夫の友達

こころ
11 /02 2012
郵便局では年賀状を売り始めていた。

今年もまた、来年の正月一日のための賀状を、せっせと書く時期がめぐってきたらしい。

私は毎年、会社の分、義父の分、義母の分、夫の分、そして自分の分と、
賀状を作成する係りになっている。
会社のものは100パーセント、パソコンとプリンターで作り上げ、
筆不精でメモ書きさえ厭う義父のもの同じく機械一辺倒で、
義母は数行手書きできる場所を確保しつつ美しい絵と賀詞、宛名を印刷する。
夫のものは、スポ少で教えている子供たちに使うかわいらしい絵のバージョンと
大人向けのきちんとしたもののふた色作ることになっている。

父親譲りなのだろう、夫も大概筆不精で、可能ならば手紙の類は書きたくない人だ。
「読めればいい」という主義のもとに書かれた夫の文字は、妙な形にくねり、
いわゆるミミズ型、しかもそのミミズが細くてよわよわしい悪筆、
文字の印象から見る性格を推測してみると、
「自信のなさ、不安定感」が読み取れるのではあるまいか。

それでも学生時代は、論文を書いたりノートを取ったりしていたから、
まだ正しい漢字が書けもしたのだが、
幸も命も薄いミミズが、画数省略を飛び越えて
もはや違うぞというレベルまでテキトウになると、
彼自身でも後日判読不能になるほど酷いものになりつつある。

夫はそんな薄命なミミズを駆使してでも、学生時代の友人にだけは、
賀状に数行の近況を書きつけるにやぶさかではない。

彼らはほとんど全員地方出身者であり、
結婚式以降に夫が彼らと旧交を温める機会にあまり恵まれてはいないのだが、
彼ら友達に対する夫の想いは、20数年前の過去のまま
おおらかでさっぱりしていて温かいように、私には感じられる。

その大事な友達の一人が、中国地方のある県から、
関東のある県に転勤してきたのは18年ほど前のことだった。
彼は大手自動車会社に勤め、エンジンの研究などにいそしんでいたのだが、
その彼が移って来たのは、その自動車会社の中古車販売センター、
しかものどかな、どちらかと言えば暇そうな店舗であった。

彼が近県に来たと言うので喜んで会いに行ったが、
夫とその友達が店舗で話しこんでいる数時間、客の一人も来なかったのを
私は覚えている。

「大きな会社ってさ、若いのをいっとき遠くに飛ばして試すっていうよね。
それで数年頑張ったら戻して、ちゃんといい部所に置くんだよね」

若かった私たち夫婦は、単身関東に来ている彼のことをそんな風に考えていた。

彼はその数年後、今度は東海地方に転勤になり、
また数年後、北陸地方に動かされ、
子どもと妻の待つ地元に戻ったのは、7年ほど前だった。

先日私は、その友達のことを、なにげなく夫に振ってみた。
「あの人、まだあの自動車会社にいるのかな、本社で偉くなっているのかな」

「今だから思うんだけどさ」夫は少し考えながら答えた。
「30(歳)で飛ばしたときにはすでに、(会社は)お前もういらねぇ、
ってことだったんじゃないのかな」

「・・・そうだねぇ、私もこのごろそう感じてた」

当の友達、彼本人はどう感じていたのだろう。
技術系としては華でもある研究職から一転しての中古車販売業務、
しかも遠方の田舎の暇な店舗に飛ばされて、さらに飛ばされて飛ばされた彼。

年賀状の住所は今、元の通り中国地方の県になっているが
彼が果たしてあの大手自動車会社に職を得ているのかどうかは、わからない。
もしかすると、あの仕事から離れて、別の仕事で頑張っているのかもしれない。

長年の単身赴任だったはずなのに、年賀状に書かれる子供の数は
すでに3人になっている。

この人もきっと、家族のために、妻と子供のために、
精神的につらい気持ちをなんとかごまかしながら、長い事耐えてきたのだろうと思う。

私たちの結婚式のときに来てくれた彼は、まだ20代後半の青年だった。
関東の中古車店にいた彼は30代初めで、そう変わっている感じは受けなかった。
いま、男として父親として夫として、
多くの苦渋を経験してきた彼は、どんな顔になっているのだろう。
若い頃よりきっと、優しい、いい顔になっていると思いたい。

夫はきっとそんなことには一切触れず、いつもの調子で
年賀状に書くのだろう。
「元気にしてるか。まだテニスしてるか、俺はしてるぞ」
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灯油が高くて「どうぶつの森」をあきらめる話

出来事から
11 /04 2012
灯油18リットル1700円という値段を見て思ったこと。

この冬は暖房よりも着こむことを優先せねばならん・・・・・

数年前まで灯油は4ケタ値段ではなかったような気がするのに、
じき、千の位が2になってしまうかもしれない。

もしもそうなったら、日中も氷点下という地方の人々は、どうするのだろう。
埼玉県の我が家でさえもポリ18リットル3缶を10日で消費するから、
ひと月30日としたら、ポリは9缶、
1700×9=15300円というのが単純計算で出てくる。

しかも1700円という値段は固定ではないので
「諸般の事情により値上げやむなく」となれば100円200円の値上がりは想像に難くない。

うちの場合ガス屋さんが灯油の配達をしてくれるので
購入の代金はガス料金と一緒に引き落とされる仕組みになっている。
冬はただでさえ、風呂によるガス代の消費量が多いので
そこに灯油代金が加算されると・・・・・ああ考えたくない。

