おじさんはせつない

いろいろ感じたこと
06 /01 2012
昨日の朝、まだ6時になったばかりだったと思うが
私は家とフェンスの間に作った狭いボーダー花壇にしゃがみ込んで
雑草をポチポチと抜いていたのだった。

フェンスの向こう側には、
農業用水路にふたをして作られた歩道があるが
この道は地元の人以外はまず通らない。
その道を50代なかば過ぎの男性が
ブツブツ何かを言いながらゆっくりゆっくり歩いてきた。

近所に住んではいるものの、よくは知らないおじさんであった。
うちの薔薇が咲こうが、クレマチスがフェンスいっぱいに咲こうが
見向きもしない癖に、庭の椿が咲きだすと
かならず毎朝歩みを止めて椿を見つめて行くという
特異な行動を示す人である。

今は薔薇の季節、クレマチスもまだ開いている時期であるから
おじさんは当然うちには目もくれない。
私がフェンスを隔てたすぐ真横で、土いじりをしているとは
気づきもしなかったのであろう。

道を見つめながらまるで念ずるように、そのおじさんはつぶやいていた。

「かあちゃんがいいというならそれでいい、
子供がいいというならそれでいい、
家族がいいならそれでいいんだ、

かあちゃんがそれでいいならいいんだ
家族がいいならそれでいいんだ」

おじさんは同じ言葉をずっと繰り返しながら、歩いて行った。
その背中が道の向こうに小さくなっていく頃
私はシャベルを持ったまま、ようやく立ち上がった。
せつないなぁ、と思わず声が出た。

毎朝この道を通って会社に通うあのおじさん、
春夏秋冬、似たような背広を着て、くたびれた鞄を下げて
ときどき煙草をくわえ、ときどき携帯電話をいじっている、
まったくごく普通のひと、どこか近くに住んでいるのだろうご近所さん、

椿の花のときだけうちを見つめて行くあのおじさんのことを
昨日はじめてちょっとだけ知った気がした。
あのおじさんには奥さんと子供がいて、
奥さんをかあちゃんと呼んでいる。
そしてあのおじさんは、
家族のために(もしかしたら自分自身では納得できないことでも)頑張っている。

おじさんたちは切ない。




(だからたまには大切にしてあげようね、臭くても腹が出ててもはげてても)


これ神保町の本屋では一時かなり売れていたね

初の民間人校長になったあの人の本、言いたいことがうんとある模様




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母の裁縫箱

いろいろ感じたこと
06 /02 2012
ぎちぎちに物が詰められた押し入れから、母の衣装ケースを引っ張り出すためには、
上に重なった布団や毛布をよっこらせとひとつずつ下して
足元に置く場所もない狭い私の部屋の真ん中にでんと在るベッドの上に
バランスに気をつけながら重ねて置いてゆかねばならない。

くそ狭い団地に40年も住んだ母の荷物の大半は衣類だったが、
本人の記憶力がまともだったときでさえ「私は着るものがない」と
大量の衣類を所持している自覚を持ってはいなかった。

持っていないはずはないのだ。
確かに母は経済面で非常に苦労させられた人だが
老舗の百貨店の婦人服売り場に二十年以上も勤めれば
箪笥の中に衣類が増えない方がおかしい。

数えたことはないが100とか200とかいう枚数ではなかった。
私はそれを9割がた燃えるゴミに出した。
母が入るグループホームには、洗濯機で洗える衣類以外は
持って行ってはいけない決まりだったからだ。

苦しいやりくりの中からなんとか貯めて
やっと買ったであろう毛皮のコートもゴミに出した。
母の荷物を衣類を含めほとんどを捨てた折は、
私はとにかく感情にふたをして、こころを一切動かさないように努めた。
鏡台の前で、上品な衣装を着た母がその姿を確かめるように
あっちを向いたり、こっちを向いたりしている様子など、
絶対に思い出してはならなかった。

現在、母に残っている衣類は
いま私が半ば腹を立てながら引っ張り出そうとしている
衣装ケースひとつと、
グループホームにある小さな衣装引き出しの中にあるもののみとなった。
しかもそれら衣類には全部大きな太い文字で名前が記入されていて、
まともな時代の母ならば決して着なかった、
毛玉の浮き出た安物の合成繊維のトレーナーまで含まれている。

