奨学金破産

いろいろ感じたこと
02 /21 2018
いろいろあって極めて評判の良くない朝日新聞なのだが
父親の代からどうしても朝日に慣れてしまっているので
結婚後も私の一存で朝日にして以来、幾星霜。

朝日のトンデモ記事が現在の日韓関係をうんぬんはともかく
ときどきは朝日も読みごたえのある記事を書いてくれているとは思うのだ。
最近はなんといってもこれ、
「奨学金破産」。

学費は驚くほどに高くなっていて
卒業時には借金が数百万、
あるいはもう一桁多い場合もあるというが、
大学を卒業したところで思ったほどの収入がないどころか
社会の厳しさ、景気の悪さに定職にさえつけない人も多く、
かくして毎月の奨学金返済が出来ずに、
ついに自己破産・・・

たまに聞いたりして知ってはいたのだけれど
新聞記事の内容がかなりハードで、
もはや地獄の様相を呈しているの感があって
ぞぞーっとしてしまった。

本人が自己破産した場合は
奨学金返済の保証人にその返済がまわってくるのだが
なにしろ学生時代の奨学金であるので
多くは両親が保証人となっているのだそうだ。

借りた本人が自己破産した場合、
保証人たる親が返済しなければならないのだが
親はそのころ定年退職をして年金暮らしだったり
病身で仕事が出来なくなっていたりもするわけだ。

新聞では返済の延滞をしていた息子が死んでしまった後も
80代の親が残りを支払い続けなければならない現実を伝えていた。
この親が自己破産すると、今度は連帯保証人に債務が回るわけで
それには親戚が充てられていたりする場合も多いようで
なんてったって数百万と言う額だから
もうそうなると一族がつぎつぎに
ぶっ倒れなければならなくなってしまうことになりかねない。

学費が高すぎるのが悪い、
無償にするべきだとの声がツィッターでもたくさん上がっていた。

無償化は、学問の自由のためにも絶対に賛同できないが
学費が高すぎることはまことに事実だ。
うちも一人娘を大学に行かせただけでひぃひぃ言っていた。
4年で卒業してくれた時にはほっとした。

私は以前から、この奨学金と名前の付いた借金を信用していなかったが
(というか金を借りる行為自体にトラウマがあって無理)
娘の大学でもかなり多くの友達が
普通に奨学金を借りて通学していたのだという。

そうなのだ、娘が学生だったころは
「奨学金をもらって上の学校に行けばよい」と考える親が
そのへんにごろごろ転がっていた。

結婚後、家庭経済系の書物を図書館で借りて読むようになった娘は
なんと恐ろしいことにこう言った。
「私が最近図書館で借りてくるその手の本には全部
奨学金を借りて子供に払わせろって書いてあるよ。
図書館にある本だから古いにきまってるけど」

世の中が変動するとともに思考も価値も変わる経済経営の本を
その情報がどれほど古びていようとも
もはや害悪になりかけているとしても
図書館は相変わらず書架においてあるというわけだ。

かつて奨学金を借りて子供に払わせよと指南していた
多くの経済系の筆者のせいで、いま苦しんでいる家庭が
絶対にないとは言いきれまい。

いまから奨学金を借りて進学を計画している人は
朝日新聞の記事を読んでみるのがよいだろう。
いまは必要な認識であろう。
親も子も。
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数字、お金、わけわかめ

いろいろ感じたこと
02 /01 2018
今夜はまた雪が降るっていうので、
昨日の夕方にまたいろいろ買いだめしてきたのだけれど
買いだめ派すくなかったよ。
今回は大したことがなさそうって、見方の人が多いのかな、
それとも買いだめするにも野菜が高すぎますかね・・・・・

ええとね、仮想通貨。
あれ、結局はギャンブルじゃないの?
投資とギャンブルの違いがあんまりはっきり良く分からないのは
頭が数字にものすごく弱いからだと思うので
わからないものに対してはとかく拒否拒絶反応が出るので
私や私の周囲の人々はみなさん御無事な模様です。

お習字の先生は理数系の頭を持っているので
株のもうけで自宅の隣にまた家1軒買ったりするほどの腕前なのだけど
仮想通貨にはまだ手を出していなかったみたいだよ。

テレビで見てるとさ
数千円から始められるみたいだから
まるで切符売り場でチャージするみたいに仮想通貨を購入しちゃうのかねぇ。

私は絶対それ出来ないのよ。
なにせ絶望的に数字に弱いからさ、
使えば減るというふうにしか頭が理解しないうえに
出が貧しいものだから
なかなかお金を手放したがらない!

