一月一日(いちがつついたち)

こころ
01 /01 2013
昨夜大晦日の「ガキの使い」を見たわけだ。
さすがに6時間見ると疲れるし、夜の10時を回ると下ネタがどんどん出てきて
お下劣になってくる。
前年は11時あたりからあまりのお下品に番組を替えたのだけれど、
(前の年はいろいろ天変地異がありすぎたからね)
今回はちゃ~んと全部見たぞ。

そして思った。
芸人は笑ってもらうためならなんでもするんだな、
はた目にどんな強烈なことでも際どいことでもやってのけるんだな、
それはある人々には軽蔑すべきものに映るのかもしれないが、
昨夜の私にはそうは見えなかったのだ。
あそこまでやってのける芸人さんたちはすごい、偉い。
根性据えなきゃ煮えたぎった釜の中から服を出して着るなんてできっこない。
お尻から酸素を入れて腕相撲するなんてできっこない。

去年作家の藤本義一は亡くなったけれど、
昨晩のあの放送を見ていたら、体を張ったあれらの姿に
芸人さんの執念を感じて賞賛したのじゃないか。


芸人の根性を見る大晦日笑う声もてよを貫ける


    解説:「よを貫ける」に夜と世をかけております(-_-;)

NHKが白々と
「除夜の鐘の音が」などと毎年淡々と寺や神社を中継する「ゆくとしくるとし」の裏で、
零時を回っても一連の笑いを中断することなく年を越した「ガキ使」。
こう言う年の越し方もあるのだなぁとあらためて感慨。

そうだね、日本という国自体には、
オリンピックのほかにはなにもいいことが無かったような2012年。
笑い飛ばして通過するのも乙だったかもしれない。

そして今日1月1日。
昨日までのせわしさが嘘のように消え去った元日。
そうだね、日本人はこんなふうにばっさり切り替えることの出来る国民なんだ。

今年もきっといろいろあるだろうけど
下を向いて愚痴るばかりじゃお日様を見られないから、
せめても顔くらい上げて、明るい方を見て行こう。

そうしようよ、ね。



スポンサーサイト

批判することをすっかりやめてみなさい

こころ
01 /02 2013
親戚には1年に一度しか会わない。
義理の妹弟たちは、とても仲良く行き来しているのだが、
長男である夫はなぜだかこの妹弟たちとあまり合わない。

むこうは揃ってB型で、俺は一人でA型だから、などと言っていたこともあるのだが、
どうもそれだけではない気がする。
母方の農家的思考と、父方の下町的思考との一致のおかげというか、
夫は兄弟姉妹の中で、ただひとり長男という特別枠で育った。
そのせいで、妹弟とは妙に壁がある。

それでも夫にとってはその関係に不都合はないようだ。
むしろあまりべったりと仲良しにはなりたくないようにも見える。
ならば嫁である私が・・・などと過去には考えたこともあったのだが、
「特別な存在」であった「お兄ちゃん」を「盗ってしまった相手」として、
私は義妹たちにはさほど歓迎されなかった。

義理の弟と夫はかつて大喧嘩をし、以来どちらかといえば他人行儀で、
その時も私は普通に接していこうとしたのだが、
相手の言動にぶちっときて、私はそれ以来義弟とは完全に距離を置いている。

なので年に一度の実家大集合とは言っても、まったくお義理である。
みんなよく飲んで、よく食べ、よくしゃべるが、
私は酒は飲まず、大して食べず、ほとんどしゃべらない。

話そうと思えば話せないことはないのだが、
あとで後悔しそうなことを口走ってしまいそうで、大抵ニコニコするのみの聞き役である。

私はよく口で失敗する。
別に悪いことや汚いことを話すわけではない。
ただ、私の興味と向こうの興味がまったく合わないだけで、
話せば話すほどに、孤独になって行く感が強まるのだ。

