娘の彼氏と正式に会った

娘の結婚
11 /06 2016
今日は娘の彼氏との会食会だった。

本当は去年の11月に予定されていたのだけれど、
あの時も私の入院でさっぱりと流れ、
その後は春に仕事がらみで娘の体調不良や入院があり
その直後に娘と彼氏双方の転職があり
(彼氏は遠距離恋愛がいやで関西の職場をやめ、こっちに転職したのだ)
夏にまた私の入院、
同時期夫の週7日仕事などで
ついに1年も過ぎてしまい、やっと今日
娘の恋人という青年と、正式に会って話すことが出来たのだった。

夫はつい最近まで、娘の恋をうれしく思ってはいなかったのだが
私がこの前の再手術後に何もかもぶちまけたのをきっかけに
「ママが元気なうちに結婚して子供を産みなさい」と娘に言ったそうだ。
これはこの前退院後、娘から聞いた。
生きてるうちに孫の顔、と心配されるにしては、私はまだ若いような気もするが
確かに元気なときが少ない私には大事なことかもしれない。

そして今日になった。
彼氏はガチガチに緊張していたが夫はそこに好感を覚えた。
調子よくしゃべる男だったら、夫はむしろ気に入らなかっただろう。

彼は誠実そうで、
しっかりと働いていて、
娘を大事に大事に考えていた。
これだけで文句はなかった。

(彼には育英会奨学金の借金もなかった、
私が細かく質問したのだが、個人的にこれは大事だと思う。
貯金の額をバカ正直に答えてくれたのにも好感が持てた。
遠距離恋愛の時期が長く、新幹線代に消えたのか
年齢に比して少々ナニだと思ったが
それは締まり屋の娘がどうにかするだろう)

で、いつ結婚するのかというと
未定である。

娘が未定にしているのだ。
なぜって老犬の黒わんこを置いて家を出て行くなんて出来ないから、だそうだ。
黒わんこは老いて、これまで3度も死にそうになりながら、
そのたびに復活して元気に散歩に行く芯の強いわんこである。
先日まで1週間黒オスわんこは食事を一切取らず、
生気がなく、歩けず、ついに死ぬ気かと思っていたら、ひょっこり復活して
今日もきちんと散歩に行った。
娘は黒わんこの死を恐れ、泣いたり祈ったりしていたので
黒わんこの復活は祈りが通じたのだと喜んでいる。

喜んでいるが、実はすぐにも結婚したい気持ちもあるそうだ。

娘の彼氏と私たち夫婦が正式に会うまで、去年から丸一年かかったが
今日の感触は大変いいものになった。
去年の段階だったら、きっとこんな風ではなかっただろう。
だから、きっと
黒わんこと関係する娘の結婚時期にも
最善のときが必ずやってくることだろう。
あせらずに見守っていこうと思う。

スポンサーサイト

黒わんこ恋しい白わんこのところへ逝く

わんこ
11 /11 2016
このブログを消去できない大きな理由は、
白わんこが倒れて死んでいくまでを記事にして残してあるからだ。
そしてまた、消せない記事を書くことになった。
黒オスわんこが死んだ。

日曜日の、娘にとっての大切な約束を成就させるために
黒オスわんこは、食べられなくなった胃袋を無理やり動かして
必死に食べてくれたのかもしれない。

私たち家族は、黒わんこが食べてくれたと喜んで
これまでのように彼が激しい咳をしながらも、うきうき喜んで散歩にも行き、
家族が自分の皿からお肉をやるときには
うんと背伸びをしてぱくりとやってくれるのだろうと、
おいしい! っと尻尾も振ってくれるようになるのだろうと、
思い込んでいた。

黒オスわんこは火曜日の朝もちゃんとご飯を食べ、
チビわんことともにお散歩にも出られた。
私と娘は安心しきって1時間半ほど買い物に行き、
わんこの好きな肉やおからも買い込んで帰ってきたら
黒オスわんこは死んでいた。

帰宅する数分前まで生きていたのか、まだ体は温かくやわらかかった。
心臓の発作がきたのか、苦しみから逃げるようにテーブルの下にもぐりこんで
その場で吐き、もがき、糞尿を出しながら息が止まったのだろう。
3日ほど食べてくれたから、硬くて立派なウンチだった。

糞尿を始末するために娘と私はズボンを脱いだ。
パンツ丸見えの格好のまま、娘は汚れた黒わんこを抱き寄せて泣き
私もパンツ丸見えのままテーブルの下の汚物をふき取って消毒した。

