アルツハイマーには運動だって!

いろいろ感じたこと
03 /01 2013
アルツハイマー病の母親を持つ身としても、
それほど深く考えないようにしているのだが。

母親の一族全員が認知症になっているわけでもないので
遺伝とは思いたくないが、
なにしろ母かたの祖父祖母、それ以前の人々はみな50代から60代後半、
一般的に発症しやすい年齢になる以前に
癌だのなんだで亡くなってしまっているので、そのあたりはっきりしない。

昨夜のNHKのアルツハイマー病の特集では、
その発症は20年前から脳内に増え始めるβアミロイドの蓄積によって
うかがい知ることができると言っていた。

遺伝的アルツハイマーのリスクが私にあるとすれば
私の脳内にもそろそろβアミロイドが溜まりにたまっているものと思われる。
そう言えばこの頃、様々なものの名前が全然思い出せなくて、
その度に「ああ、また思い出せない~~~」と悔しいのだが
それが蓄積のせいかもしれないと思うと、いや~な感じだ。

しかし遺伝的なアルツハイマーであるとはっきりしている場合は
βアミロイドの蓄積を抑える薬を投与することで
抑制は可能とされているそうだ。
アメリカでの研究だったので日本では当然保険も利かないだろうだろうが。

で、遺伝性ではないアルツハイマーはというと、
これにはもちろん様々な要因があるのだろうが、
驚くべきことに脳の再生によって発症を抑えることができるのだという。

でも、この方法には正直まいった。
だってさ~、「運動」だっていうのだ。
脳を再生させるのは「運動」なのだそうだ。

じゃあ、あれかい、アスリートはアルツハイマーにはならないってこと?
肉体労働者は、アルツハイマーにはならないってこと?

・・・・うはぁ、なんだかそんな気がしてきた。
うちの母は確かにお嬢様育ちの上に仕事も肉体労働ではなかった。
一方、夫の親やその兄弟は
農家や市場や工場といった体を動かす仕事をしている人たちで、
だ~れもアルツハイマーになった人がいない。
姉の夫の親は双方がともにアルツハイマーになったけど、
不動産屋と専業主婦だったなぁ・・・・

なんだかものすごくやばい気がしてきた。
運動しない私のリスクったら母の比ではないぞ。
数年余の入院生活に加えて、その後はほとんど専業主婦の年月だものなぁ。

これはやはり運動をしないといけないのか? いけないよなぁ(涙
ちょっと汗をかくくらいの運動とか言っていたけれど
汗をかくと人工肛門のパウチが蒸れてかぶれて、最悪外れて便が漏れるし
うんこもらしだけは避けたいじゃないかっ!
それに基本脱水症の私は、汗をかいた時点で脱水になるんだよなぁ、
どうすりゃいいんだ、いったい~~~~

・・・・・と結構本気で考えた。
おかげで午後の親知らずの抜歯のことまで忘れてしまいそうだぜ~~~~!!!





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歯を抜く間が抜け気が抜ける

出来事から
03 /02 2013
なにが嫌だって、麻酔や痛みより
抜歯の途中に喉の奥に溜まってくる唾が嫌い。

あるいは抜歯の緊張による腸の蠕動運動によって
人工肛門のパウチの中に水様便がどんどんたまり
ズボンの上からでも野球のボールでも入れたような感じになるのも
できれば避けたい。

ということで、午後3時半の抜歯のために、私は朝から固形物の食事をせず、
医療品である経腸栄養剤のみを摂って、
準備万端の心づもりで医者に行ったわけである。

が、まさかの事態が表出した。

名前を呼ばれて口腔外科の診察室に入ったとき
先生はまず私にこう言った。

「ちやこさん、歯ないねぇ」

それはあなた、聞き返しますよ、普通。
「は?」
「ほら、歯がないよ、ここに」

口腔外科の医師が指し示したのは前回手術が決まったのちに撮影した
下あご全体のレントゲン写真。
そしてそこには、腫れて顔の形まで変えてくれたはずの
右奥歯下に埋まっているはずの
問題の親知らずが・・・・・存在していなかった。

ええええええええええっ、
なんて言葉は出ない。
出るのは
はぁぁ? 

