遠近両用を捨てた老眼と近眼でいく

出来事から
08 /05 2013
遠近両用の眼鏡を作って、それに慣れるまでにはひと月近くかかったかもしれない。
もう5年も前の話だが。

眼医者に行っても合っていないとは言われなかったので
度数はそれなりに合っていたのだろうが、
慣れたとはいえ、遠近両用をつけたまま手元の細かな作業をするのは
少々辛いものがあった。

パソコンの文字は見えたけれど、針に糸を通したり、
古い岩波文庫の小さい小さい文字を読んだりすることは
眼鏡なしのほうが読み易かった。

それでも眼鏡をはずすと
冬の冴え返る月がぼやんぼやんの綿汚れのような月にしか見えないので、
遠近両用はやはり便利で優秀なものではあった。

が、気付いてみると、このごろの私は
「新聞を読む」「手芸」「読書」ときどきはパソコンをするときにさえ
眼鏡を外していた。
それで、かけたり外したりするのが、実に面倒に思えてきた。

で、眼鏡を作りなおした。
検眼すると、思い切り度が進んでいるのは老眼のほうだという。

「見えないから度を強くしてくれ、というお客さんが多いのですが
度を強くすればいいってもんじゃない」
と、やや上から目線でものを言ってくる感じのよくない眼鏡屋のおっさんが言った。

選択肢は3つあった。
遠近両用で度をあげるもの(ただし遠近の差が大きすぎて目や体に良くない)
中近両用のもの(日常生活、本、パソコンにはよいが外出時や運転は無理)
近眼と老眼を2種類作る。

中近両用をかけてみると、パソコンの文字もそこそこ見えた。
しかし月はきっともやもやの綿綿になるのだろう。
星なんかあるのかないのかすらわからない。

それは嫌だと思った。
真冬の空に切れ込むような鋭い月の輪郭が見えない眼鏡なら欲しくない。

そういう理由から眼鏡を老眼と近眼の二つ作ることにした。
最近世に聞く安い眼鏡屋だから、二つ作っても
それまでかけていた遠近両用眼鏡の半額にもならない。
(ここは大事だな)

感じのよくない眼鏡屋のおっさんは「家の中なら老眼で大丈夫でしょう」と言ったので
一応室内では老眼をかけている。

感じのよくないおっさんは感じが悪かったが
技量はそこそこ確実だったのかもしれない。
家の中での老眼鏡使用は、快適になった。
本やパソコンはもちろんだが料理する手元も見やすい。
テレビも普通に見える(なにしろ御殿に住んでいないので)。
画面上でのテレビ番組表だけはちょっと霞むのだが、
しょっちゅう見るものでもないのでよしとした。

今朝仕事に来る時は、近眼をかけた。
車に乗っていて、遠近両用眼鏡は物が歪んで見えていたのだと
改めて認識した。
走る車の中から見る何げない風景の中にある、人工物の直線が、
橋とか道路とか、視力の隅に入ってくるそういったものの直線が、
「本当に直線」だった。
直線とは美しいものだと思った。

けれども近眼のままコンビニに入ったら、菓子パンの値段が読めなかった。
こういうのはあんまりよくない。

結局眼鏡二個使いの生活になった。
少々の不便は我慢して慣れたい。
文字はくっきり読みたい。
直線はまっすぐであるままに見たい。
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きっと暑さのせいだ

こころ
08 /09 2013
ときどきふらっと you tube を見に行く。
それまで何を視聴したかクッキーに残っているので
you tube は勝手に「あなたにおすすめ」の動画をいくつも挙げてくる。
で、ゆうべ。

こんなのがお薦めされていてびっくりした。

しーゆーえぬえぬあいえるあいえぬじーゆーえす―how to satisfy a woman
(知りたい方は上記ひらがなをアルファベットに直してくだされ)

なぜ? なぜこんなものが薦められているのだ?
再生履歴を見ても、犬だの猫だの感動のCMだの
ゲームだの(これは娘の再生だな)と言ったものばかりなのになぜだ?

