反省大会

出来事から
02 /01 2013
AKB48のメンバーの一人が丸刈りになって、半ベソで
「まだAKBのメンバーでいたいです」と言っていた。

「なんだ女の子がお泊りしちゃうと丸刈りなのか?柔道より厳しいねぇ」
とは、丸刈りの理由を半分も聞かずに言った主人の弁。
いや、丸刈りは自発的に行ったことだそうだ。
居ても立ってもいられなくて、誰にも相談せずに丸刈りにした、と。

日本人は丸刈りにすることを、反省の顕れと見るらしいが、
あれはどうしてなのだろう。
出家するごとく煩悩を捨てましたという意味なのか。
なら中途半端に丸刈りで、坊主頭にしないのはなぜなのだ。
丸刈りと毛なし坊主なら、毛なしのほうがより反省が深く見えると思うが。

それでも丸刈りにするのは、そんなに悲しいものなのか。
あの長さが2センチ伸びたくらいのベリーショート、
いわゆるセシルカットというのを、私はよくしていたのだが。

頭に分け目がしっかり見えている丸刈りのあの彼女も、
2か月もしたらセシルカットレベルまで髪が伸びるのだから、
泣くほどのことでもないと、私は思っちゃうぞ。
あの涙は、髪を長く伸ばしたことのない女=私にはきっとわからない。

それとも、お泊まりするほど好きな人との恋を諦める涙なのかしらん。
そっちなら私にもわかるぞ。
二十歳という年齢で、恋より仕事や夢を取るなんて、およそ私には不可能だ。
恋を捨ててなお、団体アイドルの一員たることを彼女は欲しているなんて
大したもんだねぇ。

ところで、例の柔道の監督が辞意を表明したけれど
あの会見もまた、よくわからなかった。

「急いで強化しないといけないという焦りがあった。
信頼関係が築けていなかった。私の指導力不足が一番の原因」だそうだ。
この言い方では、
信頼関係があれば私の指導(暴力による指導)も選手は理解してくれた、
という意味合いもありそうだ。
根本的に「場合によっては暴力もあり」の指導を是としている感が否めないような。

左翼と称せられる朝日新聞は、昨日、あの山下泰裕氏にインタビューをしていた。
「柔道界の体質 払拭の時」との題名が付いている。

それによるとアテネオリンピックの折、
柔道の試合に負けた韓国の女子選手が、控室で監督に平手打ちをされ、
それを目撃したカナダ選手がたまげて通報、
国際柔道連盟はこの監督の大会IDをはく奪したそうだ。
山下氏はこの問題に対する事実確認業務をIOCから求められた人物であった。

山下泰裕氏はこう述べている。
「暴力や体罰は許されない。これは最低の指導方法ということを自覚することだ。
自己研鑽(けんさん)を積んでいる指導者が暴力をふるう場面を私は見たことがない。
自分の経験に頼るような指導者が、暴力に訴える傾向が強い。
指導者は選手の3倍も5倍も勉強し、己を磨くべきだ。
それをせずして、どうして選手を成長させることができるか。」
(朝日新聞デジタルより)

あまりにもまっとうなことを述べてくれる山下サン
相変わらず人格者っぽさがむんむんしている。
かっこいいぜ。

テレビではヤワラちゃんこと谷亮子氏もこう言っていた。
「暴力で競技の能力が伸びることはありません」。

両氏どちらも自身では体罰や暴力を受けたことも見たこともないと言っているが、
柔道専門誌30年の記者が、昨夜のニュース番組であっさり言いきっていた。
「嘘ですね、自身は受けていなくても、見ていないはずはない。
それほど暴力が当たり前の世界なんです」
うへぇおっかない。

さて、今日午前中に、準強姦を問われていた元柔道金メダリスト内柴正人被告に
懲役5年の実刑判決が出された。
妻帯者(現在は離婚)が教え子と合宿中にやらかして、自分は悪くないなんて、よく言えるよなぁ。
合意だとか強姦だとか真実は藪の中だけれども、
柔道に武道としての精神性を求めるのは、もうとっくに無理だったんだねぇ。
スポンサーサイト

「あなたはだれですか」は確かにきつい

いろいろ感じたこと
02 /02 2013
朝の連ドラ「純と愛」の話をしたい。
主人公の母親が、若年性認知症になり、笑ったり叫んだり興奮したりで
家族はみんな悲しみ、悩んでいる最中である。

