ベビーカーを畳まないでも乗車可という国交省告知

いろいろ感じたこと
04 /07 2014
以前からこういうことは世の中にたくさんあることだとは思う。



働くママがお産をして、やっと子供を保育園にお試し預けが出来る日、
泣く子を保育園に預けてホッとしたのもつかの間、昼にはもうお迎え。
事情があって買わなければいけないケーキを買い、仕事の荷物も持って
保育園までお迎えに行き、ベビーカーで電車に乗ったら



このツィートに対する反応は、予想どおりというか
当然ながら支持、不支持に分かれたわけだ。
でもってネットの特徴でもあるが、不支持ツィートの言葉づかいは
非常に乱暴で、品格のないものが多かった。
母親を「クソ婆」、ベビーカーに乗っている乳児を「クソガキ」というレベル。
ほか、非常識とか邪魔とか車に乗れよとか、おんぶ抱っこしとけ、とか
異性同性にかかわらず、けっこうな勢いで不愉快を示していた。



さて、激しい口調で非難してきたのは60代70代くらいの夫婦だったそうだ。
その人たちにとってはベビーカーを車内で畳むのは常識だったのだろうから
プンスカするのはわからないでもないが



なかには相手を選んでから大声を出すなどもあるようだ。
(やれやれだぜ)

実際とんでもないマナーの悪さでベビーカーを乗せてくる母親もいることだし
そういう輩まで許容しろなどと言えるほど
私は人間が出来ていないし寛容でもないのだが

とりあえず周囲に対してベビーカーであることをそれなりに気使って
乗車している場合は、私は出来る限り寛容でありたいし、
可能なら助けてあげたいとも考えている。



ベビーカーで電車に乗ることそのものに問題がないとはいわない。
それでもそうせざるを得ない場合もあるのだ。

昔、おんぶひもで娘を背負って電車に乗ったことがある。
(実家に用事があったので)
2歳近い娘は重たくて、私の両腕の血流が止まってしまいそうだった。
だから乗り替え電車のホームでおんぶ紐をほどいて休んだ。
電車が来る前に再びおんぶしようとしたが、これが出来ない。

気持ちは焦るが、子供を落したら大変だし、うんしょうんしょと奮闘していたら
急に背中が軽くなった。

年配のご婦人が(ちょうど今の私の世代だな)子供をひょいと持ち上げて
助けてくれたのだ。
たったそれだけのことだったけれど、私はそれを忘れられない。

礼儀も常識も大切だ。
けれど同じくらい、思いやりも大切だ。
そう思いたいし、私はそう思って行く。



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見えない事情

出来事から
04 /08 2014
娘がふたりともアメリカに嫁に行って、広い家にたった一人残っている父親は
あるNPO法人に自分の死後のこと一切合財を頼んでいた。
病気になっても、死んでも娘たちには知らせず、
通夜葬儀はせずにまっすぐ火葬場に行く直葬で、
死後の家や荷物などの財産も、その処分をNPOが行う手はずになっている。

娘たちと断絶したり、不仲だったりするのではない。
父親は自分に危急の事態が起こった場合、娘たちが各々大事な家庭をもちながら
日本とアメリカを行ったり来たりする必要が起こってくるのが
耐えられないほど嫌なのだ。
自分の始末のことで愛する娘に迷惑を掛けることが耐えられないのだ。

ある老人は、まともに小学校にも行かせてもらえなかった。
弟や妹が遊んだり、学校に通うさなか、
長男である彼だけが家業の手伝いや雑事を、毎日毎日させられた。
形だけは中学を出て働くようになると、給料を全部親に取り上げられた。
親が愛した弟は私立大学に行かせてもらった。
妹たちもちゃんと高校は卒業した。

ろくに学校に通えなかった長男の彼は、働きに働いて小さな工場を開いた。
就職難の時代で大卒の弟を工場に入れることになり
長男で経営者社長である彼は、弟に給料を払うためにほとんど無給になった。
親は自分にも金をくれと当然のように言ってき、
結婚すると当然面倒を見ろと同居した。

親が死ぬ前に、遺産の多くが弟と妹たちに行くことを約束させられた。
親が死んで、彼は借金をして盛大な葬式を出した。
数年かけて金を貯め、立派な墓も建てた。
弟や妹たちとはほとんど縁が切れた。
その老人は世間では「当たり前の長男」としか見られていない。
彼が親と弟妹たちのためにどれほどの犠牲と忍耐を強いられてきたか
周囲の人間は知らない。

