最近の娘のことなど

いろいろ感じたこと
03 /03 2014
雨のちハレルヤー という歌詞にけっこう違和感を感じているのだけれども
「ごちそうさん」もあとひと月、いよいよ最大の山場を迎える様子で
一日たりとも見逃せないぞ! 
という気分で燃えた月曜日の朝。

脚本を書いたのが「JIN-仁-」でその実力を世に見せつけた女性で
年齢的にも私たち既婚女性主婦層にとっても身近だから
登場人物の台詞の一言一言、行動、心の動きなど
もうほとんどツボでツボの月曜の朝。

「あまちゃん」終了後に「あまロス」なる言葉がネット上に出てきたけれども
私ならば「ごちロス」になると思う月曜の朝。

さて、今日は久しぶりに朝から家でこれを書いている。
朝に一人になったのは今月2度目、自由なようなさびしいような気がしている。
娘は今月中旬過ぎに国家試験を受けるのだが、最後の模擬試験なのだそうだ。

いまの時期に国家試験があるおかげで娘はいわゆる卒業旅行にも行けないが
学生期間の最後ぎりぎりまで勉強してもらえる方が
苦しい中から学費をひねり出した親としては心理的に満足できる。

娘の学部の謝恩会は今月早々で、他学部では卒業式後、
これも国家試験に配慮しているのだろう。

(私の姉は娘と同窓他学部で卒業式後に帝国ホテルだったと記憶しているが
娘のほうはディズニーランドホテルで、しかも希望者はお泊りも可能らしい。
しかし学科50人弱のうちお泊りするのは数名だそうで
しかも教授から「お泊り勉強会ですね!」と強く念押しされているとか)

なので謝恩会用のドレスを先日買いに行ったのだが
娘の3万円から5万円という予定額はあっという間にぶっ飛んで
上から下まで含めると10万弱という金額になった。
ちなみにこの金額は娘自身が支払った。
現在バイトの出来ない彼女には手痛い金額だが、
鏡の前ではお姫様気分になれて実にうれしそうであった。
自分で買ったものだから大事にすることだろう。

ところで卒業記念に貴金属や旅行やブランド製品を親が購入し
プレゼントしたりする人も多いようだが
わが家はこれまでその手のことをしない。したことがない。
するとしたらご馳走を作って、みんなでわいわい食べるくらいだが
裕福ではない我が家にはそれがぴったりで、
私などはそういうひとときに、もっとも幸せを感じるほうなので
安上がりでめでたい。
ついでに財布に優しい(にっこり)。

(家族でニコニコ一緒に食べるのは大事よね、め以子ちゃんと一緒♪)

1月2月と娘が家にいることが多かったので
お互いにいい時間を過ごせたと親は勝手に思い込んでいる。
暮れの旅行で娘が彼氏と深い仲になったことも聞いた。

彼女から漂う落ち着きと吹っ切れた感じから
そうではなかろうかと見ていたけれど
肯定されると、「あちゃ~」という感慨が湧き出た。

これから毎月生理を待ちわび、遅れると少々焦る気持ちになるという
あの経験も重ねてゆくのだろう。

関東と関西の遠距離恋愛で、かつ試験前だから
二人の逢瀬は1月2月と月に一度程度に減らされているが
それ以前は彼氏の方が毎週大枚を使って新幹線や飛行機で
会いに来ていた。
しかし試験が終われば入社式までの1週間の休みの間の数日、
娘は初めて関西の彼のところまで会いに行くつもりだと言っている。

恋だ、恋だ、ああ恋なのだなぁ。
こうして少しずつ、娘は親の手元から離れて1人前になってゆく。

わが娘であるから清らかなる恋なんてものが続くはずはないと思っていたが
40過ぎても処女や童貞が普通にいる教会に通っていると
淡い期待を抱いたりもしたものだ。

結ばれた以上は娘と彼の恋が真面目な、誠実なものであってほしいと願う。
娘の誕生から現在まで、常に最善の道を備え見守ってくださった神様が
これからも娘を守り導いてくださるのを
母はただただ日々に祈ってゆく。

