母の検査を考える

いろいろ感じたこと
12 /01 2011
母の臀部の上、腰のあたりにこぶができているそうだ。

月に一度グループホームに往診に来る皮膚科の医師が
母の水虫と(いままで水虫なんかなかったのに!!)腰のこぶを見つけた。

こぶといっても親指の先ほどのサイズで、
しこり、というのが一番ぴったりくる呼び方だろう。
「MRI検査を予約しますか」
とグループホームから連絡が来て、曖昧に返答しておいた。

予約日が決まり、グループホームが私に都合を聞いてきたのではっきり言った。

「棺桶みたいなサイズの閉鎖された空間に閉じ込められて
身動きができない状態であの大きな不連続的金属音にさらされて
母が正常でいられるとは思えませんが」

グループホームの所長はいま気がついたように同意した。
所長はMRI検査がどういうものなのか未経験だったようだ。

最新式のMRIならば問題の下半身のみを機械に入れているだけでよいものもあるらしいが
指定された病院は高度成長期に建設された古い病院で
しかも数年内に転院計画まで立っているというから新しいMRI装置があるとは思われない。

家族がいれば患者は少しは落ち着くだろうとそんな風に所長は考えていたそうだが
MRIの検査中に、検査される人間以外があの部屋に入ることは
私の知る限りは決して許されない。

MRI検査は私もあまり好きではない。
あのぐるりと閉鎖された細長い空間は閉所恐怖症ではない私でさえ
気持ちのいいものではないのだから
認知症の母ならば、パニックを起こさないとも限らない。

パニックが起これば、認知症が進む可能性が高い。
認知症が進むのは避けたい。
グループホームも私も努力して母の認知症を落ち着かせているのだ。

と、いうことでMRI検査は拒絶すると伝えてもらったのだが
ではせめてCTをと医者が言っているらしい。

母の腰のこぶが「脂肪腫」ならば問題は何もないが
「悪性」であったら手を打つのが普通だ、医者としては至極当然であろう。

が、私は思い切って言うことにしよう。
「悪性であったとしても、能動的に治療しようとは思っておりません」と。

ただ、それが悪性なのか脂肪の塊なのかという一事を識別することが
その後の生活形態の方向決めに必須条件であるならば
CTなど、簡単な検査なら受けてもよいと考える。

それがもし悪性であればあったで仕方がない。
もう80を超えた母に、いまさら痛い検査や、病院生活の束縛と言った
著しい環境の変化を与えるほうが、悪性腫瘍より悪い、
私はそんな風に思えるのだ。

もう数え切れないほど入退院を繰り返してきた私は
同室の80代90代の女性癌患者を数多く見てきたが
そこまでの高齢になって、積極的癌治療をする意味がわからない。

もちろん極度の痛みがあるゆえの積極的対応や
限局的な切除が必要な場合もあることはわかるが
可能ならば、木が枯れるように、静かに、ゆらりゆらりゆっくりと
命を終わらせてあげたいと思うのだ。
もちろんこれは私個人の独断的考えであって、これが正しいなぞとは口が裂けても言わないが
私はこの方向で行きたい。

電話で姉に聞いてみた。
「で、どうしようと思ってるの?」と姉は聞いた。
私は話した。
最初に言った。
「もうね、めんどくさいし」

めんどくさい。
そうだ、めんどくさいのだ。
母のためにやれと言われればやるだろう、私は母を見捨てたりはしない。
だが、正直に、めんどくさい。

認知症の進度を測る長谷川式スケールでは母の認知症は著しく進んでいるが
最近の母はグループホームの台所でとことこ上手に野菜を切って、お皿にきれいに盛り付ける。
喧嘩の仲裁を買って出る。
思いっきり笑う、けたけたけたけた楽しそうにおしゃべりしている。

こんなに幸せな状態の母は少女のとき以来かもしれない。
この状態の母を出来る限り長い期間続けさせてあげたい。
いまの母はかわいいおばあさんだ。
だがパニックを起こし、激烈な症状を見せるとき、母は無表情なけだものになってしまう。

今現在の私はけだものになった母との邂逅を出来る限り避けたい。
そうなった母を世話するのはめんどくさい。
母はもう母親ではないかもしれないが、
せめて私は母を愛していたい、好きでいたい。
怒ったり、泣いたり、ぐったりしたりしながら母の世話をするのは嫌なのだ。
そうだ、これは私のわがままだ。
私は勝手を言っているのだ。