裕福な家のお嬢さんで、いい学校を出た中年女性は
年を取ってボケた親を遠方の施設に放り込み、
ただの一度も面会に行かない。
世間は彼女を「育ててもらった親の恩をあだで返した」と噂し、
ときにこれみよがしに「ご両親はお元気?」などと聞いてみせる。

子どもの頃の彼女がお腹や背中にたくさんのたばこの火傷を負っていたことや、
殴られて脳しんとうで2度も入院したこと、
真冬に裸でベランダに出されていたことなど、
世間は想像もできず、
「あんな娘に育ってご両親は気の毒」などと陰でいう。

昼間、電車の中でわめいて騒いで地団太を踏む7歳くらいの男の子。
母親が必死で抱きとめても、子供はますます騒ぐばかり。
あまりの騒々しさに誰かが「静かにしろよ」と怒鳴りつけた。

「すみません、すみません」と母親はひたすらに謝る。
痛々しいほどに謝る。
「謝ってないで静かにさせなさいよ、親でしょ」と誰かが怒る方に加勢する。
「すみません、すみません」と母親はますます頭を下げ、子供を落ち着かせようとするが
子供はもっと声をあげ、ついには母親の髪をがっと掴んで口にくわえ噛んでしまった。

「痛い、痛い、離して」と母親も声をあげた。
子供の顔つき、目つきが普通ではなくなっていた。
「降りよう降りよう、次で降りようね」
母親は髪をがっちり噛みつかれ体を大きく曲げた姿勢のまま、
興奮した子供を抱き寄せて必死に言った。

興奮した子供の荒々しい鼻息と母親の口から漏れだした一度の嗚咽が
衆目の声を失わせていた。


人には見えない事情がある。

仕事をすぐ辞める新卒

いろいろ感じたこと
04 /11 2014
大学を卒業して、いわゆる一部上場の大企業に入社した私の友達がふたり
たったひと月でその会社を辞めた。
理由はよく知らないが、「会社の人事の在り方がおかしい」というような
ものだった気がする。

あれから20数年、一人は結婚し3人のこどもの母になって主婦をしているが
もう一人は独身で、今でも働いている。

会社名はシャネルとかグッチとか、そっち系のメジャーブランドなので
いかにもかっこよさげではあるが
彼女は「派遣社員」である。

卒業して入社した超一流企業をひと月で辞めた後、
彼女は勉強し学校にも通い、いくつもの資格を取った。
有名ないい会社でも働いたが
彼女を正規雇用してくれるところは、どこにもなかった。

最初の辞職がいまだに響いているのか、
単に運が悪いだけなのか知らない。
ただ、10年ほど前会ったとき、彼女は笑いながら、
冗談とも本音ともわからない調子で言った。

「(最初の勤め先を辞めてしまった)あの時の自分をブン殴りたい」

会社を辞めた当時、彼女は自身の行為に胸を張っていた。
「あれはどう考えてもおかしい。
言ったら、上の人にびっくりされた。
そんなこと新卒に言われたのは、初めてだって」

彼女の辞職の理由を知らないので想像で書くのだが
多分給料や残業や休暇や仕事内容や、まぁそういう部類だろうと思う。

なぜこれを書くのかというと
新卒で入った娘の同期数十名のうち数人が、わずか10日で辞めたと聞いたからである。

鬼研修とか運動部並みの荒行研修が行われたのではない。
それは学校の講義の延長上にあるようなデスク上での研修であった。

彼女らはどうも、仕事内容や、休暇の説明、給与の説明などにも
「募集要項と話が違う」的な疑問と憤慨を覚えたらしい。

職安でも「最初の説明と違う仕事をさせられた」とか言う例が多く
つい最近も新聞に載ったばかりだから
それも拍車を掛けたのかもしれない。

しかし・・・・・だ。

雇われる側がすべてを完璧な形に要求した場合
雇用側も求めていいのではないだろうか。
「完璧な仕事」を。

勤続10年のベテランまではいかずとも
5年目くらいとは同じレベルの仕事を要求してもいいのではないか。
求められた仕事を完璧に出来る自信があるのか?
それとも中身がないくせに権利だけを要求しているのか?

