おばちゃん怒っちゃうよ

いろいろ感じたこと
08 /14 2014
製造現場で働く夫の背中のあせもが、ここ一月も治らないので
本人がようやく皮膚科に行くと言い出した。

お盆休みはその日一日だけで、
留守番もつまらないから私も病院にのこのこついていった。
(一人で行かせると病院のあとパチンコ屋にいって夜中の10過ぎまで帰ってこなくなる恐れ大)

皮膚科は病院の二階にあり、待合室は口腔外科、産婦人科、小児科、眼科、耳鼻科と共同の
長四角のフロアーだった。
お盆のせいかそこそこ空いていて(一階内科は混雑していたが)
特に小児科や産婦人科にかかる人はほとんどいない。

私と夫はぎゅうっと人の詰まった皮膚科の前の席から離れ
がらがらの小児科の前の長いすに腰掛けていた。
そこに、まだ首の座らない乳飲み子を抱いた若いご夫婦がやってきた。
小児科は空いているから診察はすぐである。

まず看護婦に託された体温計で熱を測ろうと、若い母親は若い父親に赤ん坊を手渡した。
母親は赤ん坊の前をはだけて体温計をわきの下に挟もうとするが
赤ん坊は軽くむずかった。
「いやなの、いやなのね」
と母親は困り、たかが体温を測るくらいのことで悪戦苦闘している。

そんなものわきの下に挟んで腕を閉じればいいのよっ!
ちょっと泣こうがたいしたこと無いじゃないわよっ。
・・・・・と、思う私であった。

若い母親は何とか頑張って赤ん坊の体温を測った。
8度7分、という声が聞こえた。
おお、ちょっとお熱がでているな・・・・そりゃ心配だわね。

母親が小児科で出された書類にいろいろ書き込んでいる間
発熱中の赤ん坊をずっと抱いていたのは若い父親であった。

若い父親は背が高く体も大きく腕も太くたくましい。
本来なら赤ん坊は非常に安定した腕の中で落ち着いて発熱していられるはずなのだが
それが全然ダメであった。

父親の両腕は赤ん坊の背中を恐る恐る抱いているのだが
まだ据わらない首を支える場所にはそのたくましい二の腕を当てていないのだ。
だから発熱中の乳飲み子は、かわいそうに首を後ろにがっくんと落としたまま
ほうけた様に半眼なのである。

うわぁうわぁ、あれじゃ赤ちゃんの気道が確保できてないよ、
息が出来ないよ、
熱は出てるわ、息が出来ないわじゃ、脳に酸素がいかなくなるじゃないか!
ああもう、おばちゃん怒っちゃうよ!!!!
怒っちゃうよっ!!!!

おばちゃん怒っちゃうよ!を夫に何度も耳打ちしたが、
若い夫婦にそれを言うことは出来ない。
だっておせっかいじゃない。
どうしよう、どうしよう、と思っていたら
書類を小児科に提出した母親が父親に変わって赤ん坊を抱いた。

こ、これもまたひどい抱き方だ。
二の腕ではなく、手のひらで首を支えようとしているではないか!!!
しかもほとんど効果ないし!!
あなたね、赤ん坊の頭はケッコウ重いのよ、考えなさいよ、
なんなのこの夫婦、赤ん坊を自分たちで育ててないの?

うわあん、うわあん、おばちゃんどうしよう、私に貸しなさい!って言いそうだよ!!
と激しく心の中で戦っていたら小児科の看護婦さんが出てきて赤ちゃんを受け取った。
当然安心の正しい抱き方で、赤ちゃんの首はきちんと支えられていた。

やっと安堵した私(と夫)であるが、今度は若い父親の態度に注意が行った。
診察室に入った母親が父親を手招きしたときの
彼の大きな大きなため息といったらなかった。

せっかっくの休みなのになんで病院なんか来なきゃいけないんだよ・・・・
というため息に、私には聞こえた。

思うにあの夫婦はどちらもが働きながら子供を育てているのだろう。
双方のひどく不慣れな抱き方を見れば、あの赤ん坊は昼間保育所か
あるいは祖父母のところあたりに預けられていて、
夫婦は夜しか赤ん坊を見ていないのかもしれない。