(こういうときには、頭の中にそろばんも電卓も組み込まれていない
純然たる文系脳みそでよかったとつくづく安堵する。一時逃れなんだけどね)

さて、かように恐ろしい家庭内経済を鑑みれば、
11月8日発売の「とびだせどうぶつの森」3DSなんぞは、到底入手するわけにはいかない。

突然なぜゲームの話かといえば、
実は私のお友達の間で、今度発売されるこのゲームソフトの話題が
ちょこっと上がっているのだ。

このゲームは要するにかわいいキャラクターがうじゃうじゃ出てきて
可愛い自分のおうちを作ったり、魚を釣ったり、お花を育てたり、
買い物をしたりするという、癒し系まったり系のゲームである。

第一弾を2001年に発売すると、口コミでまたたく間に売り切れが続出し、
二匹目三匹目のドジョウとして各ゲーム会社がこぞって類似ゲームを出してきたものの
結局は任天堂が一人勝ちして、どうぶつの森はシリーズ化されたのであった。

ちなみに私はニンテンドーwiiの「街へ行こうよどうぶつの森」以外は持っている。
さらに娘が小学生時代には、娘の留守に私がゲームに熱中して
どうぶつの森カードを大人買いして集めまくったりもし、
完全収集を目指してネットでカード交換の会などに入ったりもした。

だから今回、満を持して3DSで発売されるどうぶつの森が欲しくないはずがない。
しか~し、しかし、今回は見送ろう。
なにせ財布が寂し過ぎる。

「でも、欲しい欲しいんだよ」とぶうたれていたら、
ゲームにおいては私よりはるかに年季を積んだ娘がこう言った。
「じゃあさ、以前やってたDSをもう一度やってみるといいよ。
欲しいものを我慢するとき、これはかなり有効な手段なんだよ」

そうかぁ?

しかし私は昨夜遅く、認知予防の脳トレ終了後、
DSのソフトを入れ替えて、「おいでよどうぶつの森」をやってみたのである。

うわぁ・・・・・きれい。
一面の濃い青の夜空に、街は紅葉し、ゆったりとした音楽が流れていた。

道は雑草だらけで、ポストには別れの手紙が溢れ、部屋にはゴキブリがいたが、
ゲームの中は相変わらず落ち着く世界だった。

私は家の周囲の雑草を少しだけ抜いて、忘れてしまった自分の暮らす街の夜を
るんるんと散歩に出た。

博物館に行って、入り口横の喫茶ハトの巣に入ると、ああ、
なんという幸運。
「とたけけ」ライブだったのである。

そしてその幸運は尽きない。
おまかせでとたけけが歌ってくれたのはあの名曲「おととい」だった。

ああ、もう買わないでいい。
私はまたしばらくこっちを出来ればいい。
そう思った夜であった。


子供が原因の苦情申し入れ云々に関する思考その後

いろいろ感じたこと
11 /04 2012
先週の礼拝後から少し考えている「騒ぐ子供への注意」について、
今日少し思考に進展があったので書いておくことにした。

この話の端緒はこれである。

私はこの苦情申し入れを誰がしたのか、探すつもりはなかったし、
実を言うと勝手に目星をつけていた。
大変信仰心の強い尊敬すべき方だが、少々ファリサイ的な部分を併せ持つAさん、
(ファリサイ的=律法主義的:形式主義を重んじすぎる欠点)
ああまたあの人がやっちゃったのか・・・などと思いこんでいた。

しかし偶然、今日、その苦情を申し入れた人がわかった。

「○○さん(先週泣きながら子供のことで謝った母親)もいろいろあるみたいだから」
と、私が何げなく言ったときである。

「あら、私間違ったこと言った覚えないもの」
と、私の隣に座ったシニアのご婦人が返してきたのである。

えっ、と思った。
このご婦人もまた、ものすごく信仰心の篤い方である。

介護保険などなかった時代、20数年にも渡り体の不自由な母親を自宅で看、
育児家事に一切協力しない夫のもと、子供を3人立派に育て上げた賢夫人なのである。
そしてここで言い加えるなら、介護と育児の重たさから、
母親を殺して自分も自殺しようかと、何十回思ったかしれない人なのである。

だからこのご婦人は困っている人には、本当にとことん優しい。
一緒に泣いてくれ、一緒に喜んでくれる。

その人が先週該当記事にあるごとく、子供がうるさい、と苦情を申し入れた。
そしてその子の母親は泣きながら謝罪した。

詳しい話を注意したご婦人側に聞いてみると、どうも彼女は
なにからなにまで全否定的に「うるさいから静かにさせろ」とやったわけではないらしかった。

一部特殊な事情の場合は、どうか静かにしてほしい、
これは礼儀として守ってもらえないか、というような内容であったそうだ。
たとえば礼拝の説教が、慣れた教会の牧師ではなく、
お客様によるお話であったりする場合のみをさしていた。

教会の主任牧師は子供が騒ぐのにも慣れているので、それが説教の妨げになることはないが、
お客様が説教壇に立つ際に(たいていはよそから来た牧師だが)、
突然嬌声が上がったり、子供が走ったりすると、さすがに非礼である、というのである

うむ、一理あると思った。

しかし、とまた思った。

子育ての苦労も知り、子供のために何十回も泣き、何十回も頭を下げてきて、
子供もきっちりしつけて立派に育て上げた人間ならば、
自分の子供の育て方と同じことを、他人に強要してよいのか、という疑問が
むくむく心に持ちあがって来たのである。