今日は、主人公の父親が、認知症になった妻に向かって、
今まで優しくしなかったことを詫び、一生お前のそばにいて面倒をみると言った。
が、「お父さんはそんなに優しい人じゃない、あなたはだれ」と
お母さんは叫び出してしまった。

まぁ確かに、あれはきつい。
でも、あのくらいで逃げ出してしまうようでは、到底認知症の人間の世話なんかできない。
個人的に、あのお母さんが興奮して叫び出すあの様子に、
どうも認知症薬の副作用が強く出ているような気がしてならない。

(認知症の初期には、実際と思考の整合性が甚だしく狂って
患者の精神は非常に不安定になるものだけどね)

兄弟みんなでお母ちゃんの笑顔を取り戻そうよ、なんて主人公は言っているのだが、
まずは医者や認知症の専門家に相談したり、
ホームなどで実際の接し方を見るなりして、
どういう接し方が相手を穏やかにさせることができるか、知ってほしいなんて思う。
だから、はなっからヘルパーや福祉を拒否する主人公の考えは
やや視野狭窄に見える。

家で家族が介護するのが理想には違いない。
だが現実はそれが最善とは限らない場合もある。
また、地域によっては認知症家族を福祉に預けることに、
負い目を感じている人たちもいて、
その重圧がドラマの展開によってはさらにきつく感じられることになりはしないか、
ちょっと心配になっている。

それにしてもあのドラマの終了はあとわずか8週間である。
1週間で物語の流れが描かれるとして、だいたい8話で終われるのか。
若年性認知症の母親はどうなるのか。
無職の父親はどうなるのか。
主人公の夫の家族との関係はどうなるのか。
主人公は自分のホテルを作ることができるのか。

「これからもいろいろあるけど頑張って行こうね」的な終わり方
をするしかないだろうと予想するのだが、
可能ならばこれを裏切って、ドーンとぶっ飛んだ終わり方を見せてほしい。

*******

ちょっと関係ない話。
恵方巻きが関東に進出してきてからまだ年数が浅いと思うが、
このごろはなんだか当たり前のように恵方巻きが売られている。

もともと太巻きが好物なので、この時期はあちこちで恵方巻きを買っては食べてみる。
とは言っても銀座あたりの1本3000円もするものではなく、
コンビニやスーパーで売りだすハーフサイズなんかを買っては、ニコニコして食べている。

私があまり騒ぐので、先日娘がバイト先の寿司屋から
恵方巻き(海鮮)のハーフサイズを買ってきてくれた。
バイトの終わるのが夜の10時だったので、持って帰って来たのはそれよりも後だったが
さすが地元では自称高級寿司店、非常に美味しかった。
ということで、今夜もアルバイトの娘に買って来るよう頼んだ。
夜中の11時過ぎにニコニコしながら恵方巻きを食べる予定である。
もちろん切り分けて、恵方なんか無視して喋りながら食べる。
今から待ち遠しい。
ちなみに明日もアルバイトなので、明日も頼むかもしれない。
でへへ。よだれが・・・

「ですます」で書きたいこと

神様
02 /03 2013
(今日は完全にひとりごとです)

告白タ~~~~~イム!

ワタクシの苦手なものを告白いたします。

体育教師、体育系人間 が苦手で嫌いであります。
彼らはやたらに体が頑丈で、元気なので、
体の弱い人間、体力のない人間、運動能力の低い人間に
ほとんど一切の理解力を持たないことが多いからであります。

というのは、虚弱かつ運動音痴のワタクシのヒガミからの視点でありまして、
実際は穏やかで、虚弱な人間への理解を持ち、無理を強いない体育教師や体育会系も
少数派とはいえ、ちゃんと存在しているのであります。
ワタクシはそれを存じ上げてはおりますが、「体育、運動」といった言葉に
非常に深い「いじけ感」を抱くがゆえに、
それが「体育、運動」を生業とする人間すべてへの
極めて強い嫌悪と変化しているのであります。

ですので今回の体罰問題、柔道界のもめごとなどは、
ワタクシにとっては「この際言ってやれ、叩いてやれ!」なのであります。
要するにワタクシの「体罰問題」「柔道問題」に関する意見は
個人の嫌悪、憎悪に基づく、かなり偏狭かつ不公平なものであります。
はい、大変悪いことです、認めます。

苦手なものの二つ目は、いわゆる裕福な人々であります。
ワタクシは貧しい家に育ちましたので、
裕福そうな方々に対して、ネタミがあります。
裕福な家庭におられる方々が病苦を得たり、家族不和になったり、
苦しい事どもをかぶって初めて、ほっとするところがあるのです。