どうぶつの森ポケットキャンプだって
2か月過ぎていまだ無課金なんだから
仮想通貨なんか絶対払えっこな~~~~~い!!

実は宝くじとかもあんまり好きじゃない。
買う額に見合った楽しみが本当にあるのかどうか。
夢を買うとかいうけどさ
私は当選番号待つ間に夢見るよりは
そのお金でおいしいもの買ってにこにこ食べる方がいいなぁ。

一番肝心なことだけれど
お金のために働くことも、私の性には合わないんだ。
お金のためってなると、人間本性が出ると言うか
「お金もらうんだからきちんと」っていろいろ厳しくなるでしょう。
話し方とか言葉とか態度とか、もうそれだけで
すこ~し、げんなりするんだよね。

お金払ってるんだからこれこれの品質は当然
これこれのサービスは当然
まぁすべては当たり前なんだけども
お金がほとんどの価値を決めてしまうというそこが
ちょっと苦手。

いつもは穏やかなとうちゃんの言葉つきが
とんがってくるのも、ほんといや。
自分は貰うものもらうんだ!
という強硬な姿勢が言葉になって向かってくるみたいで
仕事がらみでも、とうちゃんとお金の話するの嫌いだなぁ。

義父義母が死んだ暁には、この最も嫌いなことが
うわ~~~~~~っと周囲をめぐらしてくるんだろうなぁ。
相続なんか放棄しちゃえば?と
むかし一度軽く言ったら
とうちゃん激怒したもんなぁ。

いらないじゃないさ。
自分の家も土地もあれば、相続税払ってまでもらいたい不動産なんて
なんにもないと思うんだけど。

ほらね、数字、お金の話をするともうわけわかめ
取りとめなく広がっていくのよ、
ごめんなさい。
しまいまでアホアホで。

今回の仮想通貨の件、みなさまのなかに被害がないよう祈っておりますです。

残雪と氷とゼラニウムと代理母

いろいろ感じたこと
01 /27 2018
今年の埼玉は北国だよ。
さいたま市で氷点下9.8度って、ちょっとしたスキー場並じゃない?

うちの周辺の雪もいまだほとんど残っていて
雪かきされて70センチくらいの高さの雪がいまもしっかり家の周囲に積み上がってる。
大宮あたりの知人はうちより雪が少なかったらしいので
埼玉の雪もところによりけりみたいだね。

家が建て込んでいて日が差し込みにくい住宅街で
雪かきしなかったところは、厚さ10センチ近いコチコチの氷道という
(しかもでこぼこ氷道)どえらいことになってる。
車で通るのが恐ろしいだけでなく
家の外に一歩出るだけでもつるんと滑って後頭部強打しそう。

いつもの雪のように、溶けてくれると良かったけど、
毎朝氷点下5度を下回り、昼間も3度くらいにしかならないからさ
残った雪はしまって堅く堅く、氷となるばかりで
わずかに溶けても夕方にはまた凍るという悪循環。

そうそう、庭の花にね、つららがついてた。
ゼラニウムにつららってはじめて見たよ。
葉っぱ全体に氷が張ってしまって、
何か塗りつけたようにてかてかし、色が深い緑に変わるんだね。
きれいなんだけどさ、壮絶な、瀕死な感じがするんだ。

星型の花の咲くもみじ葉ゼラニウム、もう十年くらい生きてきてくれたけど
今年の寒さでやられるのかもしれないなぁ。
でもね、植物って強いよね、朝の寒さでしんなりしていても
昼間お日様が照ると、寒さの中でも生気をよみがえらせてくるんだもの。
とはいえ、こんなに毎日凍らされるのが繰り返されてしまえば
株は間違いなく弱るだろうねぇ、
ちゃんと生き残ってくれるかなぁ。

ええとね、ちょこっと書いておきたいの、代理母。
いいとか悪いとかそう断言するつもりはないんだ。

たださ、代理母になる側の人は経済的な事情からそうする人が大半なんだよね。
発展途上国では貧しさゆえに代理母になる人が多いのだそうだよ。
アメリカの代理母のなかには子供のほしい夫婦への貢献という動機から
代理母になる人もいるらしいけど
そういう人たちでも(アメリカだからこそなんだろうけど)
お願いするにはものすごい金額がかかるのだというね。
今回の芸能人の例もアメリカでは無理でロシアになったんだそうだ。

妊娠出産の負担とそのリスクにお金が保証として払われるわけだけれど
もしも生む際に妊婦が死亡したらどうなるのかしら。
あるいは出産に伴い何らかの体の異常を発症してしまったら。
そして何より、健康とは言えない子供が生まれてしまったらどうするの?

