調子に乗りすぎた

生きていくこと
05 /21 2017
調子に乗りすぎたみたいで、昨日午後から熱がでた。
8度はなかったので点滴の感染じゃなさそうだとほっとして
PL酸飲んでしばらくしたら、熱はちゃらっと下がってくれた。

夜中は足の攣りがたびたび起きて、何度も目を覚ましたので
どうもこれは脱水みたい。
生食点滴を高カロリー輸液に変更してたのだけど
体重はやっぱり減っていた。

点滴をしていても減ると言うことは
どこかに炎症が起きているのかもしれないから
要注意なんだ。

考えてみれば、ここ何ヶ月か遊びすぎたのかも知れない。
私にしてみれば、ね。
このブログにもどこぞに遊びにいったなんて記事は
去年退院する前はほとんど無いのにさ
ここの所続いたものね。

この前の退院のときに
思っているほど楽しい時間は長くないだろうから
元気なうちはいっぱい楽しく過ごすんだと決めた。
で、多少体調が悪くてもごまかしごまかし遊びに行って
なんだかんだと楽しく過ごした。

だけど急にやってきた、この7月8月みたいな暑さで
さすがにしばらく休憩しないといけないなと
気づかされたよ。

だからね、しばらくいい子にしてようっと。
ブログに書ける様なこと起きてくれるかしらん。

スポンサーサイト

本心から笑える日

生きていくこと
12 /17 2016
私の病気は若くして発病する人が大半で、
必然的に恋愛や仕事、結婚、出産の時期に重なり
そのゆえに深く悩み傷ついて、心の病になってしまった人も少なくない。

前回の入院でも1人、そういう人に会った。
彼女は30歳になったばかりだった。
世の中にはうつ病、そううつ病の人たちが普通に増えているから
めずらしい話でもないだろうけれど
今回は、心の病気と体の病気がリンクするときに起こる
劇症といってもよい状況を目の当たりにしたので
それを記録しておこうと思う。

彼女は生来頭脳明晰で、
医学に携わる研究者になるべく将来を嘱望されていたのだが
研究室で病に倒れ、そのときから人生が変わってしまった。

いまの医学ではこの病気に完治は存在しない。
彼女は多くの生活上の制限と入院と、
複数回の手術を余儀なくされた。
腹部の病変を切除することは出来たものの
彼女の内臓から膣に至る箇所の病変を完全に排除することは出来ず
彼女は二十代半ばで人工肛門となった。

恋人は人工肛門でも気にしないといったが、
彼女はなにもかもに嫌気が差して恋人と別れた。
実際問題として膣病変は彼女の若者としての性を
是とすることが出来ないし、
大きな腹部の傷跡と、常に袋をぶら提げている人工肛門の存在も
若い女性としての彼女を、徹底的に苦しめた。

彼女に心の病気がはっきりとあらわれたのはその頃だった。

私の入院中、彼女は外来から緊急的に病室に運ばれてきた。
口も利けず、意識も不明瞭で、歩くことも出来なかったが
検査結果では彼女の体の病気それ自体は著しい悪化も見えず
点滴を続けるうちに落ち着いて、2週間ほどで退院が決まった。

調子が良くなった頃から彼女は私のベッドサイドに来て
あれやこれやと長話をしていくようになった。
彼女が好きなイラストを仕事にしていきたいということや
また恋がしたい、きれいになりたい、セックスがしたいという話などを
たくさんたくさん聞かせてくれた。
え、また来たの? ちょっと横になりたいんだけど、と私が思っても
彼女は機関車みたいに、どんどんどんどん話して話して
にこにこ笑って笑って止まらなかった。

体調が落ち着くとともに躁状態になったのだろう。
しかしそれが、彼女の中で悪化する体のほうの病気を隠してしまっていた。

彼女の変調は退院当日の朝だった。
彼女はまったく起き上がれなくなっていた。
あまりに唐突な変化で、芝居かしらと疑いたくなるほどだったが
看護師が彼女の低血圧に気がついた。
彼女はひどい嘔吐を催し、ろれつがおかしくなり、目が焦点を失い
血圧は夜には上が40にまで落ち込んだ。
私は過去入院中、何度もさまざまな緊急事態を見てきたが
これはまさに劇症的な急変だった。
入院経験の少ない同室の数人は、
彼女の凄まじい状態に恐怖を覚えたという。