しかも、あの大きなため息。
若いのだから、「やれやれ」という気持ちはわからなくもないが、
親としての自覚をもう少し育てていかねばいかんわな。
「ああこの子は親孝行な子だ、親が休みのときに熱を出してくれた。
仕事の日だったらもっと困ってた」
くらいにならねば働く親は務まらないわさ。
精進精進。

・・・・・などとおばちゃんは隣の夫にいちいち耳打ちしていたので
夫は苦笑し辟易していたのであった。
あの赤ちゃん今日はお熱下がっているといいな。
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さらっとセックスレス

こころ
08 /15 2014
さらっと書こう、さらっと。

夫婦が仲良く暮らしていくために不可欠なことのひとつには
「要セックス」といろいろな場所で読んだり見たりするのだけれど
あれ、本当なのだろうか?

さらっと書くが、私は多分この5年ほど致していない。
さらっと言っちゃうと、出来なくなった。
度重なる手術や病気の進行によって、どうも使用場所の狭窄が起き
「いらっしゃいませ」と暖簾をあけられなくなった。

無理やり暖簾をくぐられたら、外科処置をされたみたいになるのではなかろうか。
しかも麻酔なしで。

多分5年前「あのねぇ、通せんぼになった」とさらっと夫に言ったところ
夫はさらっとこう言った。
「いいよ今さら、若くないんだし、やりたくってたまらないってことはないから」

で、さらっとした関係になって数年が経過したいま、思うのだ。
確かに若い時代(いつだっていいが二人の一時期)にはセックスは必要かもしれない。
だが夫婦の種類によっては「無くてもケッコウ大丈夫」。
むしろあっさりした間柄で、気楽かもしれない。

もちろんこれは私の考えで、夫側は不満たっぷりなのかもしれないが
少なくとも表面上は非常に穏やかな関係になった。
兄弟姉妹のような
互いの秘密を知っている友達のような。

さらっと言うと、それでもときどき肌が恋しくなって
つるっと夫の床にすべりこんだりする。
夫はなんだよ~、眠いんだよ~、といいつつ
ちょっといじりっこをして冗談を言って笑いあって
「じゃあおやすみ~」と私は自分の部屋に帰る。
もっともそんなことは数ヶ月に一度あるかないかなのだけれど。

私はいまの関係を案外気に入っている。
夫の思いやりがあってこその関係だからこそ、気に入っている。

さらっと書いてみた。
コメントをくれる人がいたら、さらっとお願いします。

意気に感ず

いろいろ感じたこと
08 /18 2014
その昔、義父は言ったものだ。
「とにかく儲けなくっちゃ駄目なんだ」
と、強く、自信と確信に満ちて。

あれは義父がまだ癌を発病しておらず
仕事に対しても、会社の経営や人事に関しても
第一人者的意識を敢然と披露していた頃だった。

あの頃の義父に
いま夫のところに来ている注文の話があったなら、
勢い付けて「やってみなくちゃわかんねぇよ!」と
断固受け入れる姿勢を見せただろうと、
私は想像する。

田舎の零細工場で、いまや身内以外の雇い人がたった一人で
(しかも材料の切り出し以外は一切できないお年寄り)
ほとんどすべての仕事を、
交渉、溶接、組立などすべてを
夫がたった一人遮二無二働いて担っているここで
さらに、多くの労力を必要とする注文を受け入れるということは
かなり無茶苦茶だと、私も思っている。

だが、今しがたの義父の言葉にはちょっと違和感を覚えた。
「儲けばかり追いかけてどうするんだ」と言う言葉に。

夫はきっと、儲けだけを追いかけるために仕事を受けたのではない。
難しい仕事だから、夫を選んで頼んでくれたそこに、
夫はやりがいと、新たな挑戦への意気を感じているのだ。

夫にも不安は山ほどあるだろう。
これまでの注文をこなしながらという兼ね合いや、自分の体力、義父の健康の問題だってある。
けれども夫はその注文を受けようとしている。
いつもの仕事で手いっぱいでも、休みが既にほとんどなくても、
夫は心に感じた気概を育てることに決めたのだ。