高級で見栄えが良くても家では洗えないブラウスやスラックスよりも
毛玉が出ようが染みがあろうが、きちんと洗濯されて清潔な
ゴムのズボンとよれよれのトレーナーのほうがいい。
と、グループホームに指示された時も
私は湧き上がってくる感情を抑え込んだ。



私のベッドの上に、
押し入れから出された布団やシーツが次第に高く積み上がっていく。
目的の衣装ケースまであとひとつ、母の裁縫箱を取り出せばよいだけだ。
まったく季節が少し動くたびに
あれを持ってこい、これを持って帰れとホームはうるさくてかなわない。
たかが衣装ケース一箱、母の暮らす部屋に置かせてくれれば、
いちいち呼び出されずとも済む。

もっとも、認知症の母はすでに季節感がないから
真夏にフリースを出して着る可能性も無くはない。
母はボケてもなおやはり着道楽らしく、好き勝手に服を出しては着替えてしまう。
しかもデパートの婦人服勤めのテクニックが災いして、
一度着たものも洗濯後のようにきちんと美しく畳んで
引出しに戻すからたちが悪い。
職員さんがたは母の引き出しの衣類の匂いをひとつひとつ鼻で嗅いで
洗濯するか否かを決めているらしい。

最後の邪魔もの母の裁縫箱を手に取った。
はて、私はなぜこの小さな裁縫箱を捨てずに残しておいたのだろう。
ああ、ホームに持って行ったからだ。
ホームに持って行ったけれど、しばらくして持って帰って下さいと命ぜられたのだ。
そして私は持って帰ると、そのまま押し入れにブチ込んでいたのだ。

やれやれと私は母の裁縫箱のふたを開けた。

小さい小さい子供のころから見慣れた母の裁縫箱の中身。
緑色の小さな針山は私の家庭科で使った針山のお下がり。
糸を通されて首飾りのようにつないである小さなボタンたち。
3色のチャコ。ペンシルではなくて板タイプ。
糸が通されたままになっている針が数本。
いま時はもう珍しい球形の頭の付いたまち針。
短いゴム紐、折った広告に巻かれた白いゴム紐は長いほう。
私の旧姓のままの名前がひらがなで書かれた、くけ台用かけはり。
銀の指抜き。
安田生命でもらったお裁縫針セット。
コンパクトから外れた鏡の周囲を赤いレース糸で編んで囲った小さな手持ち鏡。
鏡はとうに曇って、指でこすってもしろい汚れは落ちない。
飴玉の入っていた小さな缶には母の手で「ボタン、スナップ、チャック」とある。

この裁縫箱を買ったのは小学生の私と姉だった。
駅の東武ストア―の2階の階段横の売り場に飾ってあった裁縫箱。
お菓子の缶に針や糸を入れて使っていた母にと姉妹で買った。
母はお菓子の缶から中身を一つ一つ丁寧に裁縫箱に移したが
大きな裁ちばさみだけは四角い裁縫箱には入らなくて
相変わらずお菓子の缶のなかに入れられていた。



「どうして変わっちゃっんだろうなぁ。
どこへ消えちゃったんだろうなぁ。

ママはどこへ消えちゃったんだろうなぁ。
どこへ消えちゃっただろうなぁ」


こころがずんと押されたようになり、喉に熱い塊がこみあげてきたが
それを抑え込むように深呼吸をして、裁縫箱のふたを閉じた。
裁縫箱はゆっくりと私のベッドの枕の上に置かれた。
それから、衣装ケースに手をかけた。

ことり

いつもよりやや詳細に書いてみた。
これは日記だけれども、私が小説書くとだいたいこんな感じの文章になると思われ

朝の空

こころ
06 /04 2012
朝からいろいろな人のことばがビンビンと響いてくる。

見つけ出した喜びに子どものようにはしゃいでいる人。
寂寞と悲しみ、虚無にとらわれて茫漠としている人。
着実に誠実に一日を開始した人。
朝から子どもや亭主を怒鳴りつけては忙殺されている人。

