ああついに育毛剤に手を出してみた

出来事から
06 /01 2011
以前の日記にも書いたが・・・「白髪と薄毛と」・・・私は髪にかなり問題を抱えている。

かつらも部分カツラを含めていくつか持っている。
持っているだけで使っていない。
その理由他は上述の過去記事を見てほしい。

で、今日は何を書きたいかというと

私の毛髪の悩み対策の変遷
パーマ・髪を染める→部分かつら→フルウィッグ→スーパーミリオンヘアー

と、ひと月ほど前についにあのスーパーミリオンヘアーに手を出したわけだが

(ちなみにスーパーミリオンヘアーの使用感と効果について書いておく。
ブログランキングではアラフィフに属しているので薄毛に悩む女性はきっといるはずだし。

うん、確かに物凄くごまかせる商品である。
上手に地肌に振りかけるには多少の慣れと工夫がいるが、非常に効果的に薄毛が隠せる。
しかし帽子はかぶれないし、大風や大雨には不向き
一番のネックは細かな髪の毛のような繊維が薄毛部分の毛穴をふさいでしまうであろうことである。

もともと状態不活性な毛穴をふさぐのは、死にかけに土をかぶせているようなもので
それが日日長時間の使用を余儀なくされたとすればますます薄毛が進む可能性があるかもしれない。
もちろんこれは、私の勝手な思い込みだが)


もうここまでくれば残るはひとつ、育毛剤だけである。

ここ数日やたらに育毛剤の宣伝広告に目が行って仕方がなかったが
どれがきくものやらさっぱりわからず、何とかとどまっていたのである。
しかし、この前の日曜日、テレビをつけていて急に「買おう」と思いたち
ついに申し込んでしまったのだった。

で、それが今日届いた。
初回割引で5000円代、これで二カ月分なのだそうだが
最低半年はつけろとかテレビでも言っていた。
今商品名をここで書くと私の嫌いな「買って買ってブログ」になるので書かないが
とりあえず半年続けてみることにする予定でいる。

半年後このブログがあれば結果が書き込まれていることだろう。
興味のあるかたはそのときにまた。
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認知症と着道楽

出来事から
06 /04 2011
梅雨の晴れ間という言葉がぴったりの気持ちの良い朝。
私はせっせと洗濯をする。

10年も前に買った48リットルが最高水位の
(中身はともかく蓋はカビにまみれている)ぼろぼろの洗濯機を
家族分だけで3回まわす。
(大きい洗濯機なら1回で済むのだろうな)

まだ午前8時、NHKの連ドラ「ひまわり」が終わると
重い洗濯かごをうんうん言いながら二階の物干しに運び、
朝の匂いを吸いこみながら洗濯物を干す。

それから母の夏物の衣類を押し入れから引っ張り出すと
広がった母の衣類で部屋がぐちゃぐちゃになった。
春夏ものを選んでバッグに入れ、母の暮らす施設に持っていくのだ。
扇風機もついでに届けてしまえと車に乗せた。


母は昔から衣料のおしゃれが大好きな人だった。
施設に暮らしてからは、洗濯できない衣類の持ち込みは禁止され
母はいつもラフな格好をしているが
それでも毎日好きな時に好きな服をとっかえひっかえ着替える。
そして着古しを洗濯せずにしまいこむ(しかも勝手な場所に)。

どれを着てどれを洗ってあるのかもう全然分からなくなっていて
私は持ち帰った秋冬物の衣類をことごとく全部洗わなければならない。

ぼろぼろの洗濯機は朝に3回まわり
今日これからさらに3回くらいは働いてもらうだろう。

母のダウンコートは洗濯機ではなくてたらいで押し洗いせねばいけない。

今日じゅうに洗濯物が乾いてくれたら(もちろんダウンを除き)
衣装ケースや衣類が散乱している部屋に持って行って
私はようやくそれらを片付けることができる。
ちなみにその部屋は私の寝床がある私の居室である。

