物忘れと料理

いろいろ感じたこと
05 /01 2014
今日の埼玉は25度にもなるのだそうで
いましがたは掃除機をかけながら、薬缶に麦茶を煮出していた。

年を取ると物忘れも激しく
薬缶に火をかけていたことをすっかり忘れて
えんやこらえんやこら掃除機をかけていたら
沸騰のシュンシュン音にチビワンコがわんわん吠えて
はたと気づかせてもらったのだった。

で、また沸き返った湯に麦茶パックを入れてタイマーをセットし
再びせっせと掃除機を使い始めたら
麦茶のことはすっかり忘れて
さて、ネットでもしようかなどと腰かけていたところに
麦茶パックを引き揚げろとタイマーが鳴り、
ああまた忘れてた、と薬缶の傍らに行ったのであった。

さすがに薬缶のそばに立って、することを忘れて佇んだりはしなかったので
麦茶はいい色に煮出されていた。
これを冷めるまで放置して冷水ポットに移して冷蔵庫に入れるのは
あと2時間後くらいだろうか。

暑い日は冷えた麦茶がうまい。
私が薬缶の麦茶の存在を忘れなければだが。

わが母が認知症患者だから私も(ビクビク)、などということはなるべく考えずに
年のせいで物忘れが多くなっているのだと己に言い聞かせつつも
年のせいだから以前よりずっと上手になってきたこともあると
長所を思ってみた。

先月初めに洗面所のリフォームを行ったおかげで
我が家の財布は相当な緊縮財政を迫られていたが
(リフォーム代も貯金を下ろさずにやりくりしたため)
おかげで私の料理の腕は少々上がったような気がする。

いわゆる節約料理というのは
モヤシ炒めとご飯だけというような簡単メシではなく
普通の食卓に比して遜色のない料理を並べつつ
お金があまりかかっていないものをいうのだろう。

今回、私は日々にせざるを得ない節約料理のおかげで
主婦の年数だけは重ねてもその中身はからっきしだと思いこんでいた
自己の評価を変えることができた。

そしてつくづくわかった。
節約料理でおいしいものを作れるのは、ひたすら知恵と手間と腕である、と。

知恵は相当に必要である。
肉や魚が冷蔵庫にあればかなり簡単だが
それらがなかった場合に、どうやってたんぱく質を食卓に提供するか、
主菜らしい、食べごたえのあるものを作れるかというのは
私のような馬鹿にはなかなかに難しい問題だった。

例えばある日私ははんぺんを細かく握りつぶし、
おろして水気を絞った新じゃがとたまご、牛乳、少々の小麦粉に混ぜ込んだ。
味付けは塩コショウ、ちょっこと醤油マヨネーズくらい。
タネは緩めだったので半切りピーマンに詰めてみた。
上向きのタネの表面にはパン粉をぱらぱら。

ピーマン側をフライパンで焼き、焦げ目が付いたら
オーブントースターでパン粉側に焦げ目をつける。
(裏返したらタネが外れると思われた)

ピーマンの肉詰めならぬ、はんぺんとジャガイモ詰め焼きができた。
やわらかく、実にまあるい優しい味で、しょうゆでもケチャップでも辛子でも行ける。
大根おろしを添えてもいいだろう。
離乳食、老人食、回復期の食事にもなりそうだ。

タネにはもちろんひき肉、鮭缶、ツナ、
玉ねぎやコーンやキノコなどを刻んで加えてもおいしそうだし、
ノンオイルがよいなら最初からオーブントースターで焼けばよい。
もっとボリュームが欲しい場合は衣をつけて揚げてしまえばよい。

ああわが料理の腕の上がったこと。
知恵のついたこと。
手間暇を惜しまぬこと、なんと立派なのだろう!!
そのはんぺんじゃがいもの夜には
他に3品も作ったのだ、漬物とおみそ汁は抜きにして!!!

ああ自画自賛自画自賛、私ってエライ!
物忘れは多くなっても、これまで培ってきた主婦としての経験は
なかなか立派に役だっているではないか!

