母の特養申し込み 経過

出来事から
10 /06 2014
台風が静岡に上陸し、首都圏にもそろそろ近づきつつある午前9時半。
願わくば災害の引き起こされぬまま海原へ走り去っていってくれないかしらん。

テレビでは朝から台風のニュース一辺倒で、
NHKでは朝の連ドラさえ放送を休んでた。

(でもBSNHKでは朝ドラ放送していたからちゃんと見た。
さらに関東ではひそかに災害指標の役割も果たすとされる民放のテレビ東京では
台風のニュースなんかしないで、アニメやら韓ドラやジャパネットたかだやら
足元のケアやら普通にやっているので、一部遊民は首都圏の無事を安堵しているwww)

特別養護老人ホームと母に関することのその後の経過を書いておく。

9月27日(土)
仕事が休みになった娘の車に乗り、
これもまた仕事が休みだった姉と、おおかた家にいるワタクシは
この地域3件の特別養護老人ホームをみて回った。

1件目:病院が経営している築6年ほどの十分近代的な特養。
「予約なし」で突然訪問したことに歓迎されず。
それでも「姉が遠方から来ましたので」とねじ込み、見学だけはさせてもらった。
しかしながら相談員が不在とのことで月曜に電話で再来訪日を予約するよう申し渡される。
建物内部はモダンで美麗、各部屋は個室でトイレもあり。
うちの住まいの隣の駅から徒歩10分でいけるので3件の特養中では交通至便。
病院経営施設のため通院などの利便性が非常に高い!!!
ただ、介護系職員の質はよいが、事務系職員の意識が介護の職場としては不適格。
病院勤務で入所し、介護にまわされたという負の認識があるとみた。
入居希望者待機数は90人ほど。

2件目:地域で最も古い特養。
この地域でもかなりひなびた郊外にあり、田んぼのど真ん中という立地。
地域のバスが1日4本あるのみで、自家用車無くしては行けない場所にある。
しかしながら数十年の歴史があるので運営は非常に落ち着いており
職員の行動、認識ともに、大変安定感があり完成された感じを受ける。
突然の訪問でもしっかり対応してくれ、見学、説明も受け、申し込みも受け取ってくれた。
施設は当然古く、つくりは4人部屋で、病院を思わせるイメージ。
姉と娘の一言。
「病院がきれいだと歩いているお年よりもきれいに見えるんだけど
病院が汚いとみすぼらしく見えるねぇ・・・・」
まぁ、それはしょうがないよねぇ、でもこの安定感と安心感はなかなかのもの。
ちなみに私の母は「きれいなところ」が大好き。
しかし「他人とのおしゃべりも大好き」なので個室にこだわる必要は感じない。
入居待機者は300人!

3件目:おととし出来たばかりの特養。
国道沿いにあるが、最寄り駅からは車で10分ほどかかる。
最新式のユニット式の特養で、大きく明るい近代的な建物の中に
10人ずつのユニットが8つほどあり、それぞれが各担当の介護職員によって
受け持たれ、時に連携し日常を過ごしているそうだ。
個室だがトイレはユニットのフロアに4つあり、個室の扉はほぼ常に開かれている。
ボランティアや介護勉強中の学生などとの交流が盛んな様子で
中央の広いリビングで外出やイベントなども少なくない様子。
相談員は不在だったが、ケアマネージャーと面談でき、申込書も受け取ってもらえた。
待機人数は30人。まだ地域に知られていないせいだろう。

9月28日(日)
3件目の特養相談員から電話、母本人に会いたいとの申し入れがあり
10月2日に母のいるグループホームにて面談と決まる。

9月29日(月)
1件目の特養に電話をかけるも相談員不在と、予約さえ拒否された。
介護保険による負担限度認定証をもらいに役場まで出向き
ついでに介護保険課窓口にて1件目の特養に申し込みさえさせてもらえないことを
チクってきた。
役場から帰宅して2時間後上記の特養の相談員から電話(!)
面談予約が翌々日10月1日水曜日に決まる。
(介護窓口の係員さんありがとうっす!!)