これはまったくもっていじましく醜い思考であります。
人の不幸を歓迎するがごときこの欲望は、神もお怒りになられます。
ワタクシは現在神様の怒りを恐れるがゆえの一心から、
裕福な方々へはあえて平常心を旨とするようこころがけているのあります。

カラマーゾフのスメルジャコフのように、
「神さえいなければ」ワタクシは平然と、裕福な方々に訪れる不幸を笑い、
歓迎していたかもしれないということであります。
残念ながら、ワタクシにおいては「道徳心」とか「人として」とかいった
日本的概念においては、その思考を縛れないほどの
「強い自己」が存在するのであります。

おかげさまで、このような「強い自己」を
神様は「病苦」を持ってぶち壊し、踏みつけ、ばらばらになさいましたので、
こんにちの少しはマシになったワタクシがおります。

さて、それでもワタクシはまだ自分の傲慢さ、強さに手を焼いております。
実は今日は教会の主日礼拝を休みました。
月の初めは聖餐式もある、大事な礼拝日なのですが休んだのです。
それは、礼拝後に開催される、「元大学教授のお話を聴く会」に参加したくないためでした。

これは教会の高年層男性たちが、
数年前に洗礼を受けた「元大学教授」の「いろいろなお話を聞かせてほしい」と
言う事で開催されることになったのですが、
ワタクシは正直、「大学教授」だからといって、
その地位と名誉と経験に、ほとんど敬意を抱かないのであります。

さらに教会の高齢者男性たちのほとんどが
この教育的に貧しい地元に生まれ育った「高卒、中卒者」であるから
「大学教授」を有難がるのではないか、
などと、非常に不遜、かつ、うがった意見すら持っているのであります。

ワタクシは謙遜さを持つことが出来ません。
もっと砕かれてへりくだり、他者の価値を尊ぶことを知らねばなりません。
しかしながら、正直、もう砕かれるのは恐ろしいです。
神様が人間を砕くときには、徹底的に砕かれることを知っております。

なので今日も、善人になろう、謙遜でいようと努力を致します。
神様には体罰が是であります。
この体罰を一度でも受けますと、二度とそこに陥らぬよう注意するようになります。
注意しつつ甘くなる自分がおります。
それに気付いて、また引き締めます。
ワタクシの人生はその繰り返しであります。

そうこうしているうち、ワタクシの苦手はきっと苦手ではなくなると
思っております。



ブログ記事がコピーされて使われているぞ!

出来事から
02 /04 2013
ふた月ほど前、私のブログ記事のいくつかが、
そっくりそのまま他のブログに使われていることを知らせてくれた人がいた。

ブログ開設者に連絡を取る方法が無かったので、
ブログの運営側にその旨を連絡したところ、翌日にはそのブログは削除され、
書いた者は除名されたと知らせが届いた。

その後もときどき私の書いた記事を何箇所かで見つけた。
一度そういうことがあると、自分の記事のコピーに関して、
定期的に調べるようになるのだ。

それらまる写しの記事は、たいがい地方活性化のために立ちあげられた
小さな運営サイトによるブログに使われていた。
それらブログはひとつの会社によっていくつもが管理されている模様である。
通報に対する返信がまったく同じスタイルであることからそれがわかる。

こんなことはきっと、珍しいことではないのだろう。
みなさんのブログも調べてみれば、あちこちでコピーされ
まるまる使われているのに違いない。

これはまず、気持ちが悪く、不愉快である。
そのうち腹まで立ってくる。

なので今日からこのブログには少しだけ手を打ってみた。
まず右上の警告文を入れた。
そして具体的に、このブログをコピーできないように禁止のタグを加えた。
ドラッグできなくするタグも加えた。
このやり方はこちらに詳しいので参照されたい。
コピー禁止の作り方、ドラッグ不可の作り方

この具体策のどちらかでも、ある程度は効果があると思う。
私はとりあえず両方とも施しておいた。
ちなみに上記の同じページに画像保存を不可にするタグも説明されている。

それにしてもなぜ、他人の記事でブログを作ろうなどと思うのだろうか。
ブログにも著作権は発生しているのだぞ。

著作権侵害についての警視庁の記事(サイバー犯罪課の電話番号も記載)

さっき苦労してバナーも作ってみた。
あんまり厳しい言葉は物々しいので柔らかめにしたのだけれど、
ちゃんと効果があるかしらん。
みんな一度自分の記事がコピー利用されていないか調べてみる方がいいと思うぞ。
著作吹き出し ←これがバナー
もちろんこのバナーもフリーではない。




