中二病時代に読んだ本を読み返してみようかと

本にまつわる
02 /22 2017
NHKBS「フランケンシュタインの誘惑」で
マッドサイエンティストで有名なドクター・デスを取り上げていて
興味深く見ていた。
自殺機械タナトロンとかマーシトロンとか名前だけは聞いたことあったけど
どっちもあんなに簡単な装置だったとは思わなかったな。

やっぱりドクター・デスは異常だわよ
自殺もやっぱりいかんわよ、
・・・・・と、ものすごく真面目に見ていたら
それが終わったとたん
「♪自殺は痛くない~♪(和訳)」ってのんびりした綺麗な曲が流れて
映画「M★A★S★H」が始まっちゃったんだよね(゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

ませガキだった私はこの映画の原作本に夢中になっちゃって、
その後10年くらい何度も何度も読み返したんだけどさ、
映画をまともに見たのは今回がはじめてだったんだ。
まさかまさか、自殺礼賛の歌が映画主題歌だとは思わなかったな。

さらに映画は女性差別とかセクシャルハラスメントとかが半端ないレベルで描かれていてね、
BSの昼間だったから放送できたようなものじゃないのかな。
朝鮮戦争当時の野戦病院を風刺的に描いた原作はアメリカでいろいろな意味で受けて
映画も大きな賞をとったし、
ドラマも最高77パーセントの視聴率をとったんだってさ。

だけど内容が非常にヤバイ上、主題歌も映画と同じものだから
その手のことには非常にやかましい日本では普通に放送されるわけがないね。
原作にも朝鮮戦争当時の日本がしっちゃかめっちゃかな形で登場するから
愛国者には笑えないどころか、怒りと反発を買っちゃうに決まってるし。

うちには昭和50年代に購入した角川文庫が3冊ある。
今はもう3冊ともに絶版。
HI3H0150.png

ところでこの本を買ったのは昭和51年だったみたい。
一冊定価300円。
HI3H0151.png

角川が映画を作り始めて飛ぶ鳥落とす勢いだったころ
みんなが角川の横溝正史や森村誠一、赤川次郎を競って読んでたとき
私は翻訳新作ばっかり買い込んでいたの。
カブレていたんだねぇ、いわゆる中二病だったんだ~

この本ね、字なんか今と違ってものすごく小さくてね8pxくらい。

これくらいかな、もう一回り小さいかな


これがいまや日に焼けた古い紙に文字間隔も行間も狭く縦書きに印刷されてるんだもの
小型聖書も真っ青なレベル(゚д゚;)。
でも今日映画を見られたおかげで
再読してみようかなと思っているんだ。
眼がものすごく疲れそうだけど (;´д`)
今は読みかけの本もないし、ちょうどいいや。

予感ではね、
「なんでそんなに好きだったんだ、アタシ?」
になるんじゃないかと。
もしも今でも面白いと感じたら、成長してないってことだ・・・
スポンサーサイト

本当に読み返すもの

本にまつわる
12 /04 2014
若い頃は自分を読書家の文学少女だと思い込んでいたが
思い出してみようとしても、愛読書の文章がすらりすらりと出て来る訳でもない。

とにかく、中学時代くらい、ばかばかしい本の読み方をした時期はない。
文学全集が家にやたらに多かったから、
その背表紙を眺めるだけで作家と時代と作品名にかけては
文学史を習わずに済むくらいの知識があったせいだろう、
大人に褒められたい欲望から私が選んで読んだ本は
どれもみな超有名どころで、名著で、名作傑作名翻訳ばかりであった。

恐るべき集中力をもってそれをがんがん読みすすめる私は
当時は幸運にも与えられていた高い記憶能力のおかげで
膨大な語彙と言い回しとを身につけ、それをして作文や感想文を書き
またしても大人に驚かれ喜ばれては、悦に入っていた訳である。

しかし、だ。
13歳14歳の少女が、小林秀雄なんぞを読んで、どれだけ理解できる。
漱石の猫には大笑いできても
同じ漱石の「行人(こうじん)」のどこに感慨を覚えることができる。
鴎外の「澁江抽齋 (しぶえちゅうさい)」のように淡々とした記述に
なにを読み取ることができる。