黒オスわんこはこたつの近くにいつも来たがっていたから
こたつの横に安置して、アイスパックをたくさん抱かせた。
体が次第に冷たくなっても、
ハスキーゆずりの毛だけがいつまでもぬくぬくと温かかった。

水曜日、木枯らしが吹いた日、黒オスわんこは煙になって
大好きだった白い女王わんこ様のところへ飛んでいった。
火葬窯に入れるときも、私は泣かなかったけれど、
窯のふたが閉じられ、ぼうっと点火された音を聞いたとたんに
堰を切ったように声をあげて泣いた。

15年も一緒に暮らしてきた黒わんこの
均整の取れた美しいからだの色や模様や
分厚い分厚いぬくぬくの毛並みが
あのしっかりした堅い体が、
燃やされ、この世から消えていくと思うとたまらなく悲しかった。

2013年の3月末に死んだ白メス女王様わんこは
脳をやられて以降、性質もすっかり変わり
自殺する様に断食して死んだけれど、
黒オスわんこはこの1年余りひどい咳に苦しみながらも
最期まで彼自身を失わずに、旅立った。

白メスわんこに尻に敷かれ、
チビわんこにさえ、吼えられていたけれど、
黒オスは本当は一番強くて立派な、寛大なオス犬だったのだと思う。

白メスとの散歩中に私が連れ帰った子。
自己主張の強かった白メスと
愛嬌で周囲を釘付けにするチビわんこの後ろに
いつの落ち着いて、マイペースで、悠々としていた黒オスわんこ。
もっと可愛がってやればよかった。
毛が分厚すぎて、洗うのも大仕事だった黒わんこ。
家中を365日毛だらけにしてくれた黒わんこ。

今朝も掃除機をかけたけれど、毛でいっぱいになるはずの掃除機のタンクは
少し埃を吸ってくれただけで、犬の毛なんかほとんどなかった。

さびしい。

クソガキクソ親クソ教師クソ学校クソ教育委員会

出来事から
11 /18 2016
福島県から自主避難してきた男の子が
転入先の神奈川県横浜市の公立小学校で
「菌」付けで呼ばれたり、「賠償金もらっただろう」とカツアゲされたりの
ひどいいじめを受け、自殺まで考えながらも
地震、津波、原発事故で死んだ多くの人たちを思って生きることに決めたという
なんとも痛ましい手記が
このほど弁護士によって公開された。

このニュースを知ったみんなと同じように、カツアゲしたクソガキやその親や
知りつつも放置しぬいた学校や教育委員会に
えげつない言葉を吐き掛けたいほど腹が立った。

同時にこの前の入院中に私についてくれた看護学生の幼さの残るかわいい顔が思い出された。
彼女も当時福島から避難してきたのだった。

彼女は笑顔で、何事でもないように語ってくれた。
あの震災のあと、彼女の家族は都内の親類の家に身を寄せ
そこから学校に通い、友達も出来、いじめに遭うこともなく
東京がいかに楽しいか、おもしろいかということを身をもって知ったそうだが
埼玉やその他の多くの地域に散らばった友達のなかには
いじめを受けて福島に戻っていった子も少なくないそうだ。

あの地震のとき、彼女は友達と一緒に「しまむら」にいた。
ものすごい揺れが来て、店員が「外に出てください」と叫んだ。
必死で外に出たところ、対面のトヨタだかなんだかの店の大きなガラスのショーウィンドウが
全部割れ落ちていく様子がまるでスローモーションのように見えた。
音で振り返ると、今まで存在していた「しまむら」が目の前で、ぐしゃりと倒壊した・・・・

原発で非難してきた人たちは、私の住む町にもたくさん来たけれども
私はそのうちの誰とも、話したことがない。
テレビでも新聞でもずいぶん見たり読んだりしたけれど
実際の当事者の口からあの日の話を聞くと
日常と隔絶した凄まじいものを感じずにはいられない。

ごく当たり前のふつうの生活をすべて捨てて、
命のために逃げてきた人たちの
そこから先の試練の大きさは、私などには恐ろしいほどだ。

そんな試練を背負わされた人々の大事な希望に違いない子供が
見知らぬ土地でいじめられ、金を取られ、死を考え、不登校になっている。
クソガキどもが一番悪いが、そういう子に育てたクソ親も責任は同じだ。
そして、避難してきた子を守ろうとしなかった学校もクソだ。
知らん振りをした教育委員会の教育長、委員、
連絡が来るはずの指導部内のベテラン教員たちも、みんなクソだ。
行ったことを、見ない振りをしたことを、助けなかったことを、
隠したことを、無視したことを、生涯の恥としろ。
まっすぐに受け止めて、生涯の過ちとしろ。

