小説を書くこと読むこと

出来事から
05 /28 2012
リクエストをもらえれば、それに沿って小説を書いてくれるというので
私の読みたいものをリクエストしたら、(やっぱり)いじわるだ、と言われた。

私は掛け値なしに意地悪な人間だと思うが
リクエストは意地悪をする気持ちも、無理難題を吹っ掛ける気持ちもなかった。

私はまず、自分の読みたくないものを考えた。
仮にその原作小説を漫画化したとして、
漫画になっても全然違和感のないものは、読みたくない。
もしそんなものならば、私は最初から漫画を読む。
漫画の方が読むのは早いし楽だ。
文章でしか描き得ないものがそこに存しないならば、そんな小説など私は読みたくない。

それと、私はキャラクターだけに頼った小説は読みたくない。
だから美男も美女も出てくる必要はない。
登場人物は美男でなくても美女でなくても全然構わない。
読んでいるうちに登場人物が魅力的に思えてきて
読みたい気持ちがどんどん引っ張られていくくらいの方が、読書体験としては幸福だ。

セリフだらけの小説は読みたくない。
セリフで話が進んでいくくらいなら、いっそ戯曲や脚本を読む。
三島由紀夫や森鴎外のごとく、ぎっしり書きこんで欲しいとは言わないが
セリフでスカスカな小説は読み手のレベルを低く設定しすぎだ。
地の文とセリフとの不協和音に関しては、もう蹴り飛ばしたくなるほどいやだ。

(例
午後からの雨は渋谷の街の軽薄な空気を押し流していく。
憂鬱という漢字をスマ―トフォンで調べてから、テーブルの上に指で書いた。
もう、賢治と会うことはない。
そのアドレスを消す勇気が持てさえしたら。
スマートフォンが美由紀の手から上にふっと引き抜かれた。
「みゆき~マジうっとぉしぃんですけどぉ、アタシ削除してあげるしぃ!」
「うわぁ、サキじゃん、誰かと思ったょ、それやばいっしょ、それないっしょ!」

・・・・ああこの落差。こんな小説読みたくないけど素人さんにはいまも見かける)


とまぁいろいろ負の要因を考えてからこうリクエストしたのだった。

美男美女なし、セリフの多すぎるものはNG
恋愛モノや学園物は個人的に嫌いなのでこれも嫌。
枚数は原稿用紙400字換算ならば100枚以内(これは短編の範囲だ)
テーマは「人間の精神の回帰・回復」とし、
願わくば、実物大の人間の苦しみ、葛藤、矛盾、内面の闘いを描き、
それらを経てテーマにたどりつくようにと注文した。

・・・・これはそんなに難しい注文だろうか?
正直な事を言えば、私はそれほどこれを難しいものとは思えない。
むしろありふれた小説のテーマではないだろうか。
この手の物語は本当にたくさんたくさん存在するのだ。

ヴィルドゥンクスロマンの本場、西洋にはことさらに多いが
日本にもずいぶんたくさんある。
下村湖人「次郎物語」、山本有三「路傍の石」、井上靖「あすなろ物語」
灰谷健次郎「兎の眼」や壷井栄「二十四の瞳」もそうだ。
実篤の「友情」や志賀の「暗夜行路」、
あさのあつこや重松清もヴィルドゥンクスロマンをたくさん書いている。
露骨に言えば
主人公がくじけずプラス方面に成長して行く話というだけである。

注文された側のお友達は「全然読みたくない内容」だと感じたそうだが
私はその系統の話が好きなので、書いてくれればきっとじっくり読む。
そこは約束できる。絶対だ。


さて、私も過去30代のはじめ頃、小説を書いていた時期があった。
二年ほどだろうか、同人誌にも所属していた。
同人誌では批評会のようなものもあって、私が言われることはだいたい決まっていた。
「文章が固い」
「キャラが立っていない」
「読みづらい」。

表現者というのは自信があればある程バカになるらしく、
ケチをつけられての取っ組み合い、殴り合いなんてこともしばしば起こった。
もちろん私は批判を謙虚に謹聴していたいい子であった。

書くことは私にとっては血の為せる業であるので
それはもちろんたいそう楽しく、充実した日々であった。
24時間小説のことばかり考えていた。
物語の展開もさることながら、推敲して推敲して推敲して
納得いくまで10回でも20回でも書きなおした。
1000枚以上の小説を最後に書いて、私は同人誌の世界から抜けたのだが
それに費やした労力は生半可なものではなく、
すでに無理に無理を重ねて壊れていた私の体は、ついに死ぬ一歩前まで行った。

死ぬかもしれないと思いながらも、
書くことが楽しすぎて辞められなかったが、
ある日まだ小さな娘の前で倒れて意識を失い、以来筆を折ったのである。
私の存在は、小説を書くためにあるのではなく
家族のためにあるから、というのがその論拠であり
今もその意思は続いている。

最後の長編は同人誌で珍しく非常に褒められた。
メジャーな出版社勤務の同人に
「これだけ書ければすぐに本になる」と言われたのが最後の勲章だと思っている。
思えばその長編もヴィルドゥンクスロマンであった。

書いてくれるという人に「書いて書いて」とお願いしながら
ふっと自分も同じように書いてみようかな、と一瞬思ったことを白状しよう。
だがいまはその気持ちもきれいに掃除された。

先ほどNHKBSでオースティン原作の映画を放送していたので
なにげに見てしまったのだが、それがおもしろかったのだ。
原作をぜひ読みたい!
(映画「いつか晴れた日に」=小説「分別と多感」)

ジェーン・オースティンの小説は「自負と偏見」しか読んだことがないが
それはもう名訳の力もあってめっちゃくっちゃにおもしろかった。
ちなみに世界十大小説のひとつである。

(実は「自負と偏見」はセリフだらけの小説である!!
ぎっしり書き込んであるけれども。
そういえば同じく世界十大小説「カラマーゾフの兄弟」もセリフだらけだ、
恐ろしいほどぎっしり書きこまれたセリフだらけだwww)

今は小説を書くより読む方が、きっと楽しい。
小さな世界に住み、もう50歳にもなる私には
世の中の多くを見せて教えてくれる読書の方が魅力的なのである。
(しかも読み過ぎて体を壊すことはまずない)



スイトピー

庭で咲いたスイートピー。赤いスイートピーってあんまりカワイクナイ


スポンサーサイト