あの時期学校で借りた文庫本の中で私が本当に面白いなぁと思ったのは
山本有三「真実一路」くらいな、
中学生以上の全年齢層向けの、ドラマにも映画にもなった
わかりやすい、読みやすい、ごく当たり前の小説だけだったような気がする。

まったくもってそうだ。
噛めもできず、飲み込みもできないものを、口に放り込んだところで
おいしくもないし、栄養にもならない。
それが口に合うし、栄養になるなら、人は何でも読めばいいのだ。
漫画だろうと、ライトノベルだろうと、同人誌だろうと。

そのように、すっぱりさっぱり割り切れるようになったのは
真実のところは50歳を過ぎたあたりからかもしれない。

アホウだったけれども本だけは読んでいた父が
60を過ぎたあたりから、柴田錬三郎や山田風太郎などの
いかにもといった時代小説ばかりを読む姿に
私は「成長しないもの=安寧=老い」を見ていたものだが
いまの私がまぁなんと、
ずっぽり同じ状態にいて、それが少しもイヤではないのだ。

ついひと月ほど前に読み終えている「みをつくし料理帖」シリーズを
ほとんど間を置かないでまた最初から読み直しているのである。
まったく同じ話なのに。

中身を忘れているわけでもないし、新たな感動を覚えるわけでもない。
ただ、しみじみするので、読み返す。
体の痛みで眠ることが許されない夜、
綿入れ半纏を羽織ってコタツの中で足を暖め
生理的食塩水をちびちび飲みながら二度目、三度目と読み直す。

料理の才能を持って生まれた主人公や、
周囲の優しい人たちが、運命とも宿命とも言える苦労や涙を
ただただ誠実に、必死になって毎日を生きてゆくことで乗り越える
そんな当たり前の、浪花節はなしを
ああ、いいなぁ、
私もこう生きなくちゃいけないんだ、と教えられながら読み直す。

さっき再再読して、またしても心に残った言葉をここに記しておこう。

苦労の連続にも負けずに頑張る主人公が
駒繋ぎという雑草に例えられるくだり。

「その花は、いかなるときも天を目指し、踏まれても、また抜かれても、自らを諦めることがない」
(高田郁「想い雲 みをつくし料理帖」 角川 ハルキ文庫 より抜粋)

密かに慕うお武家さんに、そういわれて
その足音が遠くなってから
主人公はうずくまり声を殺して泣くのである。



「君死にたまふことなかれ」からだらだらと

本にまつわる
05 /09 2014
NHKの朝ドラはときどき、
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を誰かに読ませるもののようだ。

あの「おしん」では、泥棒呼ばわりされて奉公先を逃げ出したおしんに
逃亡兵役の中村雅俊が、この詩をおしんに教え、戦争の愚かさを説いた。

「純情きらり」では出征を祝う万歳三唱の中、「君死にたまふことなかれ」の横断幕を
掲げて立つ主人公の友人が出てくる。

そして今朝は「兵隊になりたい」という主人公の兄に
天女のごとき主人公の友人が、この詩を読みあげた。

どの場面にせよ詩の最初の部分だけだ。

「天皇陛下はご自分からは戦争にお出でにならないのに
血を流しあって、獣の道のように死ねだなんて
死ぬのがひとの名誉だなんて」
そこだけ見ると少々物騒な文句が続くから
NHKではそこまで放送するはずもないが。

与謝野晶子のこの詩は確かに、年頃の娘にも、母にも妻にも
強烈に訴えかけてくるものがあるから
何度見ても女性にとっては感動を覚えざるを得なかろう。

ちなみに与謝野晶子は、この間までかなりメジャーな政治家だった
与謝野馨(かおる)のおばあちゃんにあたる。

この政治家さんはこの前の原発事故を「神の仕業」と言ってしまい
大きなミソをつけてしまったのだが
「君死にたまふことなかれ」で「反戦」と思われがちな与謝野晶子も
実は大東亜戦争賛美の詩も発表していたりする。

