曖昧な説明

こころ
01 /22 2016
ひと月ブログをお留守にした。
毎週一度の教会の礼拝にも出たり出なかったりした。
ちゃんと出席したにしても、誰ともしゃべらず、
礼拝後のミーティングやお茶飲み会にも出席せず、
逃げるようにすぐに帰って行くので、
先日牧師夫人から「体調がお悪いのですか?」と親身に声をかけられた。

マスクもしていたし、あまり話す気持ちにもなれず、
曖昧に笑ってごまかした。
自分を哀れんでいる状況が続いているときには
他者にあれこれ話さないほうがいい。

ろくでもないことしか話せないのがわかっているから。

この「ろくでもない」ことは、自分にとっては非常に重要な問題だけれど
自分以外には、どうだっていいこと、聞いたところでどうにもならないことだと
大概決まっている。

それでもかつてはわかって欲しくて切々と訴えたりもしたのだけれど
愛するものを失ったわけでもなし、
棲むところを失くしたのでもなし、
感情が不安定で気が狂いそうというのでもないから、
50を回って「私かわいそうなの」なんて
滅多なことでは言えやしない。

元気か元気ではないかといえば、元気なほうだと思う。
鼻から入れたチューブによって栄養はきちんと摂れていて
体重も42から44キロくらいで安定してきた。
チューブによって穏やかに栄養、水分、電解質が入るので脱水にもなっていないと思う。

週2回くらいだろうか、40度近い熱が出、腹痛は毎日続いているけれども
それを除けばとても元気と言えるだろう。
この間の雪の日はちゃんと雪かきも出来た。
毎週きちんと仕事にも行っているし、日常的な家事は普通にやっている。

現状を受け入れるまで少し時間がかかったのは
やっぱり年をとって忍耐力が弱まったからかもしれない。
でもそろそろ、抜け出してきている。
スポンサーサイト

親は重い

こころ
01 /25 2016
親って重たい。
子を育てることに一生懸命だったとてもありがたい親でさえ
年をとっていろいろと不自由が出て、
子であった側が面倒を見たり世話をしたりするようになると、
私などはそれを楽なことだとは正直、言えない。

であるのに、邪険に扱ったり虐待したり、差別したり
家族を顧みなかったり、
子の自由を奪う専制君主だったりした親たちを
面倒見なければいけない子の立場になったら
どれほど重たいだろう。

父が生きていたころ、私の心の底にはいつも
父が在るという、青黒い鉛のような重たさがあった。
小学校の高学年ころからそれははじまっていて
結婚前の20代の頃が一番重たかっただろうか。

結婚して同じ家に一緒に住まずによくなって、
とりあえず父の重たさが減少した気がしたが、
といって父の存在が消えたわけではなく、
ただあえて見ないようにしていただけだった。
だから実家に帰るのが、うれしいとか楽しいとか感じたことはない。
むしろ、実家とは縁を切ってしまいたかった。

実家と、実の両親と縁を切るためなら、
娘時代の思い出なんか全部いらないと言い切れる人が
たくさんたくさんいる。
その人たちの心の底には冷たい鉛があるのだろうか、
それとも、どろどろと出血した内臓のような塊があるのだろうか。

死んでほしいと子に密かに願われる老年は、
きっと惨めなのだろう。
だが、本当に私たちを慈しんで骨身を削って育ててくれた父や母には
子はそんな風には願わないと思うのだ。

俺なんか死ねばいいんだ、とか
私なんか死ねばいいと思っているんだろう、とかを
不快げに、あるいは投げ出すように、
厭味ったらしく、実は死ぬ気もないくせに、
子に言えるような老人たちは一概に、
「ではそうしてください」と返されないと思い込んでいる。

心の底の鉛は、父が死ぬまで存在した。
死んでくれてよかった、と心から思う。