けれども、どうしても母がけだものになる必要があるなら私はそれを受け入れる。
私に課せられた試練なら甘んじて受け入れる。
ずっとそうしてきたのだ。

「めんどくさい」と言った私に姉は笑った。
はっきり言ってもらってよかった、とも言った。
積極的治療回避についても、それでいいと思う、と同意した。

母を連れて一度医師の診察を受けに行き
話をする必要があるが、姉はそれにも付き合ってくれると言った。

ああ、長女だな、責任感がちゃんとあるな、と思った。
お姉ちゃん、ありがとう。
3人で医者に会いに行こう。

きっと一番いい方向に話は動く。
脂肪腫であれ悪性腫瘍であれ、それは最もいい方向に動いているのだ。
私はそう信じている。
これまでもそうだったから。
母のことはすべて神様にお委ねしてあるから大丈夫だ。


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ボケたくない

いろいろ感じたこと
12 /08 2011
「うちの血筋にボケた人はいない、私は絶対にボケない」
と言っていた母が、見事にボケた。

というわけで、私もボケる気がしている。

(誰も言わなかったが)神童のごとき記憶力を持っていたワタクシが
今や買い物のメモさえどこに置いたか忘れる始末。

というか、メモしたことさえ忘れ
忘れたことさえ忘れるという、
ほとんど綾野小路きみまろのネタのような状況。

手先を動かせばボケないだの
本を読むのがボケ防止だのと言うが、あんなのは信じない。
母はいまも暇さえあれば手を動かして何かやっているが
完全にボケている。
父は死の直前まで一日12時間以上も本を読んでいたが、
普段からうすらボケであり、最後にはいろんなものが見えたり聞こえたり
話すこともボケボケになった。

ボケの原因はさまざまにあるらしいが
ボケる環境というのは確かにあるような気がする。
だいたいにおいて、ブログなんかをちまちま書き綴って
実際の人間とは家族以外にあまり会わずに暮らしていると
ボケるのではないかと思う。

父も母も仕事をリタイアした後は二人っきりで暮らし
刺激なんぞまったくと言ってよいほどなかった。
平穏無事な隠居生活と言えばよいが
要するに世の中から切り離されたように老人二人が
毎日毎日顔つき合わせて会話もなく暮らしていたにすぎない。

刺激の無い生活はボケの近道である。
かといって試練と同類の刺激が続く日々は心によくなさそうで
逆にストレスでボケにショートカットしてしまうかもしれない。

適度な刺激を受けるためには家にじっとしていてはいけない。

いけないのだが、面倒くさい。

面倒くさいのが一番いけない。

このごろはブログを書くのも面倒くさい。

ご飯を作るのも、掃除をするのも、面倒くさい。

家事一切を放棄したいと思っても実行していないから、まだボケないが
放棄してダラダラ過ごし続けたら、必ずボケると確信している。

料理はボケ防止にはよいと聞く。
ただし、毎回同じような料理を作っていてはボケ防止にはならないらしい。
料理番組を見、料理本を買い読んで、
実際にトライすることが大事なのだそうだ。

これは難しい。
なぜというに作ったものは食べねばならぬ。
うちの夫も50を迎えて、さらなる保守に回り、
目新しいものを出しても箸をつけない。

そこをなんとか頑張って、工夫していくのが楽しいのだ、なんて立派なことが書ければ
私はきっとボケないだろうが
面倒くさくて結局ありきたりの毎回のご飯が出来上がってしまう。

今夜もこれから夕食を作る。
切り落としの豚ロースがあるので適当に野菜と炒めて
けんちん汁か何かを作って、あとは作り置きの惣菜でも出してそれで終わりそうな気がする。