着るのが大好きだった母の荷物や布団類のおかげで
私の部屋の押し入れは半分以上母に占領され
私の布団は圧縮袋に世話になるはめになった。

そして私は自分の衣類の8割を捨てた。
私の死後、あるいは老後に、娘に私の荷物の整理をさせるのが申し訳なくなったのだ。
母の大量の衣類の処分と管理を背負わされてから
私は衣装道楽の人間をどちらかといえばマイナス感情でしか見られなくなってしまった。

それほどに衣装道楽だった母は今日、古めかしい青のタートルネックニットを着ていた。
そして私の着ているカーディガンに何度も触れて
「これ、いいわねぇ、いいわねぇ」と繰り返した。
「欲しいなら上げようか?」と言いそうになったが抑えた。

母はもらったこともカーディガンが引出しにしまわれたことももう覚えられない。
見つけて着ることもあるだろうが、3時間もすればまた着替えて
適当にしまいこみ、そのまま忘れてしまう。
着ては脱ぎ、脱いではしまいこんで
結局秋が来るころまで一度も洗濯されないのだろう。

「多少汚れたものを着ていても死にはしない」し、
「引出しを開けて汚れものを探している」と母が「あなた盗むの!」と言いだすので
施設側は母の一度以上着たものを出して洗ってくれたりはしない。

私はもうとうに、母の衣類の日々の洗濯に関してはあきらめてしまった。
母の毎日の数度にわたる着替えを「やめさせる」ことは
母の気分を害し、認知症を進ませる要因のひとつになるからである。

母の衣類の1度目の洗濯が終わった。
さて、次の洗濯を始めようか。
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成人式の着物をレンタルした諸費用

出来事から
06 /06 2011
成人式まであと2年、というあたりになると
家には次から次に「振袖」売り込みのダイレクトメールが届くようになる。

うちの場合、この2年ほどで3桁の数になるかもしれないほど
封書やカタログ、はがきが来て、
もちろん(迷惑きわまる)電話攻勢もずいぶんあった。

美麗なカタログは増えるばかりで、
購入かレンタルか、呉服屋かデパートか写真スタジオか
近所の小さな店かちょっと離れた有名店か
それともなじみの美容院で頼むか・・・・

とまぁ考えるのも面倒になり、
娘に「適当に店を選んでおいて」と言ったのが今年の頭。
長々と続いた春休みに着物を見に行く予定でいたが
目先の予定だけ(たとえばバイトとか)で日にちを次々埋めてしまう娘は
私同様考えるのも面倒だったようで
気がつけば各店の「早期ご予約特典」時期を逸してしまっていた。

「友達が何人かここで借りるから」という理由で
一駅隣の呉服屋を見たいといい
「ハタチは一生もの」というわけのわからんセリフのカタログが気に入ったとかで
その店舗にも行ってみたいといい
私も「うんうん付いていこう」と言っていたのに
行動力に乏しい娘は口だけで実行に移そうとせず

このままでは真夏に振袖を着て
前撮り写真を撮らねばならなくなるかもしれないと
夏の苦手な私は激しく危惧し始めてしまった。
(このごろの成人式は成人式前に写真を撮ったりするのだそうだ、
もちろんレンタル衣装でだからだろう)

というわけで私が一人発作的に一番近い写真スタジオに飛び込んだのが先月。
「え、そこぉ?・・・見るだけなら・・・」
と渋る娘を連れて行って結局そこで全ての予約を片付けてしまったのだった。

で、今日そのスタジオで写真撮影をしてきたのだが
レンタルと言えど、いろいろな代金がまとまると
(我が家にすれば)かなりな出費になった。

成人式お出かけパック(着物・着付けなど一式)¥215,250
髪飾り                            ¥9,240
足袋                             ¥1,890
着物スリップ                        ¥2,625
その他(腰紐、帯板などの着物必要品一式)   ¥3,150
写真(アルバム)                    ¥75,600
写真焼き増し(祖父母用)                ¥5,040
                        計    ¥312,795(税込)