個人的に、私の子供に対するしつけの方針は厳しかった。
たとえば外食中にトイレ以外で席を立つなど絶対に許さなかったし、
それを破れば外に連れ出して叱りつけた。
礼拝中に走る叫ぶなどもってのほかで、
大声を出しかけた娘に手を上げようとして、牧師の奥さんにはっしと止められたことさえある。
(しかしこれで私は数年間礼拝に行かなくなった)

だが、この親としての権力を行使したしつけ方法を、他者に強要するかというと、
出来ればしたくはないと思う。

親御さんが、子供のしつけを真面目に考えていて、
(この真面目とうところに力点があるので注意してね)
可能な限りおおらかに、ゆったりと育てたいと決めていたなら、
私はなるべくそれを尊重出来たらなぁと望む。

子供の育て方にこれといった正しい方法などないと、私は思うのだ。
子供の性格にもいろいろあるし、もしかしたら、
その子供の心や体が普通の子と違う仕組みになっている場合もあるだろう。
それを一切考慮に入れず、自分の経験だけで判断して、
「こうあるべきだ」とやるのは、やっぱりちょっと荒っぽいかもしれない。

まぁ今回の礼拝の件においては、だいぶ納得できたのであるけれども。

(だが苦情を受けた母親の被害感情の大きさを見るに、
まだ考慮すべき点は存在するように思う)

大人の流儀で

いろいろ感じたこと
11 /07 2012
ブログ村に再びやってきてひと月弱ほど過ぎただろうか?
訪問客はというと、ブログ村に入村する前とほぼ同じ、つまり横這いである。
少ないときで50人台多いときで100人台に行くか行かないかというところ。

村に入る前も今も数字の動きがあまりないので、
まめに訪問してくれる方々は、ほぼ決まりつつあるのかもしれない。
多分「げっ」と思ったり「違うな」と感じたりしながら
「ここは流しておくか」という大変大人の流儀を心得た方々なのだと察する。

こういう方たちの訪問が、私は実のところいちばん嬉しい。
何か感じながらすうっと通り抜けていってくれる、そのクールな振る舞いは素敵だ。
(いや、何も感じずに通過してくれる場合でもうれしいですが)

私もそういう大人の流儀をさらっとやれる人になりたい。
理屈っぽいので無理かもしれないが。
(ああ、だれかがニッと笑った)

ちなみにこのブログの簡略の解析機能で見るところによると
このブログにたどりつく検索語句の上位に毎回「緋文字」というのが出てくる。
私のような者が独断と偏見で書いた古典の名作「緋文字」の私見が
yahooでもgoogleでも「緋文字」の検索の最初のページに登場するとは
想像だにしなかった。

実際、「緋文字」という作品の論文やレポート提出に
このブログのつたない文章を利用する人もいるのだそうだ。
あるいは単純に、感動の共感を求めてここにたどりつき、
申し訳なくてこっちが泣きそうになるコメントをこっそり残してくれる人もいる。

あの記事を書くのは正直骨が折れたけれども、いまは書いて良かったとしか思えない。
そのチャンスを与えてくれたレモンの木さん、どうもありがとう。

もちろん、そんなうれしい話ばかりではなく、あまり愉快でない経験もした。
しかしいま思えば、執着さんが執着したくなるような、
反発を招きかねない記事を書いた私自身が短慮だったのだ。

なにがよくて何が悪いのか、そのボーダーは灰色で非常に難しいけれども、
なるべくそういう記事を書かないように気をつけようと思う。

それから恥ずかしいので場所は書かないが、私はもう一つのブログに
いまから15年ほど前に書いたものなどを少しずつ公開している。
ひと月ほど前、久しぶりにそのブログを開いたら、お仕事の依頼が来ていて大変びっくりした。

私のそのブログはとても不人気で、いつも非常にひっそりしているのに
こんなところに書き手を探しに来るひともいるのかと思った。

しかしながら、それは丁重にお断り申し上げた。
私は休んだり興がのれば一気に複数書いたりする、そのやり方が気に入っている。
それにお金をもらい始めると、私は絶対欲を出すから。

さて、このエッセイ枠、どうも毎日書き続けるほどの容量と才能は私には無いようである。
今日もエッセイとはいえない代物になってしまった。

それでも覗いてくださる方々、本当に申し訳ありません。
そして恐れ入ります、恐縮至極です。

では今夜はもう仕舞おう。おやすみなさい。
あ、ゆたんぽつくろ。






平気でうそをつく人たち

読んだ本の感想
11 /10 2012
ブログ村のお気に入り機能が、実はたいして役に立たないことがわかった。
村に入ってよかったなぁと思ったことが、このお気に入り機能だったので、
その役に立たなさを痛感して、もう抜けちゃおうかしらん、と思ったりした。

私がお気に入りに入れてある複数のブログのいくつかの更新が
全然通知されていない。
上位にあるブログの更新は必ず届くのだが、
あまりランキングに関心のない(?)方々のブログは
すでに3記事も更新されているのに一向に通知がないままである。

頼りになるブログ更新通知が欲しい、と思って探してみたら
「ひとくり」http://www.hitokuri.com/ というのがあったのでさっそく登録してみたぞ。
役に立つとよいのだけれど。

さて、先週「はてしない物語」を読んで、その哲学性に改めて感動し。
また性懲りもなくクソ長い考察、私見などを書こうと意気込んだのだが、
すでに死後百年を超え、発見文書も限られているホーソーンと異なり、
ミヒャエル・エンデの思考に関する文書や書籍を知るにつけ、
その姿が巨大過ぎて、私などには到底太刀打ちできないことがよくわかった。