年を取るのも悪くない、悪くない。

ところで今年は家の外壁を塗るので、我が家の経済状況は当分厳しそうである。
私は知恵を働かせ、節約料理をなんとか続けていきたいと考えている。
(真夏には暑さに負ける可能性もあるが、出来るだけ頑張る)

料理の工夫はボケを防止するしね。
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子どもの日からの連想

いろいろ感じたこと
05 /05 2014
5月5日はだいたい晴れだったように思いこんできたが
今日はどんよりと垂れこめた梅雨前のような空模様、
しかも昨日と打って変って肌寒いから
しまい込んだ毛糸でも着ようかと思っている。

重たく暗い空だから、似合いはしないが、それでも
鯉のぼりの一つも泳いでいないのはどうもさびしい。
雨が来るから取り込んだのか、
それとも最初から出していないのか
そこそこ庭のあるこんな田舎町でも、
ここ数年元気に泳ぐ鯉のぼりの姿を見ない。

毎年仕方がなしに売れていたのだろう菖蒲の葉も
今年はスーパーでもちょっとしか売られておらず
前倒しの母の日用カーネーションばかりが、花売り場の最前列に並んでいる。

切り花ならともかく、
鉢植えのカーネーションは手入れすれば毎年咲いてくれるはずなのに
子どもにもらったカーネーションの鉢植えを
母親たちはそのまま放置して枯らしてしまうのだろうか。

それとも一代交配で花が咲かないように処置されているのかもしれない。
来年も咲かせてやろうなどとは考えないのかもしれない。
まぁ母親の性質によるのだろう。

子どもの日と母の日は、暦に寄るが、だいたいがわずか1週間ほどしか離れていない。
それほどに母と子の距離は近しいものなのか、
あるいはそれが自然なのか、最近の私にはよくわからない。

先日、ぎょっとするような短歌を見つけた。

毒といふ文字のなかに母があり岩盤浴をしつつ思へる 


知らなかったが、天才ともいわれた春日井健の歌だそうで
この「みそひともじ」は確かにすごいと思った。

読み手は一人で岩盤浴に来るような年齢の人間で、少なくとも青年や少年ではなかろう。
温められた岩盤の上に寝転がって、じんわりと汗をかきながら
眠るでもなく起きるでもなく、漠然と脳味噌が何かを考えている。
そしてふと、気が付くのだ。
毒という漢字の中には「母」が隠れているのだと。

作者はその時どう思ったのか。
日常のさりげないひとこま、何でもない瞬間に、
むしろぼうっとしているその瞬間に浮き上がる「毒」の「母」。

ここに作者の感じている母に対する複雑な思いが立ち上がりくるが
それは岩盤浴場の暑い室内温度の中にいまだはっきりとした輪郭を取らずに
「ただ在る」ままだ。

まるで日常の関係性のように、ただ在る。
諦観、悲劇、あるいは喜劇なのか。

どちらにせよ、そういうときの人生は、きっと長い。


「君死にたまふことなかれ」からだらだらと

本にまつわる
05 /09 2014
NHKの朝ドラはときどき、
与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を誰かに読ませるもののようだ。

あの「おしん」では、泥棒呼ばわりされて奉公先を逃げ出したおしんに
逃亡兵役の中村雅俊が、この詩をおしんに教え、戦争の愚かさを説いた。

「純情きらり」では出征を祝う万歳三唱の中、「君死にたまふことなかれ」の横断幕を
掲げて立つ主人公の友人が出てくる。

そして今朝は「兵隊になりたい」という主人公の兄に
天女のごとき主人公の友人が、この詩を読みあげた。

どの場面にせよ詩の最初の部分だけだ。

「天皇陛下はご自分からは戦争にお出でにならないのに
血を流しあって、獣の道のように死ねだなんて
死ぬのがひとの名誉だなんて」
そこだけ見ると少々物騒な文句が続くから
NHKではそこまで放送するはずもないが。

与謝野晶子のこの詩は確かに、年頃の娘にも、母にも妻にも
強烈に訴えかけてくるものがあるから
何度見ても女性にとっては感動を覚えざるを得なかろう。

ちなみに与謝野晶子は、この間までかなりメジャーな政治家だった
与謝野馨(かおる)のおばあちゃんにあたる。

この政治家さんはこの前の原発事故を「神の仕業」と言ってしまい
大きなミソをつけてしまったのだが
「君死にたまふことなかれ」で「反戦」と思われがちな与謝野晶子も
実は大東亜戦争賛美の詩も発表していたりする。

もともとイケイケ気質のある人だっただろうから
「正義のために勝ち進め」的な高揚感には乗らずにいられなかった模様。

というわけで、
反戦詩人・歌人みたいな受け止め方で与謝野晶子を考えない方がよい。
この歌人はあくまで思想ではなく、感情で物事を言葉にした。
だから論理に一貫性は持たないのだが
心からまっすぐに発射された歌は
その語彙選択の天才的才能によってさらなる輝きと強さを放って
受け取る側にズューーーーーンと命中するのである。