ああ、いかん、
このままではボケる。ボケる。






源氏物語の深さが好きさ

読んだ本の感想
12 /09 2011
源氏物語というのは、かくもアーティストの興味をそそり、表現意欲を掻き立てるものなのか。

源氏物語と名前が付く映画やドラマ、漫画まで加えればいったいどれほどあるのだろう。

漫画も読んだし、映画もアニメも何本か見たけれどそのどれもこれも、納得できたものはなかった。

だいたい、光源氏を生身の人間がやれるはずがない。
絵に描いたとて同じで光って見えるほどの美男子を描けるはずがないのだ。

にしても、である。
いまも映画ができてやたらにテレビ番組で特集されているが
源氏物語というと女がらみの色っぽい話ばかり語られるのは仕方がないのか。

確かにやたらめったら女を口説いて、そのまめまめしさと言ったら
天下並ぶものなき・・ではあろうと思う。

あの時代、高貴な女を口説くのがどれほど大変だったか。

高貴な女性はもちろんのいつも御簾の中にいて
父上母上家来女中といるなかの
部屋の最も奥にいたわけだからそう簡単に会えるわけもない。

そのためにはまず高貴な女の周囲にはベる複数の侍女たちを言いくるめ
屋敷に上げてもらう必要があるわけで
源氏はまず侍女たちに贈り物やら軽いプレイやらをせねばならぬ。
あるいは侍女の身内の男子の出世の約束なども餌にしたであろう。

かくして根回しを万全にしたうえで時期を待ち、
侍女や手の者の導きによって、密かに狙う女の屋敷に上がり込み
ここでまたどこぞに隠れて時を待ち、
屋敷が寝静まった頃を見計らって女の寝床に忍び込んでいくというわけだ。

しかもお手ごろに押し倒したりはせず、
まずは優しく口説いて口説いていくのが光源氏なのである。
死ぬほど恋しいので、こうして無茶をして会いに参りましたのに
なぜ私から顔をそむけるのですか…てな具合で
じりじり近づいて、着物の裾なんかに手を突っ込んでいくのではなかろうか。

私が興味を感じるのはこのようなピンクのハートが飛び交う場面ではない。
六条御息所のおどろおどろしい生霊場面でもない。
源氏のよきライバル頭中将(名前は出世に伴いくるくる変わる)は非常に好きだが
女を取りあったり、二人して年寄りとがぽがぽやったり、
並んで踊ったりする場面も、どっちでもいい。

私が源氏物語のなかで一番興味を持つのは
光源氏が男の世界のリアルを背負っているそれを伝えてくる場面である。

男の世界のリアル、つまり男同士の友情やら
競争心やら、嫉妬やら、職業上で得た権威を振りかざすやら
その眼力で人を震え上がらせるやら、
あるいは老いてなお美女を狙うあまりに「はぁ?」されるやらと言った
その辺の女好き物語とは一線を画した人物描写の深さが
私にとっては一番の魅力なのである。
(ちなみに源氏は老いても超美男子で青年にしか見えないそうだ)

光源氏が二度目に結婚した女三宮の子どもを抱きながら
(この子が自分の子ではないと知りつつ)

自分の父親も自分の不義を知っていたのかもしれぬと
(だってほら父ちゃんのオンナ藤壺と源氏は寝て冷泉帝産ませてるし)

その因果応報を静かに受け入れる場面などは有名だが
個人的には源氏が反省しないでぶいぶい言ってる場面の方が好きである。

娘みたいに可愛がってたけど、実は寝たかった、寝てやる気でいた
玉鬘をいつのまにか髭黒大将に犯られてたときの超不機嫌などはいい味付けだ(笑)
(実はこの髭黒が優男時代の終焉を予感させるワイルドタイプ)

私が感心する源氏の描き方は主に後半生のリアルであり
たぶん物語中の最も面白い帖も若菜であるから
源氏がまだ若い須磨あたりまでしか読んでいない人たちには
(須磨源氏という)
源氏の深みも痛々しさも、「ああ、こいつしょうがねぇなぁ・・・」という
「もののあはれ」もよくわからないと思う。

源氏物語は間違いのない名作のお仲間だろうとは思うが
なにが何でも読めとは言わない。
ただ、漫画や映画で知った気になるなとは言いたい。

ちなみに読むなら古文は難易度が高すぎるので
翻訳を読むべし。
可能ならば翻訳者の違うものを2種類以上読み比べてみると面白かろう。


スーパーの試食を食べつくす人

いろいろ感じたこと
12 /09 2011
近所のスーパーに行って帰ってきた。

歳末前の売り出しがにぎやかだった。

ボーナス狙いかクリスマスを控えてか、お歳暮の箱に入るようなハムが
試食になって売り場の前に出ていた。

最初、50代であろうおばさんが立ち止りハムを楊枝でつついて
何回も何回も試食しているのを見た。
このおばさんはカニの試食やマグロの試食のときによく立ち止まっては
供されている試食品を一つ残らず一人で食べて行ってしまう人だが
注意でもされたことがあるのか、店員が近づいてきたらすっと試食から離れて
肉売り場を物色するそぶりを見せていた。