ああ、能力がないのは悲しいことだ。
それでもちょっとは頑張ってみたのだ。
頑張ってみたから、駄目だということがはっきりしたのだ。
そしてやっぱり思った。
書くより読む方がずっと楽だ・・・・・
ちなみにお薦めのツイッターを見つけたので書いておこう。
https://twitter.com/Michael_Ende_jp


というわけで、今回はまったく異なった本を読んで気分転換と思っていたのだが。

「平気でうそをつく人たち」という本を読んだ。

まだ人気上昇中で、話題の書籍を(しかも良書を!)次々出版していた草思社が
評判の悪いB社の子会社になる前、つまり倒産する前に出した本だったと記憶している。

ゴシップ誌の見出しの様な題名なので、本書に偏見を抱いて購入しなかった人もいるだろうが、
これは真面目な心理学の本であった。
「PEOPLE OF THE LIE」というのが正しい題名である。すなわち「虚偽の人々」。

「嘘つきの権化」のような父親を持っていた身の上なので、
発売当時この題名には猛烈に惹きつけられた。
しかし悲しいかな、当時は父親が存命中だったために、購入する踏ん切りがつかなかった。

父親の誇大妄想虚言癖に家族中が引きずり回されていた記憶のまだ古くなかったあの頃に
本書を私が購入して読んでいたら、ずいぶん目から鱗が落ちたことだろう。

本書で扱われるのは、存在しているとしか言いようがないのに、
心理学精神医学では、はっきりと定義されていない概念「邪悪」。

この邪悪とはどんなものかといった内容が、実に恐ろしかった。
邪悪は単に犯罪者にあるというものではなく、
その辺にいる人々、つまり道行く普通のおばさん、電車の中のおじさん、人のいい若者、
頼れる先生たちの中にも平然と、かつ普遍的に存在するということを
実際の治療経験から解き明かしてあるのだが、もうここを読んだだけで、
思い当たること思い当たることが本当に山のように・・・・

私は自分の父が「大うそつき」であったことから、彼を到底善人だとは思えずに来たけれど、
本書の中に出てくるごく普通に存在して、決して邪悪には見えない(けれど邪悪な)人々と比較すると、
父はまだ「正直な悪人」だったのだと思えるようになった。

以降、本書から非常に印象に残った部分を雑に短くして記してみた。
(正確にお知りになりたい方は、本書の該当ページを確認されたし)

世の中には専門家の目から見ると明白に精神障害を抱えていて、絶対的に治療が必要だと言う人間が極めて多い、と作者は言う。
しかも当の本人も周囲も、治療の必要性を一切認めない。
どんなに親身な、どんなに手厚い治療条件が提供されても、それを決して受け入れない。
さらにいえば、そうまでしても頑固に精神科の診療に抵抗するこうした人たちの中には
徹底的に邪悪な人間がいる、というのである。(p86)

邪悪な人々の中心的欠陥は、罪悪それ自体でなく、
自分の罪悪を認めることを拒否することにある。(p94)

邪悪な人間の見せかけの態度に共通する最も多いものが、愛を装うことである。(p144)

邪悪な人たちの病的なナルシシズム〈自己愛)には共感の能力の全面的欠如、あるいは部分欠如がある(p190)

正直そのままそっくり書きたいくらいに、重要な言葉のオンパレードに思えた。
最後の章では、個人(主に夫婦、親子といった関係)から出発して
団体における邪悪の発露について述べられており、これもまた
興味深い。

本書は明言されている通り非常に「危険な本」であるが、
これを冷静に読み、自己のこととして理解でき、
これからの生き方にこの知識を生かせることが出来得るならば、
読むべき本であるように思えた。

本書の感想にまさに「精神医学の専門家もやっぱり偏見に満ちてるな」などと
まず思ってしまう場合は、(特に夫婦関係、親子関係の記事に関して)
少々その思考に、他者への共感性の欠如と、
他者による否定の絶対的拒絶という危険な兆候が、
己に存在するものと考えてもよいかもしれない。
怖い本である。

       「平気でうそをつく人たちー虚偽と邪悪の心理学」
         M・スコット・ペック 森英明 訳
          草思社 1996年2月10日 第6刷発行版
           現在は文庫化もされている

レ・ミゼラブルが

本にまつわる
11 /11 2012
昨日に続き本の話題・・・というか本がミュージカルになり
そのミュージカルの名曲を使ってさらに映画になったというお話である。

「レ・ミゼラブル」である。

レ・ミゼラブルは何度も映画化されているが、どれもミュージカル仕立てではなかった。
しかし今回はあの有名なナンバーがもちろん出てくるそうだ。

ちなみに予告はこれ。


バッグに流れる曲こそ、あのスーザン・ボイルおばさんが歌って
ミュージカル曲のすごさを世に知らしめた「夢破れて」である。

バラ色の頬をした美しい娘ファンチーヌは生れてはじめての恋をして
その男の子供を宿すが、最初からゲームとしか考えていなかった相手の男は
妊娠も知らず姿をくらました。

未婚で母になることがどれほど厳しい時代だったか!
一人娘コゼットを、極悪人とも知らずテナルディエ夫婦に預け働きに出るが、
未婚の母であることを周囲に暴かれ、ファンチーヌはみるみるうちに転落してゆき、
美しい髪、美しい前歯まで売って、コゼットのために金を送るのである。
(実際はろくろく服も着させてもらっていなかったコゼット、
テナルディエの金づるになってしまったんだよファンチーヌ・・・)

そしてとうとう売るものがなくなったファンチーヌ。
「最後のものを売ろう」

うわ~~~~~~~~~~~~~~ん!!
もう書くだけで泣けそうになるのだが、そのファンチーヌが歌うのが「夢破れて」なのである。

・・・というのはある程度ミュージカルを褒めて書いているのだが、
6歳のとき生れてはじめて感動した本が「ああ無情」だった私にとって
こんな程度の描き方で納得できるものか!
できないっ!