特典がないから高くなったのかと言うと
それがそうでもなかった。
実際使ってみると得点に選ばれている内容は
さしてお得でもないものばかりのような気がするうえに
(ミニアルバム付きとかカレンダー付きとか)
早期ご予約特典を逸しても金額はほとんど変わらないらしい。

さらに正直にいえば、カタログやチラシに載っている
レンタル振袖の最低金額の着物は
あまり借りたいとは思えない代物が多かったので
結局はそこそこいいお値段の着物を選んでしまうことになるのである。

「まぁ一人娘だからね」
夫は後からそう言って、笑った。
「うん、すごくきれいだったしね」
私もニコニコ笑った。

春先に大学の今年度半期分の学費を支払ったばかりで
今日の出費と合わせると7桁にかかってしまうのだが
それを考えると顔が引きつりそうになったので
考えないことにした。


切実に考えるべきは、いかに安く、おいしい食事を家族に提供していくか、
日日に努力をしていかねばならぬということ。
それが美しい娘の着物姿と引き換えに、私に課された今日のおつりであった。

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お財布にいくらあれば?

未分類
06 /07 2011
行く場所にもよるが、
近所のスーパーなら財布の中に2000円あれば全然心配なく出ていける。
とにかく不景気な昨今、1日の買い物を800円くらいで済ませることもあるくらいだから
2000円あれば、まず平気ではある。

むしろ家の中にいるときの方が5000円くらいは持っていたいときもある。
新聞屋の集金が突然来たりするからだ。
新聞代集金は引き落としも出来るらしいが
とんでもないと、私は思っている。

なぜって、新聞社の本社に口座を知らせるわけではないからである。
新聞販売店を信用しないわけではないが
かつて新聞販売店とケンカしたこともあったし、(解約を拒まれたのだった・・・)
直接的に縁がないと言われても新聞勧誘員の柄の悪さにぎょっとしたこともある身にすれば
新聞販売店を完璧に信用して口座を教えるというのは、
なかなかに難しい。

話がそれた。
私の財布に一番現金が入っているときは、主に病院に行く時である。
最低でも2万円は入っていてほしい。
電車代と診察代こみでだいたい15000円は使うことになるのだ。

もちろん財布の中に現金は多ければ多いほど素敵だと思う。

しかし持ちつけない身には、大金はきっと不安だろうな。
落としたり置き忘れたり掏られたりせぬ様、緊張してしまうに違いない。

というわけで私の財布はいつもちょっとしかお金が入っていない。
が、なぜか財布はいつもパンパンである。
キャッシュカードか?

いや違う。
家計簿に付けていないままの貯め込んだレシートと
おつりの小銭もだいたいじゃらじゃらしている。
クリーニング伝票にドーナツ屋のポイントカードなど、あまり重要でないカード類で
財布がおデブになっているのである。

というわけで私の財布はけっこう重く、分厚いのだった。
(持ち金の札が2枚で2000円の割には財布がでかいのだった)
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津波から逃げ切った子たち

出来事から
06 /08 2011
今日知り合いから聞いた話。たぶん真実。

あの日の津波でたくさんの子供が呑まれてしまった小学校に
その子は通っていました。
あの日は歯医者さんの予約があったので
その子は早退して迎えに来たお母さんと一緒に帰って行きました。

そしてあの地震、それからあの津波。

学校の子供たちは先生の引率に従って一生懸命津波から逃げました。
途中いろいろな人とすれ違い、
「そっちじゃなくてこっちだ!」と言ったおじさんに
先生の引率を離れて、ついて行った子たちもいました。
先生の言うことを聞かなかった子たちは
どちらかといえば、反抗的だったり、先生が嫌いだったり
いたずらっ子だったりする子たちでした。

津波は先生と一緒に逃げた子供たちを襲い、
先生も子供たちも見えなくなってしまいました。
先生についていかなかった子たちはばらばらになったけれど
傷だらけになっても助かりました。

歯医者さんに行くために帰った子も助かりました。


あの日から2カ月が過ぎました。
早退して助かった子は、もう長いこと家から出ていません。

怖くて出ていけないのです。
海が?
息ができないほどの腐った臭いが?