上が40といえば、死に至りかねない値だ。
彼女は夜中に6人部屋から症状観察室に運び出された。
そして翌日の昼には症状観察室からも姿を消した。

まさか、あのまま逝ってしまったのか。
「彼女どこいったの?」「どうしたの?」
しかし看護師はプライバシー保護の観点から
ほかの患者のことを決して言わない。

同室だった患者たちは彼女が心配で落ち着かず、睡眠不足になった。
夜中にトイレに行くのを怖がり出した者もいた。
あの状況を目にすれば、彼女が死んでしまったと思うのも
無理はなかった。

それが数日続き、ある親身な看護師が、そっと教えてくれた。
「あのあと急に手術になってね、いまICUにいるのよ、
そのうちお部屋に戻ってくると思うよ」

ああよかった、と思うと同時に、私はぽろぽろ泣けてきた。
確かに癖のある子だったかもしれない、
心の病気があって、家族や周囲は振り回されて大変だったかもしれない、
でも、あの子は好きでああなったわけじゃない、
根っこは真面目で素直で、頑張り屋の、すごくいい子なんだもの、
あのまま死んだんじゃなくて本当によかった、
本当によかった。
自分でもよくわからなかったけれど、
彼女が死なずに危機を脱してくれたことがうれしくてうれしくて
泣けて泣けて仕方が無かった。

彼女のところには友達のひとりも見舞いには来なかった。
心の病が、彼女から友達を遠ざけさせてしまったのだろうと思う。
私は彼女とほんの数日間しかともにいられなかったから
こんな風に思うのかもしれない。
でも私は彼女が命の緒をつなげてくれたことがうれしい。
終わりにならなかったことがうれしい。

きっとまだたくさん苦しいことが起きるだろう、
人生においても、病気においても。
けれども、負けないで欲しい。

いつかまた、病院で会うことがあったら、
いくらでも話を聞こうと思っているから。
いっぱい、いっぱい。

生きていれば、必ずいいことがある。
本心から笑える日が来るから。
絶対に。

再燃だとしても

生きていくこと
12 /07 2016
10月の末に夫と初めて日帰りバスで大内宿というところに行って
帰ってきたら、手術痕の一部分が異様に盛り上がってしまっていた。
座るとちょうどジーパンのボタンがあたるおへその辺り、
シートベルトがずっと掛かっていた箇所が腫れて赤く熱を持っていた。

二日後にそこが破れて白い膿がごそっと出てきて
一応安心した。
膿が出きったら塞がってくれると思っていたからだ。

あれから1ヶ月以上過ぎても、膿はまだ出続けていて
単純な手術痕の表面の裂けとは考えられなくなった。

そして食物をとると膿の量が増える感じがした。

・・・・ということは、また腸壁と皮膚の間に
通り道が出来てしまったのかもしれない。
痛みもなく、熱も出ないので、
通り道は人工肛門近くの浅い箇所から始まっているのだろう。

この前入院して手術し、相当厳しい思いをしたのも
同じように腸と皮膚の間に太くて長く深い道が出来、
痛みと高熱が続いていたからだった。

手術して日が浅いのにまたかと思うと
ため息を出さずにいるのは難しい。

そういえばこの前の入院では
おなかの表面にいくつも小さな穴を開けたまんま、
手術をせずに生活している何人かと出会った。
そのうちの1人は私と同じく複数回の手術を受けていて
もう手術が出来なかったのかもしれないし、
手術を受けたくなかったのかもしれない。

症状が緊急的必要に迫られないなら、
手術をせずとも、内科的に、
つまり消極的に、ごまかしのように、本人の日々の忍耐をもって
制限のなかで日常を送ることを選ぶしかなかったのかもしれない。

私の内臓から皮膚にまた通り道が出来てしまったのだとしたら
今度は私も同じようにするしかないだろう。
制限の中で忍耐を持って生活しよう。

いや、大した忍耐じゃないかもしれない、わりと普通に出来ることに違いない。
悲劇に思えば悲劇になる。
普通だと思えば、普通になる。

夫婦で生きていくこと

生きていくこと
10 /28 2016
今年の6月からついこの間の10月半ばまで
夫には休日がなかった。
私が入院している間の数回の日曜日だけ
無理やり仕事を切り上げて1時間ほど見舞いに来てくれたが
平日に行われた手術には二回とも来てくれなかった。