しかしほとんど聞くだけで済ませてしまったツケは帰りの車中にあらわれる。
義理の妹弟たちのことをああだこうだと批判的に語ってしまうのである。
今日は楽しかったね、などという言葉が出てくればいいのだが、
どうしても「なんであの人はいつも・・・・」という言葉になってしまうのだ。
私がこんな思惟でいるから、きっと向こうもとりつく島がないのだ。


 「こころみに、しばらく批判することをすっかりやめてみなさい。
そして、いたるところで力のかぎり、すべての善きものをはげまし、かつ支持するようにし、
卑俗なものや悪いものを下らぬものかつほろび去るものとして無視しなさい。
そうすれば、前よりも満足な生活に入ることができよう。
実にしばしば、まさにこの点に一切がかかっているのである。」
     眠られぬ夜のために 第一部 ヒルティ著 岩波文庫青638-1

批判するなという言葉は、とても響いてくるが、
卑俗なもの悪いものを、「卑俗だ、悪い」と判断する際に批判の心が混じらないのか
少々疑問である。
きっとこの卑俗、悪いものは、判断する余地もないほど
あからさまな卑俗、悪の場合ということかもしれない。

とりあえず批判をやめてみたい、と確か去年も、おととしも思った。
そして今夜も思う。
批判をやめたい。

難しい。





うちの正月は終わった

いろいろ感じたこと
01 /03 2013
ノロウィルスとインフルエンザが猛威をふるっているそうだ。

暮れの31日に私は見た。
オープンスタイルの揚げものコーナー、
客が集まって年越し蕎麦のための天ぷらをめいめい袋に入れているその場所で、
御老人が品物の真上で遠慮なく、口を抑えもせずにごほんごほんと咳こんでいたのを。

なぜだ、なぜ滅多に買い物に来ないような御老人が
敢えて混雑する大晦日の買い物に付いてくるのだ。
しかもあれだけ咳こんでいるのにマスクもせずに、なぜ来るのだ。

客は無関心なのか、気付かないのか、御老人の咳がまき散らされたエビ天やかき揚げを
一向気にせずに先を争うように買い込んでいた。
が、私には無理だった。

オープンスタイルで売っている天ぷらに見切りをつけ、
私はうどんコーナーの棚に並んでいたカップ麺に入れるような
ちゃんと密閉された袋に入ったマルちゃん3個入りかき揚げを146円で購入した。
粗末極まるものだけれども、他人様の雑菌まみれの天ぷらを年越しにいただくよりは良いと思った。
しかも最後までサクサクで、意外に評判が良かった。

不思議だ。
年の行かれた殿方はどうしてだか、大きなくしゃみにしても咳にしても
口元を押さえない方が少なくないように思える。
もちろん礼儀正しい紳士、常識的社会人はマスクをしているが
普通のおっさん、じいさんたちにはマスクもハンカチも持たない人がいる。
先日は電車の中で、くしゃみをするたびマフラーの端を持ちあげて口を抑えるじいさんを見た。

口を抑えるのは結構だが、使ったマフラーをまた胸の前にだらんとさげるので
使った側の布面が他の乗客側にさらされている状態になる。
唾や鼻水のついたマフラーを見せつけられるのはあまりいい感じではない。

ノロウィルスなんぞが付着していた場合はウィルスたった10個がこちらに入っただけで
発症してしまう可能性もある。
(一般的な細菌は1000万個以上が体内に入って初めて発症する)
常時脱水症の身にはこれが結構怖い。

私は車に乗るより電車が好きだし、オープンスタイルのパン屋や揚げ物屋も好きではある。
しかし今の季節に限っては出来る限りそれらを利用するのは控えたい。
(ちなみに回転ずしもちょっと怖い)

天ぷらを気にせず買い込んでいたお母さん方は「そんなのいちいち気にしてられないわよ」
なんて言うのだろう。
学校に通う子供でもいれば、ノロ、インフルエンザとはそこそこ距離が近いかもしれない。
いちいち気にしていたら子供は学校に行けない。
うちも子供が小さいうちは、そんな感じだったような気がする。