映画では描かれるかどうか知らない、ミュージカルでは無視された
「ミリエル司教」の半生(本筋にまったく関係ないけど超感動した私)
「プチ・ガブローシュとパリの孤児」(これも深かった・・・)
「嘘をついたことのない尼さんがジャン・バルジャンとファンチーヌを守るために嘘をつく場面」
なんかを見てみたいけど、ほぼ無理だろう。

ちなみに極悪人、テナルディエ夫婦の娘がエポニーヌ、
この夫婦の間の、いつの間にか迷子になって消えた男の子、
パリの孤児となり、最後にバリケードの中で死ぬのが、プチ・ガブローシュである。
(悪から善を生みだす神様の不思議!!)

原作を読んでいない人は、
エポニーヌとプチ・ガブローシュが姉弟であることを知らないままもありえる。
ジャベール警部が囚人の子供で牢屋で生まれ落ちたことなども
原作にはちゃんと書かれていて、
だからこそ最後に自殺を図ったというその不思議な動機も理解しやすい。

ちなみに、今度映画化されてジャン・バルジャンをやるのがヒュー・ジャックマンだというので
ちょっと嬉しかった。
Xメンのウルヴァリンなんかをやっているが、
あの人はもともとミュージカル俳優、舞台役者さんなのだ。
しかもウルヴァリン以外の役では正直ぱっとしない作品ばかりに出ている気がしていた。

起重機のジャンを演じるには格好の体格、優しさと野生もいい感じだし、
少しだけ期待しているのである。
ちなみに私が帝国劇場で見たときのジャン・バルジャンは別所哲也だった・・・
(まぁ体は大きいけどさ、ジャンの深い苦悩があまり・・・)

公開はクリスマス近くなのだそうだ。
50歳過ぎを武器に、夫婦してシニア料金で観にいってやろうと計画したところである。

それと一番大事なこと、原作のレ・ミゼラブルをちゃんと全部読んだ人で
泣かなかった人、いるのかしら。
感受性の強い人はズタボロになる場合もあるほど、ラストはきつい。

これまでいろいろな本を読んできて、偉大な作家も少しは知っている気でいる(つもりなの)だけれど、
トルストイのすごさをうわ回っているのは、このヴィクトル・ユゴーだと思っている。
この作者はどれだけ世の中を見てきたんだろうと思わずにいられない。
ちなみに世界十大小説を設定したモームによれば
「レ・ミゼラブル」はもちろん候補に挙がっていたのだそうだが、
「面白すぎる」ということで却下されたのだそうだ。
なにその理由・・・・

映画もいいけど、やっぱり原作を読むべきだと思ったりするのであった。






もっといたわれ

こころ
11 /12 2012
先日、誕生日の少し前に、娘がレストランでご馳走をプレゼントしてくれた。
予約は土曜日の昼。

夫は毎週ご苦労にも(道楽ってやつだ)スポーツ少年団のコーチなどをしていて、
娘の心づくしには参加できない。
私は夫がいじけるのではないかと気を使って、
前日の夜は、かなり朗らかに、明るく、元気よくきゃぴきゃぴと
夕餉を和ませるのに心を砕いていたが、
見れば食後の新聞を読んでいた夫の眉尻がきゅっと上がって、
完璧不機嫌な表情になっているではないか。

明るく元気なふりの私はにこやかにたずねた。
「どうしたの」
「声がうるさい」
「え」
「テンション上げ過ぎでうるさい」
「す・・・すみません」

その日以降、私の声は小さくなった。
注意された日とそのあと二日ほどは、夫のいるところでは中森明菜のように
カトンボのごとき声で発声した。
反省したわけではない、あてつけである。

「お前はテンション上げ過ぎるとろくなことがない。
そのあといつも体がおかしくなるんだ」

というのが、あの夜の夫の二の句であったが、それは詭弁だと思った。
夫は夕食のおかずが気に入らなかったに違いない、
そして実際、私の声がうるさかったに違いない、それは潔く認める、
だが、私の体調を心配してかのごときもの言いは、こじつけだ。
屁理屈こねの、言逃れ屋の、手前勝手の
牽強付会、我田引水、三百代言もいいところだっ!

だいたいあの夫は自分の意見はすべて善意だ、と押しつけるところがある。

大うそつきの実父(故人)が倒れた時からひと月余り、
あの夫は仕事にかこつけてただの一度だって、私を助けてくれなかったぞ。
入院した父よりも、認知症とうつ病が一気に発症した母のために、
毎日往復3時間もかけて実家と住まいの往復を繰り返し、
介護保険サービスの申し込み、業者の選定、ヘルパーさんとの打ち合わせ、
はては頭のおかしい母が、私が帰るとかけてくる日に数十回もの電話、
しかも「(父を)殺せ」だの「(父が)なぜ死なない」
「(父が)ここまで私たちを苦しめるのか」と言った
恐ろしい呪いごとの繰返しを数十回、真夜中まで聞かされる私が
疲弊しきってどんどん生気を失っていくのは当然なのに、私の夫は、あの時も同じことを言ったぞ。

「お前が倒れるといけないからいいかげんにしろ」

馬鹿者がっ! 
誰か代わってやってくれる人間がいれば、とっくに頼んでいるっ!
そんなものが誰ひとりいないから、私が一人で駆けずりまわっているのじゃないかっ!
うつけっ! たわけっ! あほんだらっ!
言うんだったら助けろよっ!