そんな間の抜けたことがあってよいのか?
しかしレントゲンには歯が写っていないのである。

腫れていない左奥歯下には埋まっている
真横になった親知らずが存在しているが、
右奥歯の下にはなんにもない。
本当になんにもないのだ。

とても固くゴリゴリしたものが確かにあって、それは歯だろうと医者も断言していた。
しかし、古い昔ながらの大病院の悲しさよ、
普通の歯医者みたいに「じゃあレントゲンで確認ね」と、数歩動いて撮影室へ
なんてことが出来ない仕組みだったのが、
今回の「歯なし事件」の大きな原因だろう。

前回の診察の終了後、私は数分歩いてレントゲン室に行き、
そこで写真をとってさっさと帰路についたので
医師がそのレントゲン写真を見たのは
昨日私が診察室に入って行った瞬間がはじめてだったのだろうと思われる。
で、そこには抜く予定だったはずの親知らずがなかった・・・・

あの岩のように固かった奥歯の下部の腫れものは
感染症のひどいものだったのではないか、ということで
「また抗生物質出しておきますから」。

まさかこんな落ちになるとは。
歯を抜くよりも間が抜け気が抜けた。
そして先生と看護師さんとゲラゲラ笑って・・・・終わった。

お腹のすいている私は、薬をもらったのちに、モスバーガーに直行して
マスタードチキンバーガーをぺろりと食べ
ミスタードーナツで100円ドーナツを5個買って、
ニヤニヤしながら帰ったのであった。

いや、面白いこともあるもんだ、愉快愉快。
世の中こう言うこともあり得るのさ、ふふふ。
だからあれよ、先々へのいらない心配はしなくていいってわけよ。
みなさんの心配や不安も、私のような落ちで終わるといいね。

明日の事を思い煩うなかれ。明日は、明日自ら思い煩わん。
 一日の苦労は、一日で足れり。
          マタイ6-34

おぼえておこう

未分類
03 /02 2013
わたしだって可愛いころがあったんだ
すべすべでほかほかの肌に
ぱつんとそろえたまっすぐな髪
わらうと口の横にちょこんとへっこむえくぼ

かわいいね かわいいな と見つめられて
さぁおいで こっちだよ と抱っこされて
高い高い声で うれしさしかないこころで
うんとうんとわらったっけ

わたしがあんなに可愛かったころを知る人は
いまはもうお墓のなかだけれど

     takara-mono.gif

わたしだって可愛いころがあったんだ
つやつやしたきれいな肌に
光を受けてかがやく髪
わらうと口の横にちょこんとへっこむえくぼ

だいすきだよ あいしてるよ とささやかれて
いっしょになろう 結婚しよう と求められて
上目づかいにうつむきながら
こっくり うん とうなづいたっけ

わたしがあんなに可愛かったころを知る人は
いまはもうわたしの顔すらわからないけれど

     asaichi1.gif

わたしがあんなに可愛かったころを知る人は
だあれもいなくなったけれど

わたしはあなたをおぼえておこう
お墓のなかでねむるあなたを
すべてをわすれていくあなたを
わたしはずっとおぼえておこう
ずうっと ずうっと おぼえておこう


aki-l.gif



イラスト素材 mariya http://serenity.whitesnow.jp/mariya

谷川俊太郎氏のやわらかなすごさ

こころ
03 /03 2013
昨日はじめて「詩」などというものをここに投稿してみた。

自分でもちゃんと知っている。
私には詩才はない。
俳句も短歌も詩も、才能はない。

一切の説明をせず受け手の取りたいように取らせる、
そのまかせきった姿勢がない。

それがなぜ突然昨日詩などを書いてみたかと言うと
たまたま観た「王様のブランチ」の読書のコーナーに
詩人、谷川俊太郎のインタビューが放送されていたからである。

小学生や中学生の国語で
「生きているということ」と言う詩を習った記憶のある人も居よう。
あの作者、谷川俊太郎氏である。

なんでもないことのように氏は話していたが
そこには飾らない素のままできれいな、谷川氏が垣間見えた。

氏にとって「詩」とは何かと問われて
「飯のタネ」となんのまよいもなく、おっとり静かに答え、
その答えにさえも「素直さ、きれいさ」が香り立つところなどは
あのくらいの年齢にならないと難しかろう。
(80歳を超えておられた)