発病前の義父なら、夫の意図を汲んでくれたと思う。
そして、出来る限りの協力をすると意思表示したことだろう。
しかし義父は先ほど、夫のいないリビングで
「俺は一切手助けする気はねぇな、勝手にやればいい」と
吐きだすように義母に話していた。

80に手が届く義父に助けてもらえるとは
夫も思ってはいないだろうが、
あの言いぐさを聞いては、がんばる夫の女房としては
癇に障らずにはいられない。
(障らずにはいられないけれども、年寄りの愚痴や嫉妬に
対峙し反駁するほどバカ嫁でもないから黙ってやり過ごした)

これからは夫がいま以上の多忙と疲労を迎えるだろうことは
間違いない。
夫の健康を案じて、とても心配になる。
不安も抱いている。

しかし、夫が意気に感じて新たな仕事を受けようとするなら
私は夫の意思を尊重し、
可能なら手助けもし、彼のために裏方として支える。
文句も言わない。

私はいつも守りに徹して生きているが
夫はそうは生きられない。
彼は男だから。

私は日々に神様に祈り、ひやひやしながら味方でいよう。
彼もいつか年をいて義父のように守りに入るだろう。
そして敢えて荷を受け過ぎる若ものを揶揄するようにもなるだろう。
だからこそ、まだ老人には間がある夫の、男としての意思を、
私は大事にしようと思う。
女として。


男は弱いと言い切る50代

いろいろ感じたこと
08 /19 2014
私たちくらいの年齢になると、周囲はみんな言うわよ、
「男は弱い」って、
肉体もメンタルも、ほんと弱い、
ある日ぽきっと折れて、そうなったらもう、いじいじいじいじ
女のほうが絶対強いわよ、
まずさ、折れるような自我をもってないから折れないのよ、
私たちは出来ないできないって言いながら無理無理乗り越えてるから
この年になったらもうメンタルも肉体も強くなってるのよ!
男は出来ないって言えないから、
本当に出来ないことに遭ったとき、ショックで負けちゃうのよ、
いまにわかるわよ、ちやこんちもそうなるから。

と、バリバリキャリアの姉が言った。
姉と私は年子だから年齢は1歳しか違わないので、
「男は弱い」のだと私もそろそろ知るようになるらしい。

実際義父などを見ていると、
病気を発症した彼のメンタル面の弱さ、
極度の臆病には、正直呆れさえしているが、
それは義父の天性の性質の発露によるものだとばかり思っていた。
しかし姉は、それは世の中の男全般に言えることと言い切る。

「男の子を育ててみればわかるわよ、
男の子がちいさいときにはほんと脆くて、弱くて、臆病で甘ったれ、
男の子は子供のときと、年をとったら弱いのよ、
青年期壮年期はガラスのハートを肉体の強さと勢いだけでカバーしてるけど
男は基本、女より弱いのよ」

いやぁ、思ってみなかった、男全般がそういうものだなんて。
男は「強さ」「タフさ」が売りだからこそ、
弱体化を受け入れられないわけか。
そういえば聖書にも「弱い」ことを認めろ的な叙述が少なくない。

・・・・しかしだ、
姉の「男は弱い」と同調する周囲の「みんな」とは
全員がバリバリのキャリアウーマンさんたちではないのだろうか。
お産のときだけ休んだほかは、0歳児から子供を預け
正社員として第一線で働き続けてうん十年、
子供の病気やら、進学問題やら、親の介護やら、旦那の失業や転職や
セクハラやモラハラ、人間関係といったさまざまな問題と向き合って、
負けずに乗り越えてきたキャリアウーマンさんたちではないのか。
彼女らは50代ともなれば責任ある地位にもなっているし、
この男社会の中でそこまで行けたがゆえに、弱いはずなんかないじゃないか!

