オバチャンは気になってるんだよ

いろいろ感じたこと
11 /01 2014
よく行くスーパーマーケット。
女性は正社員は20代のお嬢さん方でごく少数、
ほとんどはパートのおばさんたちである。

レジをやるパートのおばさんたちはほぼ全員家族もちという年齢で
雨の日も風の日も日曜も祭日も年末も年始もよく働く。
おばさんたちが皆無になるのは夕方7時を回った後で
代わりにレジに入るのはアルバイトの学生さんたちになる。

正社員さんは遊軍なのか指導なのかわからないが
その時間帯には店の中をあれやこれやと動いている。
そんな時間でも中元だ歳暮だと申し込む人がいたり
あれはないのかこれはないのかと尋ねる客もいるから
やはり正社員はそれなりに大変そうだ。

その正社員の中に、この春から配属された子がひとりいる。
もう11月だし、半年も過ぎればそろそろなじんできたのではないかというと
彼女の場合それが全然違う。

入社して半年過ぎれば仕事もそれなりに出来るのだろうけれど
彼女がパートのおばさんたちに混じって昼間のレジうちの一角を占めていると
どうもそこだけ人が寄り付かないのである。

混雑すれば自然に客は彼女のところにも並ぶが
店が空き気味の時には彼女のレジにはたいてい客が並ばない。
だって並びたいと思えない。

彼女はとにかく暗い。
顔はいつもうつむいていて、視線はたいがい下ばかり。
もちろん声も小さいし、絶対に笑ったり愛想を使ったりしない。
痩せた猫背気味の姿勢をも含めて
彼女は全身から「否」というオーラを放っている気がするのだ。

最初は、仕事に慣れなくて、自信がないのだろうなと思ってみていた。
同じ年頃の娘を持つ母親的な見守るような思いだった。
仕事を覚えたら、笑顔で普通にレジをやってくれるようになるに違いないと
思っていた。

しかし彼女は変わらなかった。
仕事を覚えても、あの否定的な感じはまったく変わらなかった。
それどころが否定的な感じに磨きすらかかったように見えてきた。

よほどこの仕事いやなんだろうな。
職場がすごくイヤなんだろうな。 
きっと辞めたいんだろうな。
くらいは客の8割が受ける感じだろう。

オバチャンなどは、今日ここまで思ってしまったぞ。

この子のかもし出す否定は「この場がイヤ」とか「職場がイヤ」といった
嫌悪ではなくて、もしかして
「私は自分自身がイヤなの、どうにもイヤで仕方が無いの」という
自己否定だったりするんじゃないの?

自己否定なら、それ、かなり深刻じゃないの?
なんか生きることさえ辛そうに見えてるんだけれど、ダイジョウブ?
オバチャン心配になっちゃうじゃないのよ、若い美空で
まだ二十歳になったばっかりくらいなのに
そんなに闇を見つめるような目をしてさ。
うつ病になりかけてるのか知らん。

半年過ぎても、他の店員さんと話している様子を見たことがない。
もちろん笑顔も見たことがなく、元気にしている様子、活発な感じも一度も見たことがない。

しかしただの客のこちらになにが出来るわけでもない。
せいぜいレジに並んでおつりをもらい、「ありがとう」を言うくらいしか出来ない。
しかもそれすら難易度が高い「私に近づくなオーラ」が発されているのだ。

どうしよう、どうにもできない、だが気になる。
あの子はいつか笑うようになるだろうか、
それとも遠くない将来、あの子はこの店から消えていってしまうのだろうか。
あの子が心配だ。
見たこともないあの子の親御さんの気持ちまで気にかかってきた。
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連休にどこにも行かなかった、行けなかったといじける人へ

冗談もどき
11 /04 2014
この連休は、うちの辺りも静かなものだった。
みんなあちらへこちらへ少し遠出して
楽しいおでかけだったのだろう。

うちのあたりでは非常にメジャーな温泉も
3連休はお客が少なく、
いつもはでんぐり返すほどの混雑のスシローも
待ち時間が余裕のうえ、店員あまり状態が起きていたのだそうだ。