もともとイケイケ気質のある人だっただろうから
「正義のために勝ち進め」的な高揚感には乗らずにいられなかった模様。

というわけで、
反戦詩人・歌人みたいな受け止め方で与謝野晶子を考えない方がよい。
この歌人はあくまで思想ではなく、感情で物事を言葉にした。
だから論理に一貫性は持たないのだが
心からまっすぐに発射された歌は
その語彙選択の天才的才能によってさらなる輝きと強さを放って
受け取る側にズューーーーーンと命中するのである。



君死にたまふことなかれ
 (旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて)

ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末すゑに生れし君なれば
親のなさけは勝まさりしも、
親は刄(やいば)をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四(にじふし)までを育てしや。

堺さかいの街のあきびとの
老舗(しにせ)を誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事(なにごと)ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家(いへ)の習ひに無きことを。

君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出いでまさね[#「出でまさね」は底本では「出でませね」]、
互(かたみ)に人の血を流し、
獣(けもの)の道みちに死ねよとは、
死ぬるを人の誉(ほまれ)とは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何(いか)で思(おぼ)されん。

ああ、弟よ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君(ちゝぎみ)に
おくれたまへる母君(はゝぎみ)は、
歎きのなかに、いたましく、
我子(わがこ)を召めされ、家(いへ)を守(も)り、
安(やすし)と聞ける大御代(おほみよ)も
母の白髪(しらが)は増さりゆく。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻(にひづま)を
君忘るるや、思へるや。
十月とつきも添はで別れたる
少女(をとめ)ごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああまた誰(たれ)を頼むべき。
君死にたまふことなかれ。



ちなみに、高校の頃の日本史(教科書は山川)だったと思うが
「君死にたまふことなかれ」のほかにもうひとつ「反戦歌」として
あげられていた歌があった。

大塚楠緒子の「お百度詣(もうで)」である。

ひとあし踏みて夫(つま)思ひ、
ふたあし国を思へども、
三足ふたゝび夫おもふ、
女心に咎(とが)ありや。

朝日に匂ふ日の本の    
国は世界に唯一つ。
妻と呼ばれて契りてし、
人も此世に唯ひとり。

かくて御国と我夫と
いづれ重しととはれれば
たゞ答へずに泣かんのみ
お百度まうであゝ咎ありや


この歌もまた、戦地へ赴く男への、
女の身を削るような精一杯の思いを歌いあげているが、
「反戦歌」とレッテルを張っていいものかどうか、個人的には疑問ではある。
ところでこの歌に詠まれているのは彼女の夫と思われるのだが、
とすればそれは美学者「大塚保治」ということになる。

この美学者さんは夏目漱石と親しく交友関係にあり
漱石に美学者といえば、「吾輩は猫である」を思い出さずにおられないわけで、
なんとこの切なく哀しい「お百度詣」に歌われる大塚保治が
あの独特の個性で作品を大いに賑わす美学者「迷亭」に結び付く。
殺しても死ななそうな迷亭に対して「お百度詣」と考えると
ちょっと愉快だ。

そういえば大塚楠緒子が死んだ時、漱石はこの句を詠んだ。
「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」
この一句のおかげか、
漱石が楠緒子さんに恋心抱いて云々まで言われているそうだ。
漱石の小説は一人の女性に絡む二人の男の話が多いから
これもいろいろ想像の余地があって面白い。

なんてね、少々話が広がったが、
書いていると楽しいのでこれがまたさらに広がり
読む方が逃げ出すに違いないから、今日はおしまい。

文学全集廃棄記録1

本にまつわる
02 /10 2014
私の部屋の2重本棚に幅を利かせている150冊程度の文学全集、
それらの処分をはじめた。

売ることも考えたが神保町まで持って行くのが骨であるし
調べたところ150冊全部でも7000円程度にしかならない。
1冊持って歩くのも重たい本を150冊持って行って7000円は虚しい。