氏は詩作を求められた要望によって、書く内容を変えておられるという。
子供のための詩なら、子供の心で
老人に向けた雑誌なら、自分の本心に近いものを書かれるそうだ。

少し驚いたのが「自分の本心に近いもの」だけを書くわけではないということだった。
私の持っている詩人のイメージは「自己の心の中」を詩にする人たちで、
それとは違うものを詩にするなどとは、想像の他であった。

これはまさしく、職業詩人、というものなのかもしれない。
だが芸術を職業にする人間特有の威丈高な感覚、
自分は特殊な世界の貴重な人物であるという自負心は、氏には少しもなかった。
「詩は飯のタネ」とほほ笑みながらのんびりと答えられるほどに
谷川氏は正直で、汚れた嘘を口にしない。

さらには「詩の受け止め方」についても氏は驚くべき真理を呈した。
詩に解説はいらない。
分からなかったら、嫌いだったら投げ出せばいい、というのだ。

読んでほしいという思いを持たずに書く詩人がいるだろうか。
しかし谷川氏は、そんなことはさほど問題にはしていない。
飯のタネだからそこそこ売れないと困るけれど
どうしても理解しろ! と言うようなものではないと明言するのだ。

詩の書き方についても氏は独特であった。
眠いなぁとあくびをしているときに、言葉がふわっと浮かんで、詩になる。
と表現されていた。
だから氏は机の前で構えて詩文を書こうと頑張ることはないそうだ。

なんという自由で、気楽で、おおらかな思考だろう。
そういう詩なら、私にも書ける、そんな気がした。

そんな気がして数時間経過し、
夫が仕事から帰宅して私に対して思いやりのない態度を見せた。
そういう態度、私が若かったら見せるかい?
と思ったら、最初の一文
「わたしだって可愛いころがあったんだ」が出てきた。

そのあとはすらすら流れ出て、パッと仕上がった。
いつもブログを書いているのより20分以上短い時間で出来上がり、
ええいままよ、と投稿した。

上手ではないことは自分でもわかっているが、
借りてきたイラストが素敵なので、様になった(と思いたい)。

またなにかふんわか言葉が上ってきたら詩にしてみよう。
本当のことでなくてもいい、
自分の思ったストーリーを、世界を詩にすればいいなら、
きっと、みんなにもできる。


突然の痙攣

わんこ
03 /04 2013
普通の朝だと思って、普通に仕事に行く予定で起きた。
燃えるごみを出す日だから、いつも通りゴミを袋に詰めていた。
家の外にあるゴミバケツのなかのゴミも取りに出て、
このごろ近所に頻出するカラスにゴミ袋をつつかれないよう
あれこれ詰め方を工夫していたときだった。

家の中がパタパタ騒がしい。
犬が廊下を小走りに走っている音だと思った。
それにしては音の刻みが細かく、いやに正確だった。
キャン、きゅん、という鳴き声が、そう言えば最初に聞こえたっけな、
わんこたち、朝からなにをしているんだ。

と再び家の中に入ったとき、
うちの白いメスが横向けに倒れ、体中を激しく痙攣させていた。
口からは大量の泡があふれ、
目は見開いて、体の下側には漏らしたのであろう大量の尿が広がっていて
お尻のあたりには便まで転がっていた。

大声で家族を呼び立てた。
夫も娘も慌てて起きてきて、犬が激しく痙攣し続けているのを目にした。
犬が苦しみで暴れ出したので、首輪を掴んだ。
10分も20分も、荒馬のように暴れまくる犬の、首輪を頼りに手放すまいと必死になった。

何度か腕を噛まれかけた。
しかし幸運なことに、犬にはまだ理性があったのだろう。
犬も必死になって、私の腕を噛むまいと堪えているのがわかった。
踊り狂うかと言うほど暴れているのに、犬は私を噛まなかった。

泣きだした娘に着替えを命じ、夫には、会社には遅れて行くからねと詫びた。
慌てて着替えてきた娘には、転がっている犬の便と
広がっている尿を始末させた。

とにかく、暴れ方が尋常ではない。
廊下で暴れて、扉に激突して、ガラスが全部割れ落ちるくらいは容易いだろう。
どうすればこの子が、この苦しい狂乱状態から抜け出られるのか。