10月1日(水)
1件目の病院経営の特養で相談員と面談
内容は他の2件と同じ。
ただ介護者の現状に関することを詳細に聞いてきた。
主な介護者は私なので、私がなぜ母を介護できないのかといった事情。
まず母を介護すべく東京から呼び寄せたこと
私が過労で倒れて1ヶ月ほど入院したこと
グループホームに入居させたこと
姉は東京でフルタイム勤務であり家には他に介護者がなく母を見られないこと
さらに(ここからがなかなか立派な介護できない理由なのよ)
私は現在人工肛門を持っていて、食事を口からほぼとらない経腸栄養治療者で
特定疾患(難病)で、身体障害者で、
IVH(首から中心静脈に点滴入れて生活する)もやっていたことがあり
それへ移行する可能性は常にあり、
ついでに夫の仕事を手伝わされているというようなことをずらずらと並べ立てた。
相談員は母のことより、私のそっちの事情にかなりたまげていた模様。
入居条件資格のポイントはこれでぐんと上がったかのような気がしたぞ。
神様はダテに私を試練にあわせたわけじゃなく、
今回の母の件のこともご存知だったというわけね・・・・
と勝手にひどく感動して帰宅した。

10月2日(木)
3件目の最新式の特養相談員がグループホームに来て母と面談
母は自分の名前も言えず、今日の日にちも季節も言えず
好きな食べ物も言えず、趣味も言えず。
母は会話はできるが(すべて作話なのでつじつまは一切合わない)、
名詞という名詞を一切記憶からなくしているため
その手の質問は答えられない。
母は次第に不機嫌になって言葉がどんどん荒っぽくなってきた。
こんな不機嫌な面談はまずかろうと、ゴマをするワタクシ。
「○○さん(母の名前)美人よね」だの「いつも明るいよね」だの
「上品だからね」などと持ち上げまくりほめまくる(汗)。
かつ相談員に「答えられない質問ばかりでちょっと機嫌が・・・」と耳打ちする。
理解した相談員さんもすばやくほめ殺し面談に移行。
気分をよくした母の面談は無事終了。
相談員さんはこう締めた。
「なにも問題ないですね。
では入居ですが、実は昨日突然一部屋開きましたので
そちらはどうかと思うのですが、いかがですか?」

はぁぁあああああああああああああ!!!!!!

(つづく)

書くの疲れたので、本当に続くかどうかは謎。







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母の特養申し込み 経過のつづき

出来事から
10 /08 2014
まぁ、要するに信じられなかったのだ。
だってさだってさ、待機老人うん万人と言われる、
あの特別養護老人ホームから
申し込み1週間もしないうちに入居どうですか、がくるとは。

待機老人うん万人と言っても、それは日本全体でのことで
首都圏でも埼玉茨城栃木あたりでは、まだまだ入りやすいのかもしれない。
確か何かでそういう文もみたことがあるような気がする。

だがしかししかし、
私の周囲にもいるのである。
認知症状が進んで、とりあえず精神病院に入ったまま数ヶ月
特別養護老人ホームの入居を待っている人が。

ほぼ寝たきりで、毎晩奇声を上げて家族を寝かせず
わめき続けるご老人の家でも、もちろん特養に申し込んではいるものの
順番は一向に回ってこない。

認知症でもレビー小体がやられる例では
大人しかったお年寄りが、攻撃的になったり凶暴になったり
狂乱状態を起こしたりするのに、介護者として専業主婦がいるという理由で
やっぱり長く入れずにいる。

娘の勤める病院の付属施設である老健(介護老人保健施設)にも
特養待ちをしながら数ヶ月間入院しているご老人が複数いるそうだ。

だから母の今回のことは、予想外どころか、
まずありえない話しだと思ってもいいかもしれない。
運がいい、とするなら、母はずば抜けて運がよすぎる。
「奇跡」みたいなものだ。