ということで廃品回収に出すつもりだ。
一気に全冊だすのもなんだか悔しいので、
少しずつ目を通して徐々に捨てようと考えた。

最初に手に取られたのは、本棚の隅っこにいた「サルトル集」であった。
一昨年初めて本書の「水いらず」を読んだとき、
心理表現のうまさにえらく感激したっけな。
で、今回は未読のものを数作、1週間ほどかけてだらだらと読み通した。

サルトルは哲学的な深い内容をありがちな日常に潜ませて
じわじわじとじとと読者を窮屈な箱に押し込める感じのする作品が複数あり、
これに共感したり感応したりする人々も多い。

「他人は地獄だ」という台詞で有名な戯曲「出口なし」を読んでみると、
わがベッドサイドでは聖書で申命記を読み進めていたために、
ちょうど天の父なる神、主が「俺を本気で怒らせたら怖いよ」とイスラエルの人々に
モーセを通して語っていたところにぶちあたり、
その内容がこれまで読んだどんな小説より凄まじかったので
(とにかくなにからなにまで呪うんだ、これが非常にしつこくて、
徹底的に容赦がないんだ)、
サルトルの「地獄」がもう楽そうで、楽そうで、
なにが地獄だよというレベルにさえ思えてしまったのだった。

こんな状態の私にサルトルの精神性の苦しみが理解できるはずもない。
サルトルの文学性の高さはとりあえずわかっている気がするが、
聖書が私の傍らにある限り、サルトルを再読することはなかろうと思えた。
(老い先もそう長くないだろうしね、読みものなら楽しいのがいいしね)
ごめんなさい、サルトルさん。


それともう1冊廃品回収ボックスに運ぶのは「唐詩選」。
はっきり言って、これはほぼ未読である。
なので今回2日ほどかけて
「白髪三千丈」とか「人生意気に感ず」とか「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」とかの
熟語やことわざ、日本古典文学に垣間見る中国詩の有名どころを見つけつつ
さらさらっと散策してみた。

だが漢文なんて2日でさらっと読みとばして「読んだ」という顔をしておくものではない。
優れた唐詩選は、持つべき教養として暗唱できるくらいでないと
その美しい音に訳された意味がない。

そして一冊全部読了済のシェイクスピアも廃棄。
これには4大悲劇の他、有名な喜劇も詩も収録されているが。

上記2冊はなにかの折りに必要になるかもという「断捨離」的懊悩を感じつつも
「それはない」と無理やり抑え込んで捨てることにした。

重い本は次第に整理整頓すらもが面倒になるその前に
少しずでも片付けておかないと、残されたものが迷惑をする。

その点キンドルなどの電子書籍は気楽でいい。
最近、あの手の書籍に所有権がないということを知って驚いたのだが、
来たる老いの日を思えば、それもまた短所だけではないかもしれない。


(ほとんどの電子書籍は買い求めた書店が閉鎖すると読めなくなる。
つまり電子書籍を買った側は、
書店の本棚にあるその本を取り出して良い権利を買うだけなのだ。
ローソンが電子書籍を扱わなくなるそうで、
そこで本を買った気分でいた人にはお気の毒だ)




何度も何度も再読したいもの

本にまつわる
01 /25 2013
先日読んだ「わたしを離さないで」の印象が強く残りすぎて、
他の本を読んでもなかなかそこに入り込めないでいる。
だから多分「わたしを離さないで」は私のなかに残り、
これから生きる年月に何度か読み返されるのだろう。
10年後も20年後も、感慨深く読めるといい。

「この読後の喜びは一生のものだ」と思いながら
何度か読み返して10年20年後、もうこれはいらない、
と思うようになってしまった本もあるから、
こればっかりは言い切れないところもある。
名前をはっきりあげると驚かれそうだ。

15の年に感動と興奮のうちに読み終えた志賀直哉の「暗夜行路」は
何度目かの再読後、40代になったころから本棚の定位置を動かない。
15歳の初読時は主人公のまっ正直さに激しい共感を覚え、
まるで己の分身のようにさえ感じもしたが、
20代半ば過ぎると、主人公の強すぎる性格とわがままが嫌になり始め、
30代では嫌悪になり、40代ではもはや「あっち行け、嫌いだ」に近くなった。