いいえ、その子と家族がいま一番恐れているのは人の視線です。
「うちの子は死んだのになぜあの子は生きてるのよ!」という
人々の視線です。

先生の言うことを素直に信じて従った、そうして死んでしまった
子供たちの親御さんの視線が、怖いのです。

あの日歯医者さんのために迎えに行ったお母さんは
このまま子供をこの地域で育てることができるのか、
とても不安で仕方がありません。
それでも子が生きていること、行く場所がどこかにあることは仕合せなのだと
お母さんは思っています。

子供を失った親の苦しみは、どこにも向かうところがありません。
悲しみも怒りも嫉妬も、内側へ内側へと向かって
親自身を切り刻んでいきます。

今日も街にはがれきの山から凄まじい悪臭が立ち上っています。





被災地の報道されない裏側は、きれいごとなんか通じやしないよね。

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置き去りにされた牛馬を保護する・・こと

出来事から
06 /10 2011
昨日の朝日新聞の夕刊だが、福島原発の20キロ圏内を中心に
残されていた牛馬を450頭助けだしているという男性の記事が載っていた。

その人は福島県飯館村の家畜商だそうだが
求められて飯館町のほか大熊町、双葉町などの避難地域に残された
和牛450頭、競走馬20頭を保護したそうだ。
依頼主の求めに応じてそれらを売却したり
遠方の牧場に避難させたりもしているという。

その人は、睡眠3時間で頑張ってくれているらしい。
ガソリンやえさ代などの資金は主に義援金で賄っているとかで
全国からの書留や物資、
アメリカのオレゴン州の個人から2000万円の寄付金もあったそうだ。

いや~~~。えらいなぁ。

・・・・

と、一応思ってはいるものの、なんとなく釈然としないと言ったら
いけないだろうか。

無責任に置き去りにしてしまったものを助け出すのは大変よろしい事だ。

ただ、私の感覚はあくまでもその牛馬の「命」のために、
「よろしい」と言っているところが大きい。

「よろしい」のだが、それらの和牛が結局「食べられる」ために
救出されたのだと思うと、ここに釈然と出来ぬ感があるのだ。

もちろん「愛情」なくしては家畜の世話はできないだろう。
きちんとえさを与え、きちんと手入れしなければ、よい「和牛」は作れまい。
もちろん育てる側の誇りも愛もあるだろうが、それらは「商品」だ。

結局殺されて解体されて人の胃袋に収まる和牛たちを「助け出す愛情」とは
とても不思議である。
失いかけた商品を取り戻すための「牛馬救助・保護」という面の大きさは
決して小さくはないのだろう。

新聞は「牛馬を保護」する人の勇気と努力を賛し
支援の広がった美談を加えて、感動的な記事に仕立てているが
置き去り牛馬保護のための支援、義援金とはつまるところ
(私のように「かわいそうな牛や馬を助けて!」という感情ではなくて)
収入の道を断たれた農家への支援になっていくような気がする。

それにしても、である。
殺されるために大事に育てられ、今回のように無責任に置き去りの憂き目にあい
それでも人が必死で助け出してくれたと思ったら
しばらくまた大事にされたのちに
また車に乗せられて殺されに行かねばならぬ和牛とは
なんだかなぁ、なんだかなぁ・・・・


釈然とせぬなどと思う方が傲慢かもしれない。

私たちは動物を食べて生きているのだから。

葉っぱだって果実だって生き物には違いないのだ。

ゴキブリだって蚊だって毛虫だって生きているのだ。
(食べないが見つけたらすぐ殺す私)

・・・・・と限りなく矛盾はループしていく。

まとまらない、まとめられない。

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「バカ」をつける呼び方

いろいろ感じたこと
06 /11 2011
むかしむかし、娘が小学生になってすぐのことであった。

娘が泣きながら学校から帰ってきたので理由を聞いてみると
「えぐえぐ、えぐえぐ、あのね、●●くんがバカって言ったの」・・・・であった。
「ばか!」って言われたくらいで泣くなよ、とか言ってはいけない。