面談を終えて帰る道すがら、あまりのことに私はボーっと歩いた。
神様を信じている身なのだから、
この神様のわざに涙ながらに感謝くらいすればよいのに
驚きのあまり感情が伴わない。

しかしやっぱり思う。
母を家に引き取って、その負担が私には過ぎたものだと身にしみたとき
私はさんざん祈ったものだ。
私にはもうどうしていいかわからないので、すべてをお委ねいたします、
母に最善を為してくださると信じます、私に為せということには従います、と。
そしてこの祈りはすべてなかえられてきた。
私にとっては身を削るほど負担だったことも、苦しかったことも、
母には常に最善となって現れていた。
だから今回も、母にとって最善が為されたのだ、そう思う。

10月3日(金)
特養入居の最終資格となる健康診断を受けに病院に連れて行く。
集団生活だから、主に感染症の有無がポイントになるそうで
結核やらなにやら、いろいろと検査を受けた。
菌の培養も必要なものがあるので、結果には10日ほどかかる。
それを施設側で審査検討して、OKが出たら、すぐに入居してもかまわないらしい。
すでにグループホームで集団生活をしているので、
感染症はないだろうと思うが、どうだろう、わからない。
ちなみに自費での検診になるので2万円弱かかった。

後日、グループホームの所長が言ったのだが
グループホームに入居中の老人が、特養に申し込むと
思いのほか早く順番がめぐってくることが少なくないらしい。
これまでの例でも長くて3ヶ月程度だったという。

所長が言うには
「介護する側も人間だから」
出来るならそれほど重度でない人がいいのだそうだ。
グループホームの入居者は認知症だけれど、一人で歩行が出来
一人で食事が食べられ、一人でトイレに行ける人も多い。
さらに集団生活を経験済みなので、
施設に対する慣れも早いらしい。
入居者の家族もまた、グループホーム生活をある程度知っているので
特養にたいする過剰な希望を持つことがない。
そういえば私も面談時聞かれた。
「私どもの施設にこうして欲しいという希望はありますか」。
こう答えたっけ。
「なにもありません。母が穏やかに暮らしていけるならばそれで十分です」

と、いうわけで申し込みから現在の検査結果待ちまでざっと書いてみた。

こんな記事でも誰かの役に立てば幸いと思って書いた。
母が実際入居できるかどうかはまだ確実ではない。
これ以降のことは、またおいおい書いていけるといい。

苦手です

神様
10 /11 2014
自分が信仰する宗教に人を招く、
うちの神様、仏様、生き神様、そのたもろもろの霊験あらたかな方は
すごいですから、もう半端ないですから、
ぜひぜひあなたもこの宗教に入ってくださいよ!

という、あの行為、ものすごく苦手。
まず、それをされたことのある側としてものすごく苦手。

子供のころ、足立区のある団地に住んでいた。
そこにはやたらに、ソーカ団体所属さんが住んでいて
あの団体さんの専門用語みたいに思われがちな折伏(しゃくぶく)活動が
団地全体を大波のように巻き込んでいた。

私の父はリベラリストの新聞記者でありながら
なぜかソーカ団体さんの活動に加わってしまい
家にあった仏壇をソーカ団体式のものに変えて、
夜に行われている集会なんかにも、ときどき通うようになった。

だがなんといっても底の浅さと忍耐のなさでは群を抜いた父なので
ソーカ団体さんへお金を払うのがイヤになったのか
ご利益がないと見限ったのか
集会への参加を一切母に押し付けてしまった。

母はご近所との兼ね合いもあって、仕方なく夕方の集会へたびたび通った。
母はいつもまだ3歳くらいの私を連れて行き、迷惑だからと最後列に座り
子供がいるのでとさっさと家に帰る理由を見せびらかして
やれやれと逃げ帰っていたようである。

いつのまにかあの団体と実家の関係は切れていたようだったのに
あの団体がやにわに色めきたってじゃかすか押しかけてきたのは
私が現在抱える難病を発病し、長期入院を余儀なくされた十年あまりのちだった。