ぶつぶつ言う(コピーブログのこと、カラマーゾフのドラマのこと)

いろいろ感じたこと
02 /06 2013
コピーブログについて書いたら、ずいぶん多くの人々が記事を見に来てくれた。

心当たりのある人が多いのかもしれない。
まったく人の書いたものを自分が書いたごとくに記事にして
なにが面白いのやら、全然わからない。

ちなみに昨日見つけた私の記事のまる写しブログはふたつ。
「ブログふくおか よかよか」というブログ運営サイトにひとつ、
内容は「教師の感情爆発による体罰」という私の記事のまるまるコピー。
2月4日未明にサイトに連絡を入れたらその昼過ぎには
ブログ削除と会員登録抹消という処置を行ったと連絡がきた。
キャッシュは消さなかったらしいので、検索すればまだ引っかかる。

もうひとつもやはり九州で
「壱っ岐ょい! 」という長崎県壱岐のサイト。
福岡のものとほぼ同時に連絡を入れたのだが、確認メールは届いたものの
その後まだなんの処置もされていない。
ちなみにそのブログはこちら、
http://ccddpin.ikkyoi.com/e15677.html
(行きたい人は勝手に行ってみてほしい、リンクするのは面倒くさい)

壱岐のサイトはどうもブログ運営に必要な対処の迅速性を備えていないようで、
これが長く続いたら、私も各所に連絡してやらなきゃけないことが起こる。
面倒くさいのではやくかたをつけてほしいものだ。

以前沖縄の「てぃーだブログ」が運営管理するところでも
ブログ記事を利用されたのであるが、こちらは文章にたくさんのリンクを貼り、
わけのわからないところに飛ばされる仕組みになっていた(こわい!)。
この「てぃーだブログ」の処理も迅速で半日しないうちにきちんと行われた。

もちろん他の地域にもいるが、
全文まる写しの特徴があり、記事内容も比較的新しいことなどから
九州地区にいる誰かが
他人の記事を自分のブログにして
複数のブログサイトに載せているのかもしれない。
他人の書いたものでなく、自分の書いた記事を使ってくれよと言っておく。
可能ならばその人自身にブログを削除してほしいと願ってもいる。


*****

ドラマ「カラマーゾフの兄弟」について新聞のテレビ欄や
いろいろなブログにおいて「原作を生かしている」とか
「ロシアの香りがする」とか高評価を受けているのを知った。

ミーチャ(ドミトリィ)、イワン、アリョーシャ(アレクセイ)の3兄弟の名前を
満(みつる)、勲(いさむ)、涼(りょう)などと
それっぽく作っているのはご愛敬で、面白く感じたし、
第1回から優しい三男が子役に石を投げつけられるあたりも、
原作をきちんと考えていると思ったが、
どうしてもだめだ~と受け入れがたいのが、
ゾシマ長老というすごく大事な役を、ただの大学教授にしてしまっていることであった。

ドラマは犯人は誰だ動機はなんだというミステリー、
家族、運命、憎悪、葛藤、愛などともじゃもじゃあれこれ、いかにも大作、問題作、
という感じで視聴者を煽りたてている。
が、である。
が、が、が、が!

最大の問題点であり、本作をロシア文学の最高峰に位置させる大きな部分、
大審問官はどうするのだ!
宗教、神を描かないカラマーゾフの兄弟なんて
気の抜けたビール、いいや、ビールにはなれない、ビールもどき飲料みたいなものである。

まぁ、ミステリーや、人間の闇、家族などを描くだけでも十分に面白かろうが、
神の問題を描かないカラマーゾフは、カラマーゾフとは言えないのではないのか?

今のところ、このドラマ好意的に見ている人たちの多くは
こんな但し書きを述べてからが多い。
「原作は一度しか読んだことが無いけれど」。
あるいは「ロシアに行ったことはないけれど」。

ロシアに行ったことが無くて、このドラマはロシア的だなんて、
そんな言葉を新聞紙上に書いた人にはちょっと呆れた。
原作を一度読んで、難しくてよくわからなかったけれども
ドラマになると分かりやすいね、なんて書いている人には苦笑した。