もしや、と思って暴れる犬の首輪にリードをつけた。
1本では危ないから2本つけた。

外に出たとたん踊り狂うのをやめた犬を、娘は散歩に連れ出した。
いつも一緒の大人しい黒い雄犬も、メスを心配しながらついてきた。
メスは真っすぐ歩けなかった。
普通は避けて歩くものを避けられず、
突進し、引き戻り、ふと立ち上がり、また突進する。

ああ、この子はいま、目があまり利かないのかもしれない。
瞳孔が見開いて、こんなに苦しんでいるのに、
うれしいときのような目をしている。

私たちは歩いた。
早朝から開いているはずのない動物病院まで混乱する犬を連れて行った。
先生はもちろん出て来なかった。
何度ベルを押しても出て来なかった。
電話をかけても出て来なかった。

どうせ、家に戻ってもいまのこの子は暴れるだろう。
なら歩いている方がいいんだ。
私たちは隣町まで歩いた。およそ1時間半。
とうに疲労するはずの13歳近い老犬が、少しも疲れを見せない。
テンパってテンパって、何度も何度も車の走る道へ出たがる。
引き戻し、向きを変え、出来る限り車の通らぬ道を探して
遠回りに回って、9時前だった。

評判のよさをきく、動物病院の前に着いた。
診察時間前だというのに、看護師さんは入れてくれ
先生は犬を診てくれた。

検査もいくつかしてくれて、結果が出たからと呼ばれたのは
1時間余り後だった。
うちの白いメス犬は脳圧が上がって、感情のコントロールが出来なくなっているらしい、
とのことだった。
脳と神経系統の異常であった。

そのときにはすでに、犬はエリザベスカラーを付けられ
脳圧を下げる点滴を受けていた。

病名はなんだかまだわからない。
ただ、最初の発作が起きると、次の発作はいつか来る。
発作と発作の感覚が短くなってくれば、そこに待つのは、終わり、だ。

犬は三日間入院することになった。
点滴をされた犬は、かなり気持ちが落ち着いた様子で
瞳孔の散大も小さくなり、私たちを見て鳴いた。

私たちはそのあと1時間あまり歩いて帰宅した。
もう泣くな、と娘に何度も繰り返した。
一日をだらだら過ごすことなく、その日に出来ることは全部やるようにしなさい、と命じた。
そうしないと、犬に何か起きたとき、自由に動けなくなるから。

12時半になっていた。
私は仕事に出て行った。
朝、犬の首輪を抑えていたときに膝まづいていた私のズボンは
仕事を終えて帰るまで、犬の尿の匂いがしみ込んでいた。








春がきていた

未分類
03 /06 2013
まいったな
二度寝して目が覚めたら 冬が帰ってしまっていた

窓から見える外はまぶしいほど輝いていて
窓を開けると清新な光の束が
青い青い天から地上に降り注いでいた

庭に出るのを待ちかねていた黒い雄犬が
光の強さにびっくりして
「これはなぁに?」と振り返った

あぁあ、春が来たよ

この春はきっと子供
自分の出番がうれしくって
きらきらはしゃいでいるんだろう

この春は きれいすぎて 純粋過ぎて
私は 目も開けられないから こうして下ばかり見ている



            etching24.gif



イラスト素材 Night on the Planet http://landetvous.com/nightontheplanet/

今夜犬が帰ってくる

わんこ
03 /06 2013
と、言うことで、春になっていたのには、非常に面食らった。
昨日までは起きると冬で、
昼も温かいと言ったところでまだ冬だったのに今日は違う。
これは絶対に春だ。
春以外のなにものでもない、春だ。

自分の気持ちがまだ春に追い付いていない。
この冬はだって、大物すぎた。
それに、関東程度の冬ならば、私は春より冬が好きなのだ。

インフルエンザや積雪や洗濯物が乾かないとか、冬には短所もあるけれど、
冬はお鍋が美味しいし、お風呂に入ったときのうれしさは格別だし、
寝床で湯たんぽを抱きしめるときのうれしさも筆舌に尽くしがたいし、
なんだかんだと、好きなのだ。

春はというと、花粉だの年度切り替わりの多忙だのいろいろとあって
まぁその程度の短所は
わっと花の咲く美しさで全部許容するのだけれど、
なにせ春のあとには、大冬と勢力を二分するほどの野郎がさ
待ちかまえているんだものなぁ、それを思うと嫌なんだ。

そうなんだよ夏なんだよ、春のあとにはクソ厚かましい夏が来るんだよ。
そいつがまただいたい、早く来るんだよ。
気持ちのいい春風なんか2か月も吹かなくって
5月の半ば過ぎから夏の野郎が春を押しのけて出しゃばってくるんだよ。
ああ、いやだ。いやだ。
私は夏には冬眠したいよ。
寝て過ごしたいよ。なにも知らないうちに終わっていて欲しいよ。
いま夏の悪口を言ったって始まらないんだけど、嫌なんだからしょうがないけれどもさ。
プンスカプン!