教会幼稚園で育ってきたわが娘は、子供たちの間によくあるに違いないと思われる
「ば~か!」とか「ばか!」という種類の言葉を
耳にしたことがなかったのである。

これには非常に驚くとともに、
通っていた幼稚園のキリスト教教育の徹底に感動さえ覚えてしまったが、
(悪い言葉を使うと「神様が見てるよ」とたしなめられる)
そんなことは言っていられない、
「バカ!」という悪口を初めて聞いて泣く子が、
公立の小学校でやっていけるのかと、あわてて学校に相談にいったのであった。

幸運にも受け持ちの先生は大変なベテランだったので
「バカ!」と言った男の子になんとこんな素敵な言葉をさずけてくれた。
「●●くんは本当に強いねぇ、かっこいいねぇ、
だからこれからは弱い女の子を守る戦士になってあげてくれる?」

かくして元気いっぱいの●●くんは誇りを持って、娘を守る戦士の役割についたのであった。
(一緒に学校から帰ったり、一緒に遊んだりしてくれたらしい。
おかげで娘にも各種乱暴な言葉の免疫がついた)

その「バカ」という言葉をこのごろ、
よくうかがうブログの中にたびたび発見するのであるが
それを目にするにつけ、私は妙にドキドキと不安を感じてしまう。

私が「バカ」という言葉に特別な認識を抱くのは、私の父によるところが非常に大きい。
父は雑誌の編集者であったが、編集者に抱く一般のイメージと違わず
相当な「悪口の達人」であった。

悪口の達人でありながらなぜか「バカ」という言葉を父は非常に嫌った。
「ばかばかしい」とか「ばかげた」とかいう表現は普通に使うが
「○○は馬鹿だ」という表現は用いたがらなかった。

父の勘違いやミスに私が軽い気持ちで「バカみたい」とか「バカだ~」とか
言おうものなら、やくざ屋もビビるのではないかという迫力で
「バカとは何事だ!」と怒鳴り返してきた。

父がなぜあんなにも「バカ」という言葉を嫌ったのか知らないが、
バカにされるのがとにかく嫌いだったのだろうか。

ついでにいうと「うそ」という言葉も嫌っていた。
「え~、うそ~?!」と女の子セリフで返したら「嘘じゃないっ!」と
完全に切れられたことが何度かあった。
「うそつき」と言われるのがとにかく嫌いだったのだろうか。

(父は完全文系のため書かせる読ませることにかけては「頭がよかった」と思うが
理数工にかけては、どちらかといえば「バカ」の部類に入るような気がする。
そして完全文系でそれを仕事にする人間に「うそつき」ではない人がいるとも思えない。)

今は亡き父のせいで私は人称に用いる「バカ」に敏感である。
なので夫にももちろんそれを禁句にさせた。

夫の家はこれまたなぜかよく「バカ」を使う家で、
他人のことを「あのバカ」と呼び
娘のことも息子のことも「バカ」をつけることが多々あって
むしろそれがつくゆえに「かわいい」を意味していることさえあると知った

そうだ、「バカ」に「愛情」が裏打ちされていることは
逆説的使用法としてきちんと存在し、往々に使用されているのである。
先に述べた当該ブログに登場する「バカ」も愛情の裏返しなのであろう。

とはいえまだ、文章中に登場し、人称に付する「バカ」から
最初に「愛情」を感じ取ることは私には難しい。

そういえば娘もまだときどき「バカ」と言われて泣くようだ。
高校3年生の時、教師がクラス全体にバカ者と怒鳴ったとき
娘は怖くなってボロボロ泣いてしまったそうだ。
「なにかわいこぶってんの」と陰で女子にプンプン言われたらしいが、もうしょうがなかろう。