父と母があの団体の信仰をないがしろにした報いが
この私に出たのだと、ご注進に来たのである。
さすがに母は激怒したらしいが、私はそのころから長く入院してしまったので
母がどんな剣幕であの団体を押し切ったのかよく知らない。

しかしその後、私が自宅療養になると
今度は私を狙って同世代のソーカ団体さんが訪問しては
入れ入れと非常にくどかった。
どうも過去何度か通ったあの集会で、
母はまだ3歳の私の名前をなにかの名簿に記録してしまい
私はどうも、そこの会員だかなんだかにされてしまっていたらしいのだ。

私は入院中に聖書に出会っていたので折伏されずに済んだし
何度突撃されても弱気になったりしなかったが
あれは心の弱い人、なにかに頼りたくて仕方のない人がやられたら
断り続けるのは難しいかもしれない。

人がもっとも弱くなっているところにつけこんで
入信を迫る行為は、正しくないと思う。
そこの「ご本尊さんがあなたを助けてくれる」と信じているにしても
その行為は卑怯で卑劣だと判断されても仕方がない。

だから私はいま所属している教会が「伝道」という活動をしている折も
一切近寄ったことがない。
本当に悩み苦しんでいる人に、本当の救いを届けようとする行為を
私は間違っているとは思わない。
ただ、私のような経験をしてきたものには
それが狂信と映ってしまうこともよくわかる。

狂信と映ったらさいご、まともな人間はそこには近づくまい。
私は神様への道をつまづかせる側になりかねない。
なにしろ私はその程度の器でしかない。
私には言葉も足りず、情熱も足りず、懲りないほど足を運ぶ根気も体力もない。
そもそも「伝道の賜物(賜物=神様から与えられたその人だけのギフト)」を
持っているとは思えない。

だから私は伝道をしない。
私はただ信じる神様に祈るだけで堪忍してもらっている。
苦しむ人のそばに寄り添い、可能なら手を差し伸べてあげてほしいと
ただただ祈る。
すべての人に福音を述べ伝えよ、という最大の命令に対して
非常に消極的である。

おおっぴらに堂々とあっけらかんと「教会においでよ!」と
明るくうれしそうに話している仲間を見、
そして本当に多くの人が教会に通ってくる姿を目にするとき
あの人には「伝道の賜物」があるのだなと
つくづく思って見とれる。

私の賜物はいったいなんだろう。
思い当たるのは この病の体を得たことと
いまは認知症となってしまったけれども母から深い愛を注がれたこと
そして決して好きではなかった父から
書く力を与えられたことだろうか。

ああ、なんだか論点が見事にずれ、
見事に宗教くさい記事なったけれども
これも残しておこう。
これがいまの私自身だ、しょうがない。

特別養護老人ホームへ

出来事から
10 /27 2014
夏の名残の朝顔を、今朝片付けた。
去年の落ち種がやせた土に勝手に芽吹いて巻き上がり
咲いた、とても小さな青い朝顔。

やはり落ち種からでてきた門扉脇のフウセンカヅラのさいごの1本も
ちょっきんと切り取った。

家族を送り出して、家の外を掃き清めに出たのは
気付けばずいぶん久しぶりだったような。

85歳の母は無事に特別養護老人ホームに移動した。
9月27日に施設を回って申し込み、ひと月で希望以上の施設に代わることが出来た。

出来上がってまだ2年も過ぎない、最新式で機能的な美しい施設に入ると
きれいなものが好きな母は、6年過ごし深く馴染んだ
優しくてひたむきだったグループホームをきれいに忘れて
見たこともないヘルパーさんにいつもと同じように甘ったれた言葉を使い
「だいすきよ~」と抱きつき
「これあげる~」とポケットに溜め込んだトイレットペーパーで作った「ティッシュ」をプレゼントしていた。

仕事があるから回数はこなせないけれども、
ただ1回の活動でも見事な馬力と根性と活発さで動き回る私の姉は
バリバリてきぱきと働いてくれて

ここ当分ちまちま動きすぎ
あれこれ抱え込みすぎて
感情に皮膚が一枚張り付き
肉体も精神も疲弊した私は、たいしたことも出来なかった。

あんなに美しい、きちんとしたところで、老いた母の最期を過ごさせてあげられるのは
娘側のエゴだとしても、ほんとうにありがたいことだ、と
一日あけて姉がメールをよこした。