ところで今日の夜、入院している犬を迎えに行く。
昨日見舞いに行った娘によると、犬は24時間点滴を受けて
症状はきちんと治まっているそうだ。
だから今夜はきっと連れて帰って来られるだろう。

不安じゃないと言えば嘘になる。
また、あの強烈な痙攣の現場を見るのは勘弁してほしい。
あれを見たくないばかりに、犬の処分を考える人も出てきそうな迫力だった。
正直私も、このまま犬が逝くかと思ったし、
あれほどの苦痛なら、召される方が楽なんじゃないかと思った。

でもあの日、犬の苦しみを紛らわせるための長い長い散歩の途中で感じた。
これが人間だったら、
自分の子供だったら、苦しんでいるからって、「死んだ方がマシ」なんて
思うだろうか、と。

うちの犬は二頭とも雑種の捨て犬で、元のら犬だ。
のら犬はネットを見れば溢れていて、ときどき里親ネットを物色しては、
あ、このこかわいいなぁと、2頭で手いっぱいの我が家を嘆いたりしていたが
これはなんて傲慢な思考だったのだろう。

私はいま飼っている二頭に代替えがあると、心の底で思っていたのだ。
自分の子が死んだら、よその子をもらえばいいなんて、
普通の親なら思えるはずがないのに、自分の家の犬には替えがあると思った。
これが人間の、私の傲慢でなくてなんだろう。

多くの人たちが、年老いて病を抱えた犬たちを
前にもまして強く大事に思いながら看護し飼っているというのに
私はなんて、恐ろしいことを思っていたのだろう。

大事だ大事だ、かわいいかわいいと何十回何百回言葉にしながら
私は彼らを「健康なら」という条件付きで許容していたのか。
自分の底の浅さに寒気がしてくる。

私は変わらなくてはならない。
不安よりも希望と忍耐をもって、病気になったあの子を
前にもまして大事にしようと決めて、迎えに行こう。

ネットにあふれる我慢強く愛情あふれる多くの尊敬すべき飼い主さんたちを
見習いながら、私もその列に、うんと下っ端にでも、入れるように努力しよう。
自分の病弱な体がネックなのは確かにあるけれども
この試練を私と我が家に与えられたのは神様だから、私はこれを甘んじて受けよう。
弱いときこそ、私たちは強くなれる。


主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。
というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。
ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
    第二コリント 12章9節







犬が退院した、闘病生活が始まった

わんこ
03 /07 2013
昨夜6時半ごろ、入院していた犬が診察室に連れて来られたとき、
先生は「うまくいきました」と言った。

全身の痙攣的ふるえも、狂乱も、三日間の入院で一応落ち着き、事なきを得た、
という説明であった。
犬は尻尾を後ろにだらりと下げ、自信なさげで、おとなしそうに見えた。

が、しかし、帰りの車に乗った途端、犬は再び激しい興奮状態に陥った。
ゲージが細かく動くほどの激しい震えと、きゅんきゅん鳴き。
そしてものすごい喘鳴。

車から降ろして歩かせると、極めて普通の犬のように
とっとことっとこ早足で進み、尻尾もピンと上がるのだが、
家に着くとやっぱり激しい喘ぎと震え、
さらには病院で食べた朝食さえ吐きだした。

犬の神経は落ち着き方を忘れたかに見えた。
ちょっとした出来事が強烈な緊張を肉体にもたらし、
そのために胃は食べ物を消化できなくなったのか、
犬は餌はもちろん、薬さえ受け付けず、ただ吐くのみである。