ブログの上にも、旅先での写真やご馳走や
楽しかったり、残念だったりする思い出が
あっちにもこっちにも上がってきているのだけれど
今日の私みたいに
「ああ、またうちはどこにも行かなかった」と
やや下を向きかけている人々もいるのではないかしら。
(といいますか、いてほしい)

お金の問題や時間の問題や
あるいは家族の問題か、さまざまな理由があって
「みんなでお出かけなんかしない」家というのも
数は少なくても「ある」とは思うのだ。

そしてそういう人たちの中には
「いいなぁ、いいなぁ」と
家族旅行やお出かけの記事を指をくわえつつ
あきらめのため息の中で読む人がいるはずだ。

その中のどれだけの人がどれくらいの深刻度で
「いいなぁ」なのかはわからないが
これから私の書くことで少しだけ溜飲を下げられたら
あるいは
「ちやこんちはうちより行ってない!」と喜んでいただければ
自嘲的にも私は喜べそうな気がする。

ええと、私はどこにも行かない。
夫や娘が楽しい泊まりの旅行に行こうとも
素敵なレジャーや行楽に行こうとも
おいしいもの上等なものを食べに行こうとも
私はどこにも行かない。

旅行にはこの15年ほど行っていない。
私が住まう県内から出るのは通院のときだけ、
私が近所のスーパーや5キロ圏内の買い物、礼拝に以外に、行く場所は
「夫の職場」「母の施設」「自分の病院」のこの3箇所だけである。
この15年間、そこ以外にはどこにも行かない。
行っていない。
どう? なかなかのものじゃないか?

(年に1回正月に夫の実家には顔を出す義務があるが)

正直遊びに行きたいし、
おいしいものも食べたい。
文化的なものに触れたいし、美しいものを見たい。
しかし私には動ける足もなく、移動手段もなく、
何よりそれに耐えうる肉体がない。

私はいまいるこの場所にいて、家事をし続ける。
入院していない日以外はずっと同じことを繰り返す。
テレビを見て、本を読んで、ネットをして
精神は内側へ内側へと向いていく。

この内側へ内側へと向いていく精神を
ケッコウ明るく保っていられるのは
実に立派なえらいことだと思っている。
夫だったら3日で音を上げるし
娘もやっぱり3日で泣き出すだろう。

だから私はケッコウ偉い。
まことに我慢強く、尊敬に値する。
ときどき泣き言も言うし、愚痴もすごいし、
いじけと行ったら人後に落ちない自信さえあるけれども
これはやってみるとかなりの難易度の高さなのだぞ。

どこに旅行に行こうと愚痴や文句ばかり垂れているおばさんたちより
日々の繰り返しだけに耐えられる私は実に偉いに違いない。

「どこにもいけなかった」
「うちはなんだか悲しい」と思っていじけているあなた、
大丈夫、あなたはとってもえらい。
遊びに行って文句を言ってるおばさんより
どこにも行かないで泣き言を言ってるあなたのほうが
絶対正しい。
笑い飛ばせるあなたは、もはや尊敬に値する。

ちゃんちゃん



待つ人の身

いろいろ感じたこと
11 /13 2014
埼玉県は子どもが少ない。
30年40年前には子どもだらけだったそうで
郊外の小学校も中学校もやたらにでかく、
娘の小学校なんざ運動会のときには
グランドのこっち側に席をとると
あっち側の子供に手を振ったって豆粒大にしか見えないというくらいに広かった。
かつては子供たちでいっぱいだったからこその広い校庭も立派な校舎も
いまはスカスカだらけ、7割がた空き教室になっている。

だから子どもの声が町に響いているなんてことはない。
子どもらが集まっているのを見かけるのは
夜の学習塾近辺くらいなものである。

子どもたちはそれでもどこかで遊ぶ。
もともと田んぼや木登りや自転車走りで遊ぶ田舎なので
遊具のある公園なんていうものはないし
ゲームセンターもない。

誰かの家に集まってゲームをするにしても
最近はよその子を家に引き入れて遊ばせることを嫌う親も多く
大概の子は一人遊びをしているのだそうだ。

当然と言えば当然だが
スマホなどで誰かとつながりつつ遊ぶことを禁じられている子が多いのだろう
国道沿いのレンタルビデオ屋のTSUTAYAのゲーム売り場の一角に
カードゲームのトレードなども出来るテーブルが設けられていた。