好奇心に駆られて、おばさんの持った籠の中身をちらと盗み見ると
ぶりの切り落とし山盛と、安売りになっているマイナーメーカー製のダシの素、
値下げされた鶏肉などが入っていた。
籠をさげた右の手にはまだ爪楊枝が持たれたままで、
店員が引きさがったらまた食べ始めるつもりなのだろうと思われた。

試食を何度も往復するくらいならまだよいが
立ち止って食いつくす様相は、正直浅ましいというか、さもしい。

やれやれと思って私も肉売り場を適当に見て歩き
一周して戻ってみると今度は男の人がハムの試食に立ち止まっていた。

その人は30代から40代くらい、
小柄でおとなしそうな顔つきをしていた。
肩にはかばんをかけていたが、手に買い物かごはない。

どうもあの姿を見た覚えがあるなと思ったら
以前「相棒」というドラマで
「36歳の無職の男性が社会に追い詰められて最後に他殺と見せかけて自殺する」という
救いの無さではダントツだったドラマそのままのイメージの人であった。

ハムの試食を数口食べては周囲を気にして売り場を離れ
それでもまたハムの試食の前に戻ってはまた食べ、
やっぱり目が気になってそろそろと離れ・・・・

その人は強めの猫背であった。
顔はどこか怯えを含みつつも無表情であった。
仕事がないのだろう、働き口がないのだろう、と思った。
この人は心臓の太い顔をしようとすればするほど、無表情になるのかもしれない。

店の人は誰も近寄ってこなかったが、別の男性客がハムに手を伸ばしたとき
その人ははじかれたように離れていった。
先のおばさんには食べ物を買う金がまだあったが
この人のバッグの中には食べ物を買う金は入っていないのだろう。

私はこの人に何一つしてあげなかった。
飢えている人に食べ物を与えないのはキリストを見捨てることと同義である。
それどころかむしろあの人を観察し、こうしてブログに書いている。
あの人は天国に行くかもしれないが私はいま地獄に近そうだ。

この年の瀬、食べ物を得ることができない人や
寒さに震えている人はどれくらいたくさんいるのだろうか。
なにかひとつやらなければ気持ちが収まりそうもない。
けれどもうちもそう豊かではない。
祈るしかないのかもしれぬ。


上述の「相棒」シーズン9「ボーダーライン」は
「2011年貧困ジャーナリズム大賞」を受賞している。


節約夫人はお友達

いろいろ感じたこと
12 /10 2011
私の年になると節約系ブログの数がぐぐっと増える気がする。
金はまさに足が生えた「おあし」どころか
羽が生えているように飛んで行くのである。

住んでいる家が古くなる。
20年使い込んだ電化製品が古くなって壊れる、家具が傷む、畳がすり減る。
給料は上がらないのに各種税金と公共料金は異様に高くなる。
年老いた親が頼ってくる場合もある。
そしてなにしろ、
ひとりの子供にかかる金が5ケタならまだしも6ケタ、あるいは7ケタになる。

7ケタなんてもう親の手取り年収のレベルというご家庭もたくさんあるはずだが
それが現実なのだから仕方がない、だから節約するのである。

とはいえ師走の週末、街は買い物客でにぎわっている。
いまからクリスマスの前倒しなのかチキンがやたらに売っていて
クリスマスソングが流れていて
ツリーが美しくLEDライトで飾られている。
買い物する客も多い。

なんだいみんな公務員かい、給料は今回も減らないのかい、
まったく景気がよろしいですね、
ああなんてずるいんだてめぇらだけ守りやがって、と思いながら
一人でヨーカドーに行ってきた。

お給料が一向減る見込みのない公務員のご家庭をうらやましく思いつつ
「こんなに働いているのにお金がない」と
なにげに小遣いアップを要求する夫を少し慰めるために
セーターと綿シャツを買った。

セーターは私好みのノルディック柄の毛糸、基本色は濃いえんじ色、
合わせる綿のYシャツはやや厚手の綿、縦の茶色ボーダー。
どちらも30パーオフだったので3000円台でゲットでき
「素敵なセーター買ったよ~」とメールを入れたら
「わーい」と返ってきた。よしよし。