とりあえず興味がむくむく湧いたので、お薦めされている動画をクリックすると
なんだかとても真面目な感じなのだが
えっと思うと、ブツ(物)がモロに出た。

さらに驚くことには、ブツがブツに入っていく様子がしっかり写っていた。
外側からの状況ならばエロビデオでもよくあるけれど
♀のブツの内側に超小型カメラでも入れてあるのか
相手のブツがにょにょにょっと入ってくる様子まで写っているのだ!!!!

そこはもはや内臓である。
医学的に観察するべく撮影されている様子なので、汚くもないし
エロくもないのだが、
どうも見てはいけない世界を見てしまおうとする行為が
そら恐ろしいような気持になった。

いずれこの動画は、まちがいなく成人向けに移行するだろうから
見たい人は今のうちかもしれない。
ただし全部真面目に見ると4時間もあるらしい。

ちなみに私は早送りしながら2時間のあたりで見るのをやめてしまった。

・・・・たまにブログを書いたと思ったら、どうしようもないことを書いてしまった。
考えていることも、やっていることも、一応ちゃんとあるのだけれど
今はそれをきっちりと書く気持ちになれずにいる。

きっと暑さのせいだ。
暑い。

この暑い今日、8月9日は長崎へ原爆が投下された日だ。
28歳のとき、長崎に行ったことがあるが、
路面バスを降りて原爆資料館への道を歩きだしたとたんに
胸が苦しくなって、体がすごく重くなった。
ああ、だれかがまだ原爆で苦しいのだな、と思い、うんうん唸りつつ資料館を見て、
気持ちが悪いながらもそのまま平和祈念公園まで行ったら
憑き物がふうっと離れて軽くなり、気持ちが明るくなった。
きっとあの場所で、行くべき場所に行けたのだろう。

平和祈念公園には、
人々の真摯な祈りと優しさがエネルギーとなって存在している。

ゾンビがエアコンで快適に過ごしている図

出来事から
08 /14 2013
ひどい顔をしている。
湿疹だか、じんましんだか、わからない。
もしかしたらアレルギーかもしれないし、なにかにかぶれたのかもしれない。

顔の色は今現在、赤と白のまだらで、首は赤黒く、かさぶたにもなっている。
お化け屋敷に登場するゾンビに近い感じかもしれない。

恋する乙女でなくても、この顔で外に出るのははばかられるくらいには
ひどい顔をしている。
普通一般の人間なら怖くなって皮膚科に駆け込むくらいのレベルだと思う。

全身の皮膚に異常がでている。
もっともひどいのは腹部、人工肛門の周囲はもはや悲惨といっていい。
半端ないただれかぶれかさぶた皮むけ変色ひきつり。
ステロイドを塗り込んで無理やり回復させたが
二日前にはお腹の皮膚が足のかかとのひび割れのごとく何箇所もぱっくりと割れた。

原因はなんだかわからない。
夏場の暑さや光の強さの影響もあるだろうし
そんな季節に人工肛門の袋を常に貼り付けている皮膚へのストレスもあるだろう。
7月初めに受けた生物系の点滴治療薬の効果も切れて
持病の悪化が起きているのもあるだろうし
その点滴薬を繰り返してきたせいで免疫がかなり下がっているのもある。
あるいは単純に毛虫に刺されたとか、蚊に刺されたとか、そういうものが始まりかもしれない。

それらがいろいろとないまぜになって私の皮膚を攻撃しているのかもしれない。

と、いうことで私の見た目はたいそうひどいのだが
体自体はそこそこに元気である。
皮膚がやられているのだから内臓にもぶつぶつが出ていることになるが
いまのところ、そのために体調が下がった感じはない。
多少血圧が下がっている程度だ。
(CRP=炎症値は上がっていると予想される)

それにしても病気が見た目に出ると、周囲の人間の態度も変わる。
なんと夫が「病院連れて行こうか」と自分から言いだした。

いえいえ、見た目は酷いですけど、私元気ですから、と丁重に辞退した。
近辺にある皮膚科は全部お盆休みであるし、
持病で通う病院に行ったら、このまま入院して行きなさいと言われそうだ。