・・・・・・と、思っちゃうのはやはり私の暮らすフツウのおばちゃん世界と
姉の生きるキャリア女性世界の違いだろうか。

「ちやこだっていつかわかる」というのだが、わかるときが来るか知らん。
メンタル面はとにかく、私以上に肉体が弱い人には
病院以外ではあまり出会ったことが無いしなぁ。

でもこの意見は忘れずにおこう。
違う世界の人と話をするとだから面白い。




自己啓発や宗教には急ぐな

いろいろ感じたこと
08 /23 2014
ちょうど妊娠入院出産子育てといった時期にあたるので
X-JAPAN というグループが大いに世をにぎわしていたことを一切知らない。

いくら教育テレビとアンパンマンの日々が続いていたって
さすがにわが国の総理大臣を知らないわけにはいかなかったので
私は小泉純一郎元首相から上述のX-JAPANを知ったようだ。

とはいえ、自民党のCMで流されていた曲ひとつしか知らなかったので
当該グループのToshi とかいうのが
なんたらいう組織に入ってあれこれ世に騒ぎをもたらしていたことは
これまた一切知る由も無かった。

なので、昨夜偶然見てしまったToshiの洗脳から脱退までの再現ドラマをはさんだ番組には
かなりびっくりしてしまった。

実態を知っているわけではないのだが
事実としてあるのは、芸能界の厳しさや
肉親の度重なる極度依存や裏切りに疲労疲弊したToshi は
信頼する女性の導きで自己啓発セミナー「ホームオブハート」に行き、
最初は「変だな」と思いつつも
いつしか魅せられ引きずりこまれていき
各種説教や恐喝的な暴力と罵倒により思考力を失わされ心を支配されてしまったということ。
セミナーの主催者に金を渡すことこそが正しいのだと
12年間で10億あまりも貢いでいたのだそうだ。

Toshiも日常的に受けていたそうだが
人は手っ取り早い洗脳を行う折には「暴力」を使う。
まずは肉体を痛めつけて恐怖心を植え付け、
同時に言葉での罵倒で人格と尊厳を奪い取り、
逃亡への意志を失わせる。
恐怖だけで人間を支配し操り可能にするのは無理なので
時々甘い飴を与えるように
こんなひどい行為を行うのは「お前がなにより大切だからだ」的な
言葉も投げかけるらしい。

・・・・・どうも書いていてヤクザのヒモが女に貢がせる手口と似ている気がしてきた。
女の働いてくる金をすべて巻き上げ、
気に入らなければ殴ったりけったりしつつも、
セックスではものすごく優しくものすごく大切に扱い
お前が大事でお前が愛しくてを、それこそ体の芯から染み込ませるというアレ。

脳みそ洗っちゃうと書くのだから、洗脳とはまったく恐ろしい。

上述の自己啓発セミナーの主催者は別段刑罰も受けず
いまも似たり寄ったりのことを芸能人相手に行っているらしく、
関連的にあの安室ちゃんも危険だと、ある週刊誌で名指しされている。

芸能人は周囲がみんなライバルみたいなもので、
結局誰も頼れなくて危ない啓発セミナーやら
金かね宗教やらにすがってしまうのかもしれないが、

やっぱり直感として「おかしい」と感じたのならば
そこはすぐに逃げ出さないといけない。
それが有名な主催者のものであろうと、
お墨付きの宗教とされていようと、
「いやだ」「おかしい」「しっくりしない」と感じたならば逃げていい。

自己啓発セミナーだろうと、大学のサークルであろうと
仏教だろうとキリスト教だろうと新興宗教であろうと
全部、「冗談じゃない!」と逃げ出し離れて、距離を置け。

「私が間違っているのかな」なんて決して思い返してはならん。
それはもはや直感で決断すべきで理屈ではない。
宗教の場合、それが本物だったら、一切の縁を切って数年、数十年過ぎても
本物の神や仏ならば、人間には見えないその手をつないだままでいてくれるはずだ。
自己啓発セミナーはそうは行かないだろうが。

ヤフー知恵袋にこんな項目があったのでとりあえずあげておく。
カルトの見分け方

人生に空疎な感じを抱き始める青年期には、非常に危険なので
参考にされるとよろしい。
妙な自己啓発セミナーもおっかない宗教も、同じだと私は考えている。

大事なことは「絶対に急ぐな」、である。

だいじなともだち

こころ
08 /27 2014
いま流行のアイス・バケツ・チャレンジにかかわる批判や非難を読むうちに
記憶の中から消えていたわけではないのだけれども
あまりに大切で、心の奥の奥のほうにしまっておいた思い出を、
ここに書いてみる気になった。

