くじけそうになった

こころ
09 /09 2014
ストーマ(人工肛門)になって20年くらいになるのだが
今日は20年目にしてはじめての失敗をやった。

(人工肛門がわからない人は各自検索のこと。
内臓の一部が体の外に出ている状態なので、写真閲覧には注意の場合もあり)

人工肛門というのは大腸か小腸をおなかの外に引っ張り出して作るものなので
本物の肛門様のように締めたり緩めたりする筋肉がなく
うん様が勝手に出たら出しっぱなしになり、
それを受けるための袋(パウチ)を、ぺたんと皮膚に貼り付けてあるのが一般的なのだが、
パウチと肌の密着の状態などにより、隙間からの漏れや
そこからのパウチの剥がれなどが、起こってしまうこともある。

そんなことは20年の間に何度も経験したので、いまさら驚くわけはないのだが
(いや、外出先でうん様漏れ出すと結構冷や汗だがww)
今朝の失敗はそれとは内容が違った。

なんとなんと、私は朝の4時過ぎにトイレに起きた後
パウチの口を閉じるクリップをし忘れたまま
再度ベッドで眠ってしまったのである。

パウチの口を閉じないとどうなるかというと
袋の中にたまるべきうん様が自由に袋の外にお出ましになるのである。

しかもわがうん様は水も滴るうん様、というか水で出来ておいでのうん様なので
袋の中におっとりお留まりになることなど出来ないのだ。
(なにしろ水分を吸収するための大腸がほぼ無いし、
ストーマは大腸より上の小腸に作られている)

それから1時間半ほどして目を覚ましたとき
私のパジャマは薄い茶色の水分でびっしょりだった。
まさかクリップをとめ忘れたなど想像もしなかったから
ときどき起こる剥がれやズレだと思いこみ
やれやれと思いつつ、
パジャマの上からストーマの箇所を軽く押さえてベッドから降りたのである。

そのときであった。

足元にばしゃっ!と大量の水状うん様が解放された・・・・

そりゃ袋の底にある口にクリップをとめなかったら全部素直に落ちますわな・・・

起きて早々うん様粗相の後始末に相成ったわけだが
忙しい時間帯での片付け云々よりも
クリップをとめ忘れたという現実にショックを受けた。

まさかまさか、私ボケはじめたんじゃなかろうか。

落ち着いている風を装っていたが、トースターにパンを入れずに
空焼きしたくらい気持ちと思考はよそに向いていた。

年をとるって本当に嫌なことだ。
メガネの度数が合わないとか、髪が薄くなったとか
歯茎がやせたとか、そんなのは序の口
当然出来ていたこと、やって当たり前だった習慣を
見事に失念して、ことが起きるまで気づきもしなかった、
そのことが
こんなにも心を痛めつけるとは思わなかった。

・・・・・今日はツィッターにもつぶやく気が起きなかったのだが
その理由は多分、朝に起きたこの一件が原因なのだろう。

このまま書かないでいると、頭がどんどん馬鹿になりそうだし
ものぐさに腐って引きこもり、背中までまるまる可能性があるので
とりあえず書いておいた。

しっかりしなきゃいかんな。




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親不孝ものの屁理屈

こころ
09 /10 2014
「グループホームに入居して7年になり、母の貯金もそろそろ底をついてきました。
このままでは、私たち家族の負担が厳しくなりすぎて
私たち自身の老後が危ない気がします。
ですから少しでも負担の減る特養(特別養護老人ホーム)へ移ることを考えています」

と、地域包括支援センターの受付窓口の人に話したところ

「まぁ! 7年はながいですねぇ、しかもこの先いつまでかかるかわからないしねぇ、
ほんと、あんまり長生きされるのも家族はねぇ」

と、きわめて開けっ放しな表現で、事情を察し、理解してくれたのであった。

母は今年85歳になった。
85歳になってなお、先の見通しが立たないことは
めでたいのか、めでたくないのか。

正直に言うと、あまりめでたくはない。

うちにお金が潤沢にあって、生きられるだけ頑張って生きてちょうだいよ
金銭面のバックアップは十分よ、というのであれば
今いるグループホームでも最期まで過ごさせてあげられるのだが
母の通帳の残高が6桁になりつつある現在は
とてもじゃないが、そんなことは言っていられない。

姉は一昨年引っ越した新築マンションのローンを
数千万抱えているし
(姉の夫の勤め先は去年倒産し、現在失業中だそうだ)
うちは零細企業でそもそも裕福な家ではないし
ここに母の毎月のグループホーム入居費用がかかってくるとなれば
「長生きうれしいね~」なんぞ、とても言えないだろう。

親孝行な人々がこんな文面を読んだら目を三角にするだろうし
自分を一生懸命育ててくれた親に対してなんということを言うのだ、と
道徳的観点から激怒激昂、ニッポンの美徳地に落ちたりと
嘆き震えるだろうが