私の担当医はすぐ「ちょっと泊まって行きなさい」というのだ。
そして「はい」などと言おうものなら
どんなに早くても2週間はお泊まりすることになる。

実は今日から娘がまた実習に入った。
これまで4回か5回外部に実習に行っているが、今回が最後になる。
しかも今回こそが最もハードな臨床実習の3週間だそうだ。
「実習が終わるまで入院は勘弁してほしい」と娘にも頼まれている。

かくして私は今日も薄暗い室内に冷房を入れて
体を冷やし、ベッドに転がり快適に漫画でも読む。
(日光にあたると赤みがひどくなるし、
暑くなると痒みがひどくなるということがわかったので)

ああ、とてもシアワセかもしれない。

薬疹

こころ
08 /20 2013
前記事に書いた発疹や皮膚変化の原因は薬疹であった。

ただのぶつぶつと思って週半ばまで過ごしたものの
腫れ爛れ赤黒く変色して、顔はほとんど別人のごとく変化し
首はやけどのごとく爛れ剥けても、一向に新しいぶつぶつが止まる気配もなく
しょうがねぇやと灼熱の盆のさなかの金曜日
やっている皮膚科を探しに探して、
どうかよい医師に恵まれるようにと主に祈りつつ行った病院の皮膚科が
輝かしき主の恵みそのものであった。

隣の市の比較的新しい中規模病院で、皮膚科医はたった一人しかいないところであったが
(うちの近辺には皮膚科医がもともと少ない上に、個人病院はオール盆休みだった)
彼女は私の皮膚を目診し、病歴を聞き、使用中の薬をきいてすぐに
その薬による乾癬様薬疹と診断した。

その薬は近年、いくつかの難病に劇的な効果をもたらす特効薬として
世に広まりつつあったものの、
それによる薬疹、
しかも副作用のうちの数パーセントしか見られぬ乾癬様薬疹であると判断するには
医師としての日々の研究や勉強、研さんを積んでいなくては
そう簡単に診断出来ないものであった。

私の長年の持病の医師は(その世界では名医であり権威とされている人だ)
昨日の診察で、その見知らぬ女医に対して、賞賛の言葉を惜しまなかった。

長々書いたけれども、えへん、そうだ、私は医者運が抜群に良い。
(というか、私の運ではなくて、これを神の恵みというのだが)

・・・・で、問題はそこからである。

難病と言われる病気になって30年以上になるが、
今の3年間のようにああだこうだ言いながら入院しないで来られたのは
実ははじめてなのである。
ブログを3年やって入院記述がないなんて、私にすればものすごいことなのだ。
その、ものすごいことは、上記の特効薬の使用による結果なのである。

そう、私は今回のことで、この特効薬とは縁を切ることになった。
これからどうなるのかというと、実はまだよくわかっていない。
ただしばらくは薬を抜き、肝臓を休ませたいと医師は言っていた。

今はまだ新たな発疹が出続けているので
(若き有望な皮膚科医によって顔と首は外用薬で人間に戻ったが)
上述の特効薬は体のなかに残っているらしく、とりあえず元気であるが
これから先に、この元気は期待できないかもしれない。

しかし、闘病も30年を越して、年齢同様病気そものもの力と勢いを失ってはいるのだ。
なので私は希望を捨てないし、努力も捨てない。
(しかし泣きごとや愚痴は、ばんばん吐きだす)

さて、今日は残る体力を利用して、
一人だと気力を維持できなくなりそうな夫を支えるべく
仕事に出向く所存である。
(彼も年を取ったのよ)
顔と首を除くと、見た目にはケッコウすごい状況ではあるが
表面こそ毒しても特効薬はまだ私を助けてくれているので
仕事はちゃんと出来ると思う。

ちやこさん頑張りすぎ、と言われそうだが、そうでもない。
私が頑張らねばならないのは、完全に薬が切れたそこからのはずだ。

彼氏と旅行宣言

いろいろ感じたこと
08 /23 2013
薬疹は現在も進行している。
ただ、薬疹との診断後に2日間盛大に、
かつてないほど遠慮なく大量に塗りこんだステロイドの力で
顔と首の薬疹は完全に消えた。
それどころか、ずるずるざらざらと剥け切ったピーリング効果なのか
顔と首は小さい子のようなつるつるで色白な皮膚に生まれ変わっている。
驚くべきは子供の頃から存在していた、首に横一筋に存在していた皺が消えたことだ。
これはもしかすると今の時期だけなのかもしれないが。