君死にたまふことなかれ
 (旅順の攻囲軍にある弟宗七を歎きて)

ああ、弟よ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ。
末すゑに生れし君なれば
親のなさけは勝まさりしも、
親は刄(やいば)をにぎらせて
人を殺せと教へしや、
人を殺して死ねよとて
廿四(にじふし)までを育てしや。

堺さかいの街のあきびとの
老舗(しにせ)を誇るあるじにて、
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ。
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事(なにごと)ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家(いへ)の習ひに無きことを。

君死にたまふことなかれ。
すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出いでまさね[#「出でまさね」は底本では「出でませね」]、
互(かたみ)に人の血を流し、
獣(けもの)の道みちに死ねよとは、
死ぬるを人の誉(ほまれ)とは、
おほみこころの深ければ、
もとより如何(いか)で思(おぼ)されん。

ああ、弟よ、戦ひに
君死にたまふことなかれ。
過ぎにし秋を父君(ちゝぎみ)に
おくれたまへる母君(はゝぎみ)は、
歎きのなかに、いたましく、
我子(わがこ)を召めされ、家(いへ)を守(も)り、
安(やすし)と聞ける大御代(おほみよ)も
母の白髪(しらが)は増さりゆく。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかに若き新妻(にひづま)を
君忘るるや、思へるや。
十月とつきも添はで別れたる
少女(をとめ)ごころを思ひみよ。
この世ひとりの君ならで
ああまた誰(たれ)を頼むべき。
君死にたまふことなかれ。



ちなみに、高校の頃の日本史(教科書は山川)だったと思うが
「君死にたまふことなかれ」のほかにもうひとつ「反戦歌」として
あげられていた歌があった。

大塚楠緒子の「お百度詣(もうで)」である。

ひとあし踏みて夫(つま)思ひ、
ふたあし国を思へども、
三足ふたゝび夫おもふ、
女心に咎(とが)ありや。

朝日に匂ふ日の本の    
国は世界に唯一つ。
妻と呼ばれて契りてし、
人も此世に唯ひとり。

かくて御国と我夫と
いづれ重しととはれれば
たゞ答へずに泣かんのみ
お百度まうであゝ咎ありや


この歌もまた、戦地へ赴く男への、
女の身を削るような精一杯の思いを歌いあげているが、
「反戦歌」とレッテルを張っていいものかどうか、個人的には疑問ではある。
ところでこの歌に詠まれているのは彼女の夫と思われるのだが、
とすればそれは美学者「大塚保治」ということになる。

この美学者さんは夏目漱石と親しく交友関係にあり
漱石に美学者といえば、「吾輩は猫である」を思い出さずにおられないわけで、
なんとこの切なく哀しい「お百度詣」に歌われる大塚保治が
あの独特の個性で作品を大いに賑わす美学者「迷亭」に結び付く。
殺しても死ななそうな迷亭に対して「お百度詣」と考えると
ちょっと愉快だ。

そういえば大塚楠緒子が死んだ時、漱石はこの句を詠んだ。
「あるほどの菊投げ入れよ棺の中」
この一句のおかげか、
漱石が楠緒子さんに恋心抱いて云々まで言われているそうだ。
漱石の小説は一人の女性に絡む二人の男の話が多いから
これもいろいろ想像の余地があって面白い。