お母さん方はインフルエンザやノロウィルスより、放射能汚染の方が気になるのだろう。
それも一理はある。
しかしインフルエンザにも脳症はあり、ノロウィルスでも死者は出る。
よくよく考えれば、いまこうして平和に生きられているそれ自体が
とてもありがたいことなのだと思う。

今日は正月三が日最終日、Uターンラッシュが各高速道路で始まっている模様である。
高速に乗るとときどき事故を目撃するが、
あれも自分に、家族に、降りかかりらないとは言えないものだ。

今日から夫は会社に行った。
娘も午前中から夜中までアルバイトに出ていった。
どちらも車での通勤である。
無事に帰ってくれることを、毎日思う。
今夜も思ってご飯を作る。

うちはとっくに正月を終えて、普通の夕食メニューにする。
今日は白菜と大根をザクザク切ったこんぶ巻きと椎茸の煮しめで煮込んだ。
おせちをいかに片付けるか、しばらくは頭を使いそうだ。





インフルエンザが真後ろにいたぁ~(涙)

出来事から
01 /04 2013
1月4日の病院外来はまだまだ空いてるよ、と医者に言われて予約した今日の外来。

まぁ平日の病院よりはマシかもしれないけれど、空いているというほどではなかった。
これもこの冬の寒さのせいだろうか。

それでも1時間程度で診察も血液検査も終わり、精算を済ませてもまだ午前中。
わ~いやったぞとるんるんしながら病院外薬局に処方箋を持って行くと
待っている患者が皆無だった。
またまたわ~い、と思っていたらさにあらず、白衣の薬剤師の人数は多いのに
背広姿の職員が数人混じって、パソコンをカタカタいじって説明中である。
どうやらこの薬局では何かしらのシステムが今日をもって新しくなったようだった。

・・・・・待ったぞ、とても待った。週刊誌を2冊読み終えでもまだ薬が来ない。
私の後に来た若い男性も待っているのにまだ薬が出来ない。

45分くらいは待っただろうか。
後に来た男性の方に先に薬が出来てきた。
これは別にかまわない、私の薬は調剤が必要で、若い男性のものは違ったのだろう。

・・・と思っていたが、私の後ろの席で薬剤師とその男性が話しているのを聞いてぎょっとした。

インフルエンザですか
ええ、菌が出たんです
お熱はあるんですか
ええと、いま9度ちょっとかな

失礼とは思ったけれど「げっ」と声がでた。

そこは薬待ちの人がいすに座っている場所の広さは2畳もないほどの、小さな薬局である。
百人が待っているような大きな院外薬局もあるけれど
そういうところは時間もかかるし、インフルやノロなどの病気の人間も集まるから
私は常にもっとも小さい薬局に来ていた。
そこは一元さんの入りづらい場所で、利用者はほとんど病歴の長い人ばかりなのだ。
まさかそういう小さな薬局に、
私のたった50センチほど後ろに、39度の熱を出しているインフル患者がいようとは!
しかも男性はマスクもせずにへらへら笑っているではないか!

その話を聞いてしまった数分後、私の薬がやっと出てきた。
いつもの薬剤師さんが薬を説明しようとしていたが、私は席を立って薬をさっさと袋に詰めた。
インフルさんには申し訳ないとは思ったが、私は不快を隠さなかった。

「いま私メチャクチャ免疫下がってるんですよ、うつっちゃうじゃないですか!」
「こんな狭いところで空気清浄機もなしに1時間もインフル患者と!」
「怖いです、もう嫌です、次から薬局替えます」

私は冷静に文句を述べたてた後、さっさと薬局を出て行った。
薬剤師は何度もすみませんすみませんと謝っていたし、
彼女一人のせいではないとは思う。

だがだがやっぱり冗談じゃない、
2年前私はインフルエンザで1カ月あまりの入院生活を強いられたのだ。
1週間とか、そんな単位ではないのだ、1カ月必要とされたのだ、
勘弁してほしいではないか!
(ノロウィルスの場合はたぶん3カ月は出られないと思う)