犬と娘と

わんこ
11 /20 2016
うちから40分ほどで行ける東北自動車道上り線、
鬼平犯科帳をイメージして作られた羽生パーキングエリアに
ちょろっと1時間ほど遊びに行って帰ってきたら
家にはチビわんこも、娘もいなかった。

娘は午後から彼氏とデートだというから
「(黒わんこがいなくなって)寂しいチビわんも連れて行ってよ」
と言っておいたけど
まさか本当にチビわんこをつれてデートに行くとは思わなかった。

「家に戻ったから近くにいるなら連れて帰ってきていいよ」
と電話をかけたら、チビわんと娘は彼氏の家にいて
夜まで帰るつもりはないらしい。

だから家にはいま、夫と私しかいない。
夫は二階でビール片手にテレビを見ている。
私はいつものようにこたつに入り、
テレビで相撲中継をつけたまま、パソコンにこれを書いている。
ふと、こたつの中や、座椅子の上に、きなこ色の小さい犬の姿を探して
物足りなくて、切ない気持ちになる。

黒わんことさよならしてまもなく、
夫はもう新しく犬を飼うことは出来ない、と言った。
娘は遠くないうちに結婚し、大事なチビわんこを連れて、この家を出て行くだろう。
私は犬のいなくなったこの家に1人で昼を過ごすのか。
まばたきせずに私をじっと見つめて、尻尾を振ってくれる無邪気な存在が
いるのといないのでは、全然違う。
じわじわ湧いてくるうれしさが違う。
ほんわかするなごみ力が違う。
幸せ感が違う。
基本的にオキシトシンホルモンの分泌が全然違う!

夫の言葉は正しい。
夫も犬は嫌いではないけれど、
私は体がこんなだから、いつ入院するかわからない。
「犬なしでは生きられない」と言い切る娘がいなかったら
私たちふたりで犬をきちんと飼いきることは出来ない。

このごろ、犬の里親サイトばかりよく見ている。
でも、中途半端な状態で飼うのは犬にも人にもよくないんだ。

娘がいなくなったら、もっと寂しいのかな。
鬼平江戸処から娘に買って来た鯛焼きのパンケーキは
夜にはきっと固くなってしまうな。

妻より母よりわんこが大事

わんこ
11 /28 2016
大型犬に近い中型犬の黒わんこが天国のほうにスカウトされてもうすぐ3週間。
私たち家族にはいま、小型犬ミックスのちびわんこしかいない。
そのちびわんこが昨日、手術を受けた。

子犬のちびわんこがうちに来た3年半ほど前には
「なんだこのちびっ子」という態度で接していた黒オスが、
その半年後、少女から大人になりかけていたちびわんこに
猛烈にさかりはじめて、今にも犯しそうになっていたので

(サイズが違いすぎるし、犬にレイプはないんだけどね、
求愛を見てるとけっこう生々しいのよ
エロ爺がまだいたいけな少女を欲しがってるんだもの)

仕方なしにちびわんこの避妊手術に踏み切ったのだけれど
その結果、ちびわんこのおなかには
術後の筋肉の裂け目からと見られるヘルニアができてしまった。

そのヘルニアがこの数ヶ月大きく目立つほどになっていて
ある日突然ヘルニアが穿孔して、腸に穴が開いたり
ヘルニアかんとんになったりしたら
最後の1匹のこの子まで急死してしまうかも知れず
それが怖くて、先週病院に診せに行ったのだが
なんと手術が決まってしまった。

手術が決まり、手術当日までの10日間、
うちの家族のちびわんこに対する優しさったらもう
私が手術するときとは天と地くらいの差があった。

夫は「かわいそうでしゅね」「おなか切るんでしゅか」と
赤ちゃん言葉で繰り返し、ちびわんこをなでたり遊んだり
大好物のチーズを気前よく与えたりし、
手術の朝には「かわいそうでこの子の前で食べられない」と
食事を二階の自室にもって行ったくらいだ。
娘は手術の数日前から毎晩泣きながら神様に祈ったといい
ちびわんこがいなくなる夢まで見るほど心配したのだという。

