仕事をさぼった言い訳

いろいろ感じたこと
03 /31 2011
私は夫の両親が作った小さな工場の事務を、ときどきやっている。
若いころから病身なので、夫と結婚する際には夫があとを継ぐ小さな工場の手伝いは
一切できないし、する気もないとはっきり告げてあった。
そのうえ10年ほど前には義父から「おまえなんか当てにしてない」と怒鳴りつけられ
内心ホッとしつつ過ごしていたのだが
義父も義母も年を取って多少弱くなり、後継ぎの夫の妻なら当然だと言うように
私に仕事を要求してきた。

キリスト主義的な思考から私は了承したものの
私は根が怠け者のうえに病弱で、仕事を任されていくのが嫌で仕方なくなってきている。
無給なことに、それほどの文句はない。
ただ、職場のトイレが好きではなく、
義父義母の仕事と関係のない話に付き合わされるのがつらく、
(義母は他人の不幸話をよくし、義父は根性論を語る)
汚れがすっきりとは落ちていない食器で食事を提供されるのがつらい。

それでもこの2年ほどは、私なりにそこそこがんばってきていた。
しかし前回の入院以降、無理をしてまで一生懸命仕事をしたくないと感じ始めた。

だから今日は3月31日という年度末日でも行かなかった。
キリスト教的に間違っているのはよく知っている。
しかし休んだ。
あそこに行く、いかねばならぬと思っただけで、不愉快の溜息がでてくるのだ。
「うつ病はだれでもなる」という聞きかじりの言葉を盾にとって
今日はだらだらする予定である。
私はずるい。

(4月4日には行く予定)

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