LOOK UP

いろいろ感じたこと
06 /03 2015
で、今日も仕事に来ているわけだが。

デスクワークに疲れたので気分転換にネットサーフィンをしていてこんなのを見つけた。
去年あたりからかなりメジャーになっているメッセージで
世界では5000万人が視聴したというんだが
私は初めて見た。
これはその日本語字幕付き動画である。



かなり共感した。
私がブログに飽きてしまったのも、ここにあるメッセージと共鳴する部分がある。

ブログで泣いたり怒ったり批判したりぶちまけてスッとしたりするのを
批判するつもりは毛頭ないのだが
それはあくまで生活の余技であって
(ブログで生計を立てる大志を持つ方は別だが)
それが「よりどころ、とても大事な場所、存在」であったにしても
筆者においてブログを書く行為が真ん中であってはならないように思う。

様々な理由で外部との行き来を避けなければならない時期は確かにある。
自分だけのブログ時間が非常に重要で不可欠な場合も少なくはないだろう。

だがいずれ私たちは閉鎖されたその場所を出て行かねばならない。
生きることは自分以外の人、自然を含め世界との、現実のかかわりを持つことなのだから。

スポンサーサイト

嫌悪する

いろいろ感じたこと
06 /11 2015
自分の未熟と浅慮も顧みず、発作的に意見を書く。
あくまでこれは私個人の意見であって、
すべてが正しいなんぞとは思ってはいない。

14歳のとき酒鬼薔薇と名乗った元少年Aが32歳になって
あの事件のゆくたてなどと、いまだから告白できることを書き
太田出版という会社が、それを本にして出版した。
出版も本を書くことも自由である。
自由ではある。


神戸連続児童殺傷事件。

最愛の子供をああいう形で失った家族は
本事件の犯人酒鬼薔薇よりも
さらに過酷で厳しい生き方を余儀なくされてきたと思う。
酒鬼薔薇がいまさら仕事が続かないとか病んだ性衝動に動かされるとか
ご大層に過剰に書いているのだそうだが、
被害者家族はもっと人間として根源的な、
自分自身の体を引き裂かれるごとき痛みの中でなお生活者として、
たくましく生き続けねばならない現実に
どれほど苦しみ、もがき、泣き叫び、のたうちまわってきたことだろうか。

私は放り投げるように言う。
私は本書を買わないし、手に取ることもしたくない。
願わくば本書を本屋で視野に入れることさえ拒否したい。
そして研究者以外の人間が好奇心や興味で本書を読んでいる場合は
嫌悪の情を持つ。

出版社には矜持というものがあるべきだ。
本書の出版に際し、モラル云々という言葉が使われることが多いが
出版社の抱く矜持はモラルに裏打ちされているべきだ。
少年犯罪の増悪化があるからこそ、
酒鬼薔薇の当時の心になにがあったのか世に知らせるべきだなどと言う
まことしやかな理屈をこねる出版社には多分
高い志や立派な矜持などあるまい。
本書によってその利益が
1銭だろうが1円だろうが元少年A酒鬼薔薇に届くことも、
当然極めて不快に感ずる。


私は人間の再生を信じたい。
しかしどんなに謝罪しようが反省しようが
あるいは刑務所で懲役刑を全うしようが
酒鬼薔薇の為したごとき罪を雪のように真っ白にすることは決して出来ない。

元犯罪者が何十年間どれほど泣こうがわめこうが苦しもうが。
それをあとかたもなく真っ白にすることがお出来になるのは神のみであって
私たち人間には出来ない。


酒鬼薔薇の取るべき態度は誰にも語らなかった真実の思いを書いて
世に知らせることではない。
彼は自分を書き広めることで、彼自身のサディズム
あるいは潜むマゾヒズムを刺激し、
エゴイスティックな自己開示欲求を満たし快楽を増長させただけだ。

この年月をかけ、彼自身が人を愛し大切に思うことを知り、
その尊さとかけがえのなさについて
ほんとうに深く身にしみているのであれば、
彼は自分の犯した罪をますます重く、恐ろしく感じていなければならない。
その恐怖と罪悪感は、
言葉にし懺悔できるレベルを超えていなければならない。

彼が今精一杯出来ることは、過去を常に抱えたまま、
後悔と苦痛に泣きながら、血を流しながら、
それでも誠実に日々をまじめに、粛々と生きていくことだけである。

疲れきる年頃らしいけどさ

こころ
06 /30 2015
ななんとなんと!
10年ぶりに体重が45キロ台に到達しちゃったので、思わず書いちゃうのだ。
いやぁ~、昨夜寝床でなんだかパンツのゴムがきついような気がしたのだけれど
実際パンツがきつくなったに相違ない。

3月には40キロを割りそうになったこともあったし、
どう頑張っても44キロから先へ行かなかったのに、この3日ほどで
一気に45キロを超えてくれちゃった!