それから娘にダウンコートを購入した。
光沢のある銀ねず色のロングコートで15000円の半額。
普段着にはちょうどいいかもしれない。

そして私はというと、
マクドナルドで(単品200円になっている)ビッグマックのセット550円なりを
食べてきただけであった。

自分の服は・・・・ううむ・・・ここ3年くらい買った記憶がない。
ユニクロのヒートテックシャツは買った覚えがあるが
ほかは記憶にない。

コートは十年くらい前に通販生活で買った1着と(たしか六万ほどだった)
結婚前に夫が買ってくれた1着(これも六万くらいだった)があるのみである。
なので流行のものなど全然ない、持っていない。
うううう~~~文章にするとかなりかわいそうな妻に思えてきた。

でも、どこへ行くということもないので大きな不満は持っていない。
持っていたら不満だらけで毎日不機嫌になりそうだ。
だから持たない、持っても仕方ないので、持たないことにする。

家族が健康で平安であれば、それで十分である。
と、私のように自身を慰める人がいてくれたら
そのひとはお友達である。




「悼む人」天童荒太

読んだ本の感想
12 /12 2011
親に虐待された子どもたちのその後と心の闇を描いた「永遠の仔」という小説が
話題になって大いに売れたのは1999年、
テレビドラマになったのは2000年だったそうだ。
・・・・つい最近だったような気がしていたが、もう10年も前のことだったのか。

永遠の仔を読んだ時、
主人公たちのあだ名にまず違和感を覚えて最後までそれが抜けきれなかった。
人物の名前付けは作品の重要なポイントであるが、
名づけの感覚が、この作家と私では全く合わないようだった。
その落ち着きのない嘘くさいあだ名のゆえに作品中のリアルさまでもが芝居くさく思えてしまい、
そこに気を取られ過ぎ、感情の共鳴を持つことがないままに終わってしまった。
名作であるそうだから
私はきっと非常にもったいない、どうしようもない読み方をしたのだろう。
同じころに読んだアンナ・カレーニナが、相性的によくなかったのかもしれない。

先日ブックオフの105円コーナーにあった「悼む人(上下)」は
2008年下半期の直木賞受賞作なのだそうだ。

で、読んだ。
読みにくくはなかった。
永遠の仔よりはるかに読みやすいのは、連載小説だったからだろうか。
改変改作が多い作家なのでこの読みやすさもいつまで続くのか分からないが
2011年に発売された文庫本の上下においては、とんすかとんとん読めるものであった。

これもやはり、心に死の重さを刻みながら生きている人が読むと
猛烈に影響力を持つ作品だろうと思う。
特に自己の生き方の浮草具合が強いほどに魅せられるかもしれない。

私個人はクリスチャンであるから本書の登場人物たちの抱く
「死についての思い」に共感することはあまりないのだが
それでも「どんな悪い人間だろうと」「どんな死に方をしたにせよ」
「怒り」や「復讐心めいた気持」や「義憤」といった悪感情を抜きにして
死んだ人を悼もうとする主人公には教えられた。

ただ、ラストのラスト、丹波哲郎がむお~~~~っと語りそうなラストシーンは
ちょっとばかり余計だったかなと思う。

主人公がいま、現実に存在しているなら彼は東北にいるのだろうな、と想像できる。
海岸沿いを延々と回って、生涯そこから出ていかないかもしれない。


さて、これを読んで私の意識は変わっただろうか。
さっきお金持ちの社長がフェラーリで住宅街を運転中
角をまがりきれずに激突して亡くなったという事故を聞いた。

・・・・・だめだ、全然悼む気が起こらなかった。



カフェオレにジブリの人へ

出来事から
12 /13 2011
働き者でやさしくて、いつも一生懸命だったあなたへ
だけど心のどこかに満たされぬ何かを持っていたあなたへ

突然のことで、少々面食らっております。
いろいろな方々のブログを回ってみましたら
「さみしい」「寂しい」「淋しい」との言葉が
いくつも見つかりました。

別れはたいがい突然ですね、
もういい年なので慣れてもよいのになかなか慣れません。

あまりにもマメにブログを書いておいでだったので
少々お疲れになってしまったのではないか

あるいはご家族などからなにか指摘されたのか

と想像してみましたが、
この数カ月、あなたが更新に追いかけられていたとしても

ブログにコメントがつき、複数の方々とネット上で会話できたことの楽しさは
あなたの中にたぶん根付いていて、
消すにはちょっと時間がかかるような気がしております。
(そう望んでいます)