そんなことはつゆほども思わなかったのだけれど
それは確かにそうかもしれない。

私はただただ、母をすみやかに最善に取り扱ってくれた神様に感謝するのみだ。

私の消耗した体力と心は
回復まであと少しかかるのかもしれない。

うちに引き上げてきた母の荷物の処分やら
次回の母の病院やら、やることはまだあるのだけれど
ちょっとだけ母を忘れていようと思う。

わかってほしかった 1

いろいろ感じたこと
10 /29 2014
土曜日母の特養移転が一応片付いて、
脆弱で神経質な私の体と心の緊張や負担も
少しほぐれたかなと感じた月曜日の午後には
もうすっかり決めていた。

「入居時に特養から求められていた診療情報提供書を精神病院にもらいに行かなくちゃ!」

来月中いっぱいまでにと言われていたのに
やらなければいけないことを残しておくことが、
どうにも出来なかった。

月曜の朝にはまだ肉体の疲労が強くて神経の高ぶりを抑えてくれていたのだけれど
それが少し軽くなったと意識してしまうと
今度は神経の高揚が気炎をあげてしまって
翌火曜日には朝から動こうと計画してしまったのだった。

で、その火曜日の昨日。
体調はよくなったはずだったのに、体重が激減していた。
実は計画を立てた前夜から左手の指の付け根が強く腫れ始めていて
どうもこれは持病の合併症が出たようだと感じていたのだが
あれだけ一気に体重が減ったところを見ると
一晩で炎症値がどんと上がったのかもしれなかった。

しかし。
やるときめたのだから、やる。
前日の明るい決意から、ほとんど悲壮な感情を抱きつつ
私は家を出た。

母の精神病院へ行くのは今月二度目である。
二度目だからこそ、母を連れて行かないでも書類の許可が出る。
(患者を診ないで書類を書けというのは普通じゃないからね)
以前母を連れて行った折、母の大腸の活動が一気に通りよくなったため
(いわゆる、フタが外れた・・・というあれ)
電車やバスや待合室で私は散々な目に遭い、
もうあんなのはイヤだから、母を連れて行かずに済ませたかったのである。

正直体がつらかった。
家から駅まで行く途中で通る教会の前で、偶然洗車している牧師に会ったので
母のことを話したら、その場で祈ってくれた。
「ああ、神様、つらいです」と思って涙が出たが
「きっと大丈夫です」という言葉にして、また歩き続けた。

神様が守ってくださるんだ、と自分に言い聞かせて歩き、電車に乗って
母の新しい特養のある駅で降りた。
保険証をまずとりに行かねばならない。
さみしい田舎の駅で、タクシーは1台だけいた。
運転手によるとその駅にはタクシーが4台しかいないらしい。
しかも特養のある側の出口にはこの一台がいるきりなのだそうだ。

特養が出だしているパンフレットやホームページには駅から徒歩20分とあるが
タクシーで1000円かかった。
保険証をもらう間そのタクシーに待ってもらって再び乗車、そして駅へ戻る。
また1000円と待ってもらった運賃。

反対方向の電車に乗って精神病院へ向かう。
精神病院もまた駅からバスで10分ほどかかり、バスは30分に1本しか来ない。
それでもいまの季節は、待つだけならまだいいと思う。
電車で待ち、バスで待ち、待合室で待つ。
それだけで用事が済むなら、まだまだ楽だ。

病院では待ち時間こそかかったけれども、問題なく書類を頼めた。
再び電車に乗ってまた母の特養へ戻る。
保険証を返さなくてはならない。

朝と同じタクシーに乗って、母の特養へたどり着く。
この時点ですでにかなりふらふらになっていたけれど、
新しい生活を始めた母を見ていかないわけには行かない。



わかってほしかった 2

いろいろ感じたこと
10 /29 2014
新しい特別養護老人ホームでの母は、
相変わらず元気で、おしゃべりで、明るかった。
母のいるユニットのフロアーには、他9人ほどがいるのだが
母以外まともに自分の足だけで歩けるものはいないのかもしれない。