昨日は雨だった。
今日は少し晴れる。

雨のち hallelujah(ハレルヤ=主をほめたたえよ)






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近況など

いろいろ感じたこと
03 /08 2014
話その1
 去年のひな祭りの直後に犬が倒れて、桜が咲くころに死んでしまって、
いままた春がそこまで来ている。
犬のお骨はこの一年ずっとリビングに置いてあったけれど
そろそろ土に埋めようと計画している。
5000円ほどの安価なペットの墓石も注文した。
この家に越してから育てているバラの木の根元に
あの子の骨をもろもろと崩して埋めてしまおう。
娘はまだ、大事なあの子のことで泣くから、
骨を砕いたり埋めたりする作業は私がひとりで担当する。
バラのための肥料は毎年増やしてゆくし、ミミズも住んでいるから
うちのわんこ1号の骨は年ごとに掘り返されバラの力になってゆくのだ。

話その2
 「ごちそうさん」のいけず和枝さんの設定はやっぱりすごい。
次男活男が戦死して、多分人生最大の試練に遭っている主人公め以子ちゃん。
これまでいじめられたりいろいろと試練はあったけれども
すべて持ち前のパワーと食い気と単純さと明るさで乗り切ってきたはず。
でもさすがに無理なのだ。
「子供を失う」悲しみはすべてに比して巨大すぎる。

他人の繊細な感情に鈍感で、無神経で、大雑把で単純なめ以子、
楽しく美味しく食べることがすべての源と信じて疑わず
それに人生をかけてきた彼女が、和枝さんの命令によって
質素なご飯をたったひとりで、味気なく食べて行く日々。

けれど味気ない砂を噛むような食事でも、それは命をつなぎ、
ちいさな希望を産み出してゆく。
ドラマの中盤で、猛烈な意地悪小姑にしか見えなかった和枝さんが
それだけではない懐の深い女だということが視聴者に伝わってくる。
め以子の天真爛漫さはこの経験できっと失われるけれども、
どんな絶望でも生き抜こうとする本物の力が身についたはず。

ああ、脚本家が素晴らしい。
小説書いたらぜひ読むから、書いて欲しいくらいだ。

話その3
 国家試験勉強中のはずの娘、社会人になる前にとはじめた自室の片づけから
急激にインテリアに目覚めて、現在勉強とともに自室の改造も急ピッチである。
学生時代に溜まっていた不用品の大量放出は
私の協力なくしては絶対になしえなかっただろうと存ずる。
おもしろいもので、捨て始めると「なんでこんなもの取ってあったんだろう」
としか思えなくなるらしい。
今日は混雑する土曜だというのに車を出して、自室のカーテンを買いに行っている。
どうも勉強と片付けとでは比重が半々ぐらいに見えて
母としては少々心配だが、口には出さない(つもりだ)。

学習机に寄せて

こころ
03 /13 2014
娘に影響されて自分の部屋やそのほか気になった場所などを片付けしている。
自分の部屋はおおかた終了した。
(押し入れをのぞく)

ずいぶん捨てたので室内が広くなった。
物がなくなってそして気がついた。
私の机の上板、つまり机として一番大事な面板が
ゆるやかに撓っていたのだ。
面板の真ん中あたりが凹む形になってしまっている。

インテリア性に富んだおしゃれ机ではない。
いわゆる学習机である。

考えてみれば鉄ではないし、一枚板ではなく合板であるから
歪みや撓りが起きてもおかしくないのだろうが、
あの分厚い面板に撓りが起こるなど、思ったことがなかった。

これは2代目の私の学習机になる。
4才でスチール製のがっちりした学習机を買ってもらって
その20年後に木製に買い替えてから25年以上が過ぎた。
初代よりも長く傍らにいてくれたことにやっと気がついた。