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老いてなお盛んで困惑す

いろいろ感じたこと
06 /14 2011
4年ほど前に突然の事故で奥様を亡くされた方が
再婚を望んでいるのでお祈りしてください、とある人に頼まれた。

目的の相手が既にいて、その人との結婚を望んでいるのか
それともこれから相手を探すつもりでいるのか
その辺の詳しい事は知らない。
男性はすでに定年退職も終えたじき70代である。

・・・・70代近くなって結婚したいという
その理由が私にはまだよくわかっていない。
ほぼなんでもご自分で出来る方なので
寂しさの故であろうと思うのだが
それはいわゆる「茶飲み友達」ではいけないのだろうか。

標準をはるかに超えた生真面目さを持った誠実きわまる男性であるから
「おつきあいするなら結婚」というラインで思考されているのだろうか。

確かに人生はまだ長く、平均余命もあと20年ある。
その間独身と言うのは彼にすればきっと非常な苦しみなのであろう。
たとえ互いの介護問題に直面しようとも
孤独であるよりずっとよいのだろう(と想像する)。

ただ、男性の性と女性の性は違うから
私なら、そちら方面を想像するだけで、もう結構だと思う。
ずっと前、桐野夏生の「魂萌え」を読んだ時に
熟年男女が出会って「致す」シーンが出てきたときには
「うわ~~~~~」(どよ~ん)であった。

最近は年をとっても中睦まじくいくために
老年期の性生活指南などが雑誌に特集されたりしているが、
うちの夫がああいう本を買って研究するタイプでなくてよかったと
つくづく感謝している。

どちらにせよ、60代、70代男性陣は元気かつ意気軒高である。
むしろ経済のために家族が重く、体の老化に愕然とする50代のほうが
彼らより元気がないかもしれない。


元気と言えば、義父は去年肺がんの手術をして1年が経過するのだが
病気以来、「やりたいことをやる」気持ちが強くなったようである。
義父の最近の望みは「新車購入」らしいが、
それはこれまで乗っていたようなセダンの乗用車ではなく
ワゴン型の高級車、しかも大きいのがよいのだそうだ。

まぁ、いまでも25tトラックを運転する人なので
大型のワゴン車くらいなんでもなかろうが
昭和10年生まれの76歳が、いままで運転したことの無い車で
颯爽と道路を飛ばせるかのどうか、周囲は少々不安である。

いつも助手席に座る義母は
「このごろお父さんの運転にドキッとすることがある」というから
実際問題として危険は存在する。
が、その義母は「好きにさせてあげようと思って」という態度でいる。

その両親の子である私の夫は
「運転したことない車種はやめたほうがいいよ~」と言うが
果たして義父はどうするのだろう。
個人的には、義父の好きなようにすればいいと思うが、
最低、他者を巻き込む交通事故だけは起こさないでほしい。

意気軒昂なのも夢を追うのも結構である。
よいよいの爺さんの数十倍結構である。
そう遠くないうちに来るべきものが来る人たちである。
したいことをするならすればよい。

ただ、諸般の事情により思い切り応援してよいものかどうか
よくわからない。
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言い訳してたら痩せられない

いろいろ感じたこと
06 /16 2011
お母さんは家族の残した食事やお菓子を「もったいないわねぇ」と食べちゃうので
だんだん太っちゃう・・・・・

というようなテレビを何回か見たことがあるような気がする。
大抵はぽっちゃりしたお母さんが
「まぁ! また残して!」とか声に出して、ぱくりと食べる。
いろいろな番組で、本当に何回も見たから、これぞ類型というやつなのだろう。

が、あれは現実にあるのか?
ぽっちゃりしたお母さんは、家族の残った物まで食べて
ぽっちゃり、あるいはそれ以上になってしまうのか?