あなたは働き者で、気の回る人ですから
きっと明日も明後日も忙しく動かれるのでしょう。
そうして
あなたの大好きな自宅カフェの時間に、
ふと気がまた向くことがあれば、
どこかでそっと、
今度こそ家族にだけは知られぬように
書きたいときにだけ書けるような場所を
ひっそりと持つことができますように期待しております。


母のことではいろいろと案じて下さってどうもありがとうございました。
母はとりあえず3カ月おきに通院しながら様子を見ることに決まりました。

このお話はまたいずれ、こちらでお話できますように。
あなたらしい、深慮のある言葉などお待ちいたしております。

残り毛糸で出来たもの

ハンドメイド
12 /16 2011
寒くなるとただでさえ不活発の私の不活発は募る。

不活発なので日記に書くべき事柄があっても面倒くさくて書かずにいたら
溜まっていくうちきれいに忘れた。
そういえば家計簿も2週間ほど書いたがやめている。
家計簿の付録目当てにESSEも買ったが全然読まないままである。
もしかすると家計簿のこともじきに忘れるのかも知れない。

それでもなにか書いたりしないと、不活発の傾向がさらにさらに上昇して
ついに認知症が起こるかも知れないので
なにか書こうと材料を探した。

ええと、これは少し前私が凝っていたお人形のブライス。
ブライス
洋服づくりに凝るのがブライスに凝る人のパターンであるが
私もこの不気味な子たちの洋服を作った。
右の子のドレスは私のハンドメイドである。
それにしてもこのブライスの名前をなんとつけたのかも覚えていない。

ハンドメイドと言えば今日は4年くらい前に作った手編みのセーターを着ている。
手編みセーター
この時も編み糸が余って余って大量消費のために編み込みセーターにしたのだ。
ベースの緑色や黒や青は夫に編んだ糸の残りだと思われる。

毛糸の消費のために編んだのはおととし作ったこの耳付き帽子も同じである。
耳付きぼうし

ここ二日ほどで編み上げたこれも残り毛糸消費対策である。
写真のために色味が変化してしまったが、多色染めの毛糸に
薄い空色の毛糸を使っている。
出来たて帽子
(夕食の準備をしながら写真をとったので背景は見ないように・汗)
自分で購入する場合はまさかこんな色の組み合わせは思いもつかないであろうというほど
個性的でしかもとても素敵な組み合わせが完成したのだが
微妙な色合いが写真に出ていないのが無念残念である。

ところでこれらはすべて私のものだ。
残り毛糸で作るので長さが足りなくなることを危惧して単色編みにできず
どれもこれも編み込みになってしまうが
有名なノルディックのセーターなどの編み込み模様も
手持ちの毛糸を使うべく編み込んで行ったらあんな風に細かな模様だらけで美しくなり
しかも裏に多くの糸が渡ってぬくもり倍増になったのではないだろうか。

残り毛糸になるのは娘や夫に編むために毛糸を袋単位で買いこむからであるが
どちらにせよ色を決めるのは私なので私の好み色が反映される。
どれもウール100パーセント、だからそう鮮やかな色見はあるわけがないが
どうやら私は寒色系、緑や青が好みであるようだ。
好みで買い込むから、合わせてもそうヘンテコなものはできないで助かる。

今回の帽子は二日で出来たが、
11月ごろから編み始めてそのまま放棄してしまった毛糸の
編み込みパッチワーク風セーターはいつ出来上がるやら見当もつかない。
なにせ不活発である。




娘のデートにあれこれ

出来事から
12 /18 2011
ブログのお友達のお子さんの彼氏関係について
いくつか読ませてもらって感じたのは

「みなさんきっと清純な美しい青春時代を過ごしてきたのね」。

むかし遊んだオヤジほど、娘の恋愛関係にはうるさいなどと言われてきたが
もしかすると母親もその傾向があるのではないだろうか。

そう、むかし遊んだオフクロは娘の彼氏関係に関して
絶対に黙ってはいられない!