上記の私の友達は、最初の会社を辞めていくつもの企業会社を渡り
自分がいかに甘かったか、
自分がいかに思いあがっていたか、
身にしみて感じている。

多少の無理や、頑張りがなくて、つらいことがなくて
耐えることも歯を食いしばることもなしに
仕事を続けたいと思うのは間違いだ。

確かに世の中にはすてきに見える職場もあるし
多分実際気楽な職場もあるだろう。
そんなものばかりを夢見るより
まずは自分のしっかりした足場を築く方が先だ。

注意:今回の記事はブラック企業における話ではありません

ヒステリー

出来事から
04 /14 2014
注:今日は気分が波立っていて、ろくな文章が書けません。

どうもむしゃくしゃし、気分がぱっとせず、鬱々とし、
爆発的な怒りが内側に溜まっていて、すごく不機嫌。

理由はだいたい分かっている。
1、やるのが当たり前になってしまった仕事と、その責任が重い。
2、ヒノキ花粉だの持病の悪化だのと常に体調が不調
3、体力温存のために経口栄養を1日900キロカロリー摂取しなければ持たないが、
  それをすると普通の食物を食べられず、食事から得る幸福感がない。
  幸福感受物質=セロトニンの著しい減少が始まっている。
4、体力のために仕事と用事以外は自宅にいることを求められ気分転換が難しい。
5、節約モードでお金が使えない。
  (家族に買うことや、食べさせることはするが、自分のものは買わないし、食べない)
6、私の犠牲と努力(!)を家族が認めない、気付かない。

ようするに、全部私の「僻み根性」が原因である。

現状をひたすら憂い嘆いて、自分で変えようとも進もうともせず
自分の根性と勇気がないことを棚に上げて、
ただただ「誰も私の頑張りを分かってくれない」
「誰も私を大事にしてくれない」と自分をかわいそうがっているのだ。

この悪循環には年に一度くらい陥るのだが、ここにはまる度に
自己嫌悪も強まるのが常である。
自分のことしか考えられない私自身には、ほんと、
おまえなんか全然クリスチャンじゃねぇよ、と罵ってやりたい。

そんな私をなんとか目覚めさせるべく、昨晩私は自分の勉強机の前に
この聖書の言葉を書きだして貼り付けた。

「いっさいのことを、愛をもって行いなさい 第一コリント16章14節」

いっさいのことを愛をもって、いっさいのことを愛をもって、
いっさいのことを愛をもって・・・・・

と自分に言い聞かせ、怒るに遅い自己と成ることを念じつつ
今日は認知症母を精神病院に連れて行ったのであった。

いっさいのことを愛をもって行うべく注意していたら、
最初の一時間ほどは非常につつがなく穏やかに過ごすことが出来た。
だがしかし、私の内なる怒りの蓄積物は
調剤薬局での45分という待ち時間に爆発した。

認知母をあやしつつずっとそこで待っていたにもかかわらず
「いなかった」と思いこまれて45分間待たされた私は
薬局にいた大勢の患者にも聞こえよとばかりに
薬剤師を怒鳴りつけ、責任者を出せと息巻き、
金を払わせる段ばかり素早いところにまで文句をつけ
私の勢いに呆れて目を合わせない職員に
「目をそらして謝るってのはどういうことだ!」と
もはや、なん癖までつける始末。

ああこんなんが、クリスチャンでございますぜ、
もうどうしようもねぇバカたれで!

薬局から出ると、少し向こうに駅行きの病院バスが着いているのに
認知母の足はひょこたんひょこたん、ちっとも早くならず、
結局目の前でバスに出発され、
私と母は病院の待合室でまた30分もバス待ちをすることになった。

さっきまで、いっさいのことを愛をもっての気持ちで
認知母の話相手を、にこやかに、がんばって続けてきたのだけれど
薬局の一件でブチ切れてしまった私の心は乱れたままで
穏やかに母に話しかけることも難しく
ただただひたすらに両手で顔を覆って、
自分の気持ちと闘うばかりが精一杯。

強い自己嫌悪がまたやってきて、うんうん唸りそう、叫びそう、
口から嗚咽が漏れ出そう、
でも泣いたところで母にはなにも通じないし、
これで終わりになることでもない。

もはや祈ることすら難しい感情の渦の中で、
それでも母にむかってだけは叱りつけたり罵ったりはするまいと
ひたすら自己を抑制した。
抑えるほどに泣きたくなって困った。
神様は私の help me! を聞かれて、私の心を次第に鎮めてくださったけれども。

今日は、
認知症の母を持つ娘として、介護する子として
母親を引き取った次女として、久し振りに泣きそうになった。
自分の仕事と自分の家族だけを守っていられる姉はずるい。

