手術と再手術と石と退院

出来事から
10 /12 2016
日曜日に家に帰ってきた。
8月の20日過ぎに手術をしたので、予定では9月半ば過ぎに帰れると思っていた。
けれども術後10日以上を過ぎて
痛みもようやく落ち着き
食事もやっと全粥にたどり着いた当日の夜に腹痛が起きた。
翌日に腹膜炎とわかった。
その夕方には緊急再手術となった。

過去繰り返されてきた手術により、ひどい癒着が起きていたため
8月の手術では腸管のある部分がかなり薄くなっていたそうだが
そのあたりが再手術となった腹膜炎の原因と見られる。

8月の手術ですでに、
術後回復力が、がくんと下回っているのを自覚していた。
経験豊富だったおかげで客観的には順調に見えていたと思うが
私の中では
「もう嫌だ、もう手術したくない!」と言いたくなるほど
厳しい克己心を必要とした。

それが10日後に再手術と決まったとき、
もはや私は自暴自棄となった。
再び乗った手術台の上で、手首に太い針を刺され
流れ込んでくる液体の痛みに「痛い痛い」と愚痴り、
眠らされるためのマスクが顔に置かれ、意識が消える直前まで
「神様もういいです、私の魂をお受け取りください」
を心の中で繰り返していた。

再手術後の夜、麻酔からさめても
私は無表情のままで、言葉を発する気にもならず
看護師の質問にも曖昧に首を動かすことしか出来なかった。

再手術を経験せねばならなかった虚無感は大きく
心の虚ろはどれくらい続くだろうかと思ったが
術後翌日にはほぼふつうに戻っていて、
観察室から短い距離を歩いて病室にもどり、
その次の日には痛みを軽くする硬膜外麻酔を抜いて
隣の病棟まで看護師に付き添われて歩いていた。

が、そのとき背中にどーんと重たい痛みが落ちてきた。
合併症の腎臓の結石が降りてきたのだった。
手術後の傷の痛みもさることながら
結石の「波のないひたすらテンションの高い痛み」
には、かなり参った。

結石の痛みは山を経てからも数日間続き
術後8日目ごろには抜糸を終え、
膿などを排出するために腹部に縫い付けられたドレインと言う管も
きれいに抜去された。
で、翌日高熱が出たのでまたドレインを入れられてしまった。

このほかにも、熱だ痛みだ膿だ腫れだと
なんだかんだと長くかかった。
この半世紀を経て生きて、溜まった私の体内の弱いところが
ここぞとばかりに変わりばんこに出現したのだ。
だから私は退院当日まで、本当に無事に出て行けるのか不安だった。

だが出てきた。

今回の入院のひと月半という期間は、
私にとっては長くない、むしろ短いものであったけれども
これまで以上に多くの体験を積んだように感じている。
かなり辛い時期もあったが
こうして終わってみれば、すべては私の宝になるだろう、
・・・と思える。

生き方を少し変えたい。
ちまちまケチケチ我慢ばかりして生きることをやめて
もう少し、からっと、先のことばかり考えずにいきたい。
先はわからないから。
楽しみをちゃんと味わっていきたい。



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長く生きることを是といえない

生きていくこと
10 /22 2016
私が入院していたのは、主に二種類の特定疾患患者が集まっている病棟で、
もちろん内科でもあり、
要手術の患者には外科でもあった。

一般的な病院の内科に入院したことのある人はわかるだろうが
内科はとにかく高齢者が多いのがふつうである。
だが幸運なことに(と言ってもいいのか)、
上記二種類の特定疾患は、若い人に発病が多いため
病棟内は、一般内科病棟と比較してにぎやかで明るかった。

だが時期的に病棟に空きベットが増え始めると
当然のことながら、他科や一般内科の患者もやってくる。
病院も世の中と同じく、高齢化社会を映していて
80代90代、なかには100歳越えの患者もくる。

90代の高齢で、かつ1人暮らしの人たちと、何人か同室になった。
NHK特集に出てくるような、貧しく孤独な高齢者ではなく
学歴高く結婚せず働き続けてきた女性ばかりで、
入院に際しての世話は50代を過ぎた甥や姪が見ている場合が主だった。

本人が多少の小金を貯めていようが、家があろうが
1人暮らしの高齢者たちの退院時には
直後に向かうべき有料老人ホームからのお迎えが来た。

本人がせめて一度は家に帰りたいと懇願しても、
「元気になったらちょこちょこ家に帰れるようになるよ」
と言われ、そのままホームに直行していった。

退院後に帰るのが家でなく、
素敵できれいで安全な老人ホームだと聞かされて、
突如ボケが始まってしまった人もいる。
90代まで立派に1人で暮らしてこられたほどに
しっかりしていたはずだが。

施設に入れる側の事情もやむないことであり、
施設に入れられる側の心情もまたやむないことである。

むしろ、ほとんど歩けず食事も1人で摂れない高齢者を、
当たり前のように自宅で迎え入れるご家族に
私は驚きを感じた。
そして、そのご家族の中に起こるであろう介護の負担を思うと
いたたまれない気持ちになった。

ねぇ、100歳すぎて入院って、なにをどうするの?
ある人が看護師に質問した。
うーん、たとえばちょっと点滴して、状態が良くなったら退院するって感じかな。
看護師はそう答えていた。

夫婦で生きていくこと

生きていくこと
10 /28 2016
今年の6月からついこの間の10月半ばまで
夫には休日がなかった。
私が入院している間の数回の日曜日だけ
無理やり仕事を切り上げて1時間ほど見舞いに来てくれたが
平日に行われた手術には二回とも来てくれなかった。

仕事が忙しいのは理解しているから
最初の手術に来られなかったときには、
諦め半分に納得していた。

だが、突如決まった緊急手術の折には
医師が直接電話をかけてくれたにもかかわらず
夫は来なかった。

結婚してから何度も何度も繰り返してきた入院は
通常の夫婦間において夫が妻の体を心配する感覚を
完全に麻痺させてしまっていた。

「病院に入院しているなら安心だ」と言う思いがそれである。
常態ならばそれもよしとするが、
あのときは常態ではなかった。
これまで医師が直接夫の職場に電話をかけたことなど
なかったというのに、
夫は「入院しているなら安心だ」を心中から消しはしなかったのだ。

数日後の日曜の午後、夫がやっと顔を出したとき
私はかつてなかったほど怒って、泣いた。
心と体がどれほど痛んだか、
これから先の私の人生がどれほど難しくなったかを、
泣いて、しゃくりあげながら、痛みで出てこない小さな声で必死に訴えた。

最初、夫は自分が仕事に追われまくって、おかしくなりそうなのだと
何度か繰り返したが、
それでも私は夫を責め続けた。
妻の生死がかかる緊急時に、
注文の仕事をほったらかして駆けつけることの出来ないような
そんな夫なんか私はいらない、と。

やがて夫はただただ黙り、私の訴えを聞き続けた。
そして、私の言ったことすべてを受け入れた。
今までのやり方を変えるときがきたのだと
夫は理解したのかもしれない。

退院して半月あまりが過ぎ、
私たちは結婚して初めてふたりだけで旅行に出た。
旅行といっても日帰りバスツアーの小さなものだが
私はそれでもうれしかった。
お互いがニコニコしていられる時間が
思っているより短くなることもあるかもしれないから、
まだニコニコしていられるうちに、
楽しい思い出をたくさん作っておかなければいけない。

旅先の記念写真では、
点滴パックをリュックに入れた私は、夫の片腕につかまって
白い歯を見せてうれしそうに笑っている。