もちろん全快で帰ってくるなどとは思っていなかったが
これはまるで、数日前の痙攣後2~30分したときの様子そのままであったので
さすがに困った。

当然犬は叫ぶ、喘ぐ、震える、吐く、そしてゆらゆら揺れながら歩き回り
突然「静」になったとたん、ぐらりと転びかけては立ち直り、
また叫ぶ喘ぐ震える吐く・・・・

仕事から帰って来た夫が、心配そうな表情から
次第に「不愉快」な顔へと変わっていく。
そんな顔をされてもどうにもならないのだが、夫には夫の
疲労や事情があって、そんな顔しないでよ、とは言えない。

これでは当たり前の夜を過ごすことは出来ないのではないか、と思ったが
車から持ってきた犬用のゲージに無理やり押し込み
光を一切遮断するよう大きな布を掛けてみると・・・・・
1時間ほどで、犬の興奮はやや下火になってくれたのである。

(妊娠中毒症の患者が病室の光を遮断されるのと同じかもしれない)

私たちはこうして、なんとか夜を過ごした。
犬は何度か真っ暗ななかで喘鳴を起こし、ずっと震え続けていて、
興奮が取れずに少しも眠らなかったけれども、
極度の肉体の緊張から来る疲労のおかげで、ときどきうつらうつらはするようであった。

そして今朝、私と娘は再び犬を病院に連れて行った。
検査によると消化器や心臓には問題がなさそうだったが、肺への道筋が
少し狭くなっていたので、気管支拡張剤を注射された。
やはり問題は脳内か、神経であろうとのことで
その検査をするには、大きな大学病院などへ行くしかないと言われた。

だから今私たちにできることは、犬への刺激を出来る限り避けることだけである。
犬は今日帰って来てからすぐに覆いで光を遮断されたゲージに入れられた。
すると間もなく落ち着き、眠りはしないがうつらうつらしはじめた。

それから半日、いま犬はゲージの中を自由に出たり入ったりしながら、
それほどの激しい症状は見せていない。
相変わらず小刻みに震え続け、ときどき喘ぐが、
私たちがなるべく平穏をよそおい、視線を外していると
それらは次第に落ち着くようである。

犬の闘病生活が始まったのだなぁ、と改めて思う。
とても強い、女王様気質の、賢い犬で、
他の犬との喧嘩にも決して引かない子だったが
今日、そのメス犬は、片足上げのおしっこはせず
ただ大人しくしゃがんで、庭先で女の子らしいおしっこを3度した。
「わたしは犬だからおしっこは散歩でする、庭でなんかしない!」
と十年余り拒絶していたはずなのに、あっさり、した。

この強い白メスが大好きで、この子に惚れてうちにやってきた黒い雄犬は
メスの変わりように少し戸惑っている。
明日はどうなるのだろう。

心配してもしょうがないので、ただ、出来ることをやることにする。
可能な限り笑顔で。








将来が見えない世界で育つって結構キツイっす

いろいろ感じたこと
03 /08 2013
救急車で運ばれてきて入院する人の8割が高齢者だよ、と医師が言った。
それもね、80代じゃない、90代の人がすごく多いんだよ、
80代で長生きですね、なんてもう、とんでもないって時代になって来てるんだよ。

私の場合現在は、直系、傍系の親族ともに90歳代は一人もいない。
過去にはもちろんその年代まで頑張って生きた方々もいたが、
極めて少数であった。

その90歳代の患者がどんどん増えていると、医師は日々に感じているそうだ。
もはや「高齢化」どころではなく「超高齢化」だと言いきった。

医師の話はそこから、近い将来日本に必要とされる職業と形態について流れて行き、
それはそれで興味深いものではあったが、
今日書く話は、そういう面ではない。

救急入院患者の8割が高齢者、しかも90代の大増加という件を
医療系の若者にぺろっと持ちかけたその反応についてである。

若者はへーっと軽く驚いて見せ、こう続けた。

「で、その人たちを助けるの?」

質問があまりに深すぎて、私は答えられなかった。

この質問の答えは、それぞれの考え方や経験、環境によって
まったく違うものになる。
全員が納得できるような答えはない。

テレビドラマや映画や本では、
この患者が明日戦場で死すとも医者は患者にベストを尽くす・・・・
などとかっこよく語られたりするのであるが
これが戦場で死ぬ若者ではなく、
救急車でやってきた90歳代にも同じ感覚で言えるのだろうか。
いまの医学は多分、そう言わないといけない、と育てられているのだろうし、
倫理的には素晴らしい。