ただ最近「暗夜行路」に関するある人の意見を読んで、興味を感じた。
「暗夜行路」のラストシーン、有名な大山の朝焼けの場面に漂う美が
「赦し」であるとともに「死」であるという考え方である。
どこまで行っても自己中心の時任謙作が、あの美しい夜明けの中で妻を赦していた、
その感覚はイコール死を迎える人間のうんぬん・・・だとかいう意見に
ちょっと惹かれたのである。

まだたぶん主人公のわがままに不快を感じるだろうから、
それが笑って済ませられるくらいになったら(60過ぎかな)、
何度目かの再読をするつもりになっている。

私は好きな本、惚れてしまった本は、何度もよく読み返すほうであるが
50歳を過ぎて目も悪くなり、読書疲労がたまるので、
ものによっては読み返すのがきつい。
その代表格が「源氏物語」と「カラマーゾフの兄弟」だろうか。

源氏物語は誰の翻訳でもよいが、可能なら原文が一番いい。
私が源氏を最初に読んだのは二十歳を過ぎた入院中、
一番長く病院に入っていた1年8カ月の間だったように思う。
入院していたからだらだら読み通せたけれど
その後読み返す時は、原文ではなく翻訳ものに頼っている。

個人的に光源氏はかっこよさよりも、年を取って
かつて犯してきた過ちがことごとく我が身に帰ってくるあのあたりからが
最高に面白いと思う。(因果応報)
源氏の妻、女三宮が柏木にやられちゃうところなんぞ、口あんぐりで読んだ。
武士の台頭を予感させる髭黒大将が源氏の養女、玉鬘をかっぱらい、
源氏を悔しがらせるところも時代の移り変わりを感じさせて面白い。(栄枯盛衰)

いつかだれの現代語訳でもいいから、きっちり全巻読み返したい。
その忍耐力と体力と視力が残っていることを希望するのである。

長くてもちゃんと読み返せるに違いないと自信を持って言えるのは、
「風と共に去りぬ」新潮文庫全5巻だろう。
いつか群ようこのエッセイで、「ドレスの描写以外にまったく興味を惹かれなかった」
と書かれていたのを読み、以来、群ようこの書評も作品も一切読まなくなった。

私はミーハーなので「風と共に去りぬ」が大好きである。
若いスカーレットより、根性のすわった中年以降のスカーレットがいい。
憎むべき北部の人間に、ニコニコし、愛想をふりまき、
ばんばん金を儲けるスカーレットの土性骨の強さがかっこよすぎる。
それを非難する南部の夫人たちの中に一人
スカーレットの行為の根本を理解し「どんどんおやり」というお婆さんがいるのだが
ああいう脇役の渋さも猛烈に素敵である。

これ以外にざっと思い出して、
死ぬまでに何度も読みこむ予定でいるのは以下である。
もっと多いかもしれない。

「レ・ミゼラブル」(新潮文庫全5巻)
「アンナ・カレーニナ」(新潮文庫全3巻)
「カラマーゾフの兄弟」(光文社文庫全5巻)
「赤と黒」(新潮文庫全2巻)
「大地」(新潮文庫全4巻)
「失楽園」(作者はミルトンです。岩波文庫全2巻)
「細雪」(新潮文庫全3巻)
「月と6ペンス」(新潮文庫、中野好夫訳)
「悪童日記」(早川文庫全3巻)
「キャッチ=22」(早川文庫全2巻)

みな、楽しみのために読むものばかりである。
読むべきとか、理解するべきとか、勉強のためとか、
そんな高邁な感情で読む気はない。
私のような中古品は、勉強なんて今さらである。
(脳の劣化を防ぐ目的はあるぞ。断固として)

で、このリストに読み終えたばかりの「わたしを離さないで」を入れよう。
そういう本に出会えたのだから、今年はゲンがいい。るんるん。

さて、昨日から「パルムの僧院」なんていう恋愛の古いのを読み始めている。
今のところちっとも面白くない。
面白くなってくれ。