と、あのときの恨みを私はいまだに抱えているが、
夫は先日ちょっとした折にこんなことを口走ったのだ。
「俺、お父さんのお見舞い行ったよ、ひとりで。
お前がいらいらしてたから言わなかったけど」

いくら私が認知症予備軍だからって、この申し開きはないだろうと思った。
父は死ぬ前数年に数回入退院をしていて、夫が一人見舞いに行ったのはそっちのほうなのだ。
間違っても死ぬ前の父に会いに行ったりしてはいない。
そもそも父は死ぬ10日前(実はその日はまだ2週間の入院で退院してわずか2日目だった)
心臓発作による意識不明で再入院したのだ、
その後は一般病棟にはいなかったのだぞ、
まったく自分を肯定するのもいい加減にしやがれっ!
厚顔無恥、鉄面皮の思い込み野郎がっ!

あ・・・・・なんか書いたら、少しすっきりしたぞ。
いや、実はいま会社の昼休み、横のソファーに夫が食後の休憩をとっているところである。
夫のいる場所で悪口を書くのは、なかなかこれが気持ちがいいものだ。うふ。

ちなみに、4日ほど前から私の体調は徐々に落ちてきている。
私は体の中に、地下に伸びるアリの道のように、臓器と臓器の間に、あるいは皮膚表面と臓器との間に
道が出来てしまう症状を持っているのだが、
どうも今回、既に使用しなくなって10年過ぎた大腸とどこかの間に
小さな細い道が通じてしまった模様である。
透明な腸液以外が排出されるはずのない私の水戸黄門さんから、
悪臭ある粘液が少量排出され始めたので、それと知れた。

ああ、50を越しても病気は枯れてはくれないのか、
などと愚痴った今朝、夫はふふんとせせら笑って言ったのだった。

「ほら、テンション上げるとろくなことないだろ」

へいへい、あなた様が正しいですよ、そうですよ、はいはい、
だからもっといたわるように。
そこが一番大事なところだから。
そうしたら父の一件は、忘れてやってもよいかもしれない。ぶはは




無慈悲な嘲笑への嫌悪感

こころ
11 /15 2012
街を歩く普通の人たちの中に、
複雑な過去を抱えていたり、凄惨な経験があったりする人が、実は意外に多くて、
もしかすると平和で安逸な人々の方が少ないのではなかろうか、
などと考えることがあったのだけれど、事実はどうなのだろう。

昔は戦争があったから、のんきそうなおじいちゃんや
口うるさいおばあちゃんたちの中に、死線を乗り越えてきた人たちがいるというのは
漠然とながら、わかっていたような気がする。

でもそれらのお年寄りは、特別な仕事を持つ人以外は、
なにかきっかけでもないと、経験してきた戦争の話を
自分から進んで話したがる人は、あまりいなかったように思う。
父も海軍だったが、戦時のリアルな経験談を聞かせてくれたことはない。

あの饒舌で、大うそつきだった父でさえ、語ろうとしなかったあの当時のこと、
語ることすらはばかられ、可能なら忘れたい思いもあったかしれない感情。
それでいて自己の存在のために断ち切ることかなわない現実。

ときに人は、ある瞬間、胸に詰め込み過ぎていたものが破裂して
流れ出してしまうときがある。
それは放蕩になったり怒りになったり涙になったり、あるいは文章になったりもするのだが、
その放出を受け止められる人はそんなに多くない。
可能ならば心理系のカウンセラーなどその道のプロに感情を暴露するのが一番いいが、
そんなに都合よくはいかない。

昔むかし、確かインターネットが始まったばかりの頃だと思うが、
私は掲示板でメル友を募集していた人のところにメールを出したことがあった。
その人は同世代の女性で、気楽な話をなんでもできる人だった。

なぜあんなことを書く破目になったのか、細かなところは覚えていない。
ただ、当時私は食事をしない生活をしていたので、
(消化管の安静のために経管栄養剤で栄養を取っていた)
自分の日常について書き始めると自然とその理由やらなんやら書くことになったのだと思う。

私はずいぶん熱のこもったメールを書いて送った。
悲しかったんだ、辛かったんだ、苦しかったんだ、こんなひどいことされたんだ
・・・・きっとわかって欲しかったのだ。
辛かったねぇ、よく頑張ったよね、と言って欲しかったのだ。

だが、その人から来た返事はまったく違うものだった。
まずため息が書かれていて、その文章から伝わってくるのは
「知りたくないよ」「興味ないよ」「どうでもいいし」「ああそうですか」
といった「やれやれ、鬱陶しいなぁ」という感情そのものだった。

私はとても寂しかった。
存在を馬鹿にされ、嘲笑されたように思えた。
彼女とはそのまま縁が切れた。
だが、まぁこれは私が愚かだっただけだ。

興味のないことに興味を示せ、と押しつけることはよくない。
どうでもいいこと、知りたくもないことを聞かされて、嫌になることもあるだろう。
先日、だいぶ前だが、そういう色合いを感じるブログ記事を書いた人がいた。