黙っていられないというのは「あの男はだめ!」とか
「別れなさい」とかいう完全束縛命令ではなくて


「ちょっとあんたデートの時につける香水もっといいもの持ってないの?
しょ~がないなぁ、ほらプアゾン…あ、これはだめ、若い子には合わない、
ええと~シャネルの5、うう~ん、イメージじゃない、
19番があったらいいのにこの前トイレの香水にしちゃったからなぁ。
あ、ホワイトリネン、こういうのが清純よねぇ。
えっ、みんな古いって・・・・・
当たり前でしょ、もう20年以上香水なんて買ってないんだからっ!!!
ちょっと古いっていったって、プレミアついてるのもあるんだからね!
ほらほら、エスティローダーのビューテイフル!!!
30ミリリットルで7000円くらいするんだからね、どうよっ!
星の王子様? ああこれは中性的な香りだからデート向きじゃないよ。
パパがこの香りパチンコ屋の店員と同じだって言った・・・」

「ちょっとあんたこのくそ寒いのにそんなぺらぺらのスカートはくわけ?
風邪ひかれちゃ成人式に着物着られなくなるわよ、
ああもう、スカートくらいウール買いなさいよ、ウール!」

「ねぇ、去年編んだ上等な毛糸のアラン模様のマフラーなんでしていかないのよ。
ベージュのコートにぴったりなのにさ。
もうっ、どこにしまい込んだかわかんないってなにそれ!」

「パパの不機嫌が限界を超さない程度には帰ってきてよね、
機嫌を取るの大変なんだからさ」

などなど、娘のデートに母親があれこれうるさく騒ぎまくって
娘はやれやれと逃げるように出て行ったわけである。

・・・・あこれも言ったな
「最初のデートで寝たりしないようにね!」
「必要なときはゴム一箱進呈するわよっ!」。

もっと自然にもっとナチュラルに普通にデートをするのが一番よいとは思っているが
世の中には普通でない人が多いことを知っているがゆえに
どうしても必要以上に心配をしてしまうのが
「むかし遊んだ親」の性向ではないだろうか。

恋をして傷つくことも成長には必要ではあるが
傷つく深さや程度には限度もある。
特に昨今別れた男に親兄弟まで殺されたりする時代
大事な一人娘の恋愛を心配せずにいられようか。

・・・・・いや、きっといられる。
ただ私が好奇心でいっぱいになっているだけである。

さて娘の今日のデートのお相手の写真、今晩見せてもらえるだろうか。
見せてくれるなら娘には「どーでもいい相手」ということで
無視されるなら「ちょっと気になる相手」ということである。

楽しみだ。





そんなことより

いろいろ感じたこと
12 /20 2011
昨日の夜、娘がテレビをTBSにして
「水戸黄門最終回だよ! 最終回だよ!」
「格さんが祝言あげるんだって!!」
と、これまで見てもいなかったくせにうるさかった。

「私の好きな黄門は初代と二代目だけ、あとはどうでもいいし
もう十分見たからいい」となにげに無視をした。

1時間ほどして、夫が再びテレビをつけ指差した。
「水戸黄門だよ! 最終回だよ!」

なぜうちの家族は私に水戸黄門を見させようとするのか。
そんなにも私に見てほしい理由はなんだ。

というわけで見なかった。
水戸黄門は子供のころ毎週見ていたし
(でも「大岡越前」の方が好きだった、「江戸を斬る」はどうでもよかった)
関東ではTBSの午後4時の再放送枠に水戸黄門シリーズが3カ月に一度はかかるので
学校から帰ると水戸黄門をやっていたりしたから
もう500回くらいは見ているのではないだろうか。
同じ黄門の同じ話を4回も見たこともある。

それよりなんだあのコワイ国のエラい親子、
飢餓に苦しむ国だと聞いたがあの親子のまんまる具合はどうだ、
初代はまだあそこまでまん丸ではなかったが
3代目たるやあの若さであのまんまる。
まんまるなのは外見よりも世の中にしてほしいものだ。

それよりデートはトキメキ皆無だったそうだ。
トキメキが無さ過ぎてもう「素」でしゃべれたらしいので
相手の方はうれしかったことだろう。
相手は男ばかりの世界に棲息し
生活は寮、しかもそこにはテレビはなく、ネットも禁止されているそうだ。
そういえばメールも一日1~2通が限度らしい。
そんな禁欲的な生活態度を強いられている相手は精神力も強いらしく
娘が「お友達としか見れません」と決めつけても「それでもいい」と
次回のデートの約束をとろうとしているが、どうなることやら。

そんなことより今日は柚子のジャムを作ったぞ。
ご近所さんから分けていただいた柚子、冬至の風呂だけに使うのはもったいないので
ジャムにした。
ホウロウ鍋を出すのが面倒だったのでステンレス鍋で煮たら色が悪くなってしまった。
でもうまい。
普段めったにジャムを食べない私だが、柚子のジャムは美味しいので
いつの間にかなくなるのである。
ゆずジャム