そこには小学生から中学生低学年くらいの男の子たちが
いつも何人かいて
見ず知らずの子とその場で知り合いゲームをしている。
それはそれで楽しそうなので別に結構なことだと思う。

だが先日、非常に心痛む光景を目撃したので
以来思い出すたび非常に悲しくなるから、とりあえずここに吐き出しておく。

トレードゲームテーブルには中学生になる前くらいの男の子たちが2人
向き合ってゲームをしていた。
ゲームは佳境、どうも夢中のようである。

少し離れた席に60代から70代のおばあちゃんが1人
ぽつねんと座り、男の子たちを後ろからじっと見つめている。
手持無沙汰そうなおばあちゃんの前には古ぼけた手提げが一つ。
ゲームコーナーに用事のあるタイプのモダンなおばあちゃんではなく
病院の待合室に用事のありそうな、いかにも普通の
田舎のおばあちゃんタイプの人であった。
どうやらおばあちゃんは車の運転をして
夢中でカードトレードゲームをしている男の子をこの場に連れてきたようだ。

田舎がわからない人には想像も出来ないだろうが
自転車では無理なほど遠いところから
同じ学校の友達の家に車で遊びに連れてきてもらったりするのが
田舎の普通である。
だからこのおばあちゃんも普通に
孫をこのゲーム場に、連れてきてやったのだろう。
もちろん、孫が連れて行けと言ったからだろうが。

私はゲーム場を抜けてだらだらとレンタルDVDを眺め歩いて
本売り場を流し、結局なにも購入せず借りもせず
帰ることにした。
ビデオや本屋ではいつも結構な時間が過ぎてしまうが、
この日も相当長いこと歩きまわった。

もと来た通路を帰るとき、私はちょっとドキッとした。
テーブルの男の子たちはまだゲームに夢中だった。
おばあちゃんは前と同じ席に腰かけたまま眼を閉じていた。
孫がゲームを終えるのを待っているままなのだ。

硬いパイプ椅子である。
テレビもない、くそうるさいゲーム音楽がガンガン流れているこの場所に
おばあちゃんは読む本もなく
しゃべる人もなく
ただゲームに興じてまったく辞めようとしない孫の後ろで
所在もなく黙って辛抱強く待ち続けているのである。
ただ車で一緒に載せて帰るためだけに。

ガキの頭をひっぱたいて、すぐにも辞めさせてやりたかった。
おばあちゃんだって帰れば家の用事がある。
家事だってやりたいだろうし、
長いこと座っているのはきっと苦痛だろう。
病院で待つならば、自分が呼ばれるという必要も実用もあるが
ただそこで待つだけの長さを想像したら
私はその孤独と無意味で寒気がした。

昔、私をプールに誘った人がいたが
ストマだからプールにも入れない食事もとれないと言った私に
その人は言ったのだ、
「一緒に行こうよ、見てればいいじゃない」と。
やっぱり昔、義父が焼肉会を開いて
夫の兄弟や配偶者、子供が焼き肉店に繰り出したことがあったが
その時も私は駆り出されたが、ジュース一杯飲めない頃だった。
「一緒に行こうよ、見てればいいじゃない」。
ただ見てて楽しいとでも思う奴は、頭がおかしいし、想像力が足りない、
優しさも思いやりも足りない、自分最優先思考の奴らだ。

そういえば義母は去年だったか孫を連れて泊りがけで海に繰り出したものの
海辺で義母だけがずっと、車の中で待っていたと聞いた。
夏の海辺の車の中で待つだなんて、正気の沙汰ではない。
それをさせる義父も娘たち夫婦も愚かが過ぎる。

私は孫が出来て大きくなっても
この前見たおばあちゃんみたいな扱われ方だけはされたくない。
ゲームに夢中だったあのクソガキの頭を
いまでも思い切り殴ってやりたい。
「おばあちゃんがずっと待ってるだろうがっ!」