それから
昨夜抱いた暗澹たる自己否定、自己嫌悪を
朝の美味しいコーヒーで飲み干してしまう人。

そうだ、それが一番いい。
昨日のケンカも、失敗も、失恋も、悔しさも、
朝食と一緒に食べてしまう。

きれいに食べきってお腹で消化できれば満足この上なく、
全部食べきれなくても、確実に食べた分だけ減っているのだ。

とにかく顔を上げる。
朝の光に顔を上げる。
背筋が少しだけのびる。


「さぁ天を見上げなさい」


私には創世記のこの言葉がふうっと心に浮かんでくる。
それから同時にもう一つ、


「突きぬけよ」


というカール・ヒルティのこの言葉も。


朝は神様のめぐみ。
朝の光はもっとも人々の顔を空に向けさせる。

ひらけ、ひらけ、心。

それからぐんぐん、突きぬけてゆけ。




朝の空

田んぼに映る朝の空。
これは田んぼに水を入れたあとだろうね。
会社周辺の田んぼはもう稲を植えられて、もう少し育ってる。
田んぼって様々な時にとても美しいよ。
「つばめのおつかい」さんより

ケンカを吹っ掛けられた

出来事から
06 /05 2012
突き抜けると言うほどのこともなく平和な朝で
今日こそ布団を夏のものに変える決心などする。
(シーツ一式大洗濯なのさっ!)

さて昨日あんなうすぼんやりした日記を書き、
心穏やかに過ごしていた午後、それは起こった。

会社の備品のために使っている出入り業者が
私とケンカをするために来たのであった。

原因は一方的に向こうにあり、それは相手も認めるところである。
で、私がそれをかなり嫌な言い方で非難したことに
相手が非常に腹を立てて、文句を言いに来た。

相手を商人だと思ってずけずけ言った私の失敗かもしれない。
相手は商人であることよりも、「俺はこういう人間だから」と
平然と言ってのけるタイプであった。

「俺はこういう人間」という意味の裏にはなにが隠されているのか
具体的なところはわからない。
ただ、「大人しく言われっぱなしで済ませる男じゃない」とか
「相手が誰だろうとそこまで言われる覚えはない」という意志のほかに
「俺はこうみえて元暴走族」とか
「このあたりじゃ有名な元ヤンキー」とか
そういうニュアンスを彼が与えていたことは間違いない。

彼は扉の一方に片手を張りつけ
彼自身が私に対して大きく見えるような姿勢を取って
いわゆる「怒鳴る」声のレベルで私に向かい合っていた。
彼の顔は怒りで赤くなっており、
扉の上部にかかっている彼の腕は、怒りのために震えてさえいた。

場所は自宅ではなくて会社の事務所前。
事務所のおばさんが30代半ばくらいの男にカツアゲ、恫喝の類を
されている図を想像していただきたい。

しかしながら、その姿を目撃している人々は、一向に私を助けに来ない。
夫でさえもちらと遠巻きに私を見ただけで
自分の仕事を普通にやっている。

後で聞けば、相手が一生懸命に、持てる脅しの技を披露しているのに、
私の顔が一向に怯えていなかったため、助ける必要はないと感じたのだそうだ。

怯えていないどころか、怒っている人が最も嫌うあの顔
『はぁ? この人なに言ってんの? わけわかんない、馬鹿じゃないの? 
という感情をもろに出した顔』
をしていたそうである。

一般大衆、常人のレベルでは、私を恫喝してきた彼の怒りは
かなり怖い、女性なら泣き出す人もいるくらいのものであったろうと思う。
ただし常人のレベルではである。

私の父は妄想性演技性のパ-ソナリティ障害であったため
その怒りレベルと脅しの技術にかけては、常人をはるかに超えていた。
おかげで大人になって周囲の人が私に激怒した場合も
「この人本気で怒ってないよな」とか
「怒られてる気がしないな」などと余裕が持てる。
(いいんだかわるいんだか・・・)

「あの上司は怖い」「あの先生は怖い」と評判の怒り上手であっても
常人の域を超えた怒りと脅しの執着パワーには絶対に届かない。
父に似た症状の人々は自分の利益目的のためなら、
人の心を粉々に砕くことも辞さないし、それは彼らには普通のことのようである。

こういった場合、一番の被害者は家族や子供だ。
被害者たちの心は複雑骨折を繰り返して変な形に接合し、癒着し
次第に自身のコントロール能力をさえを失ってゆくこともある。
そのぎりぎりの段階で、人はこれ以上の複雑骨折を避けるために
心に切断手術を決断する。
(最近、高嶋弟の離婚裁判があったが、どうもお相手に
特殊な人格の障害が見える気がしてならない。
高嶋弟は「芸能人という仕事を失っても彼女から逃げる」と断言したそうだが
彼の選択は正しいと思うのだ)