しかしベストを尽くさないといけない対象が増えすぎると、
医療費増によりそれに伴う増税が起こり、増税により労働意欲が低下し、
仕事をしないなら結婚もできず、既婚者が減り子供が生まれなくなり、
国力が低下し・・・・

私の弱い頭で考えると、この循環にプラスの面は見出せない。
こんなところで軽々しく扱うには荷の重すぎる問題である。

ただ、考えていることが一つだけある。
私自身が90歳代まで生きたとして、(場合によっては80代70代60代でも可)
救急車を家族が呼び、病院に運ばれたとしても、
その際には痛みどめのほかは治療を拒絶したい。

それには意識のしっかりしているうちに、一筆
Living Will をしたためた置くのが肝要であろう。
今現在は尊厳死公正証書などという手続きが必要で面倒だが
超高齢化社会になれば、これも簡易化されるかもしれない。

「将来が見えない世界で育つって結構キツイっす」
若者は嘲るように笑った。

ならばいまを生きたまえ、と言いたかったが、かっこよすぎるのでやめた。

犬が倒れて6日目

わんこ
03 /09 2013
犬の様子を心配してくれている人たちへ報告がてら。

犬が泡を吹いて倒れてから6日。
3日間入院して、退院当日はかなり戸惑いもあったものの
その後から今日にかけては、いろいろあっても私たちの側が慣れて来始めている。

犬は相変わらず興奮のスイッチ感度が高過ぎて、
ちょっとしたことでハァハァがはじまり、喘ぎに喘ぎ、筋肉も震え、落ち着かず動き回る。
それでも環境的に上手くいくと落ち着いてくれ、
特に家人の少ない昼間などは、しっかり眠りこんでくれるようにもなった。

ちなみに現在はうるさい。
夜には人間の夕食があり、その匂いに興奮が誘われる。
さらに夫が帰ってくると、それだけで興奮が高まってしまう。

ステロイドのせいか食欲が増大しているし、
喘ぎと興奮のせいで水分を猛烈に欲しがる。
水分に限って言えば、与えたら与えるだけ飲んでしまうだろう。
おもらしはまだしも、水中毒になりかねない。

夜に騒ぐあたりは、赤ん坊に似ている。
落ち着いているからと部屋に放しておくと、けろっとした顔で
大量におしっこをもらすところは、オムツはずし作戦中の小さな子のようだ。

いまのところ私は犬を叱っていない。
大量のおしっこや、大騒ぎでも声を荒げてはいない。
きっと恵まれているのだろう、うちの病気の犬は
夕泣き夜泣きの赤ん坊ほどには私の心をかき乱さないし、
おさなごよりはおもらしの回数が少ない。

床にこぼれた大量のおしっこを始末する際、自分の手を汚すまいとする娘を見ていて、
思わず笑ってしまった。
私も新米主婦の頃は、娘の漏らしたおしっこやうんちで手が汚れるのが
とてもとても嫌に思えたっけ。
いま、それがいつの間にかさほど気にならなくなっている。
うちの犬のウンコなんか下痢でなければ、素手で拾えるだろう。

赤ん坊はゲージに入れておくわけにはいかないし、
認知症の老人はなおさら大人しくさせておくことが難しい。
今現在のうちの犬の状態なんか、それらに比較すれば簡単なものだ。

それから特記すべきことがひとつ。

犬が一番リラックスできる相手は娘である。
娘が一人でいる時には犬はぐっすり眠る。
私が加わると犬は緊張しはじめる。
興奮するのはもちろんだが、緊張し体を震わせ始めるのだ。

これは、私が彼らにコマンドを教え込み、厳しいしつけを強いたためだろう。
確かに犬は私の命令を一番聞いた。
しかしまさか、私を見るだけで緊張症状を起こすほど
怖がられていたとは思わなかった。

私のしつけは間違っていた。
もっと優しくすることも必要だった。
だからこそ、私は犬に対して声を荒げまいとしている。
言葉が通じるなら、私を見るだけで緊張させてしまってごめんねと、
心から詫びたい気持ちでいっぱいだ。

ああ、気がつけば犬の喘ぎが消えている。
眠ってくれたようだ。
明日も元気でいておくれ。