仕事が忙しいのは理解しているから
最初の手術に来られなかったときには、
諦め半分に納得していた。

だが、突如決まった緊急手術の折には
医師が直接電話をかけてくれたにもかかわらず
夫は来なかった。

結婚してから何度も何度も繰り返してきた入院は
通常の夫婦間において夫が妻の体を心配する感覚を
完全に麻痺させてしまっていた。

「病院に入院しているなら安心だ」と言う思いがそれである。
常態ならばそれもよしとするが、
あのときは常態ではなかった。
これまで医師が直接夫の職場に電話をかけたことなど
なかったというのに、
夫は「入院しているなら安心だ」を心中から消しはしなかったのだ。

数日後の日曜の午後、夫がやっと顔を出したとき
私はかつてなかったほど怒って、泣いた。
心と体がどれほど痛んだか、
これから先の私の人生がどれほど難しくなったかを、
泣いて、しゃくりあげながら、痛みで出てこない小さな声で必死に訴えた。

最初、夫は自分が仕事に追われまくって、おかしくなりそうなのだと
何度か繰り返したが、
それでも私は夫を責め続けた。
妻の生死がかかる緊急時に、
注文の仕事をほったらかして駆けつけることの出来ないような
そんな夫なんか私はいらない、と。

やがて夫はただただ黙り、私の訴えを聞き続けた。
そして、私の言ったことすべてを受け入れた。
今までのやり方を変えるときがきたのだと
夫は理解したのかもしれない。

退院して半月あまりが過ぎ、
私たちは結婚して初めてふたりだけで旅行に出た。
旅行といっても日帰りバスツアーの小さなものだが
私はそれでもうれしかった。
お互いがニコニコしていられる時間が
思っているより短くなることもあるかもしれないから、
まだニコニコしていられるうちに、
楽しい思い出をたくさん作っておかなければいけない。

旅先の記念写真では、
点滴パックをリュックに入れた私は、夫の片腕につかまって
白い歯を見せてうれしそうに笑っている。

長く生きることを是といえない

生きていくこと
10 /22 2016
私が入院していたのは、主に二種類の特定疾患患者が集まっている病棟で、
もちろん内科でもあり、
要手術の患者には外科でもあった。

一般的な病院の内科に入院したことのある人はわかるだろうが
内科はとにかく高齢者が多いのがふつうである。
だが幸運なことに(と言ってもいいのか)、
上記二種類の特定疾患は、若い人に発病が多いため
病棟内は、一般内科病棟と比較してにぎやかで明るかった。

だが時期的に病棟に空きベットが増え始めると
当然のことながら、他科や一般内科の患者もやってくる。
病院も世の中と同じく、高齢化社会を映していて
80代90代、なかには100歳越えの患者もくる。

90代の高齢で、かつ1人暮らしの人たちと、何人か同室になった。
NHK特集に出てくるような、貧しく孤独な高齢者ではなく
学歴高く結婚せず働き続けてきた女性ばかりで、
入院に際しての世話は50代を過ぎた甥や姪が見ている場合が主だった。

本人が多少の小金を貯めていようが、家があろうが
1人暮らしの高齢者たちの退院時には
直後に向かうべき有料老人ホームからのお迎えが来た。

本人がせめて一度は家に帰りたいと懇願しても、
「元気になったらちょこちょこ家に帰れるようになるよ」
と言われ、そのままホームに直行していった。

退院後に帰るのが家でなく、
素敵できれいで安全な老人ホームだと聞かされて、
突如ボケが始まってしまった人もいる。
90代まで立派に1人で暮らしてこられたほどに
しっかりしていたはずだが。

施設に入れる側の事情もやむないことであり、
施設に入れられる側の心情もまたやむないことである。

むしろ、ほとんど歩けず食事も1人で摂れない高齢者を、
当たり前のように自宅で迎え入れるご家族に
私は驚きを感じた。
そして、そのご家族の中に起こるであろう介護の負担を思うと
いたたまれない気持ちになった。

ねぇ、100歳すぎて入院って、なにをどうするの?
ある人が看護師に質問した。
うーん、たとえばちょっと点滴して、状態が良くなったら退院するって感じかな。
看護師はそう答えていた。