要するに私は「馬鹿にした表情」すら浮かべて
取引業者の凄みにも脅しにも一向怯えなかったのである。

相手が仕事やその他多くの利益やこれまでの絆などをうちやって
「壊れよ!」とばかりに完全に開き直って怒り狂えば
私は恐れたかもしれない。
なぜならその手の怒りこそが私の父や、それに類似した障害を持つ人々の
怒りと同類だからである。

しかし自分自身の人間としての尊厳や、周囲との関係、利益、信頼と言ったものを
完全に葬るくらいの覚悟で怒ることは普通の人には滅多にない。

さて、結局この件はどうやって落ちがついたのかと言えば
向こうは怒りを燃え上がらせるだけ燃え上がらせて、
その始末に困り、ひとりの職員の前に土下座をして処理をした模様である。
(私は土下座されるのを拒絶したので、そちらでやったようだ。
ちなみになぜ土下座が出てきたのか全然わからない。
ただ、どうせ土下座するなら、乾いた地面ではなく
ドロドロのぬかるみでやるくらいの勢いでやればよかったのにと思う)

そして昨夜の私と夫の会話。
「妻がよその男に怒鳴られててなんで助けに来ないの」
「君は大丈夫だと思った」

「殴られてたかもしれないのに」
「そしたら警察を呼ぶ」

「そこはとりあえず助けようよ、妻なんだし」
「面倒くさかった」

まぁ、夫が出てきたらもめ事の拡大は免れえなかったし
夫らしい処理ではあるが、
心配されないのは少々複雑である。

ちなみに私がその後くどくど申し立てたため
「その業者とは最低限のつきあいにするよ」と
夫はとりあえず(その場限りだと思うが)言っていた。


さて、晴れてきた、布団が干せそうだ、動こう。


この手の本のなかでは有名

 

両方ともに有名で痛ましい。本書を読んで救われた人々も多いそうだ


私の嫌いな入院患者

こころ
06 /10 2012
ちょっと思うことがあって、書いてみる。やや強め。
演繹的。まとまりなし。


私は前向きではない入院患者が嫌いである。
私の嫌いな入院患者ベスト3は以下のとおりである。

1、もう死ぬと勝手に決めて、ひたすら暗い顔をし周囲まで暗くする患者。
「実は大した病気じゃなかった」という落ちで
ドラマや芝居にはよく見られるパターンだが
実際重たい病気の患者がそれをやっていると、全然救いがない。
重たい病気であっても、全員がすぐ死ぬわけではないし
助かる可能性があろうとも、「今すぐ死ぬ」かのように鬱々としてあるいは恐々として暗い。
私は入院中にこの手の患者と山ほど同室したが
何人遭っても嫌いなタイプだった。
自己憐憫には虫唾が走る。

2、今日も明日も明後日も、仕事休んで、日常のことは後回しにして
病院に世話に来いという患者。
世界が自分中心になってしまう病人特有の心理。
それまで他人の病気見舞いにも行かず、
仕事を休んで面倒を見てくれなどと言われたら耳を疑いかねないタイプが
実際に自分が病気になると平気でそれを要求することがある。
私などはそういう奴の尻を蹴り飛ばしてやりたい口なので
近づかないほうがよい。

3、行くと言われてもいないのに、面会者が来ると思い込んで
朝から待ち続け、来ないと言って怒る患者。
これも入院患者には頻繁にみられるが
いじけて泣くとか、しゅんとするくらいならまだいい。
上述の1とも2とも重複するが、
「自分はもうすぐ死ぬんだからなにを置いても会いに来て当然だ」という理屈で
「なぜ来ないんだ!」と人づてに電話をかけさせたりする患者。
世の中そんなに甘くない。
どうしても外せない仕事してるときのあんたにそれが出来た?
と突っ込みと嫌味を言わないために、私には忍耐と抑制が必要である。