ごたごたしたシステム変更などは1月4日の仕事明けの日になる前
前年の暮れにやってくれないと、本式に困る。
薬局の親会社のほうにクレームを入れるべきかどうか迷っている現在である。
インフルになったら間違いなくクレームを入れるぞ。



初スクラッチ

出来事から
01 /05 2013
年末から、よくパチンコ屋に出入りしていた夫の財布の中には
1月1日には9枚もの万札が入っていた。
娘によると12月31日は10枚以上あったそうだ。

年に何回かそんな風に大勝ちして続け様に通ったあげく
投資額が倍になってすってんてんというのが通例のようだ。
夫によると、「昨日は負けた」と、今日の朝には所持金が2万円だった。

その2万円を持って、夫は今朝私を誘い、ちょっと離れた大きなイトーヨーカドーまで行き、
3990円で自分のふだん履きの靴を買った。
それから夫は「冬物半額だから、何か買ってあげるよ」と言ってくれた。

本当ならコートなど買って欲しかったけれど、欲しいからと言って衣類を増やしていくと、
私の死後、娘に苦労をかけるので、よほどのことが無い限り買うのは控えようと考えている。
だから・・・・・・・・「ううん、いらないよ」と言った。(ちょっとつらい)

そのままで帰るのは、ちょっと気が済まなかったので
イトーヨーカドーの横に出ていた宝くじ売り場で、200円のスクラッチを1枚買ってもらった。
夫は1000円札を出したが、
「100円玉2枚」を私が希望して、それだけ握ってスクラッチくじを1枚買いに行ったのである。

実は一度宝くじというものをやってみたかったが、
お金が惜しくて実現出来ずにいたのだ。
だから今日は初体験の宝くじ、スクラッチであった。

結果はもちろん全然はずれ。
でも、指定箇所をきこきこ削るのはちょっとおもしろかった。
たくさん削ってみたいけれど、私にはそれは無理だ、お金が惜しい。

宝くじは「夢を買う」ものだそうで、毎年並んででも買う人がたくさんいるのだが、
みんなすごいな、良くまぁお金を出せるなぁ、と感心する。
私はそんな不確かな夢に、非常に確率の低い夢に投資することは出来ないが、
世の中の人はけっこうギャンブラーなのだなぁと、今さら思ったりするのだった。
(夫はすでにパチンコではかなりギャンブラーだな~(+_+)イカンヨ)







別れゆく恋人たちに

こころ
01 /06 2013
2年ほど前だろうか、フェイスブックで恋に落ちた男女がいた。
男女ともに日本人だが、女性はアメリカに暮らし、男性は日本にいた。

どちらも40代に入ったばかりで、女性にはすでに中学生の息子がいた。
前の夫は日系人だが、息子が生まれて数年で離婚したのだそうだ。

日本に暮らしている男性は40代だが結婚経験はない。
家族は病身の親が一人である。

この男女がネットの中で、互いのことを深く打ち明け合って恋に落ちた。
彼女は日本語の出来ない一人息子を連れてアメリカからやって来た。

これを知った男性側の友人や仲間は踊り上がるほどによろこんだ。
孝行息子で誠実であるが故に、いままで女性とのご縁のなかった彼に、
ついに互いをいたわりあう伴侶がはるばる海を越えやって来てくれたのだ。

あれから2年が過ぎて、私は今日知った。
彼女は今月、またアメリカに戻って行くのだそうだ。

結婚するものとばかり思っていたのに、いったいどうなっていたの?