うわああ、って叫ぶのは

いろいろ感じたこと
11 /15 2014
ときどき「うわああああああああ」って叫びたくならないかい?
なる。
たいした我慢をしているわけではないのだけどね、なる。

子供のころから言われてきたが、私は何でも溜め込みすぎる。
溜め込みすぎて、ある日突然爆発して、木っ端微塵になる。
木っ端微塵なのは周囲の人ではなくて、私の肉体のほうなのだけれども。

でもまぁ、周囲を木っ端微塵にするような強靭な肉体も
凶暴な精神も持っていなくて良かった。
自分自身が被害者なら、世の中それなりに丸く収まる。

ここのところ体を酷使しすぎたようで、昨日あたり完全にやられていた。
それでもまだ、家事が出来るレベルだと思って
だらりだらり掃除だ洗濯だとやっていたら
昼前には呼吸するのが精一杯くらいに身動きできなくなった。

ベッドに這い上がって休もうとしたが、脱水で手足の筋肉の痙攣がひどい。
まだ手足だけで済むうちになんとかしないと
胃だの腸だの喉だのが攣り始めると、肺や心臓が攣るまで遠くない。

転倒しないよう必死で台所まで行って生理的食塩水飲料を作る。
無理やり飲む、飲めばおなかにぶら下がった袋がすぐ満杯になる。
完全にホース状態だ。
一般人が飲むと軽く3日は止まる強烈な下痢止めをフタ袋飲む。
ホース状態はとまらないが、続けるしかない。
径腸栄養剤を造って飲む。
やっぱりホースだが続けるしかない。
意識が遠のく、目が回る、立っていられそうにない、鼓動が遠くなる、
でも倒れない、絶対に倒れない、倒れない。

トイレに行っては袋を空け、またいろいろ飲む。
だいたい6時間くらい繰り返したか。
手足の攣りはかなり軽減されて楽になり、意識も回りだす。
よっしゃ、乗り越えた、と思った。

点滴なら2本も打ったらすぐ直る程度の脱水だったらしい。
軽くてよかった。
自宅で何とか戻せる程度でよかった。
神様ありがとう、また助けてくださった。

動けるようになったから夕ご飯を作った。
シチューだけ。
途中指が攣って、痛みで作業が進まない。
でも根性で作り上げて、コタツに座り込み、あとはもう休むと決めた。

「うわあああああ」ってさ、思うけどあれは、命に余裕がある人のできることね。
私が「うわああああ」って叫べるときは多分、体力あるときだわ。

余力があるから、くだらんことを愚痴ったりできる。
自分を哀れんだり、誰かを頼ろうとしたら、そのときにはもう
立つことも出来なくなってしまうよ、私は。
なんとか自分の中に生きる力があって
「ああ立てた」
「ああこんなでもやれた」というときに私は
ただただ神様に感謝する。

こんな私を家族にしてくれている夫と娘にも感謝をする。
いつもありがとう。
神様が私を生かしてくれる限り、私はやっていくからね。




更年期とブログと

いろいろ感じたこと
11 /26 2014
いま、朝ドラあとで「あさイチ」を見ているのだけれど
今日は女性リアルと言うシリーズで、テーマは「更年期」。

「いらいら」「うつうつ」「わかってくれない」「こんなの自分じゃない」
「抑えられていたはずのことが抑えられない」
「どんどん老いて私仲間はずれになる」
「何もしないで夕方になってた」・・・・エトセトラエトセトラ。

視聴者の多くも共感しているらしく
ファックスやお便りがわんさかきているのだそうで、
多くのみなさんなんだか辛そうで、苦労されているご様子。

50代私もズバリその年齢に該当するのだけれど
生まれつき激しい気性だったので
いまさら「イライラ」し始めたわけでもないし
夫や周囲が「わかってくれない」のはもはや当然なので
もちろん「うつうつ」し、
「抑えられず」に泣いたり怒ったりわめいたりするのは当たり前で
「何もしないで夕方になってた」日なんて
普通の主婦の数倍から数十倍は経験していると思うのだが