ドラマになって分かりやすいのではなく、
あっさり分かりやすくしてドラマにしてあるのだよ。

とりあえず使用人末松進というのがポイントなので、
ドラマファンはよく注意しておくがよかろう。
ぶつぶつぶつぶつ・・・・・

雪と北の核と日本の理性路線

いろいろ感じたこと
02 /06 2013
首都圏に雪がまた積もるのだという。

今朝6時に起きると、埼玉県はまだ雪が降り始めたところで、
濡れた道の上は濡れて黒いままだった。
作夜はしとしとと雨が降り続いていたのだろう。

今日は病院に予約を取ってあるのだが、
積雪による交通の問題発生を考えると、億劫になる。
通常でも1時間半かかる通院なので、
これに雪による電車の運休や運行減が加わると
ちょっと怖いことになりかねない。

前回の積雪があまりにすごかったので、楽観出来るものかどうか難しい。
う~ん、どうするべきか。どうしようか。

*****

書くのも嫌になるが、大陸の端38度線のうえにある北の国が鬱陶しい。
アメリカの経済制裁等に限界的憤りを感じるとか言っちゃって
核実験を同時に2か所で行うほかにも、他の手段を持って抗議をするとかである。
ミサイルをぶっ飛ばす、という意味合いかもしれない。

あの国の「よくしてくれないと暴れるぞ」というスタンスは
ハロウィンの「お菓子をくれなきゃいたずらするぞ」のガキンチョたちのようだ。
そのいたずらが核やミサイルなのが非常にたちが悪く、可愛げがない。
頭が正常だった頃の母が、あの国の人々の「主席バンザイ」の様子や、
やたらに笑顔にさせられ主席に対する尊敬を持たされている少年少女を見て、
いらいらしたようにこう言ったのを思い出す。
「戦争の頃の日本とそっくりじゃないの。
私もあんなことをさせられて言わされてたもの」

あの国のいまが、母の言葉どおり戦争時の日本の姿と重なるのであれば、
やがて世界は徒党を組み、あの国に向けて戦いを開始するのかもしれない。
あの国は恐ろしい武器を見せびらかすが、
国力は武器のみでなく国民でも測るものだ。
世界があの国に銃を向けたら、あの国の飢えた貧しい国民がまず犠牲になるのだろう。

味方のはずの隣国・共産大国は、今回の核実験をいさめる側にまわったのだそうだ。
世界がブチ切れてあの国を叩きに来るのを危惧しているのだろう。
もしそうなったとき「共産大国も一蓮托生だ」と思われないように。
あるいは「言うこときかないなら北は助けてやんねぇぞ」という意思を示すために。
実際的にあの共産大国には、
他国の人民を救い得る能力と容量があるとは思われない。

その共産大国自身もまた、尖閣のことで危なっかしい轍を踏みつつある。
対して日本は慎重かつ理性的路線で今回の状況に対応する模様である。
先日のアルジェリア人質拘束事件を見れば、
戦闘的な対応の危険は瞭然なので、日本の慎重な対応は間違っていないと考える。
まどろっこしく、忍耐を必要とするが、この姿勢は大事だ。
これが大きな武力衝突の端緒ともなりえるからである。

タカ派には弱腰に思え、苦々しく感じられるのであろうが
日本のとっているこの方法にも、忍耐のための勇気が必要なのである。

******

ああ、雪が道を白くし始めた。
家を出てゆくべきか否か、迷わしい。





ちっちゃい貞子

冗談もどき
02 /07 2013
大した雪でもなかったのに、結局病院には行かなかった。
かなり迷ったけれど、怠惰な欲求が勝った。
おかげで終日後ろめたさが消えず、気持ち的にすっきりしなかった。

気持ち的にすっきりしないがゆえに、
テレビでやっていた「ザ・リング」を鑑賞してしまった。
日本の「リング」もそうなのだが、何度見てもあの話はシャレで作ったとしか思えない。

どこにどう恐怖要素をくっつけても、
テレビの画面から貞子が出てくるところで、吹き出してしまう。
人間がひとり這い出て来られる大きさの画面があればこそ
貞子はすんなり出て来られるのであって、テレビが小さく画面も小さかったら
どう頑張っても貞子は出て来られない。

そもそもビデオを再生する機器がすでに多くの家庭に存在しなくなりつつある。
貞子はその超能力と呪いの力でDVDへダビングされていくのだろうか。
(貞子を見ても生きるためにはビデオをダビングして次の人間に見せなければならない)

DVDを再生するために必要なのはDVDプレーヤーやパソコンである。
パソコンでDVD再生をしたら、多分貞子が出て来られる画面の大きさはなかろう。
必死の思いで体を縮めてから、貞子が這い出してきたとして、
電車の中や飛行機の中で再生されたりしたら、貞子はノートパソコンから出てくるのか?
タブレットで再生されたら画面はさらに小さいぞ。

誰かが呪いを解くべくyoutyubeやニコニコ動画に投稿した場合、
パソコンやタブレットのみならず
スマホでも貞子は再生されることになる。
不特定多数を呪い殺すことができて貞子はきっとうれしかろう。
しかし貞子はすぐに気がつく。
どんなに頑張って体を縮めても貞子はスマホから出て行くことが出来ない!

