」「面倒だ」ってやらなくなるとさ、
ほんと、スムーズにボケる道筋を自分で作ってるようなモンなんだよね。

と、いうことで、いま書きながら明日の教会の礼拝から逃げるのを
自分で引き止めてみた。
「自分で決めたことだからやり通せ!」
「怠けるとボケるだけだ!」
「神様が悲しそうな目をなさるぞ!」

ううむ、がんばろう、がんばるのだ、ちやこ!