そういえばこの数年は、ほとんどあの子を使ってやらなかった。
気がつけば自分が持っていた
「いつか子育てが終わったら、また学校に行って思いきり勉強しよう」
という希望すら、すっかり忘れてしまっていた。

ああ、その夢をいま書くことも、ちょっと切ない。
私は零細企業の中途半端な事務員として
経理や各種庶務をして生きてゆくことを
当たり前として要求されているから。

だがこんなセンチメンタルを抱えることは無意味だ。
私がもっとも強く望んでいたのは知識でも学歴でも趣味でもなく
「痛みも熱もなく、普通に生活できる体」だったはずで
その望みは、ある程度かなってきたのだ。

健康体から見れば、私の体はまだまだ異常で、余計なものも付いているし
あるべきものもたくさん取り去られているけれども、
半端ながらも仕事が出来たり、片付けが出来たりするのだから、
感謝して余りあるほどに恵まれている。

私が今ここにこうしている(在る)ことを
私の神様が望まれていて、私はそれに従うのみ。
私は喜々としてそれを受け入れるのみ。

撓ってしまった机だけれど、まだ使えるうちは使う。
大事な私の机。
もう机として役に立たないよ「えらかったよ」、というところまで使ってやろう。
神様が私を最後まで使って下さるのと同じように。

オボカタお嬢ちゃん

出来事から
03 /17 2014
STAP細胞の真偽が判然しない限り、
あのかわいいお嬢ちゃん博士をあれこれ言う気はなかったのだけれど
8割がコピー&ペーストだったという既出の博士論文には
さすがにくちあんぐりになってしまった。

流行の指輪をしていたとか
おばあちゃんのくれた割烹着を白衣にしているとか
研究室にムーミンのシールが貼ってあるとか
そんなことは 
正直私にはどうでもよくて

なんの賞も取っていない研究発表を
ノーベル賞を受賞した山中教授と並べるなど
大騒ぎで報道しちゃったりして、大丈夫なのだろうかね、
とは思っていた。

しかしここまで疑義が広がって、
博士の学位論文までが問題視され、科学者としての常識はもとより
人間性まであれこれ言われるようになるとは想像のほかであった。

どう見ても御育ちの良さげなお嬢ちゃんなので
あれを(どう見ても演技性妄想性人格障害の)サムラゴウチさんなどと
同列にみなすことは出来ないし、したくないが

やはり8割がコピー&ペーストで作成された博士論文には
もはや「科学者」である以前の「学究の徒」もしくは「大人」としての
一般常識が少々欠けていたと思わざるを得ない。
(今の学生がいかに日常的にコピペを多用しているか
それに対する問題意識を持っていないかが白日の下にさらされた感じだ)

提出された博士論文を認定した側の早稲田大学(院)にも
少なからぬ責任と問題があるのは明白で
一部報道では学位のはく奪まで取り沙汰されているというが、
ならばまず認定側の落ち度や責任を表明せねばいかんだろう。
このままでは早稲田で認定された博士の学位そのものの質が
他大学の授与のものよりも下に見られかねなくなり、
優秀な頭脳の他大学への流出さえも起こりえる。

ところで当のかわいいお嬢ちゃんだが
(ガセネタ大好きの)東スポでは自殺や証拠隠滅をさせないために
24時間監視下に置かれているのだそうな。
なにせ東スポだから、まるっきり嘘かもしれないが。

お嬢ちゃんお嬢ちゃんと書いたけれども
彼女30歳にはなっていたのだった。
彼女に悪気はなかったのよ、と全面的に言いきれない年頃である。


きれいになりたい

こころ
03 /23 2014
疲れているはずなのに、ちっとも眠くならない。
ちょっとのことでイライラし、ちょっとのことで感動する。
私はどうやら精神的な興奮状態にある。

