疲れてしまった

こころ
04 /03 2013
いろいろあって疲れた。

昨夜はついに一切を放棄して寝床に入ってしまい、
今朝も夫を送り出したのちは昼まで眠った。

愛犬の死で落ち込んでいる娘は、
ちゃんとバイトもしているし、先月末には二度目の街コンに参加したし
昨日は新宿のルミネ吉本に行くくらい元気だが、
それでもときどきしょげ返り、家ではゲームばかりしては
愛犬のいない寂しさを紛らしている。

さびしいからだかなんだか、娘はいま
自分のしたくないことに対して非常に積極性を失っていて、
私が仕事で夜遅く帰ってこようと
台所の流しには娘の使った食器が置きっ放しだし、
風呂も立てていないし、掃除もしていなかったりする。

私はいちいち注意しているが、まだ平常に戻るにはかかりそうだ。

犬の看護や介護、死とその始末には、肉体的に疲れた。

同じ時期にあった夫の家で法事には気疲れした。

いろいろ弱ってきている義理の父母にそこそこ当てにされることも多くなり
それははっきり言って負担である。

夫は相変わらず家事にはノータッチで、仕事帰りに遊んできて
私のつくった飯が気に入らないと文句を言う。

母のいるグループホームは、薬を変えろ病院を変えろとうるさい。
犬のてんかん薬服用後の変化を見て、脳の薬の怖さは実感したので
グループホームの職員たちが母の服用する薬に不安感を抱いているのは
感情として理解できたのだが
(服用中の薬より新薬を進めてくる)

認知症で、ゆっくりゆっくりしか歩けない母を
紹介された遠方の病院に連れて行くのは大仕事だし、
私にそこまでの体力と忍耐を期待しないでほしい。

私は普通に見えるだろうが、身体障害者手帳を持つ身の上だ。

私は元気に見えるし、いつも一生懸命動くし
出来ることは頑張るけれども

私の肉体は、この心ほど強くはないのだ。
心でカバーできないほどに肉体が悲鳴を上げ始めたら、そのとき
私の心は肉体の最優先を肯うようになっている。

肉体を最優先することを心が決めてしまったら、
私は日常のすべてを投げうっても平然としているだろう。
これまでも、肉体が心に勝つとそうなってきたのだ。

娘のことも、夫のことも、仕事のことも、義理の親も、認知症の母親のことも
私は一切顧みない。

知らない。

疲れてしまった。
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