「ずっと友達です」

彼はある人にそう語り、歯を食いしばって涙したのだそうだ。
彼が「友達です」というのであれば、本当の意味で友達なのだろう。
彼ならば「友達です」という言葉に恥じぬ意味を守ったのかもしれない。

彼女とて、彼を愛していたのだと思う。
けれども、彼女がかつて故国を捨てて海を渡った理由と同じ状況が
この狭い世間には存在したのだと思う。
彼女はおおらかで、一生懸命で、行動的だった。
夢のために、全身全霊で尽くす覚悟で故国日本に戻って来たけれど、
この狭い日本の世間はまだ、彼女の行動力を完全に受け入れてはくれなかった。

彼女が目的のために必死になって尽くす姿を、苦々しく見ていた人たちがいた。
その人たちは彼女がどんなに目立つまいとしていても
その一挙一動を監視するかのように見ていたのだ。

曖昧な表現しか使えなくて、今日の記事は分かりづらくて申し訳ない。
まぁ、そういう状況があって
神様が合わせた男女が結ばれぬままに終わるのだ。

今回のことでも私は思った。
古い世に剣を投げ込む人は、古い世の人たちには破壊者に映るのだ。
破壊者が善人であったり、やさしかったりすると、古い世から結局押し出されて負ける。
破壊者は後ろ指を指されようと、決然として無視するほどの強さを備えなければならない。
あるいは文句を言うものをひねりつぶすほど乱暴な力を持たねばならない。

しかし、古い世に剣を投げ込んだキリストは優しいままに戦い続け十字架につけられた。
彼女と彼は、いまは心に消えない痛みと傷を負ったかもしれない。
けれど必要な時間が過ぎたとき、
2人にとってこの経験は必要不可欠であり、
大きな代償と同じほどの大きな報酬を得ているに違いない。
と、信じている。




体育会系寿司屋

いろいろ感じたこと
01 /07 2013
おかげさまで今現在インフルエンザ症状の自覚はない。
ありがたい、ありがたいぞ~~

ところで今日は寿司の話を書く。
娘がアルバイトをしているのは100円ではない寿司屋で、
100円寿司大人気のうちの地域では、どちらかといえば安くはないお寿司屋さんである。
娘によればだいたい1人前は3000円程度は必須だという。
(うちの地域では寿司屋1人前3000円は高いうちに入る)

なぜだか知らないが、関東では寿司屋というと年末年始が書入れ時だそうだ。
秋に入って11月、そろそろカキが出てきて
「美味しいからおいでよ!」と寿司屋が広告してもあまり客は入らない。
まぁ、七五三で寿司屋に行く家もそうそうないだろうし、
12月のクリスマスに寿司でもない。

だがクリスマスが終わると、がぜん寿司屋は活気を帯びるらしい。
しかし師走年末も押迫りに迫ってくると、客の顔にも険が出てきて、
年末はクレーマーが急に増えるのだと聞いた。

そうさな、3~40年前の話だと思うが、
その頃は寿司屋にクレームを言い付けるような客は滅多にいなかったのだそうだ。
なぜなら、寿司屋は常に刃物を握っていて、
元来威勢の良さが大の身上、つまり客はよほどのことがない限り
寿司屋にクレームをつけられなかったらしい。
(かつて昭和時代に寿司店を持っていた爺さんから聞いた話)

ええと昭和の小説、向田邦子だったかと思うが
酔っ払った親父が寿司を土産に持って帰り、寝ている子供らをたたき起して食え食えというが、
母親は、夜中の寿司は子どもにはよくない、と断固食べさせず、
親父はヒスを起こして寿司を庭に投げ捨てるなんていうのを読んだ気がする。

夜中の寿司は子供によくない、というのはつまり、
鮮度の落ちた寿司を抵抗力の低い子どもが食べることによって
食中毒を起こすことがよくあったのだ、ということに他ならない。

考えてみれば今現在寿司屋以外に、素手で生魚と飯をいじる仕事はないだろう。
手を洗うと言ったって、手術前の医者みたいに肘の上までごしごしブラシでこするわけではない。
上岡竜太郎が、「僕は寿司は不潔だから食わない」と言っていたけれど
まぁ完全に否定することは難しいかもしれないな。

(上岡竜太郎は「寿司職人はみんな自分のチン○握ったことあるからイヤ」と言っていた)