ちなみに我が家では、あれはない。
だいたい食べ物が残らない。
よく再現されるお母さんは、根本的に「よく食べる」人で、
作る量もたっぷり過ぎて子供が残してしまうのではなかろうか。

それなら家族が食べる分量を作ればよいのであって
食べられない分量まで作らなければよいだけの話である。
「もったいないから食べる」というが、
それで糖尿病や高血圧などの成人病になったら、それこそ医療費がかかる。
医療費はもったいないから残り物を食べちゃうどころの騒ぎじゃない、というくらいかかる。
(後期高齢者医療保険証になるまでは)


ところでうちの近所には全員が肥満と言うご家庭があるのだが
そこの奥様は、食に関しては相当にこまめに作る人であった。

お子さんが小学校から帰ってくるころには「おやつ作らなきゃ」と言って
立派なおやつを作って待っている。
「どんなおやつ作るの?」と聞いたことがあったが
その日は「焼きそば」と「唐揚げ」であった。
それは果たしておやつなのか? と思ったが黙っていると
「給食が今日パンなのよ、うちの子たちはパンだと食べた気がしないから」
と相手が続けたのだった。

食べた気がしなくてもきちんと食べている、とは考えないらしい。
となれば一日4食、食べているも同然である。
しかも上述の「おかあさんの作る量が多すぎて残す子供たち」とは違って
「お母さんの作る量が多すぎるけどしっかり食べる子供たち」であるから、
家族みなさんお洋服に非常な苦労をされる体型になっているのであろう。

「それ程食べないんだけど、太る体質」とか
「水飲んだって太る」と言う人もいて
まことしやかに飢餓遺伝子云々という話もあるようだが
私はそれをまるまる肯定しようと思わない。
食べずに太れるなら胃を取ったり縛ったりしたって太ってしまうはずであり
水だけで太れるなら、水だけで生きていけばいい。

食べることに関してあれこれ言い訳するうちは、きっと痩せられないだのろうな。

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DEBU と BAKA の表現

いろいろ感じたこと
06 /18 2011
たとえば前回のブログに「ぽっちゃり」という表現を使ったのだが
「ぽっちゃり」という段階をはるかに超えた迫力を備えている対象に向けても
「ぽっちゃり」などとかわいらしく言ったりすることが多い。

「ぽっちゃり」をはるかに超えた段階の表し方で、まだ侮辱的でないものには
「体格がいい」「ふくよか」などがある。

「ふくよか」の場合中年以降の女性に使われると
ゆったりとした、鷹揚で家庭的なイメージを伴っていい意味に受け取られやすいが
「ふくよかなバレリーナ」「ふくよかな殺人犯」「ふくよかな浅丘ルリ子」などは
いいのだか悪いのだかよくわからない。

「体格がいい」も小中学生の伸び盛りの子供に使ってほしい言葉で、
「体格のいいお姉さん」「体格のいいカカシ」などに使われると
これも美学的意味で不可思議な感を伴う。
ちなみに「体格のいいいしだあゆみ」は読みにくい。

クレヨンしんちゃんでは丁寧に「お」をつけて使われる
「おろか、利口でない」という意味のあの言葉だが
あれも言い方一つでだいぶ雰囲気が変わる。

「回転が鈍い」「血の巡りが悪い」「理解が遅い」
「知能指数が低い」「能なし」などその手の言葉は枚挙にいとまがないのであるが

もっと豊かで味わい深い表現はないのかと探したところ
こんなのがあった。
「ぼんくら」これはなかなか温かい雰囲気を伴っていてよい気がする。
しかしめったに聞かれないので、本の題名になるくらいが現在では限界かもしれない。
「とんちき、ひょうろくだま、あんぽんたん、おたんちん、おたんこなす」
このあたりも、一般会話にはほぼ不活性であり、
その生息場所は古典落語あたりしかないのではなかろうか。
しかしながらどれも愛嬌があって大変よろしい。

今度ブログに侮辱語を書くときにはこれらを用いるとよいかもしれない。
「うちの娘はとことんあんぽんたんである」
「主人は本当にひょうろくだまで」
「うちの犬はおたんちん」など、
何となく意味が判然しないままに
侮辱しているらしき雰囲気はあるものの、
そこにふんわりと愛情がかけられている感がして
よろしいというか、いや、おもしろい。

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