理由はわかっている。
今日は教会で結婚式があり
十数年ぶりに本格的なおめかしをしたからだ。

服は10年も前に親戚の結婚式に購入したのものだが
私は多分あの頃よりそれが似合うようになったのだ。

体重は6キロも減り、髪は思いきり減って、
顔は年を取って老けて、
本当ならみすぼらしくなったはずの私に
変化が起きていた。

「かつら」が似合う年になっていたのだ。
これは予想もしなかった。
それは若いころ、病気の激しさで薄くなった頭を隠したいために
病院売店にあったパンフレットを見るなり、電話をし
よく考えもせずに発作的に買い込んだかつらであった。
夏目雅子がうんぬんという、うたい文句に惹かれて買った覚えもある。

地肌がすけすけになった今現在の自らの姿に嫌気がさして
やけくそになり、
買ったまま十年余り仕舞い込まれていたかつらを
今朝つけてみたら、鏡の中の自分に少し驚いた。

それでもやけに髪ばかりが大きく思え、
びくびくしながら式場に行くと、
知り合いはまず私だと気付かず、声を掛けるとびっくりされ
そのうち何人かに言われた。

「かわいい!」「すてき!」と。

そんな言葉を短時間のうちに何人にもかけられて
だから私は今、夜になっても眠れずにいるのだ。

お世辞だろうとは思う。
「大丈夫ですよ、かつらおかしくないですよ」という
あなたの味方的意味合いだろうと思う。
教会の人はほとんどみんな優しくて親切だから
「気にしなさんな」とほほ笑んでくれたのだろうと思う。

でも、私は愚かな50を過ぎた女なので
正直に、「かわいい」「すてき」の言葉たちがうれしいのだ。
本当に可愛いわけでも、素敵なわけでもないけれど
複数の人にそう言われたことが、とてもうれしいのだ。
こんな容姿を、褒められたみたいで、うれしいのだ。

私は痩せて、すじばって、髪は薄くて
ちっともきれいじゃない、そういう50女なのだけれど
それはよくよくわかっているし、認識もしているけれど

「かわいい」がうれしい
「すてき」がうれしい。
それがうれしくて、気持ちが波立って、まだ眠れずにいる。

うちのわんこの墓

わんこ
03 /28 2014
やっとこさ国家試験も終わり、1週間だけの短い自由時間を有意義に使うべく
娘は昨日関西の彼氏に会いに行き、今夜遅くに帰ってくるのだそうだ。

娘のいない間に、私にはやるべきことがあって
今しがたそれが終わった。
ちょうど1年前に死んだ犬の骨を粉々に砕き、
庭のバラの土に埋めてしまうという仕事である。

晒しに犬のお骨を出して、トンカチでとんとん叩いた。
1時間ほど叩いた。
最初テーブルで行っていたが、力加減のこともあって
自宅の駐車場のコンクリートの上で遠慮なく叩きまくった。

骨は細かな白い粉に白い小石の混じったごとき状態になり、
私はそれをバラの根元にさらさらとまき散らし
肥料をやるときのように土にすき込んだ。

上から腐葉土少々とバラ用の置き肥も加えて、
イエス・キリスト様のお名前でしっかりと
女王わんこが生前よりうんとうんと元気でシアワセでいてくれるようお願いし、
復活の日には再び会わせてもらえるようにと祈った。

女王わんこにはもちろんちゃんとした名前があった。
しかし墓石に名前を刻みこんでもらうことはしていない。
うちのバラの木の下にはこれからも「うちのこ」たちが一緒に入っていく予定だから。

骨はすんなりと土の一部となった。
最初の人間アダムは土から作られたのだから(創世記にはそう書いてあるのよ)
犬だってきっとそうで、
だから土に帰るのはごくごく当たり前のことで、とても自然な気がした。

     うちのこ


                 うちのこ2

写真に見えている長細いものはバラ専用肥料ですぜ(骨じゃありませんぜ)





うちが頼んだペットの墓石屋さんはここ
もっとおしゃれな字体などもあったけど、私はあくまでナチュラルにしたかったので
あえて幼い字体を使ってもらった。
仰々しくなくて、ホッとする。
手頃値段で親切でした