正直なところ、それらの状態それ自体で「病的だ」と感じた覚えがない。
もともと通常を超えた気性激しい血筋に生まれついていることと
実際に肉体に立派な「病気」が棲みついているので
その尋常ならざる状況を「尋常ならざる」と感じにくいのかもしれない。

だいたい「いつもなら抑えられるものが抑えられない」という程度で
「自分がおかしい」とは思えない。
だって抑えられないものは抑えられないんだもの。
抑えられないのはしょっちゅうなので、慣れているからか、
刃物や劇物、危険物に、危険な場所に近づかないようにするくらいの
理性はいつも残っているので、とりあえずあまり心配していない。

感情は小出しにしないと大爆発して
それこそ自分がぶっ飛んでしまうかもしれない危険があるから
ちょっとしたボヤや花火は進んで出すほうがいい。

感情を出すという意味で、ブログはとてもいい場だと思う。
私の属する「50代の生き方」は、
このごろ「借金」と「離婚」と「家族不和」ばかりが目立つようになっているのだが
それこそ女50代の厳しい時代、
子供の反抗期、家庭内の経済支出最大、親の介護、夫の失業などなど
そこにかぶって「更年期のつらい症状」まで足されたら

ブログの中で亭主や子供の、
舅や姑の、実家の、婚家の、職場の、近所の
悪口や文句や中傷や陰口をたたくことに
なんの遠慮が要ろうか。
それを該当本人や周囲に知られることのないよう努力注意は最大限必要だけれども、
なんのなんの、
「つらい更年期」の治療の一環だと思って肯定してしまえばいい。

それがいい、それが50代女性におけるブログの存在意義のひとつに違いない。
皆様、どんどんお書きあそばせ。

依存型じいさんより頑張るじいさん

いろいろ感じたこと
11 /27 2014
スーパーで70代80代のおばあさんがひとり、
よちよちのんびり買い物をしているところを見て
「大変そう」と思ったことはあるが
「なんか痛ましいわ」とか「哀愁が漂ってるわ」
など寒風が吹くような感覚が胸に去来した覚えは、多分ない。

「ああ、なんだか孤独だわ、そして小汚いわ」
とわが胸に訴えかけてくるのは、
ひとりぼっちでスーパーのかごを抱えて歩く
高齢男性たちである。

彼らは一様にやせ形で、無精ひげが少々伸びていて、
どことなく清潔感に欠け、活力のないこと甚だしい。
腕力はとうの昔に減退していると見えるのに
買い物用カートは使わず
備え付けのかごを持って、ご自分では気づかないだろうが
意外とよろよろしつつ、買うべきものを探してきょときょと歩く。

(その点高齢女子はたとえ食パン1斤であろうとカートを使い、
カートに体重を預けるようにして歩いたりするので少し安定感がある。
他人に心配をかけさせないところなどはエライ)

つれあいが死んで、元気溌剌になるのはおばあさん、
一気にしょげかえって、
全身から哀れと小汚さを猛烈に滲みださせるのはおじいさん、
とは、世間的にはある程度首肯される感情だろう。

おばあさんは多くの場合、
家でただ食べて寝てテレビを見ているだけのおじいさんの
食事の世話をして洗濯をして、出来る家事をやっているから
「現役の生活者」であり、第一線でなくても引退はしていない。

一方おじいさんの老後はいかにも引退者である。
孫の世話をとことん引き受けたり、
町内会の世話係などの雑事を積極的に行ったりしている
頑張り屋のおじいさんは別口として
だいたいのおじいさんは家に居ながらにして
施設にいる老人と変わらず、日がな一日仕事らしい仕事をしない。
食って寝て、テレビを見て、人を呼びつけて、
批判と文句と、自分の過去の栄光に関してだけは口が立つという
鬱陶しさだけは現役をしのぐタイプも現れたりする。