それでも上述の患者たちは一応同情されて「かわいそうに」と
優しく扱われるだろう、病院で看護師や医者には。
だが実際、その現場にいると看護師、医師たちの優しさが
心底からではなく、あからさまに上っ面であると気づく場面にたびたび出会う。
梅ちゃん先生みたいに優しい人ばかりは
現実の病院には存在しないと思ったほうがよい。
なぜなら死に近い患者はその患者一人ではないことがほとんどだから。

さらに、もっと死に近い人が
苦しくても看護師に笑いかける人
痛みに耐えて愚痴らぬ人であったりすると
看護師でなくてもそちらの患者に真実の気持ちが行くものだ。


病院で入院しているうちに死ぬならどっちにするか。

α、わがままを決め込み、周囲を目いっぱい巻き込んで、迷惑がらせて、
徹底的にこき使って、いい加減にしてほしい、とっとと終れ
などと思われ、死んだらみんなにホッとされる。

β、死が近いのにニコニコ笑って、苦しみや痛みにもじっと耐え
周囲の人にごめんね、ありがとうを言い、
ときどきジョークまで言って、自分で出来ることは出来る限り頑張ってやり
なんて明るい患者さんだろうと、人々に衝撃と感動、影響まで与えて、
死んだときにはみんなが悲しみ、すごい人だったとあらためて偲ばれる。

点取り虫とかいいカッコしいではないが、可能なら私はβを希望する。
よく見られたいからではなく、α、のような終わりかたでは
人生の最後に苦しみと痛みと憎しみしか残らない気がするのだ。

幸運にも私は、βに近い選択を行った人たちにも何人か出会ってきた。
幸運にもと書いたのは、その出会いがまさに
私にとってとても意義深い、感謝すべきものだったからである。
私がβに憧れるのは、それらの人々の影響だ。

ところで不思議なことにそれらの人々には共通した点があった。

「透明感」である。

高村光太郎が詩に書いていた、まさにこんな感じ。


「あなたはだんだんきれいになる」

をんなが附属品をだんだん棄てると
どうしてこんなにきれいになるのか。
年で洗はれたあなたのからだは
無辺際を飛ぶ天の金属。
見えも外聞もてんで歯のたたない
中身ばかりの清冽な生きものが
生きて動いてさつさつと意慾する。
をんながをんなを取りもどすのは
かうした世紀の修業によるのか。
あなたが黙つて立つてゐると
まことに神の造りしものだ。
時時内心おどろくほど
あなたはだんだんきれいになる。


私が透明感を感じたのはやはり女性だった。
癌がすでに骨、あるいはリンパまでも侵し、
治療はもはや痛みどめのみ
入院は合併症の処置に必要な数日間だけという人たちだった。
(お腹にたまった水を抜くとか、
尿が出なくなって人工膀胱をつけるとか)

もうやることはないのよ。
と彼女らは淡々と言った。
悲しみや切なさ痛みは常にその人とともに在るのだろうが
それら透明な人たちには、他者に理解を求めたり
同情を乞うたりする依存感情がまったく感じられなかった。

か弱く、細く、命のはかない、女という名の生き物が
やせ細ったからだですっと立っている。
目は悲しみを見せつつも静かに深く、
背負いきれないはずの重荷を一人で背負っている。
ああ精神的ということばは
こういう人たちのためにあるのだ。


ひっそりと、勇敢に、とても静かに一瞬一瞬と闘っている人が
人間として尊敬に値する人が
病院と言う建物のなか、いましも身近にいることを、
世の中の人は知らなすぎる。

クローバー

どこにでもある花・いい写真は全部blue-greenさんのもの



食べ物で例えると

本にまつわる
06 /13 2012
最近電車に乗ることが続き、
乗車前に「ぱっとつかむ」感じで買った本が2冊。
書評も各方面でそこそこよかった。

どちらも読みやすく、
ポテチのようにさくさくパリパリ進んでいって
あ~、もう無いわ、はやいわ、空っぽだわ、という感じで読み終わった。

1冊700いくらもしたのに、飛ばし読みすらしないで3時間もかからない。
評判がいいと聞くとおり、おもしろかったので
ポテチのように食べ終わるまでさくさくパリ・・・ってもう書いたな。

・・・・・

・・・・・・

・・・・・・・・ポテチでもいいという人はそれでいいのだ。

小腹に物がはいればそれでいいという人はきっと満足なのだ。

でもポテチはポテチ。
コンソメだのり塩だと味は違っても、私にとってポテチはオヤツ、
あるいは、油脂と塩分と炭水化物とタンパク質でカロリー高めの、
ただのお菓子でしかない。