いや、貞子のことだから超能力や呪いの力で出てくる!
貞子出る!
小さくなって出る!
ちっちゃい貞子が出る!

貞子ちっちぇえ~~~~~!

ちっちゃくて、気持ち悪い貞子なので、ある人は貞子を掴んで道に捨てた。
ある人は道に捨ててから踏みつけた。
ある人は川に貞子を放り投げてポイした。
ある人は貞子をお炊き上げの火にくべた。
ある人は捨て場に困ったのでトイレに流した。


・・・・・・どこが怖いんだよっ!

ほらね、なんだかヤケクソなワタクシ。
ちっちゃい貞子の話、アンサイクロペディアに投稿してやろうかしらん。

遠い紙

出来事から
02 /08 2013
田舎の我が家に帰る途中の乗り換え駅に北千住というところがある。
日本にあるマルイで一番売り上げが高いのが北千住だそうだ。
なるほど平日でもいつも混雑している。

混雑しているがゆえに北千住マルイの入り口には、
若者がたむろすのを防ぐ目的でモスキート音なるものを常に流している。
さすがモスキート音が大好きな足立区のマルイ。
(足立区は区内の公園などにモスキート音を流し
若者が夜にたむろすのを防いでいた経緯がある)

娘は二十歳すぎてようやくモスキート音の感度が低くなり
気楽にマルイに出入りできるようになったが、
それまでは両耳をふさぐほど、はっきりと聞こえたのだそうだ。
おかげさまで私の聴力は年齢相応なので、蚊に聞こえる音が聞こえず、
気軽にマルイに出入りできる。

マルイに人が流れたせいで、以前からある北千住ルミネは閑古鳥が鳴き、
昨年リニューアルを余儀なくされた。
リニューアル後、ルミネには個性的な店舗も入り、人もずいぶん戻ったようだ。
だがしかし、私は昨日、ルミネのリニューアルにちょっとした問題を発見した。

それは上の方にある階の女性用トイレのひとつの個室にあった。
トイレの入り口は清潔かつモダンなイメージで、
「おお、マルイのトイレよりきれいじゃないか!」。

そして気分よく利用した。
・・・・・が、問題はその直後にあった。

遠い。
遠いのだ。
トイレットペーパーまでが遠いのだ。

手が届かないどころではない。
あの座った姿勢の、どうにもこうにも出来ない姿のまんま、
いろいろな意味で用心深くうんしょうんしょと2歩半も進まないと、
トイレットペーパーに手が届かないのだ。

いろいろなトイレを利用してきたが、
トイレットペーパーが2歩も先にあるトイレは初めてである。
生理だったりしたらえらいことになっただろう。
(50過ぎのおばさんでよかった)

リニューアルする前にはきっと、
ちゃんと普通に手が届く場所にホルダーはあったのだろう。
しかし、今回美しいトイレにしたおかげで、どういうわけか
ペーパーホルダーが便器から数歩先のドア近辺に設置されてしまったのだ。

私の身長は160センチで、それで手が届かないのだから
145センチくらいの小柄な人だったら、
あの微妙な姿勢で2歩どころか3歩も歩く必要があるかもしれない。

推測だが、設計者、あるいはデザイナーは
紙をめったに使わない男性だったのではなかろうか。
それとも約2メートル半もあるような長身の女性か。
それとも悪魔の実を食べた能力者で、手がゴムになりどこまでも伸びるタイプか。

あのトイレを日ごろから使っている女性はきっと、
個室に入ってまずはペーパーを巻き取って手に持ち、
それから2歩進んでよいしょっと座っているに違いない。

個室から出た私は何事もなかったように手を洗い
美しい化粧室をあとにした。

私のすぐ後に、おしゃれで素敵なお姉さんがその個室に入ったが、
そのお姉さんがあの微妙な姿勢でペーパーホルダーに向かうところは
想像しないことにした。



急行電車を待つ間

出来事から
02 /09 2013
急行電車を待っていた。
私の前に立って電車を待っている女性ふたり、年は30代40代と言ったところ、
仲のいい友達同士なのか、あれこれ楽しげに喋っていた。
と、背の低い方がスマホを取りだした。
「今から行くってお母さんに電話入れとく」。