これは一体どういう変化だ、ついに私にもその時期が来てくれたのか、
中年太りってやつが!!!
それとも・・・・・単純にむくんでいるだけなのか?
その辺ははっきりしないのだけれど、体調は悪くないから、何とか維持できるとよいなぁ。

で、今日久しぶりに同じカテゴリー「50代の生き方」に属する
よそ様のブログをちょろちょろ見て回ったのだけれど
なんか、朝からどよ~んとした気持ちになりかけたよ。
だってさ、多くない?
人生に疲れきっているような内容のブログがさ。

悩みはお金だったり、家族だったり(主に夫だけど)、
どれも生きるためには切り離せないものばかりで、
能天気な私だって多少は理解出来ちゃうから、余計にどんよりが感染するんだよねぇ。

これってやっぱりさ経済状況の悪化が根源にあるんだろうねぇ。
50代のおばさん達っていうと背負っているものがたくさんあるからね
下に続くものや、横にいる亭主や、枯れていくはずの上の人間なんかまで
全部まかなっていかなきゃならないんだものね、
厳しい現実は常にそこにあるんだよね。

あれだよね、厳しい現実があってもさ、亭主が優しいとか
子どもらが親孝行だとか、亭主が優しいとか
じじばばが穏やかで善人だとか、亭主が優しいとか
仕事場が楽しいとか、亭主が優しいとか
そういうがひとつでもあれば、なんとか切り抜けていけるんだけれどもさ、
そういうの全然感じられない時期って、あるもんねぇ。
うん、私だってあるよ、そういうの、結構ざらに。

うちもさ、亭主に対する文句だったら、そりゃあ書けるんだけどもさ
自分を顧みるとさ、書く気が失せるわけよ。
だってさ、見てよ、うちの窓ガラス、汚れちゃって透明度の低いこと低いこと。
カーテンなんか数年洗ってないしさ、
雑巾がけなんかさ、数カ月に一度やったら立派なほうだしさ、
ベッドで××なんかさもう何年致してないか忘れたくらいだしさ、
おけつは垂れてペッタンコでばあさんみたいだし、
頭の毛は薄いしさ、
ほくろは年々増えるしさ、
主婦としても女としてもかなりレベル低いわけよ、これが。

こんなのをさ、とりあえず女房として置いといてくれるんだから
とりあえず亭主としては、優しいのかも、寛容なのかもしれないじゃない?
(あきらめてるのかもしれないけどさ)

私は今はさ、亭主よりも安倍さんのほうが嫌いだなぁ。
あの人、なんかに憑りつかれてるとしか思えないもの。
でもって愛妻家の旦那としてはさ、北斗晶の亭主の佐々木健介に憧れちゃうなぁ。
あそこまで愛されちゃったら、女としては幸せだわよねぇ。

いやぁ、今日は職場にとうちゃんと二人しかいないんだよ。
義父さんは東北に旅行中でさ
(しかも行くところがやっぱすごいよ、恐山だって)
義母さんはおうちでお休み中。
1人しかいない工員さんは病院に通院だって。

とうちゃんの工場はね、バブル期に設備拡充して20数年後のいま
ロボットや機械が次から次に壊れ始めてさ、
それらを修繕したり、なんとかごまかしたりしながら、
やっとこさ回しているの。

でもそれも限界でね、500万以上するロボットを2台くらい買わないといけなくなるんだって。
そんなお金ないんだけどもね、
なんとかやりくりして切り抜けていかないといけないわけよ。

私は根っから文系だから、この危機的状況のいま、どうしたらいいかなんて
さっぱりわからないんだ~
わからないんだけどもね、いいの、丸投げするの、神様に。
「どうしたらいいのかわからないので、一括してお願いします。
最善にお願いします」って、神様に。

お願いした以上、悩まないのよ。
苦労も試練もくるかもしれないけど、そのときゃそのとき、
人間らしく悩んだり泣いたりしながら、なんとかやっていくつもり。
そのあと最善になるからさ、って信じてるんだもんね。

45キロになったんだし、きっといい方向に向いているのさ。
希望は決してなくさないよ、心の中には消えない光があるもんね。
それじゃあ、そろそろ仕事再開しようっと。

とうちゃん、あんまり役に立たない私だけどさ、いつもニコニコしてるからさ
なんとか切り抜けようぜ。
こういうのもきっと、愛の一種だわよ。