私は基本的にきちんとした食事が好きだ。
炭水化物タンパク質はもとより、ビタミンミネラル食物繊維
複数の栄養素をバランス良く含んでいればいるほど素敵で
それが美味しく調理され、さらに見た目もよく盛り付けられていれば
もう大好きで、うほうほ喜ぶ。

「ご飯をちゃんと食べましたか?」と学校の先生が生徒に質問したとして
「はい、ポテトチップスを食べました」と答えたとする。
それははたして「食事=ごはん」に入るのだろうか。

なにおぅ、
カロリーは高いし、三度の飯よりポテチがいいぜ、という人もいるかもしれぬ。
(いや、きっといるな)
そのような人はそれでよろしい。
栄養の偏ったままでも、食べないよりはずっとよろしい。

私もポテチは好きである、お菓子として。

だが私が「食べたい」と思ったときには

落ち着いた刺身と味噌汁と肉じゃがの定食とか
たまにはどーんとフランス料理のコースとか
気前よくラーメンとぎょうざとチャーハンのセットとか
いろいろなものが目の前に出てくる「食事」を欲しているのである。

ライン

これまで「文学」と「小説」の境目ってなんだろう、
とずっとわからないままに来たが
「食べ物」で例えると意外に面白いのだと気がついた。

「お菓子」あるいは「軽食」か「きっちりした食事」か。

「きっちりした食事」の中にはハンバーグのセットやミートソースといった
サイゼリアで出すようなどちらかといえば軽いものもあり
「軽食」のなかにはケンタッキーフライドチキンのバーレルや
ピザーラのピザという腹にも財布にもこたえるものもある。

なのでもちろん3者をくっきりと区別するわけにはいかないが
「お菓子」あるいは「軽食(ピザーラ、ケンタなど重めのものも含む)」は
「ライトノベル、小説」とし
「きっちりした食事(サイゼも帝国ホテルのディナーも含めて)」を
「小説、文学」ということにしたいと思う。

(やっぱり「小説の立ち位置」はわからん。
だが私はサイゼよりホテルニュー・オータニや椿山荘が好きだね)

余談だが満漢全席レベルになるともはや小説だが文学だかはどうでもいい。
「満漢全席を食べた」というばかりである。

そうだな、今日はクリームコロッケとコンソメスープ、温野菜のサラダ、
というような食事で行きたい。
(置きっぱなしで全然進んでいないコンスタン「アドルフ」を読むつもり。
クリームコロッケ的イメージで行くぞ)



吉本隆明ってところがポイント高く見えるらしい


藤原正彦だから読む人もいる

嫌なババァ

こころ
06 /14 2012
ユニセフから封筒が届く。
私の名前と住所の入ったパーソナルラベルシートが同封されている。
「日々の通信などにお使いいただき、ユニセフ支援の輪を」
などと書かれてあるのだが、私は毎回使わずに捨ててしまう。

仕事以外で手紙を書くのは年賀状以外にはほとんどなくなった。
この手のラベルシールを日々の通信に使う人は一体どれくらいいるのだろう。
わざわざ印刷して送るその手間と費用を
「子供の命を守るために」使ってくれる方がよっぽど良いと思うのは私だけか。

私はユニセフには好意を持っているが
日本ユニセフには同じような好意は持っていない。
黒柳徹子がユニセフ大使でありながら
日本ユニセフと縁をもっていないのと同じような理由からである。

どうせ寄付するならば、
民間団体ではない国際連合児童基金(ユニセフ)にする。
もっともこの数年は、命のパンのために寄付・献金するのが精いっぱいで
食べ物のパンと薬の方にはお金が回ってゆかない。

というわけで日々に節約を続ける我が家なので
読書にお金をかけることはあまり喜ばしくない。
先日ブログにアップした、本を食べ物に例える記事に関して
いろいろとご迷惑をおかけした方々がいるので
誤解のないよう書いておくが
私が「そんなの嫌いだ」とか「そんなの読みたくない」とか
冷たく切って捨てるのは
「本を書いて金を得る人々」の書いた本に関してである。
つまり「作家」や「ライター」、俗にいうプロさんたちの本に
対しての私の考え方である。
(素人さんにそこまで求めるほど意地悪ではない)