しかし寿司は確立された食文化だし、私は上岡竜太郎ほどうるさくはない。

ただ、この年末年始、娘からてんてこ舞いの寿司店の話を聞くうちに、
年末年始だけは寿司屋に行きたくないし、出前も取りたくないと感じた。

とにかく年末年始、寿司屋は働きに働くそうだ。
朝4時だか5時だかに店に出て仕込みが始まり、夜中まで、
一切の食事がとれないほど働かねば注文がさばき切れないのだそうだ。
出前も半分以上は断っているが、
それでも1月1日でさえ出前の注文電話がかかってくるらしい。

寿司職人も、出前やホールのアルバイトも、全員ふらふらになり、
発熱しているアルバイトが何人も出た。
それでも寿司屋で長くバイトをする学生たちはどういうわけか体育会系のノリで
「熱なんか測ったら仕事できなくなるから」と熱を測らず、
トイレで吐いたり、せき込んだりしながら猛烈に職務をこなすらしい。

そりゃあね、その心意気は立派だと思うよ。
そのくらいの根性を入れなきゃ、寿司屋の名がすたるかもしれない。
だが先日その中からインフルエンザが現れたというではないか!!!!

根性も性根も心意気も買う、
買うけれども、美味しいお寿司を食べてインフルエンザをもらって帰るのは嫌だ。
いやだよぅ!

・・・・だが待てよ、私ってば西洋の潔癖主義に慣れ腐って、
日本の食文化を変に衛生観念の高い清潔第一思考に当てはめようとしていまいか。
江戸前の寿司は生魚を人の手が握って形にしている食べ物なのだ。
私のような免疫の下がった、抵抗力の低い脆弱な人間のほうが、
基本注意をして食すべきなのだ。

うむ、きっとそうだ。
そう思う。

だから注意しよう。これからも。
(でもやっぱり咳き込みながら品物をテーブルに運ぶのはやめてほしいの)

悲しい「チーズ入りチヂミ」

いろいろ感じたこと
01 /09 2013
東京都調布市の公立小学校で、
乳製品に強度のアレルギーを持っている女の子が、
一般児童向けの給食メニューである「チーズ入りチヂミ」を
「おかわり」して食べ、その後死亡してしまった事件について、私はずいぶん考えた。

小学校5年生というと11歳、
強度の乳製品アレルギーを持つ子がそこまで育つには
親御さんのご苦労は大変なものであったと思われる。
牛乳が皮膚にちょっと触れるだけで全身が赤く腫れる子が
一般児童のなかで幼稚園生活、学校生活を送ることは非常に難しいことだ。

牛乳を触った子が使った水道の蛇口に、アレルギーの子が触れて蛇口をひねる、
それですらアレルギーを持つ子供の手は腫れあがる。
なんでもそのような子供のいる学校では、その子専用の蛇口を確保する場合もあるのだそうだ。

ニュースやワイドショーでは、亡くなった子供の強度のアレルギーが
すごく珍しいかのように扱うが、現在は、そのような子供は
決して珍しいものではない。

だから、「そんな子になんで学校給食を食べさせるんだ」とか
「親が弁当作ればいいんだ」的な短絡的な思考は実際にそぐわない。
強度のアレルギーがある子にも、可能な限りの材料で献立を立て
用心深く作って提供するための仕組みが、給食提供側には確立されている。

その勉強をするのが管理栄養を学ぶ人たちであり、
内容は医学的なものから実質的な給食の作業部分にまで渡り、
食に関する不安を持ち、配慮されるべき人たちのための専門的職業である。

今回の事件は残念ながら、給食を作り、提供する側ではなくて、
教員ひとりの油断、あるいは認識の軽さから起こったものだという。
給食に携わる人間は現在、異常なくらいの潔癖さと注意を求められていて、
アレルギーの恐ろしさに理解を持つように指導、教育されるが、
現場の教員がそこまで理解しているかどうかは、私などは知る由もない。