たとえば1000万払ったところで
他人の生涯に渡るリスクは背負えるものじゃないよね。
そこはつまり、ビジネスとして割り切るしかないわけだよね。

私はそこに納得がいかないんだ。
生まれてきたんだから「ただおめでとうといえばいいんだ」という人すくなくないでしょ
私もおめでとうって思うよ、思うんだけどね、
その子を実際に産んだ側の気持ちや状況を考えるとね
手放しでおめでとうだけ言ってはいられない気がするんだ。

生まれた赤ちゃんは、愛されて愛されて大事に育てられると思うから
それで十分祝福されてる。
ねぇ、でも赤ちゃんを産んだ代理母やその家族は
どんな風になるんだろうね。
もらったお金で幸せに暮らしましたとさ、になればいいのだけれど。


雪かきと世間と

いろいろ感じたこと
01 /25 2018
寒さが面倒くさくってね、書くのもだるくなって気が付いたらずいぶん更新してなかったなぁ。

なんでも東京は40数年ぶりに氷点下3度を下回ったとか報道されてて
そういえば東京にいたころは、軒からつららなんて下がってなかったもんねぇ。

あれやこれやで埼玉の生活のほうが、そろそろ東京よりながくなるところでね、
氷点下3度は確かに寒いけど、埼玉のうちのあたりだと毎冬何度かはそのくらいになるから
東京よりは寒さに強くなってるかもしれない。

てか、東京の人はそもそもが薄着な気がする。
埼玉県は今朝氷点下8度で、今日の私は
上は
あったかブラと言えなくもないジニエブラ
ヒートテックの極暖
ふつうのヒートテック長袖
厚手(ネル)シャツ
首にはスカーフを巻き付けて
イタリアンウール100パーのごく厚セーターを着て
でもっておなかと背中にカイロ1個ずつ貼ってるもんね。
下は
綿の靴下の上に超厚手のアクリルウール靴下を重ねばき
裏起毛のあったかパンツ(しまむらもどき)
その下に毛糸のパンツもはいているもんね。

あはは、すごく重ねてるから正直動きにくいけどね
まぁこのくらいは着ないと寒いんだよ、午前中はね。
それでも燃えるごみを出しに行っただけで指先の血流が止まって
しばらく痛くて痛くてしょうがなかった。

雪もね、寒さのせいでなかなか溶けてくれない。
それでもさ、きちんと雪かきしているならまだいいね。
うちのあたりは住宅街なので
その通り通りによって、雪かきをするところとしないところがあるみたい。

お年寄りだけが住んでいるとかなら
雪かき出来ない、しないとい言うのもわかるんだけど
雪かき可能な年齢の人が住まうお家の前が
手つかずの雪というのは
なんだかねぇ、
このおうち、だらしないのかな、って思ってしまうんだ。
あるいはこの程度の雪なら雪かき不要と考える
寒い地域出身の人が暮らしているのかな。

あ、でもねぇ、雪かきって性格出るよ。
自分の家の雪をどこに捨てるかっていうのは
とても大きな問題なんだよね。
うちの正面のお宅は神経質なおじいさんがいるので
雪は綺麗に片付いているんだけどさ
家の横に通る歩道にはそのおじいさんの家の雪が
無造作にバーンと投げ捨てられているんだよ。
人が通る道に雪を捨てて平気なんだねぇ。

その道を綺麗に雪かきしてくれた人もいるんだけど
雪かきされた道にバーンと捨てるおじいさんに腹が立ったのか呆れたのか
歩道はそのまんま夜ごとに凍りついてる。
おじいさんちの屋根の雪がドカンと落ちるたびに
おじいさんはその雪をせっせと歩道に投げ捨てるので
来週までは溶けたり凍ったりを繰り返すんだろうな。

向かいのおじいさんは年々変人になっていく。
向かいのおじいさん性、 狷介 ( けんかい ) 、
自 ら 恃 ( たの ) むところ 頗 ( すこぶ ) る厚く、
世間 に甘んずるを 潔 ( いさぎよ ) しとしない感じで
こう書くとかっこいいけど、ようするに意固地な年寄りになって。
う~ん、年をとればとるほど社会、世間と縁を薄めるものじゃないよね。
面倒でも手間でも、
世間と縁を持っておかないと、どんどん自分一辺倒になってしまうだろう。