さらにはプロが書いて、私がそれを正しい本屋で、
正しい金銭をきちんと支払い買った場合、
私は堂々と批評していいと信じていて、
それに関しては作家本人から文句が出ようと
一切受け付けつないし、同情も持たない。

たとえば先日買った2冊は、他の本と一緒に共ブックオフに消えていった。
700円余りの、まだ新しい本は1冊30円で引き取られた。
これを書いても作家さんに「よくも売ったな」と文句を言われたくはない。
確かに書いた側には気の毒だと思うが、
狭い部屋の本棚に大事に残しておきたいとは思えなかったのだから仕方がない。

「売るとか捨てるなんてとんでもない!」
と私が涙を流して抱きしめて守るほど惚れる本さえ書いてもらえれば問題はない。
だいたいプロは素人読者にいちいち目くじらを立てたりはしない。
(たとえ本心では怒っていても)


書いていて思った。
嫌なババァ。

すごい題名だ、本屋でも結構目立つ

娘をピースボートに乗せたいと思ってた・・・


小沢女房の一撃

出来事から
06 /15 2012
二日ほど前だろうか、夜Twitterを開くと
トレンドに「離婚しました」の文字があって
クリックして見ると
web週刊文春による小沢一郎の奥さんの告白記事であった。

その夜のtwitterで飛べた場所
にはこのように「離婚した」(過去形)と書かれているのだが
14日発売の本誌の見出しは「離縁状」となっている。

13日夜のネットでは各所において
「ついに爆弾キタ」「元女房の恨みイチバンコワイヨ」
「本当ならマジ小沢オワタ」
「この時期になぜこれが出るのか、国家的政治的謀略感」
と、いろいろな書き込みで大いに盛り上がっていた。

私も「明日の朝のニュースが楽しみ」とにやにやしていたのであるが
ご存じのとおりニュースはどこもそれに触れず
ワイドショーさえもが小沢ネタを通過したのであった。

確かにいま、国会では消費税の修正協議うんぬんで大変な時期であるし
大飯原発再稼働問題もある。
そんな最中に、
小沢が「東日本大震災のときに放射能が怖くて秘書と逃げだし」て
「お世話になった方々を見捨てた」とわかり、
それで奥さんは「離婚しました」、
なんて私的なことは騒ぎ立てるに及ばないのかもしれない。

私は消費税を上げられると実際問題的に困るので
反対派の親方が私的なことで政治の表面から消えられたりしてもナニだとは思うが

あの大震災時に
「なぜ故郷岩手に飛んできて、いろいろ出張ってこないのか」と
多くの人が抱いた疑問の答えが出たのだから
もう少し話題に上ってもいいと思うのだ。
(真実ならば、だが)


元女房や愛人の暴露話は、ときどき
男をその地位から引きずりおろす威力を見せる。
それがもとで表舞台から去って行った壮年男性諸氏を
何人も思い浮かべることが出来るほどだ。
今回はこれからどうなるのだろう。
もともと黒いイメージのある小沢一郎だから
これ以上黒が濃くなることはないかもしれない。
とりあえずはこの件に関して、
マスコミ、テレビ各社に圧力が効かないくらいになったら良いなと思う。


それにしても、放射能。

あの人が秘書と逃げたことが真実ならば
あの日の日本は本当に恐怖の試練を味わっていたのだと
あらためて感じる。
地雷を踏んでしまったのか、ぎりぎりのところでかわせたのだろうか。

どちらにせよ、その真実はいまだ国民に知らされていない。


インパクトあるなぁ、人気のあった単行本の文庫化

再稼働には賛成しない









父の日にクソジジイの予感

いろいろ感じたこと
06 /17 2012
父の日。

本当ならばご馳走を作って夫を喜ばせたいのだけれど
彼は大好きな趣味をほったらかして家に帰ってくることを良しとしないし
そんなことを要求されるくらいならば
「なにもしなくていい」というだろう。

なので私はいつもと同じような晩御飯を作る。
趣味の時間が終わり、パチンコにも寄らず
彼が夕方6時過ぎに帰って来て
テーブルに並んだお数を見て不満顔になっても
私は無視をするだけだ。