・・・・・なんだかなぁ、私とはえらい違いだ。
そりゃちびわんこは5キロほどしかないが、医師は簡単な手術だと言った。
私はちびわんこの8倍も体重があったにせよ
医者がやりたくないと言うほど難しい手術だったんだが
娘はわたしのために泣きながら神様に祈ったりしないし
私の前で食べることを遠慮するような夫ではない。
(というか、私が全然食べられなくても作らせてたし、いまもそうだ)

などと、私がやきもちを焼いているのかというと、さにあらず
私はこんなふうにちびわんこのためにおろおろする家族が
とても素敵に思えたりする。

ちびわんこは、白女王様わんこが死んで、
感情から喜びが、顔から笑顔が、一切消えてしまっていた娘に
再び強い喜びと湧き上がる笑顔を、
有り余るほど取り戻してくれた犬だ。
ちびわんこは神様が娘に「もう悲しむのはやめなさい」と
与えてくれたのだと信じている。
だって、ちびわんこを飼うと決めた後知ったのだけれど
ちびわんこの誕生日が、娘と同じ日だったんだもの。

で、まぁとにかく今、
ちびわんこは大きな筒型包帯をほぼ全身に着せられて
私の横に転がっている。
簡単な手術だとはいっても、おなかをざっくり切って
持続麻酔もないのだから、痛いに決まっているよね。

きっと今夜も明日も、夫と娘が仕事から帰ってきての第一声は
「ちびわんこは?」
という安否の確認なのだろうな。

ちなみに私、気疲れで昨日嘔吐と下痢でダウンし
朝には2キロ減って、目も落ち窪んでいるが
私の体調に関しては誰も心配しなさそうだ。
それでいいけど。

内面を表現すること、しないこと、あり方

こころ
11 /30 2016
悔しかったこと、悲しかったこと、憤ったこと、呪わしいこと、虚しいこと、
それら負の感情を
負のままに書き綴ったブログに、人は興味を抱く。
しいて言えば、負を負のまま書くのではなく
自己嫌悪を基礎にしたうえで書くブログには
密かで、持続的な人気が集まる。

私も、そういうブログに出会うと、
この記事あの記事といくつも読んでみる。
そして筆者の抱える事情の複雑さを推測したり
ブログ筆者の環境や心境の変化を探してみたりする。

そしてしばらく読みに通ったりする。
内容が厳しいだけの場合は、読み続けることが出来る。
大変だな、がんばれがんばれという気持ちで追いかけたりもする。
ブログ作者の自己嫌悪が強く、
この人は一瞬も笑顔のない状態なのか
志村けんのバカ殿様を見ても、クスリともしないのか
と感じられるほどになると、
私は窮屈になり、そのブログに通わなくなる。

NHKBSの朝ドラマの再放送「ごちそうさん」を見ていてふっと気がついた。
東京の温かで裕福な家庭から、
大阪の難しい家に嫁に行って、徹底的に嫁いびりにあい、女中扱いされ、
ついに夫にも味方をされず、家を飛び出した主人公。

・・・・この主人公がブログ作者だったらどうなるか。
厳しすぎる現実に恨みつらみを山と書いて
負の負の負の痛ましいブログになるのか
それとも、いろいろあるけど味噌に牛乳を入れる新発見できたし今日も頑張る、
とかの明るく前向きなブログになるのか。

私の心理状態が
どうしようもなく落ち込んでいないのならば
前を向いて顔を上げていこうとするブログに好感を覚え
さらに尊敬の念を抱くだろう。

言い換えれば、私自身の環境と心理状態が落ち込んでいる場合は
前向きのブログがきれいごとに見え、
負の負の負の痛ましいブログを読んでこそ、
ああここにも苦しんでいる人がいる、と慰められるのだろう。

この数年間ためこんできたこのブログにも
どよんどよんした感情的なものも少なくないし、
逆に意識して明るく明るく書いてみたものもある。

淀んで暗いものは、感情の吐露や爆発であり
やけに明るいものは、逆の意味で自分を奮起させて書いている。
正直に言うと、そのどちらも、私の感情の波や出来事を、
誰かに知って欲しいと願って書いた。
慰めや同意、賞賛を欲しがっていた。

いまの私は、どうなのだろうと考えてみた。
いまは誰かとつながるための道具として、ブログを書いているような気がする。
公に出ない形でコメントを下さる方々の中には
ご自身の経験を語ってくださる人もいらして
そういう方たちに、
私は日常では出会えないであろう深い意味を教えていただいている。

そして、そういう方たちはもはやブログなどでは
言葉にするのが出来ないほどの深い闇や悲しみを抱えて
ただ淡々としているのである。