まず、私はアイス・バケツ・チャレンジそのものについて
賞賛も批判的感情も持っていないことを述べておく。

あれはなにも、ALS患者とその家族を支援するためだけに始まったのではないから
今回の土石流のための支援でも
エボラ出血熱と戦う国境なき医師団への支援でもよいわけで
「氷水をかぶってオシマイ」という人たちは別として
「寄付金」を出そうという素敵な人たちは、
それぞれの意志で対象を選択して、寄付すればよいだけの話である。
話は実にすっきりしていて、
細目にこだわってけちけち言ったり目くじらを立てる必要など無い。

というのは今回書きたかったことではなくて
私が書きたいのはALS
筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)という難病だった
私の友達のことである。

私が18歳で入院していたとき、
隣のベッドに33歳の美しい服飾デザイナーさんが入院してきた。
なぜか急に歩行が難しくなったとかで
トイレに行くにも苦労をしていたけれども
天性の明るさとチャキチャキ下町江戸っ子そのものの元気のよさで
彼女の周囲はいつも明るく、賑やかだった。

気さくな人柄と人懐っこさに加えて、
働く女性としての矜持をもったチャーミングな人だったので
50代のおばさんとも、20代前の女の子たちとも面白く楽しく話が出来る存在だった。

ある日、他の患者のところに実習にきていた看護学生が
明るく元気な彼女に、ごくナチュラルに病名を聞いた。
彼女はまったく普通に、いつものような大きな声で「運動ニューロン」と答えた。
看護学生ははっとしてわずかに表情を変えたが
「そっかぁ、大変だねぇ」と、これまたごく当然のように返した。

運動ニューロン。
これはただの神経細胞の名前である。
いまから約35年前だからなのか
彼女は大雑把に「そこがやられているらしい疾患」的なニュアンスで
医師からこの病名を伝えられたらしい。
この当時は「がん」さえも非告知だったのだから
多分にこの病気も当人には非告知だったのだろう。
あるいは確定診断が非常に難しかったのかもしれない。

彼女は運動ニューロンという病気を知るべく、
いろいろと探しまわったそうだが、当時はいまのようなネットもなければ
簡単便利な医学系ムック本もお定まりのものしか存在せず、
どんな病気かもよくわからないままに、
その名で漠然と受け入れていたようだ。

私の病気も当時の日本ではまだ珍しかったため
私の母も病気に関する情報を得るべく本を探していた。
母はやっと一冊、なかなか詳細な、
複数の指定難病に関して書かれた本を見つけ出してきたが、
それは多分医療関係者向きのものであった。

自分の病気について書かれたところを読めば用事はなく、
その本は私のベッドテーブルにポンと無造作に置かれていたのだが、
それを彼女が読んだのである。

そしてそこにあったのだ。
彼女が捜し求めていたもの、
彼女とぴったり重なる症状、そして運動ニューロン云々という言葉が。

それはALS、筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)。

難病中の難病といってもいい。
脳と眼球神経だけが侵されず
(眼球神経は多くが侵されにくいが異なる場合もある)
つまり意識も五感もしっかりと残ったまま、
ほか一切の筋肉が動かなくなるという地獄の拷問そのもののような病気。
本には初期症状から、その経過、そして容赦のない予後まで
説明がきっちりと書かれていた。

彼女は淡々と、動きづらくなっている右手で一生懸命本を書き取った。
そして来る見舞い客たちにそのノートを見せて
自分の病気とこれから起こることを説明した。

「あんたなにそんなもの書いてんの!」と怒り出す見舞い客もいれば
「馬鹿じゃないの!なんでそんなの信じるの!」と泣き出す見舞い客もいた。
「でも、ほんとなんだもん」彼女は口を尖らせながらうつむくのだ。

彼女の家族も彼女自身も、私を少しも責めなかった。
いずれ知らなければいけないこと、仕方のないことだから、というのだ。
心も意識も変わらないまま
目だけはすべてを見られるまま、
彼女の体は動かなくなり、呼吸もしづらくなり、終わっていくしかない。
当時は発病後3年から5年と書かれていた。

そんなむごい、残酷な病気がこの世に存在することを、私ははじめて知った。
彼女が、こんなにきれいで、生き生きして命にあふれている彼女が
元気で明るくて、飛んでる女で、キャリアウーマンで、
かっこよくて、楽しくて、愉快で、面白くって、
本当に得がたい彼女が、そんな凄まじい病気になって死ぬ?