実は昨夜、夫は娘と私と3人で仲良く居酒屋に行く予定であった。
前倒し「父の日宴会」のはずだったのだ。
しかし夫は「面倒だから」とキャンセルした。
居酒屋に行くと言う予定のためにアルバイトを休んでいた娘は
自分の部屋にこもってひとしきりめそめそ泣いていた。

ここ2週間ほど研究課題のために毎日夜の10時まで大学にこもり
土日は夜中までアルバイトで、
時間的にも体力的にも余裕を失い、気分転換に飢えているのはわかるが
さすがに二十歳を過ぎてこの程度で泣くのは甘ったれが過ぎるので
勝手に泣かせておいた。
それでも30分ほどしたら二階から下りてきて
「泣いてたらますます鬱になるからご飯食べる」と
たくましく夕食を食べ、雨の降るなか犬の散歩に行ってくれた。

娘の方が夫より大人になりそうだ。
なにしろ居酒屋に行きたいと言いだしたのが夫である。
まぁ夫にすれば「父の日」のご本尊が「嫌だ」というのだから
キャンセルが当然だというのであろう。

だが、それでよいのか。

「喜ばせてくれるならこっちの都合に合わせろ」
という上から目線の、かつ非社会的な考え方をするようになったのは、
夫が年をとったせいだ。

「まずはこっちの都合に合わせてくれなけりゃ、喜ぶわけにはいかない」
これは要するに「周囲に合わせてまで~したくない」という言うことだが
ジジイババアの思考スタンスに、この傾向を強く感じる。
おおかたのジジイババアは
年を取って周囲と相和すために必要な忍耐や寛容を失っているのだろう。

(物分かりの良いおじい様とおばあ様も存在するが
その方たちは理性的に努力をしているのか、
あるいは頭の中身は若いままなのかもしれない)

夫がクソジジイになる日は遠くない。
私はクソジジイの勝手に振り回されるような、
そんな都合のいいおばあさんにはならないぞ。
社会性を失ったジジイなんか踏みつけて、
元気ににこやかに、知的に愉快に、ちょっといいばあさんになるのである。


「暴走老人」まさに言葉が表しているね、あ~やだやだ

出てくるおばあさんが魅力的だよね、こうなりたいね

一過性凝り性

こころ
06 /22 2012
凝り性である。

好きなことにだけ、凝り性になる。

子供のころは漫画ばかり描いていた。
あれを一生続けていたら、そこそこうまい漫画描きになったのではないかと思うが、
あまりに安易な考えかもしれない。

中学生当時はルパン三世にものすごく燃え、
ルパン、次元、五右衛門の順に恋焦がれた。
テレビの再放送にはかじりつき
第一部シリーズの全部のセリフが頭に入っていたくらいだ。

高校時代は恋に燃えた。
学年上位だった成績がガタ落ちになり、
受験期さえも勉強どころではなく、
明けても暮れても「好き好き好き」「してしてして」。
誰もいない校舎でやらかしたことさえあるほど
頭の中はピンク色だった。

編み物は入院中に覚え、その後セーターは十数枚は編み上げた。
特に男ものはかなり編んだ。
あの頃のように高度な編み込みや地模様を、
あの頃の細い糸で編んでみろと言われたら即降参する。

ガーデニングが流行り出すと、庭作りに燃えて
数年間は通行人が立ち止るような庭を作り上げた。

ホームページを数個立ち上げ、ブログを書き、メルマガを発行した。
一日中パソコンに向かい、ヤフー検索で一位になるほど頑張った。

そのどれもこれも、現在の私の肥しにはなっている。
だが、そのどれもこれも全部が中途半端、二流三流なままだ。

私には最初の熱情だけはある。
しかし熱情だけで馬力がないから、いずれは力尽きる。
結局一流になるのは、熱情でも馬力でもなく、持続力だと思う。

なにをするにしろ、しっかりした認識だけは失わないようにして、
肩に力を入れず、気持ちを楽に持って、淡々と続けることが一番大切なのだ。
十年二十年三十年でもやり続けられたら、
そのときの私は、なんとかモノになっているような気がする。

それは大変に難しいことだけれども。

ちなみに、料理や掃除に凝り性になればなんの問題もないのに
そういうことには凝り性になれない。
料理や掃除に凝り性になれれば、家庭生活はきっと楽しいだろうになぁ。