ある人の過去の寂しい思い出を読んでの感想に、
その人は自分の過去の経験を比較対象に出して、
「分かってもらおうったって、無理なのさ」と笑い飛ばしていた。

笑い飛ばすことは、悪いことではない。
痛快でさっぱりしていて、見ていても気分の良いことかもしれない。
だが、最初に「分かってもらいたい」と書いたさびしんぼうの人は、きっと
その人自身が乱暴に吹き飛ばされたように思えただろう。

吹き飛ばした側は気付いていなかった。
吹き飛ばす側には愚痴、お涙ちょうだいの情けない記事にしか読めなかったのだろうが、
あれは「分かってもらいたい」と書いた人の繊細な心の痛みや苦しみが、
文章という形で、涙のようにこぼれ落ちたものであったのだ。

自分以外の人間の経てきた過去の苦痛や痛みなど知ることは出来ない。
その人の苦しみの深さや時間の長さや深刻さなど知りもせず、
「分かってもらおうったって無理」と冗談めかした言葉にする、
そのようなふるまいを私はひどく嫌悪し、人として軽蔑する。

世の中は無言のうちに人の苦しみや悩みを拒絶し、追いやり、追い詰める。
苦痛苦悩を磨滅、忘却出来ない人間は、弱者として見捨ててしまう。

だからせめて人間自身は、つらい心をこぼした人の言葉には
寄り添うことができるものであってほしい。
嘲笑したり馬鹿にしたりするくらいなら、何も言わない方が、まだいいかもしれない。









ラッたんと娘

出来事から
11 /17 2012
臨地実習先からの帰り道、各種報告等のために学校に寄って、
その後帰って来た娘の帰宅は午後10時前だったか、
ずいぶんしおれて、もやんとしていて、
なんだか捨て鉢な感じで、妙に依存的な甘えが見えて、
朝ドラの愛(いとし)くんのように顔を上げず、
私にはその「感情のままに凹んでいる」様子が、
なんだか「あんたなに甘ったれてんのさ」的に
不愉快に思えたので、ちょっとツンケンしてやりたかった。

「そういう態度やめな!」と
説教してイジメてもよかったが、娘を追い詰める母の例をここ1年多数見聞きし、
その被害が心理的に甚大な傷を与える事実を知ったので、ここはぐぐっと忍耐して
せっかく用意してあった親子丼の材料などを冷蔵庫に入れ、
(「いらない」とキャンセルされた!)
穏やかさを装って、ちょろちょろと声などかけて見る。

娘が切れ切れに、鬱々と答える。
なんだか脳が冴えきって眠れそうにない。
気持ちがイガイガしてる。
もうなんだかなにもかも嫌になっている・・・・そうだ。

「なんだよ、感情の命ずるままにマイナスぶってるんじゃねーよ、
早く犬の散歩行けよ・・」と言いたいところをさらに抑え、
うん、どうしたの、どうしたの、と徹底的にやさしい母を演る。

実習先ではさして問題はなかった模様。
では帰りに寄った学校でなにか?

「ラッたんがいなくなってた」

ラッたんとは、白く小さな体に赤い目のラット、
学校で実験用に飼っていたラットである。
4人のグループに1匹を与えられ、その世話は交互に全員が行っていた。
ここ半月、娘は授業のない日も、往復3時間かけて学校に行き、
ラッたんにえさをやったり、ゲージを掃除したりしていた。

実験に使うために飼っているラットとわかっているから、
決して心を許さぬようにと、娘は強く自分に言い聞かせていたのだが、
動物を慈しむ彼女の性質に、それは不可能だったようだ。

娘のスマホにラッたんの写真が増えるにつけ、
おいおい、それまずいだろうと注意してきたのであるが、
小さなラットを手のひらにそっとくるみ、
そのやわらかさ、温かさ、コショコショ動く小さな足の感覚に、
愛着を持たずに済ませることはできなかったのだろう。

そのラットが昨日、実験で使用された。
娘は以前からラットを使う授業の日を知っていて、
その日に臨地実習に行けることでホッとしていたのだが、
いざ空っぽになった飼育室のゲージを見ると
脳内に住む感情の審判が叫んだのだろう。

「アウトーーーーーッ!」

まぁ、気持ちはわからんでもない。
娘が獣医師への志をぽっきり折ったのは、その手のことを要求されるのに
耐えられそうになかったからだ。
(今思うとその道に進んでもらわなくて本当によかった。うちが破産する)

娘が極度に動物愛護精神を身につけてしまったのは
最初に犬を飼いたいと言ったこの私の責任であるが、
牛丼が好きだとか、とんかつが食べたいとか、
鳥の唐揚げ大好物とか平然と言う娘に、あれこれいう資格はなかろう。

失血死させられる牛豚などより、ラッたんはまだ楽に意識を失い
「医学・公衆衛生学・薬学の進歩」「人類あるいは哺乳類の生命維持」のための
尊い犠牲となったのだと忘れてもらうよりない。

(これもまぁ詭弁のような気もするが。
ちなみに過度の動物実験には反対する!
動物実験は最低限必須というレベルでお願いしたい・・・
あ、でも北里大獣医にはかつて卒業まで動物解剖などに最後まで拒否を貫いて、
各種困難をくぐりぬけ見事卒業した獣医がいたって話を本「犬部!」で読んだぞ。
その根性は凄い! もはや尊敬のマナコ! ちなみに犬好きには超オススメ本です!
って話がそれてる)