・・・・・・彼女のことを書くのは疲れる。
私がここに彼女を書くことで、もう失った彼女のイメージを変えてしまいたくない。
上書きで、少しでも変わってしまうのはいやだ。
だからここからはあっさり書いてしまおう。

彼女は退院後自宅療養をはじめた。
今もそうだがあの頃はもちろん有効な治療方法などない。
たんの吸引や、呼吸維持のための気管切開、径管栄養のほか
必要に応じて救命、延命措置を講じて、彼女はその後8年あまり頑張った。

いまのようにパソコンシステムによる意志伝達装置などはもちろん存在せず
あのころ患者は50音表にまばたきで合図して
一字ずつ確認して意志を伝えることくらいが精一杯で、
彼女がどれほど苦しいのか、つらいのか、
なにを思い、なにを訴えたいのかといったことは
ほとんど誰にも伝えることが出来なかった。

私は彼女が退院してから、その最期の日の5日前まで
1週間に一通手紙を書き続けた。
ただのおしゃべりのこともあれば、愚痴や、文句のこともあった。

私が彼女から返事をもらったのは、ただ1通だけである。
25歳のころだったか、
恋人からプロポーズされたが自分の体を思って悩んでいる、
という内容の私の手紙に対して、
彼女が返事をくれたのだ。

まだ世に出たばかりの初期の初期の意志伝達機械を使って
彼女がまぶたで書いてくれた2センチくらいの幅の紙リボンには
ひらがなで8文字だけが打たれていた。

「けつこんしなさい」

私がいま、こうして結婚して家族を作り、ここにいるのは
彼女があの時、精一杯の力で背中を押してくれたからかもしれない。
この話は長いこと、私の心の中にしまいこんできたが
いま、手放した。

彼女はその1年半ほどのちに、行った。
重くて苦しい鎖を解いて、いま、彼女は自由に飛び回っているに違いない。

注目記事うんぬん

ブログ村
08 /30 2014
ブログ村の注目記事の算出方法が変わりつつあるのだそうで
いろいろなカテゴリーで注目記事がまったく該当なしだったり
これまで常連だった人がすっ飛ばされていたりで

村に所属する「注目記事に上がるのが生きがい」だったブロガーさんたちが
とっても怒ったり、へこんだり、がっかりしているのだそうだ。

ブログ村の要望掲示板を見てみると
いるわいるわ、食って掛かる人、激怒する人、何度も何度も書き込む人・・・・
(もちろんごく普通に質問している人もいる)

どの書き込みにもブログ村の村長さんは挨拶とお詫びを欠かさず
もう少し待っていてください、的なお願いを書いて締めているのだが

それに対してもまた
中途半端なやり方で運営するくらいなら注目記事ランキングなんかやめろ!的な
強い書き込みをしてくる人がいるから、いやはや村長さんも大変なのだなぁと思う。

それにしても、書いた記事が注目記事に上がらないことが
そんなにも立腹の元になる人がいるとは知らなかった。
訪問者数によって収入の道を確保しようとしている人たちならば
それも致し方ないことなのだろうな・・・・・

とは思うものの、あくまで無料で展開しているブログ村に対して、
結構ナカナカちょっとばかり態度が横柄過ぎるんじゃあないか・・・
とも感じたりするのだが、
苦情を書くような方たちは、私などとはきっと
ブログに賭ける情熱、意気込みが違うのだろうからしょうがないな。

意気込みから思い出したが

「励みになります」ので「ポチ」お願いします、というあれ。

私はひねくれ者なのでアレがあるとかえってポチしない。

なんてね、いい記事だなぁ、考えちゃったなぁ、うまいなぁ、
というときにはちゃんとポチしているのでそのあたりはご安心ください。