経済力はともかく
生活において自立している男なんて一握りしなかいないから
引退したおじいさんは自然、生活者のおばあさんに頼る。
飯の支度や洗濯はともかく、
面倒な電話の応対や、銀行なんかも全部おばあさんに頼み
病院に行く時さえ「ついてきてくれ」なんてことを抜かすようになる。
おじいさんはまるで早く老いるために自発的に
出来ることを減らしているかのようだ。

今しがた、義父がトラックで配達に行った。
昭和10年生まれの79歳で、
往復3時間以上もトラックで行くのだから立派である。
しかしその義父も職場では頑張ってくれているが
週末実家に帰るとほとんど寝たきりで、
善の上げ下げから電気のスイッチまで全部義母にやってもらうのである。

それほど疲れるなら、配達なんか行かなければいいのだが
義父は4トントラックで配達に出るのを自分の仕事と決めているらしい。

義母は義父のことを「仕事してるほうがずっといい」と断言し
週末寝込む義父を「なんにもしないで寝てるから邪魔、散歩くらい行けばいい」
と切り捨てる。

その義父が昨日、トイレで座り中、ふっと意識が切れて前のめりに倒れ
眼鏡を割ってしまった。
義父の受けたショックと落ち込みは大きく
体調の悪い娘の子(孫)の面倒をみるために実家に残っていた義母を
すぐ来いと呼びつけたほどであった。

さて今朝、義母は一番電車に乗ってやってきた。
義母の顔を見た途端、元気が出たのか義父は言った。
「よし、今日は配達に行こう、一緒に来てくれ」

早朝から遠路はるばる電車に乗ってやってきた義母に
義父は一緒にトラックに乗って行ってくれと命じ
なにかあってもトラックが運転できるとは思えない義母を隣に
「何とかいけるんじゃねえかな」と配達に出ていった。

世の小汚く痛ましいおじいさんたちと比較すると
義父はまだ現役の看板を仕舞ってはいない。
しかし義母への依存度は高まってきつつある。
現役看板と依存爺さんの割合はいまや4分6分というところだろうか。

79歳が運転するトラックは、第三者から見ると正直怖い。
74歳義母も「心配だよね、もう運転辞めればいいのに」と言いながら
それでも「仕事出来うるちはやってくれたほうがマシ」という。
頑張るじいさんに対しての心配は大いにあるけれど
完全依存型じいさんよりは、よっぽどよっぽどマシなのである。

ブログに書けるのは

こころ
11 /28 2014
本当の悲しみや苦しみって、ブログにさらっと書けるもんじゃないよね。

つらいです、悲しいです、苦しいです・・・という語彙を頻繁にブログに使う人もいるけれど、
あれは「本当につらい状態」からある程度抜けて
それなりに気持ちが落ち着いた状況に変化してのちに
「言葉にできる」ようになったからであろうと思っている。

その悲しみが圧倒的な破壊力を持っていればいるほど
言葉になるのは時間がかかるような気がする。
圧倒的な破壊力を備えて襲い掛かってくる悲しみ苦しみの前では
並の人間ではそれを言葉にする、文にするなんてまず無理だ。

第一、書いたり、画面に打ち込んだりする余裕が持てるはずがない。
ほんものの悲しみはその人の内面を引き裂いてずたずたにすることも
押し潰してしまうことも簡単にできる。
だからそんなとき人は、存在し続けることだけで精一杯で
言葉をつむぎ上げる余力なんぞ持たない。
私のような普通の人間はね。

離婚で苦しんだ、借金で苦しんだ、人間関係で苦しんだといっても
それは現に今、このとき、血の涙を流している人が書いているのではなく
すでにかさぶたとなっている人
あるいはかさぶたも取れて、傷跡だけが残っている人が書いている。

過去の傷を、もてる限り返す返す持ちネタにして
「あれはつらかった」
「これは本当に悲しかった」
「どんなに悲しいか経験者でないとわからない」などと
ブログで披露しては、己の傷を舐め続けている人がいる。

私も自分の人生の悲しみを誰かに打ち明けたくて語りたくてたまらない時代があった。
打ち明けた相手に「ああつらかったんだね」「気の毒に」「かわいそうに」
と言って欲しかったから。