ブログにもそれは言えるかもしれない。
こたつでゲームばかりしてないで、私も参加しないとなぁ。

母の衣類が消えていた (続)

いろいろ感じたこと
01 /09 2018
母の衣類(上衣)がなくなっているのに気付いてから二日後
5日には5枚ほど新しいのを買ってきた。

これまでも衣類にはすべて名札を縫いこんできたが
今回は左胸の下あたり、非常に目立つ所にあえて貼り付けてみた。
これなら嫌でも母の所持品だとわかるだろう。

母の部屋の引き出しの中に入っていた衣類を一つずつ調べたところ
「ユニット」と書かれた衣類が3枚見つかった。
それからよそ様のお名前の書かれた衣類が1枚。
それらはみな、左わき縫い目に沿ったタグに書かれていた。
つまり服を裏返して確認しない限り、所有者の名前は読めないということだ。

確かに、小さな子供じゃあるまいし
でかでかと名札を付けてある衣類は格好のいいものじゃない。
もう10年以上前になるが
母をグループホームに預ける際に持ち物すべてに名札の貼付を求められた時には
老いた母が哀れに思えたものだ。

けれども名札は必須である。
特にそれらを所有する母自身が、所有自体を認識できない身となっては。

思い出すのは私自身が入院中に見た
御老人の衣類の何度もの紛失だ。
私の入院していたのは療養型病院ではないので
御老人が入院される場合は緊急的医療を必要とするからなのだが

非常に残念ながら、
高度医療をも実践する大型の病院では
御老人は長きにわたって入院することはできないので
高い医療措置なくして存命が難しい御老人などは
医療レベルの高い病院を2か月あるいは1か月ごとに
次から次へと転院しなければならない羽目になる。

新しい病院は次第に御老人の地元から地方、また地方へと
どんどん遠ざかって行ったりするので
最初はマメに訪問していた家族も
次第に来られなくなり、
ついには転院時のみ来訪するという状態になってしまう。

高度医療を行う病院では
基本的に付き添い婦(介護さん)がつけられない場合が多いので
家族の来ない御老人の汚れものの洗濯や
おむつの購入は
病院看護師や、看護助手の仕事になる。

汚れものは病院でシーツや寝間着を洗う業者に出されるのだと思うが
それでなのだろう、転院の際やってきた家族が
「新しいパジャマをおいてあったんですが
なくなっているんです、どこに行ったんでしょうか?」
と、看護師によく訪ねている姿を、私は何度も見て来た。

食い下がる人になると
「あれは本当にいいものだったので探してもらえませんか?
買ったばかりなんです」と粘っていたが
転院時に来ているわけであるから
いましもその病院を出て他の病院に向かわねばならない家族は
「見つかったら送ってください」と言い残して
去ってゆかねばならないのだ。

家の中で私自身が片づけているものでさえ
「どこにしまったかしら?」と思うことのある日常
複数の人間がいくつもの仕事を受けて、
常に忙しく立ち働いているような施設では
衣類がどこかに紛れ込む、間違って他の階に行くなど
仕方のないことなのだと諦めるほかない。
家族のせめてもの対抗策として、名札くらいしか思いつかない。
格好悪くても気づいてもらえればいいし、無くなるよりはましだ。

さて、名札をばっちり付けた母の新しい衣類は
スタッフの方々に「新しいのを持ってきました」ときちんと報告ののち
引き出しにおさめ、
間違って入っていたよそ様の衣類と
ユニットの衣類はお返ししてきた。
タグに母の名前の書かれた「どこから来たの?」という衣類が何枚か残っているが
それはそれでそのまま使わせてもらうことにした。
角を立てたところで、私とスタッフの間がぎくしゃくするだけで
いいことなんかないだろう。
文句を言うなら、全部きちっとしたいなら
施設ではなくて自分で面倒見るほかはない。
認知症の世話がどれだけきついか大変かよく知っている私は
多少のことには目をつぶり、
それよりもお世話して下さる方々に感謝する方を優先したいと思う。

母の衣類が消えたという先日のブログに
親身になって怒り、心配して下さった方々、ほんとうにありがとうございます。
とてもありがたく、うれしく、頼もしく思いました。