母よりも若そうなお年よりも、見かけた7人まで全員が車椅子に乗っていた。
特養と言うのは認知症の人だけが入るわけではないのだけれど
その場に見た人たちはほとんど、
脳の活動がゆっくりと独自的に動いているように思えた。

特別養護老人ホームは、来年の春までは要介護であれば程度は問題視されないのだが
来秋からは要介護3以上でなければ入居できなくなる。
要介護度3というと、
寝起きや歩行、排泄などの介助が一人では出来ないというレベルで
家庭でそれを見るとしたら専従者が必要になるところだろうが
認知症の場合はまた少し異なる要件があるらしい。

母は認知症の、もう終わりに近いところにいる。
感情はあり話もするが、会話ではない。
トイレも自室も季節も時間も自分も他人も場所も一切わからない。
ただ、朗らかで明るい。
これは周囲に、きちんと面倒を見てくれる人がいるからゆえの恵みなのだ。
(しかしそう遠くないうちに、母の脳は感情さえも消し
生きる意志さえも失うものなのだそうだ)

などと母の状況に安心したところで、ようやくうちに帰ることに決めたのだが
今度は、特養から駅までの足がなかった。
バスもなければ、タクシーも走っているはずがない。

職員に聞くと
「歩いたことないですけど、駅まで40分くらいじゃないでしょうか」という。

私はすでにふらふらだ。
ふらふらだけれど、歩くしかないと思った。
タクシーで来た道を戻ろうと思ったが、車道だから通っていけない。
仕方なく知らない道に入った。

家はポツリポツリとあるが人の気配がしない。
商店もないし、通る車もない。
頑張って30分歩いても、駅らしい感じの場所に出ない。

もう倒れちゃおうか、とふと思った。
そのまんま土に倒れたら楽だろうなぁ、誰かがいつか気がついて
運んでくれるかもしれないなぁ、なんて。
10年前、20年前なら迷わずその場に倒れて
進んで意識不明になっただろう。
でも私はもう50を過ぎているし、大人だし、親だし
やれることは自分でやらないといけないと知っている。
だから頑張って歩いてみた。

歩いてみたら、やっと人に出会った。
やっと出会ったご婦人方に駅までの道を聞いてみたら
「う~ん、歩きだと30分くらいかかるかしら」といわれた。

ご婦人方は優しい人たちで、車に乗っていきなさいと言ってくれた。
恐縮しつつも本心から感謝して車に乗せてもらった。
年配のご婦人方は特養からの帰りの足が便が存在しないことにたいそう驚いていた。
地元の人には「車がない」なんて想像も出来ないことなのだ。

私が音を上げたそのとき出くわしたこのご婦人たちが
「私たち聖書を配る活動をしてたんですよ」といったとき
神様がまた私のために直接手を差し伸べてくれたことを知った。
親切なご婦人方はエホバさんで、
正統的なキリスト教徒とは異にされる方々だったけれども
心の底にある「困っている人への優しさ」は
他のキリスト教徒と同じに、穏やかで暖かいのだと思った。

優しいエホバさんたちに自分の詳細を告げることはためらわれたので
私は自分のことは言わなかった。
ただただ、その優しい行動にお礼をいい、心の中で何度も神様に感謝した。

エホバさんには駅前でおろしてもらい、私はそこからまた電車に乗って
ようやく家に戻ってきた。
戻っても、もう何も出来なかった。
服を脱いでベッドに倒れたが体も神経もどうにかなってしまって人心地がしない。
眠りもせず、動くことも出来ず、多分意識をそのままなくしたのだろう。