なんてね、少々話が広がったが、
書いていると楽しいのでこれがまたさらに広がり
読む方が逃げ出すに違いないから、今日はおしまい。

母の日はちょっと胸を張ろう

出来事から
05 /11 2014
世の中全部の母親が、偉大だ・・・なんてことは決して言わないけれども

世の中の大半の母親たちは、けっこうすごい・・・
なんてことを改めて感じさせてくれる動画を二本。

自分が母親で、日頃当たり前のように行っている事も
意外にすごいのかもしれない。

などと思ってちょっとニヤニヤし

過去は偉大だった認知症母に、ちょっと会いに行き
多分偉大だろう義理の母に、ハイドランジアの美しい鉢植えを買ってきた。




翻訳の日本語に少々誤りがあるけれど、
心がじんわりして教えられる、いい動画だと思う。

こちらはこの前のオリンピックの時期もテレビで流れたけど
何度見ても、グッと迫ってくる。



私たち、いいお母さんになろうね。
子どもたちが大きくなって、いつか墓の中の私たちを思い出したとき、
恋しくて泣けるくらいの、そんな母親になろうね。

そういう母親を持てた子供は、きっとものすごく幸せだから。

田舎で自転車に乗れないなどと

いろいろ感じたこと
05 /19 2014
ついに白状してしまうと、私は自転車に乗れない。
肉体的な諸事情があって乗れない。
根本的な運動音痴であり、子供のころ友達の自転車ですっ転んだトラウマも持っており
けがを恐れる極度の臆病者と言うのもあてはまり、
こじつけると「貧乏で自転車は家になかった」ので練習もしなかったし、
都会で育って電車も駅も近くにあったし、バスも当然あったので
どこに行くにも不便を感じた覚えがなかったから必要もなかった。

長じてさらに大腸直腸膀胱に外科的な難を抱えると、基本負荷のかかる自転車は
医者に「乗るな」と言われて、ちょっと助かり、
でかい顔をして「自転車乗ったらいけないんだー」とうそぶいたものであった。ははは

しかし、だ。
都会に暮らした20数年より、田舎に暮らす年数のほうが長くなりつつある昨今、
家のある埼玉県東部ならまだしも生活圏内徒歩可能だが
夫の仕事場の茨城県の辺境に来ると、会社の周囲はおよそ畑や田んぼや
巨大なトラックがビュンビュン走る道路ばかりで
商店の1件すらもない。

この地に暮らす人々ははたしてどのようにして日々買い物をしているかというと
もっぱら車で用を足しているわけなのである。

そうだ、自転車どころではない。
ここまで何もないと、自転車を使っているのは免許を持たない子どもばかりで
(中学校にすら自転車で30分もかけて通っているようだ)
大人はほとんどみんな車で動くのである。

私は仕事で経理や事務を受け持っているので銀行や郵便局は非常に大事な場所であるが
なんとも残念なことに、私は一人では銀行にも郵便局にも行けないから
義母の運転する車で連れて行ってもらわねばならない。
(徒歩なら往路のみでも2時間はかかる)

これが結構心的に落ち着きが悪い。
義母は高齢化し、義父のイライラのおかげでときどき鬱っぽくなり、
仕方がなしに食事を作る以外は、面倒事は一切放棄したい気持ちになることが少なくない。
なので、私を銀行に送り届け、
用事が済むまで待っているのも苦痛になる場合があるらしいのだ。

考えてみれば、私がいけない。
自動車免許も取らなかったし、自転車すらも乗れない間抜け腰ぬけである。
義母はじきに75になり、免許証とていつまで持っているかわからないではないか。
(いずれ銀行は私の家の徒歩圏内の銀行に変えるときが来るだろう)

ところでこの地の60代くらいまでの女性たちは普通に車を運転するのだが
そこから上の人たちはどうしているのだろう。

義母はこの地に育ち、クラス会などにもよく出るのだが
その際は義母がクラスメイトを車で迎えに行ったり、
帰りは送り届けたりしているから、
免許証を持たないで生活する人々も、ちゃんといるのである。
(義母は東京に嫁にきて子を産んでから30代で免許を取った)

じゃあ、買い物はどうしているのか?
どうやら、自分で作った野菜や米を食べるらしい。
肉や魚、卵は、衣類はどうするのか?
多分まとめ買いをするか、家族の誰かが車に乗れて
買ってきてくれるのだろうと思われる。

だが一番困るのは多分、医者だろう。
年をとって、毎日でも通いたい整形外科などにも
このあたりの年寄りは通えないようだ。
年より天国埼玉県のうちのあたりは、整形外科は自前のバスでの送迎が普通にあるが
このあたりにはそういうシステムすらないようで
農業を長くしていて足腰を痛めた年寄りは、ただもうひっそりと隠居になり
密かに家族から「野良仕事もしねえで」などと思われていたりする。

田舎暮らしにあこがれ、いまだ定年帰農などを考える人がいるとすれば
このあたりをよくよく考えたほうがよい。
農業は一生続けられるほど楽な仕事ではなく
田舎では働ける人間が一番大事にされるのだということを。

ついでにいうと、田舎で暮らすなら、
80歳を超えてなお軽トラくらいは運転できるほうがいい。
半端な事務職で、病院通い必須の私など、すでに今から無駄飯食いに近い。

無駄飯食いに近い私は、今日も無駄なブログを書いている、ははは。