いい年こいてお母さんでもないだろ、と密かに思っていると、

「え、うん、うん、今日はあたし一人だから、お兄ちゃんとお姉ちゃんは行かないよ、
え、うん、聞いてみるけど」。

背の低い方が電話を終えると高い方がすぐに聞いた。
「お母さんなんだって?」
「なんかさ、お母さんみんなが来ると思っていろいろ用意しちゃってるらしい」

おやおや、仲のいい友達とばかり思っていたら姉妹だったか。
すると背の低い方が斜め後ろ、つまり私の隣にいる男性、の方を見た。
「お母さんさ、ポテトサラダ作って待ってるってよ」

あれまぁ、私の隣に立っているこの男性がお兄ちゃんなのか、
つまりこの場にいる3人は兄姉妹だったのか。

「いらねえよ、ポテトサラダなんか。
なんでわざわざポテトサラダ食いに行かなきゃならないんだよ」
お兄ちゃんは、その言葉つきに優しさが感じ取れないが、
顔つきは甚だ温和そうである。
この言葉の悪さは下町の流派かもしれないが、キツイ。
「ポテトサラダがうまいならまだしも、なんでくそまずいポテトサラダ食いに行くんだよ」

背の低い方の女性がけらけら笑う。
「しょうがないよ、お兄ちゃん一度ポテトサラダ美味しいって言ったんでしょ、
お母さんインプットされてるんだよ、お兄ちゃんはポテトサラダが好きなんだって」
「別に好きじゃねぇよ、もっといいもん食わせろよ」

背の高い方の女性が低い方に言う。
「○○ちゃんは餃子だっけ」
低い方が陽気に答える。
「そう、餃子。私には餃子作ったから来いって言うんだよ。
お母さんの餃子好きなんだけどさ、すごい食べたのは若いころでさ、
今はそんな、大皿全部出されても食べられないのにさ、作るんだよ」

お兄ちゃんがさも面倒そうに加わる。
「まったく、たまの休みになんで親の顔見に行かなきゃならないんだよ。
俺らそんなに暇があるわけでもないのによ、ポテトサラダなんか食いたくねぇよ」

「しょうがないから、ちらっと顔出しして、すぐ帰ろうよ、
ポテトサラダもちゃんともらってこよう」
背の高い方がお兄ちゃんをいさめ、低い方がまたゲラゲラ笑う。
「そういう優しいこというのはお姉さんだけだよ」

背の高いほうの女性はお兄ちゃんのお嫁さんだったのか、そうか。
「めんどくせぇよ、行ったってなんも話すことなんかねぇし」
「どこに連れていってほしいか、話すつもりなんじゃないの」
口の悪いお兄ちゃんを、いや、夫をなだめつつ、背の高いお姉ちゃんが言う。
どうもご両親は、この兄夫婦と妹にどこぞに旅行に連れて行ってもらうらしい。

「あたしこの前楽しいはずのディズニー・シーに連れて行ったけどさ、
なんか最後にすごい嫌だった。
トイストーリーマニア行ったら、5分前に終わりましたよって言われちゃったんだよ。
お父さんがすごい怒ってさぁ、お前らが飯が遅いからだとか、超不機嫌でさ、
なんか一日の楽しみ全部消えた」

背の低い方が父親の気質の悪さを公然と暴くと、お兄ちゃんは、けっ、と吐き捨てる。
「休み使ってまで連れて行っても、そうなるんだよ、だから俺はいやなんだよ」
「お義父さん、でも乗り物とかすごい好きだったんでしょう?」
「そうそう、乗るとすごい喜んじゃってさ、大騒ぎするんだよ」
背の高いお姉ちゃんは、とりあえず婚家の親をけなすまいと努力していたが、
その親の実の子供である妹とお兄ちゃんの方は、好き放題に父母を貶める。
「お父さんこの頃異様に頑固で怒りっぽい。
その発火点がどこかさっぱりわからないんだよ。
お母さんも思い込みが激しいし、
なんで?っていうことを私たちに期待するしさ、もう勘弁してほしいよね」