首と顔をのぞく全身は小さなぶつぶつでいっぱいになっていて、
特に手のひらに出来ている小さなブツブツは、手を握ったり洗ったりするたびに気持ちが悪い。
消えて欲しいが、消える頃には体の調子が悪くなるのか。
猫が肥えれば鰹節が痩せる。

さて、娘の話。

今月末、娘は彼氏と二人で旅行に行く。
娘の言葉を信じるならば、二人はまだ一線を越えていない。

その一線を今月末に越える、と娘は旅行という言葉で私に伝えた。

私は複雑である。
娘の年頃に自分が未経験ではなかった過去を振り返ると
大きなことは言えない。

だが、以前も書いたが、クリスチャンとしての私が、婚前交渉を寛容したがらない。

しかし娘は男に抱かれるのだろう。

なにをどう言ったらよいのかわからないので、昨日はこれだけ言った。

「セックスしたらそこから先、未婚の女は毎月、生理が数日遅れただけで
妊娠したんじゃないかって、ものすごく心配しなきゃならないんだ。

そういうことを男は一切わかってない。

来月1日から関西に転勤して遠距離になるのに肉体関係を持つなんて
彼は無責任だ」

娘は私の言葉が聞こえないかのごとく平然と
宿題の臨床データーをパソコンに入力し続けていた。

自分で考えても感情が錯綜して、
自分自身がどうあればよいのかわからないので、今回も私は考えるのをやめた。

そうだ、神様が娘にとって最善のことを為してくださると信じて
すべては神様にお預けしたのだった。
私はいつもと同じに娘を愛せばよいのだ。

ふたつの考え

いろいろ感じたこと
08 /26 2013
24時間テレビでは、毎年アイドル主演の闘病系ドラマをやる。
そしてほとんどの場合、主人公は死ぬ。

それに関して、とある場所で切実な訴えを読んだ。
ある十代後半の女子は、24時間テレビが大好きで、
毎年親子揃ってテレビの前に座り、笑い、感動し、
毎年放送の日をとても楽しみにしていたそうだ。
兄がドラマと同じ病気になるまでは。

命の大切さを訴えるのは間違っていないし
その方法としてのドラマ制作も頭では理解は出来ると、前置きしたうえで
その女の子は書いていた。

必ず死ぬことを強調されて、本当にその病気で苦しんでいる人たちが、
その家族がどれほど辛い思いをするか知っているのか、と。
以来、24時間テレビなんか大嫌いになった、と。

これは闘病系のドラマや映画の持つ、マイナス面だ。
人間は生活に倦むと、感動を求める。
闘病ものは、日々に倦んだ視聴者が生きること、
つまり平凡な日常の存在そのものの尊さや価値を
再認識することの出来る素材として実に優秀である。

視聴者はかわいそうな主人公と家族に涙し、
(実に浅いところで)現在の自身や家族、環境や状態に感謝の念を持ち、
新たな「生きる気力」なんぞを覚えたりする。
(大概の場合、これが思いのほか記憶に残らない)

さて、今日はなにを言いたいのかというと24時間テレビに対する云々が主眼ではない。
一方が「感動、心洗われた」と考えるに対し
それを「やりきれない、怒りを覚える」と考える側もあるということだ。
そしてそのどちらにも理がある。

今日、これを書いたのはツイッターで、ある活動家のつぶやきを見たからであった。
その人は今九州にいるが、子供たちを乗せるレンタカーを借りる際に
その車の部品は福島から来ていないか確認し、レンタカー屋に怒鳴られたという。