亡くなった少女は学校給食で5年間無事だったがゆえに、
教員の認識が軽くなっていた可能性はあるのかもしれない。
あるいは気前のいい先生だったのかもしれない。
女の子は食べざかりだったのかもしれない。
きっと生まれてからずっといろいろな場所で場面で「あれもだめ、これもだめ」と
言われ続けてきたのだろう。

昔、祭りの露天に塩をまぶしたきゅうりが売られていて
小学生の子供を連れたご夫婦が露店のおばちゃんに尋ねていたっけ。
「これはきゅうりだけですか?」
「そうだよ、キュウリに塩だけだよ」
「じゃあ、食べられるね!」
子供は割り箸に刺されているきゅうりを、まるで焼き鳥やわたあめを買ってもらったみたいに
嬉しそうに嬉しそうに、すぐにかぶりついたのだ。
「おいしいね!」
子供の目がきらきら光っていた。
みんなと同じに、歩きながら露店の物が食べられる喜び。

みんなと同じく給食のおかわりができる、それだけで、亡くなった子は
すごくうれしかったのだろうな。
その子が喜ぶのが嬉しくて、先生はお代りを与えてしまったのかもしれない。
取り返しのつかない不注意だけれども。

少女のご両親はいま、どういう感情の中にいるのだろう。
「弁当を持って行かせなかった親が悪い」や
「そういう子は土台みんなと一緒になんて無理なんだ」などという言葉の刃物が
ご両親をさらに切りつけることがあってはならない。

誰がどう思おうと述べようと、それは自由だけれども、
もう取り返せない現実を身に受けてしまった人に
これ以上の傷を負わせる必要など、私は見出さない。






教師の感情爆発による体罰

いろいろ感じたこと
01 /10 2013
映画 alwawys・三丁目の夕日 で、
3人の小学生たちが、勉強の良くできる転校生をからかっていると、
教室に入ってきた先生が3人の子供の頭を出席簿で順番に叩いて行った。
「こらっ」ぽん、ぽん、ぽん、
「いてっ」「いてっ」「いてっ」。

あの場面を、とても好きだ。
黒い出席簿で昭和半ばの先生たちは、小学生の頭をぽこん、ぱこんと
ときどき叩いていた。
叩かれる子は大抵、家でも親などにポコポコ叩かれたりしている元気の良すぎる男子だったので
「いてぇ」と言って引き下がり、泣いたり、怒ったり、ふてくされたりしているのを
私はついぞ見かけたことはなかった。
叩く側の先生も「バシン!」とはやらず、「ぱこん」くらいに手加減していた。
つまり先生は、感情の高ぶりとともに子供を叩いたわけではなかったのだ。

高校生になって、50代の英語教師が一人の男子生徒を教科書で殴るのを見た。
男子生徒が隣の席に向かって筆箱を投げた直後だった。
50代の英語教師は、その男子生徒に向かって走り寄ると、
落ちた筆箱を拾って投げた生徒に力一杯投げつけた。
そして教科書を持った右手を大きく振り上げると、教師は教科書の角の部分で
男子生徒の背中を何度も何度も殴りつけたのだ。

教師は何か叫んでいたと思う。
「いつもいつも貴様は」のような言葉だったと記憶している。
教師の顔は怒りで赤く染まり、声も震えていた。

教室中が静まり返った。
生徒たちは、その教師に、感情を爆発させた醜さだけを見た。
暴力の理不尽さ、痛ましさだけが、目に焼きつくようだった。

私は教員の、感情の高ぶりに伴う暴力を一切認めない。
スポーツの世界に足を踏み入れたことのない私が
「体罰」なるものの必要不必要をああだこうだ語ることは出来ないが、

それがコーチや監督や、あるいは教員といった、生徒を指導する立場にいる者の
個人的な感情の発露による行為であるならば、
あるいは恣意的な行動であるならば、
私はそれを暴力であるとのみ判断する。

数十発も殴られて、頭がぼーっとして物が考えられない、と
自殺した高校2年生男子は前夜、両親につぶやいたそうだ。
落ち着いた子、優しい性質だったといわれるその高校2年生から、
正常な思考力と判断力を失わせてしまうほどの暴力を
日常的に振るっていた教師は、これからどのような処分を受けるのだろうか。