ちなみに今朝起きた娘は元気に学校に通った。
眠れたかと聞くと、湯たんぽがあったかいからすぐ眠った、と返ってきた。

あれだけ凹み切って、自殺でもしそうだったものが、
湯たんぽで回復できちゃうわけか。
ああ、若い娘の感情の移り変わりの忙しさったら。

まぁそれでいい。
そのくらい、変わり身早くなくっちゃ女はやってられないさ。


選挙にからめてあれやこれや

出来事から
11 /20 2012
選挙がいくつも重なって、投票箱が足りない地域があることは
ニュースでやたらに報道されているので、各人ご存じのことと思う。

で、夕方のニュース番組を見るともなしに見ていたら
東京都のとある区の選挙管理委員会の事務局長さんが投票箱の不足について
インタビューを受けていた。

その選管の事務局長さんが、世にいわれるところのロマンスグレーで、
話し方も非常に知的で、頭脳明晰さが感じられて、やけに素敵なおじ様だった。

が、私は気がついた。
彼の変わった名字のゆえに覚えていたのだ、
わずか数年公務員をしていた私の、職場の先輩じゃねーかよ。

あの選管事務局長さんは、
あの当時から髪の毛が白髪交じりでやたらに多髪、
ばっさばっさと立ちかける髪を、頼むから寝てろと押さえつけたような頭だった。
そうか、あのくらい髪の毛が多くないと、
ああいう美的魅力的なロマンスグレーにはならないのか・・・・

と真理が厳然と驀進して私を開眼させるかというとき思い出した。
ああっ、私の父も若き日は天然パーマのくるくる毛で多髪だった・・・
と摩訶不思議毛髪の残理はわが脳裏よりすいっと逃げだし、
さらに自分の髪が悲しくなるから毛の話はこれくらいにしておく。

ロマンスグレーの髪があの選管事務局長さんのイメージアップに加担している事は
疑う余地もないが、彼のきりっとした話し方と、言葉の選び方が
ロマンスグレーのソフトさに、程よいクールさを与えていた。
あら、この人仕事出来るわねぇ・・・という風に。

しかし、だ。
思い出してみると、あの人は昔っからあんなだった。
職場ではみんなから名字に「ちゃん」付けで呼ばれていて、好かれていたけれども、
なにかの折に私は誰かから聞いた。
「うーん○○ちゃんは、少しきついからなぁ」
確かに私には、あの選管のエライ人が若い時代に目を吊り上げて
口をへの字にして怒っていた顔の記憶がある。
決して大人しく黙らずに、反論に反論する性質も記憶にある。

20代の若者がああいうきっちりした言い方
「出来なくてもやるしかありません、それが仕事です」的な言葉を使うと、
なぜか生意気でとんがって感じられ、
60代に近いおじ様が同じ言い方で同じ言葉を使うと、
きりっとしていて素敵で仕事が出来そうに見えるのはなぜだろう。

あの人は若い頃、決してもてた人ではなかったと思うのだ。
なのに今、あんなに素敵になってしまって、ああ・・・
・・・・なんだか悔しい。
なにが悔しいのか分からないが、悔しい気がする。

悔しいから話を変える。
私も一度だけ選挙に携わったことがある。
私はあの日の選挙当日は投票所の小学校に配属されて、
庶務に回され、食事の手配や、身障者の投票支援などをやっていた。
選挙に行ってみればわかるとおり、選挙会場は非常にのんびりとしていて
開票まではけっこう暇な仕事である。

今では遠い過去、嘘みたいだが、候補者の得票数を調べるのに
みんな一生懸命手で数え、それを中央である本庁、選管に報告するのであるが、
なんとその方法が電話であった。
しかも、各会場から一気に電話が選管にかかるので、ものすごく混みあう。
電話があまりにもつながりにくいことを知っている投票会場責任者は、
あろうことか、このヒラ庶務に電話をさせたのであった。

もちろん私も公務員だったので職務には忠実であったけれども、
今思うと結構ヤバイことを平気でさせられていたのかもしれない。

今はどうやって得票数を連絡しているのだろう。
コンピューターか、ファックスか、それとも別の近代的な方法か。
どちらにしても次回の選挙は荒れるのだろうな、と思える。
あれだけ党が乱立すれば、票数の確認は非常に大変になりそうだ。
公務員の休日出勤は増やさなきゃならないだろうし、
全員特別手当もつくから、それだけでもすごい出費だろう。

うちの娘も初めての選挙投票権を行使することになる。
こういう荒れた選挙の時こそ、投票するのは楽しいものだ。
かつて土井たか子さんが出て選挙が盛り上がった時期
私は二つ目の大学に通っていたが、選挙権を得たばかりの学生たちは
「社会党でしょ、、やるっきゃない!」と興奮していた。
(社会党は今はありません)

そういえばみんなが「土井色」にどよめき立っていた時、
一人だけ「・・やっぱり自民がいい気がする」と言っていた女子がいたが、
田園調布のお金持ちの娘の彼女は完全保守を貫き通し、
(一般庶民の子息である学生たちの多くは社会党だと息巻いていた)
その後ある新聞に就職し、今も記事など書いている。
彼女もこれからしばらく忙しいのだろう。
そういえば
「麻原って変なのが立候補しててさ、毎朝ショーコーショコショコ歌っててキモイのよ」
と当時教えてくれたのも彼女だった。

幸せだなぁ、と思うことを一つ。
候補者本人のだれかと知り合いじゃないこと!
これは生涯そうでありたい。
(ろくなもんじゃねぇと信じている)