いや、いや、母を引き取りなさいと言ったのは神様だから
私はこれでいい。

簡単に怒り狂ったことをお許しください。
ごめんなさい、もうしません、しないようにさせてください。

いっさいのことを愛をもって行いなさい、
これは一生私に必要なみことばにちがいない。



娘の涙

いろいろ感じたこと
04 /21 2014
5月になったら、必ずしも土日が休みで無くなるわが娘、
昨日の日曜は遠距離恋愛中(とはいえないほど彼氏はまめに会いに帰ってくる)の彼氏とも
偶然にも逢瀬がなかった。

大学の4年間何度誘おうとも、
バイトやら勉強やら遊びやらにかこつけて1度しか礼拝に来なかった娘だから
昨日もあまり期待せずに、それでもイースター礼拝に誘ってみたところ
あっさり私についてきて、日曜日の礼拝に出席したのであった。

ちなみに娘はクリスチャンではない。
幼稚園が教会系だったから、豆まきは無くてもクリスマスの降誕劇は毎年やったし
聖書のお話は毎日のように聞き、お祈りをし
子供の賛美歌もガンガン歌い、
卒園式には聖書までもらっていたから、
キリスト教に関する知識を幼児レベルで持っているのだが
なにせ幼児レベルだから、
ただただ暗記している「主の祈り」を就寝時に祈るくらいである。

それでも、このまま教会と縁が切れてしまったら
大人になって悩みや苦しみが非常に深くなってしまった場合に
わけのわからない新興宗教にたぶらかされたりしたら
あの最中に神様に「いい子をください」と声に出して祈った意味がない、
神様に申し訳がない。
(妊娠の難しい難病もちの体の女が一発で妊娠したのだからキセキかも~ww)

なので、私は娘と一緒に行ける喜びと、イースターの晴れやかな歓喜を抱えて
教会に礼拝に行ったのであった。

説教題はイースターにふさわしく「すべての慰めの神」であった。
牧師の話はいつもと同じに分かりやすく、穏やかに進み
30分ほどが経過したころだろうか、
隣に座った娘から小さな嗚咽が、えぐえぐと聞こえ始めたのである。

花粉症のマスクの下で、必死に声と息を殺しながら
娘が耐えきれないように、ほろほろほろほろひくひくひくひく、
体さえ小刻みに揺らして泣きだしていた。

見えないけれども礼拝の場にいつも立たれるイエス様の、その手が
娘に触れてくださったのだと思った。
私は気づかないふりを続け、娘もいつしか泣きやみ、
私はイースターのお祭りの準備で教会に残り、
娘は一人、かわいいゆで卵をもらって自宅に戻って行った。

夜になり、娘が「今日は教会行ってよかった」と自分から話しだした。
「気づかなかったけど、今の自分は相当無理しているみたい」
「頑張ろう、頑張ろうっていつも思ってて」
「10楽しいことがあっても1失敗したら、すごく自分が嫌で、自己否定ひどくて」
「あのときあれ言わなきゃよかったって、こんな自分がすごく嫌いで」

毎日一生懸命明るい顔をして通勤していた娘の底に
頑張らねばという意識最優先による自己否定が根を張り始めていたことに
私は驚いた。

自分でやらなきゃ、自分で頑張らなきゃ、と強迫的にまで成りかけている娘の心に
神様は静かに語ったのだ。
「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな」と。



人には限界がある。
他人によわっちぃと思われようと、あざけられようとかまわない。
「自分でやらねば」だけで生きていける者は、この世にはいない。
着ている服も、食べる器も、住む家も、吸う空気だって
自分だけの力では、備えることすらできやしない。

頑張るのは大事だ、一生懸命なのもよい、明るくしているのも素敵なことだ。
だが、一番大事な自分というものを否定してはいけない。
決して自分を否定してはいけない。
イエス様はお前をものすごく愛していて大事に思っていて
だからお前のためにも十字架にかかって死なれた。

娘よ、お前はお前の持つ力以上のことを望まなくていい。
お前はそのままで大事な大事な人間なのだ。
母はお前がいつか自然に、気付かぬうちに、
いまの自分の限界を軽々乗り越えているだろうと信じている。
お前は神様が私に預けてくださった「いい子」なのだ。
必ずそうなる。




「私の目には、あなたは高価で尊い。
私はあなたを愛している イザヤ43章4節」


「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。
わたしがあなたがたを休ませてあげます  マタイ11章28節」