いわゆる暴力教師も破廉恥教師も、これまでは教員免許を取り上げられることなく、
他地域や他校に移って、相変わらず教師として生活をしている場合が多い。
今回一人の生徒を死に至らしめた教師も
高校バスケットの世界では著名な指導者だというから、
教職を伴わずともコーチとして招こうという学校が出てくるかもしれない。

大阪市長は刑事罰も視野に入れると話している。
前科がつけば、その教員を迎えようとする学校もなくなるだろう。
私は特に刑事罰支持をするものではないが、
今回の事件の教師本人と、学校側には、
なにかしらのペナルティがあって然るべきだろうと思っている。







ババァになると読みたいブログも変わる(改)

こころ
01 /11 2013
年をとったせいか、忍耐力と受容能力が減じた。
好きなブログも次第に趣味が変わった。

昔は竹を割ったごとく、物事をスパンスパンとぶった切るものや、
一度決めたら徹底的に闘志を持ち続けていく筆者のものや、
木から木へと移るようにユーモアセンスで読ませるものが、
好みだった。
今もそれらを嫌いではないが、体調によってちょっと読み続けられないことが起きてきた。

竹を割ったようなスパンスパンは読んでいて気持ちがよいが
この年になると物事を簡単に割り切れないことが、かつてよりもさらに多く見える。
スパンスパンとやる「清新の気」が、
「この人は世間知らずなのさ」に見えてしまうのである。
これはいやらしいババァのものの考え方の定型である。

割り切れないものの多さを肯定して「それでいいのよ」とやるより
割り切る方が気分がいいのはわかりきっている。
それはババァとて同じなのだ。
私は割り切る意志も体力も阻喪してしまった、だからそれを出来る人を嫉妬しているに違いない。

全身戦う人の鋼鉄の闘志は読みながらため息が出るようになった。
鋼鉄の闘志は大変なもので、その意志の強さとファイティングスピリッツには
目を見張ってきたが、それをするのが面倒になった。
「いつまでやってんだよ」「いつまでとんがってるんだ」というアレである。

もはや目によくないものでもあるかのごとく、私はそれらから顔をそむけ
出来れば見ずに済ませたい。
しかし世の中に鋼鉄の人がダイヤモンドの意志で叫び続けなければならないことは
山のようにあるのだ。
そういう人がいなければ、世の中は進歩も前進もしないかもしれない。
良心も自由も保障されなくなるかもしれない。
なのに私はこれら奇特な人々を面倒になり「面倒を避けたい」と思うようになった。
「ひとまかせ」なババァの得意技である。

お猿のような世渡り上手のユーモアは私の憧れである。
なめらかな筆でユーモアセンスいっぱいに書かれた上手なものは、
面白くて読みやすいのでどんどん読んでいきたい。
ただ、この年になると書き手の人間性をどうしても欲する。
年をとればとるほど寂しくなるからかもしれない。

ユーモアにあふれたものは、どうしても話を大きくしたり
物言いを大げさにせざるを得ない。
ユーモアにあふれた人の人間性に触れたいと思っても
筆者はだいたい素の自身を顕すのを好まない。
ただただ笑わせてくれる書き手に、遠いものを覚えてしまうのだ。
道化を見るより、道化の涙を見るのを好むのは、年を取って来た人間の癖かもしれない。


かように全般的にババア化著しい私は現在、どんなブログを好むようになったのかというと、
重すぎす、軽すぎず、嘘や大げさがない、ナチュラルなものだ。
書き手が自分自身を貶めすぎず、過剰に自慢もせず、
いいことも悪いことも、普通に語るものだ。

結局ババァになると、普通に生活することの大切さが、
なにより興味を引くものとなるのかもしれない。
これを世間一般に「小市民」的思考という。

私は小市民。異存のあるはずもない。
はっはっは