福島で作られた車の部品が、九州にすでに流通していることを
レンタカー屋は知らないらしい、と付け加えていた。

私は関東に暮らしている。
上述の活動家も元は関東にいたが、311の翌日には南へ下った。
もちろん子どもたちを守るためなのだろう。
実際に、福島県の子供たちの間には甲状腺がんが目に見えて増えている。
福島でなくても、近県の子供たちも同じ検査をすれば
いろいろな問題が表面化してくるかもしれない。

しかし、福島近県に生活するすべての人間が
南へ下って生活するわけにはいかない。
福島の地で、近県で生き続ける人もいるのだ。

埼玉の地元スーパーでは福島産のスイカも
キュウリも、桃も、しいたけも普通の値段で販売している。
福島の真下の茨城の海の魚も普通に売っている。
私は今日も福島産のキュウリをぬか漬けにした。
家族はそれを普通に食べるのだ。
福島県で作った車の部品どころではない。

放射能を怖れて南へ下り、用心深く子供を育てる人がいる、そのことを
間違っているとは思わない。
けれど上述の人々に、まるで「バイキン扱い」されていることには
不快を覚えざるをえない。

そしてこの両者ともに理がある。
難しい。


娘と旅行に行く彼氏に言ったこと

出来事から
08 /30 2013
先ほど、8時ごろ、娘がはじめての恋らしい恋をしている男性と
一泊二日の旅行に向かった。

彼氏はまず私の姿を見るなり先んじて言った。「安全に行ってきますので」

私は怖い顔をしないで、ほほ笑みつつ、
まだなにか言いたげな彼の言葉を遮るように言葉を発した。

「私たちは結婚前の娘がこのように男の方と2人で旅行に行くことを
決して快く思っておりません」

「どうか、決して娘を傷つけることの無いようにお願いいたします。
これから先も娘が傷つくような事が起きないようにお願いいたします」

私が口にしたのは、この2点だけだ。
言うべきことは言った。

彼氏は先週から関西の本社に移ったので、
今日の旅行のために昨日の夜に都内の実家に戻って来たばかりだそうだ。
娘から私が現れることは聞いていたのだろう、
彼氏は私の姿を見ても驚くことはなく、手土産まで渡された。
(だが、相手は自己紹介をし忘れたままだった。私は名乗り、頭もさげたぞ)

娘の恋人は丸刈りを伸ばしたような髪に、童顔で、
わが夫よりはほんの少し背が低いだろうか。
迷うことなくパパっ子だった娘の、わが夫の眉の太きごとき、彼氏の眉もまた太かった。

出来る限り客観的に記憶して、思い入れを加えずにいたいのだが
娘の恋した男の部類は、わが夫の属する方面かもしれないと感じた。
あの年頃の夫と比較すると、夫の方が爽やかさにおいては数段上かと思うがな。
(今は見る影もない!)

とにかく、言うことは言った。
あとは、娘が元気に帰ってくれるのを待つばかりである。
ついでにいうと、楽しい旅行であれと。



一日過ぎただけで彼氏に欠点が

いろいろ感じたこと
08 /31 2013
昨日の記事にコメント返しをしてみて気がついた。
昨日は気付かなかったけれど、今日は違う。

私は娘の彼氏に、あまりいい感情を持っていなくなっている。

誤解を生むので書かなかったからだが
実は彼氏は自らうちに来たのではない。

娘との待ち合わせ場所に、私がくっついて行って、会ったのだ。

しょっちゅうラインでやり取りをしていたのだから
私が朝、待ち合わせ場所に来ることは知っていたと思う。
と、すれば言うべき言葉がないだろうか。

「こちらからお伺いするべきところを」と言うやつだ。

彼にそう言う言葉はなかった。
若い? 緊張していた? 多くを求めるな?

そう、完全を求めるのは愚であり、人柄を求めるべきだとは知っているが
いかん、欠点ばかりを書き連ねたくなってきた。

よく嫁や婿の悪口を書いている人を見かけるが、あんな感じになりそうだ。
「挨拶もない」なんてその最たるものだ。
自分の言葉足らずや、礼儀知らずを棚に上げて、私ったらどうしようもない。

この批判の感情をはやく忘れよう。
そしてあるがままを、批判なしに受け入れられるよう、
心の平静を保たねば。