ポテトサラダを作って成長した兄妹たちの来るのを待っている老いた両親が
私にはいい加減哀れに思えてきた頃、急行電車が到着し、
私はその3人からそそそーっと離れた席に座った。
少しほっとした。


30代40代になると、みなそれぞれの家庭を抱え、仕事も子育ても忙しくて、
老いた両親がふたりで暮らすところになど、まめまめしく行くのが苦痛になるものだ。
孫が小さい頃には週一で行っていたのに、
その間隔は次第に遠のき、孫が高校生になる頃には2,3週間に一度くらいになっている。
私にも覚えがあるからよくわかる。

娘や息子のためにポテトサラダを作って待っていてくれる親も、
遠くない将来、ポテトサラダも餃子も作らなくなる。
ディズニーシーの乗り物にも乗らなくなるどころか、
足腰が弱って一緒に行けなくなる。
そうしていつか介護のときがやってくるのだ。

電車待ちで立ち聞きした3人の話では
面倒くさい、休みが惜しい、親がうるさいと言いながらも
両親を旅行に連れて行く計画がある模様だった。

言葉も交わしていない身ながら、楽しい旅行になるといいねと思った。  



ご飯が炊けるまで

こころ
02 /10 2013
現在、炊飯器のスイッチを入れ、ご飯を炊いている。

今日の米は、岩手県産のひとめぼれ、である。
ここ数カ月はこれを近所のスーパーで買っていて、うちでは評判がいい。
私自身は米にこだわりを持たないので、
こしひかり、ささにしき、あきたこまち、はえぬき、などなんでも大丈夫である。

他に北海道のきららとか、
埼玉の彩のかがやきとか、
どこの県のものだったか、つや姫やミルキー・クィーンなんかも
ネーミングが面白くて、使ったことがある。
しばらくは、東北産の米に限定して購入している。
東北の米は、やっぱりうまい。

ちなみに魚沼産コシヒカリなる超有名ブランドは
新潟のスキー場に行ったときに食べたきり、以降口にしていない。
あまりの米の美味しさに、夫が朝から納豆で3杯飯をを食べていた。

今日の夕食に、現在煮豚を作成中である。
先ほど圧力釜の火を止め、蒸らしに入ったところである。
30分ほど放置して、まだ家族が誰も帰ってこなかったら、
ふたを開けて肉を裏返し、少し煮込んでみる予定。

煮豚の汁にレシピはない。
冷蔵庫にある適当な調味料を適当にまぜこみ、ちょっと味見して
豚バラ肉の塊を入れてきっちり蓋をし、火にかけるのみ。

今夜の煮豚に使った調味料は、
びん底から1センチ残っていたトップバリューの生姜焼きの素に
やはり容器の底に1センチ残っていたエバラ焼肉のたれ焙煎ニンニク味、
さらにびん底に1センチ残っていたオイスターソース、
そして砂糖とみりん、日本酒と醤油、である。
これらの調味料を圧力鍋に元気よく投入して、
それぞれの容器に水を入れて洗いながら、それも鍋に入れ、
肉が浸かる程度まで水も入れて、蓋をして点火、となる。

きっちりとレシピ本を見たり、ネットのサイトを参考にして
料理をすることもあるが、この頃はかなり適当になりつつある。
不思議なのだが、40代の後半あたりから、適当につくっても
そこそこ美味しい出来上がりになって来たような気がする。

若かりしころ、一生懸命本を見ながら作っても
大して美味しくない物が出来て、
夫が残すのを見ては、なんでだ? なんでなんだ? 
と、悔しかったり悲しかったりしたものだ。

料理は得意ではないし、今も決して上手だなどとは思わない。
(10代後半から30代まではほとんど口から食べ物を摂取しなかったので
味覚的にも問題があると思うのだ)
それでも、50歳になった今は、人並みに、
その年齢にふさわしい程度の味はなんとか出来るようになったと自覚している。

60歳になったらきっと、煮物なんかはもっと上手になっているのだろう。
得意なことでなくても、やり続けることで上達するというのは
きっと本当のことだと思う。

60歳までお習字を続けたら、そこそこいい字を書けるようになるかしら。
60歳まで経理を頑張れば、ちゃっちゃと事務が出来るようになるかしら。
人間はいくつまで成長を自覚できるのか、それを追究していくには
50歳はちょうどいい年齢だと思う。

とりあえずは面白がって、続けられることは続けてみようと思う次第である。

お、夫が帰って来た。
煮豚の付け合わせに、ちんげんさいを茹でるとするか。
(だってほうれん草は高いんだもん)