待機老人

出来事から
03 /29 2014
とんでもないベビーシッターによる事件はまだ記憶に新しく
あの一件からも保育所他各種公的施設の建設やサービス確保などは
非常に急がれるべきであると思うのだが
私たちには、もう一つ切実な問題がある。

保育所等入所待機児童数2万2千に対して
特別養護老人ホーム入居を待つ高齢者の数が52万人を超えたという。

そのうち早急に何らかの方法でサービス提供を受けるべき人々は
約10万人と推測されるらしい。
(老後への不安感からまだ元気なうちに入居を希望して申し込んでいる人々が
数十万いると言われている)

2万2千対10万と、単純に数の上で比較することは出来ないと思うが
それにしても10万という数は、少々多すぎやしないだろうか。

実はこの頃、私の暮らす周辺にかような高齢者たちを見かけるようになった。
ちょっと認知症が入って、スーパーのレジでごねたり
買った物がない、盗まれたと騒いだりするのはまだ序の口で、
最近どうにも重篤な、
どう手助けをしたらよいかすらわからないお年寄りを見てしまった。

電車の中だった。
混雑はしてないが、空いてもいないという車内に
お年寄りの独り言がブツブツと響いてきた。
ブツブツの主は席に座ったご老人で、
古いけれどもちゃんとスーツを着ていて、堅い仕事に就いていた名残があった。
見かけから判断すると70代から80代くらいだろうか。

突然誰かが小さく「あっ」と言い、何人かが慌てて場所を動いたと思ったら
座っているご老人の周囲に空間が出来ていた。
見れば、ブツブツとつぶやきつづけているご老人の足元と腰の下には
巨大な水たまりがどんどん広がってきたのだ。

驚くべき大量の失禁であった。
ご老人のズボンは股から下がびしょ濡れで、
電車の席に染み込みきれない尿が浮き上がって見えるほどであった。

何人かが慌てて隣の車両に移った。
誰もどうすればよいか、声を掛けるべきなのかどうかもわからなかった。
見る限りご老人は、どうも自分の現状に気付いていないのだ。

もしも誰かが声をかけて、ご老人の意識をこの事態に向けさせたら
あのご老人にどんな恐慌が起こるか、私には想像も出来なかった。
この事態が家の中なら、周囲もまだなんとかする手立てがあっただろう。
なにもなかったように着替えさせることも、
お茶とお菓子で気分を変えさせることも可能かもしれない。

だが走る地下鉄の中で、こういう状況に面したとき
私たちはどう対処すればいいのだろうか。
なにが出来るのだろうか。

やはり駅の切符売り場で、大便を漏らしていた老婦人をみかけたこともある。
趣味のいいお着物を着ているのだがお尻のあたりが茶色に滲み
穏やかなお顔で、ものすごい臭気のままに、駅に入って行かれた。

老いてボケて行くにつれて、
どんな状況がどんな順序で出現するのか知らないけれど
大量の失禁や、大便の垂れ流しは、症状としてそう軽いものではないのではないか。

私の母の認知症は7年ほどになるが
見た目にはちっともそれとわからないままである。
恵まれた介護環境にいるので話もするし、一人で歩くし、よく食べる。
しかし最近自分の意思でトイレに行かず、いつの間にかリハビリパンツのなかに
出してしまうことが増えた。
しかも出したことには全然気付かないのである。

 (最大量150ml×5回の吸収量の高いものを使っているが、
たっぷり吸水したものは履いていても重たいだろう。
ちなみに母は現在、親族も家族も思い出も記憶から消去して
今や自分の名前すらときどきわからなくなっている。)

大量の尿失禁のご老人が母と同レベルだと決めつける気はないが
ややもするとその距離がさほど遠くない人々が
介護のサービスを受けられぬままに生活することを余儀なくされている現状に
私はいま、一層の強い不安を覚えるのである。


さて、大量失禁のご老人はなにも気付かないように、
乗り換え駅で普通に降りて行った。
あの空いた席に誰かが座ってしまったらどうしようかと
私はそればかり考えていた。