実際問題として、自分たちが老い行く前に、
少しでも蓄えておかなければいけないこの時期に
それすら不可能になってしまう現実を、
「道徳観・親孝行の意識」で覆ってしまうことなど
私には出来ない。

もしも、私たちが道徳と孝行の道に精進したら
私たちが老いたときの負担が、一人しかいない娘に回ってしまう。
この負担は、親が大借金を残したのと同じではなかろうか。
年をとれば、周囲への負担は仕方なく増えるものだ、
そこに経済上の負担まで加わったら、どれほど重たいか。
子の幸福を願う親としては、それはどうにかして避けたいのだ。

・・・などと理屈をいくらこねつけようと
「親不孝もの!」という人は言うだろう。

まさに、私は親不孝者だ。
若いうちに重い病気になった私を母は必死で守って、支えて
助けてくれた。
献身的な、という言葉がぴたっとはまるほどだった。

そんな母を私は大好きで大好きで、大好きで大好きであった。
慕って、慕って、頼って頼った。

母は、しかし、老い、自分の過去を一切忘却し
私の顔もわからず、自分の娘の名前も知らない、別の人になった。
完全に私が母の中からいなくなって、3年は過ぎただろうか。

もしも今、母の呼吸が止まり、息を引き取っても
私は多分、泣かないだろう。
私のうちがわではすでに、母は肉体を現世に残したまま
この世からいなくなってしまっているのだから。

そうだ。
どう考えても、どう理屈をつけても、私は親不孝者だ。
恩知らずだ。
だが、現実だ。
私は、現実に生きている。

シリアス好きの悪い癖

こころ
09 /15 2014
星占いによると、私はダークでシリアスなものを好むのだそうだ。

ダークとシリアスという語を並べると、非常におどろおどろしい感じがし
ゴシックでホラーな気味さえ想像しそうになるが
私本人は、凄まじすぎるダークさにはついて行く気力意力を持ち合わせていない気がする。
暴力とかセックスとか超化け物とかそっち方向のダークは
むしろ非常に苦手である。
ダークな色味が苦手なので映画バットマンでさえ途中でイヤになる。
(ゴッサムシティそのものが嫌いだ)

しかしシリアスなものは割りと好きだと思う。
好きだと思うがこれにも限度があって、人知を超える勢いでシリアスな物語や映像も
はだしで逃げ出したくなるほうである。
私のシリアスの限界はカラマーゾフの兄弟くらいまでで、
原爆写真集や犯罪や戦争のリアルな物語なんかはページを開くことも出来ない。

私は世間知らずで、世のなかのリアルを全然知らないおばさんで
結局は絵空事かもしれない小説や物語ばかりを好み
聖書だ神だと、わけのわからぬものを信じている、
リアリストに言わせると、いわゆる「利口ぶったバカ」だろう。

認知症で現在グループホームに入居中の母に
経済事情から特別養護老人ホームへの移動を考えている内容を書いた前回の記事で
いろいろなコメントをいただいて
この2日3日、ぼくりぼくりと釣り糸につけた浮きが浮き上がってくるように
私はさまざまな思考を、あっちからこっちから、
考えることが出来た。

まだ、はっきりと答えが出たわけではないし、
多分答えなど出ることはないだろうと思うのだが
ひとつはっきりわかったのは、
私はまだ、老いて、自分自身のこともわからなくなっている母親を
少なくとも「大事に思っている」ということだ。

人格的に決定的な欠如を持っていた父に対しては
平然と口にし、書くことも出来たその言葉「死んでくれればいい」が
母には、どうしても出せない。

どうしても出せないけれども、
思考を簡略化すれば、同じところに行き着くのに、
その言葉だけは出したくない、使いたくないのだ。
道徳だの世間体だのではない、その言葉はひどく嫌なのだ。
それが母への思いでなくてなんだろうか。

昼間にぶり返してきた暑さの中で、私は昔に読んだ時代小説をひっくり返して読んでいた。
別に何を求めたのでもなく、
こんがらがった頭の中に適当に面白い話を入れて
気持ちを落ち着かせたかっただけだが、
3冊目に入ったとき、たった6文字が目に入って、いつのまにか
それが心の底に落ちた。

「明るい苦労話」。

苦労を苦労として、まさに繰り言のように、つらい悲しい重いと話すよりも
苦労話は明るく、面白おかしく語るほうがいい。
私の苦労話は世の中に特別なことでもなんでもなく
そこいらじゅうにある世間一般の誰だってしてくるような苦労に過ぎないのだから
ことさらにシリアスにシリアスに語るなんてだめなのだ。

苦労話は明るく話してこそだ。
そうだ、そうあるべきだ。
もちろんよっぽどの苦労話ならシリアスにならざるをえないだろうが
私程度がなにをシリアスがっているのやら。
そう思ったら、気持ちが急に軽くなった。

やらなきゃいけないことは、やるしかない。
ただ、それだけなんだな。

シリアス好きの悪い癖、直さないといかんね。