しかし、私が最初のそれを打ち明けた相手は
あっさりと、うんざりした調子でこう返してきた。
「話が長いよ」
そんなものさ。

このごろ私は、あっさりと事実だけを記しているブログ記事が好きになった。
どこそこへ行って、誰それにこう言われた。
なんだか疲れて、夜からずっと気持ちが重い。
だから薬を飲んだ。
明日も仕事だ。 というような。

まだ言葉にならない感情が、底にひたひたと流れているのを
確かに感じるから。

借金が怖いので

いろいろ感じたこと
11 /29 2014
死んだ父がアホタレだったので、
子供のころから常に借金まみれの家庭に育ったおかげで
借金というものがとにかく苦手だ。

夜逃げしたとか、家財一切を差し押さえられたとか、
ダンボールハウスに雨露を凌いだとか、
家族が解散して親が失踪してホームレス中学生になったとか、
そこまで過激過酷な経験はしてこなかったが

いまでいう闇金のようなところから父が金を借りて
夜討ち朝駆けはもちろん、深夜の脅迫訪問や
かぎっ子一人在宅中のところに怖いおじさんお兄さんたち来る、
みたいなことは日々に経験せざるを得なかったので

借金はとにかくおっかなくって、恐ろしくて
そんなものがあると思ったら不安で不安で落ち着かない。

よくは確認していないが、「50代の生き方」にいる「借金苦」の皆様方の中の記事中に
「闇金ウシジマ」とか「ナニワ帝国金融」みたいな
そりゃもう恐ろしい方々との係わり合いを見た覚えがない。
数百万、数千万の借金があるといっても
皆様それなりにごく普通の、法にのっとった金利で
多少の支払い遅延に対してもビジネスライクに対応してもらっているのだろう。

いや、ウシジマや帝国金融みたいなのに目をつけられたら
ブログなんか書いていられる余裕はまずないね。

上の書きぶりでは、うちに借金がないみたいだが、ないわけではない。
いま住まうこの中古住宅を購入する際は25年ローンを組んだ。
借金が怖い私は、「一生賃貸でかまわない」派だったが
主人が自宅を持ちたいと言い出し
神様がとんとんとことを運ばせてくださり、この家にきた。

とりあえず銀行というのは怖い金融機関とはちがって
ちゃんと払い続ければ安心できるのだと、30代にして私はやっと知った。
これなら何とか息がつける。
(ので何とか私は生きられる)

しかししかし、やっぱり借金は好きではないし
可能ならば組みたくない。
子供時代に怖い人たちに脅された記憶が恐怖心となって
心の底にこびりついて消えないのだ。

私のイメージする借金というのは「ヒィヒィ」いうのではなく
「ぶるぶる」震え上がり、怯え、青ざめるもので、
だから正直学生たちが「日本育英会」などから借りる「育英資金」にさえ
そんな思いを抱いたりする。

大学を卒業すると同時に数百万の借金を背負っている状態は
ほんとうはとても怖いのではなかろうか。
就職難のご時勢のうえ、会社の倒産もないとは言い切れないし
若くしてリストラの憂き目にも遭いかねず
親の資産も当てにできない若者は
(親にお金があったら育英資金を受けないもんね、普通)
毎月きちんきちんと返済していけるのだろうか。

まともな金融機関からの紳士的対応にばかり慣れている世の普通の大人たちは
わりと平気で自分の子供に「育英資金」という借金の荷物を背負わせているが
その手のことに詳しい私の姉は
「みんなすぐ最大額を欲しがるけど
学校側としては絶対やめろって必ず説得にかかる」のだという。
そして多くの人が「それでも最大額を申請する」のだそうで
「返せない、無理」という相談が、卒業後の学生や親から
毎年毎年複数来るのだそうだ。

とある若者から伝え聞いたところによると最近の育英会は
1回でも返済が遅れると「かなり厳しく」「しつこく」連絡して来るそうだ。
さらに、それが数回重なっただけで、「あんな怖い」話を
するようになったのだそうだ。
ま、借金で差し押さえされる、通帳天引きはもちろん、
勤め先にまで連絡が行くというのは、本来ごく当たり前のことだから
驚くには早いのだが。