夜、一人ぼっちで覚醒した。
寝た感じがないが時間は過ぎていた。
夫はまだ帰宅せず、娘は仕事で泊まりなのだ。
ベッドの上で用事が済んだことを姉にメールした。
まだ動かない頭だったが、大変だったんだよ、と訴えたくて長いメールを送った。

しばらくして姉から返信が来た。
「お疲れ様」
とだけ書かれていた。




やけくそな昨夜

いろいろ感じたこと
10 /30 2014
実は今日仕事に来ている。
月末だけど、それほど忙しくない。
それに今朝から、元気を取り戻した感じがするので、やたらに書いたりしたい。
勢いでブログのテンプレートまで変えた。
老眼にも優しい、文字大きめ。
写真はとりあえずスマイルを探してきて貼り付けた。
オリーブがいいかな、天使がいいかな、わんこがいいかな、と思ったけれど
どれも自分には分が過ぎてる気がして、スマイルマーク。
スマイルマークって好きだ。
私の聖書カバーも真っ黄色でスマイルマークがドーンと付いてる。
スマイルマークは大事。
なんとなくね。

で、元気になれた理由かもしれない悪事の告白をする。

昨夜娘が彼氏に編んでるベストの最初の減らし目に突入した。
教えろと言うから編み物の基礎がしっかり乗っている初心者向きの本も渡したし
手をとって丁寧に教えたけど、理解しない。
そもそも棒針の編み物の構造それ自体を、娘の頭が理解してないんだと思う。
糸がどう流れているか、どう組み合わさって編まれているかという
基本中の基本を、まず理解してないに違いない。

基本構造が理解できないのに、一応メリヤス編みは出来て
生意気に縄編みなんかは作れたりするので
本人はそれなりに「自分は出来る」と思っている。

だから私の教え方が悪い、という表情をし、
あからさまにふてくされて見せる。
だいたい、構造それ自体が理解出来たら初心者向きの編み物の本くらい
頑張れば理解できるはずなのに、
「わからん」と言い切る。

「30分読んでも分からないもん!」と努力した人みたいに言われて
私は正直「こいつは編み物無理だわ」と思った。
娘には実技と実用書という観念がない。
本とにらめっこしつつ、毛糸と格闘するという考えが一切ない。
恵まれた環境で育ててしまった大きなツケだ。

娘のようなのに編み物を教えたって無駄だ。
身銭を切って編み物学校にでも行って覚えるくらいにならないと
決して覚えるまい。

好きな男のために編むなら、もうちょっと身を入れるべきだ。
去年マフラー1本編んで予想外に喜んでくれたからって
初心者のくせに調子に乗るなと言ってやりたい。

娘は昨夜
裏目からの角をつける減らし目と言うたった一つのテクニックをも理解せず
非常に不機嫌にふてくされ、
「疲れてるから寝る」と二階に上がってしまった。
あのあと2時間余りも彼氏とスマホで喋りまくっていたに違いないのに
編み物を教えてくれと頼んだ母親に向けた
あのふてくされた顔と態度はどういう根性だ。

仕事で疲れているのは一応わかってやる。
わかってやるが、私だってこの数日さんざんだったんだ。
冗談じゃない、もう知らん、社会人の娘がいつまで親に甘える気だ。

もう知らんっ!!!!!

リビングのこたつの上にほったらかされたままの編み物一式やコップの中から
私は娘がネットから探し出した編み図を拾い上げて手に取り
一気に破り捨ててやった。

知らん知らん、知ったこっちゃねぇ!
必要ならまた自分でダウンロードしとけ!
大事なもんならちゃんとしまっとけ、あほ!

と心で強く罵倒したのち
破いた編み図を用心深くゴミ袋の奥に入れ込み、
今朝がたほかのゴミと一緒に集積所に出してやった。
ざまぁみろ、お前なんかが編み物するのは100年早いわっ!
もう教えてやらんわっ!

(といいつつ昨夜布団の中で、
「神様御免なさい、でも、頭来たんです、爆発しそうです、
悪魔と仲良くなりそうです、私をほっといちゃだめです、だめです!」と
乱暴でやけくそ的な要求をして眠ったわけさ)