年賀状出そうかやめようか

いろいろ感じたこと
12 /07 2016
ふと思い立って、懐かしい友達に年賀状を書こうと思った。

普通の真面目な同級生が
裏世界でのメジャーな人物に成り上がっていたり、
体の弱かった友達が
専門分野での研究における第一人者になって表彰されたり、
陰で野獣と呼ばれていた知り合いが
気鋭の社長になって年商数億を稼ぎ出していたりして
それらを知ると驚かずにはいられない。

平凡な私などにはあんまりすごくて、
どうやったらそんなふうになれるのかしらと思う。

でもまぁきっとほとんどの友達や同級生はごく普通の
当たり前の50代になっているのだろうと
なんだか自分を慰める。

あ、普通でもちょっと驚くこともあった。
今日ある同級生の写真をネット上で見つけたら
高校時代の太く凛々しい眉はそのままながら
彼は見事な波平さんになっていた。

どんなにお金持ちになっていても
有名になっても、出世しても、
「えっ?」と「マジ?」と「わっ!」が同時に感じられるほうが
びっくりするかもしれない。

クラス会で目を疑うなんて話をよく聞くけど
確かにあれはたまげるだろうね。
いやいや、私だって人様のことは言えない。
健康だった時代の私は
髪が多すぎるほどふさふさのまんまるころころ娘だったもの。
あのころのイメージで私を見られたら
相当貧相に見えるんじゃないかしら。
ハゲも残念だけど
いかにも病気っぽいのもねぇ。

年齢が行けばいくほど、肉体の変化は大きくなって
しまいには、だれがだれやら全然分からなくなるのかもしれない。
昔の同級生とは、会うより年賀状のやり取りをするくらいで
ちょうど良さそうな気がする。

結局、波平さんには年賀状を書くけど
裏社会の人と偉い学者と新鋭の社長さんには年賀状を書くのはやめた。
私のことなどわからないかもしれないし
大出世した彼らには
過去の知り合いからの連絡なんか、
困惑以外の何ものでもないかもしれないしね。
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再燃だとしても

生きていくこと
12 /07 2016
10月の末に夫と初めて日帰りバスで大内宿というところに行って
帰ってきたら、手術痕の一部分が異様に盛り上がってしまっていた。
座るとちょうどジーパンのボタンがあたるおへその辺り、
シートベルトがずっと掛かっていた箇所が腫れて赤く熱を持っていた。

二日後にそこが破れて白い膿がごそっと出てきて
一応安心した。
膿が出きったら塞がってくれると思っていたからだ。

あれから1ヶ月以上過ぎても、膿はまだ出続けていて
単純な手術痕の表面の裂けとは考えられなくなった。

そして食物をとると膿の量が増える感じがした。

・・・・ということは、また腸壁と皮膚の間に
通り道が出来てしまったのかもしれない。
痛みもなく、熱も出ないので、
通り道は人工肛門近くの浅い箇所から始まっているのだろう。

この前入院して手術し、相当厳しい思いをしたのも
同じように腸と皮膚の間に太くて長く深い道が出来、
痛みと高熱が続いていたからだった。

手術して日が浅いのにまたかと思うと
ため息を出さずにいるのは難しい。

そういえばこの前の入院では
おなかの表面にいくつも小さな穴を開けたまんま、
手術をせずに生活している何人かと出会った。
そのうちの1人は私と同じく複数回の手術を受けていて
もう手術が出来なかったのかもしれないし、
手術を受けたくなかったのかもしれない。

症状が緊急的必要に迫られないなら、
手術をせずとも、内科的に、
つまり消極的に、ごまかしのように、本人の日々の忍耐をもって
制限のなかで日常を送ることを選ぶしかなかったのかもしれない。

私の内臓から皮膚にまた通り道が出来てしまったのだとしたら
今度は私も同じようにするしかないだろう。
制限の中で忍耐を持って生活しよう。

いや、大した忍耐じゃないかもしれない、わりと普通に出来ることに違いない。
悲劇に思えば悲劇になる。
普通だと思えば、普通になる。

老眼と五十肩

いろいろ感じたこと
12 /09 2016
編み物がしたいよ~~
セーターが編みたいよ~~と思いつつ
不良債権のように溜まった半端毛糸を横目で見ては
ため息をつく今日この頃。

どーんと15玉くらい上質な毛糸を買って、上等なセーターを編みたいっ!
・・・・でもきっと実際編み始めたら
老眼と五十肩で、ひぃひぃ言う。

若い頃には濃い暗い色の毛糸でも編み目がちゃんと見えたけれど
いまは相当明るい場所でない限り、編み目がきちんと見えない。
メリヤス編みやゴム編みなら単純だからいいが、
複雑な模様編みや、複数糸の編み込み、減らし目なんかは
見えなくていらいらするに違いない。
ハズキルーペ(めがね型拡大鏡)まで買いたくなるかもしれない。

五十肩にも、きっとこたえる。
編み物のやりすぎでひどくなってしまったらコトだ。
それに手編みのセーターってボリュームありすぎて
たんすの中でかなり場所を取るし・・・・

などと理由をくっつけて、「編みたい病」を阻止している。
毎冬これの繰り返しだな。

ところで老眼はもう数年になるが
五十肩は今回がはじめてだ。
まだ大きく動かさなければ痛いことはないのだけれど
腕を真上に上げようとしても、腕が耳にぴったりとつけられないし
背中が痒くても掻けなくなっている。
ネットで調べると、痛みが引いても後々支障が出たりするものらしい。

内臓系の故障や後遺症は仕方なく慣れているが、
関節や骨や筋肉など整形外科系の後遺症は
う~ん、うれしくない。
またひとつ病気が増えるみたいな気がするじゃないか!

体の柔軟性には自信があったのだけど
背中が掻けないって不便なものだ。
うちには孫の手がないから靴べらを使ってみたら
とりあえず目的の箇所に触れることは出来たものの
気持ちよくは掻けなかった。
このままいけば、孫の手まで買うことになるのか?

ああ、老化への道筋が見える。
というか、すでに踏み出している。
ああ・・・・・

母性というもの

いろいろ感じたこと
12 /14 2016
テレビがついていて、チラッと見るとSMAPの草薙君が出ていて
相当前に話題になった「僕と彼女と彼女の生きる道」だった。

再放送が始まってまだ二話目で、草薙君が実に感じの悪い
仕事さえできればすべてOKと思い込んでいるクソ父を演じていた。

子役の女の子は母親が家を出て行ったのは自分のせいだと思い込んで
「全部貼ったらお母さんは戻ってきてくれる」と
溜まっているショッピングセンタースタンプカードを一生懸命貼っていた。

クソ父草薙君は仕事しか見ていなくて
自分が娘を大切に考えていない事実に気づきもしない。
母親を失った娘の心をまったく思いやることもない。
それが「娘を愛していない」ことだと指摘されるまでわかりもしない。

しかも娘が懸命に恋い慕う母親までも
「私はあの子を愛してない」と草薙君に告白する。
子供を産んでいなかったら自己実現できていたかもしれないと。

私は夕餉の米を洗う手を止めてテレビの前に立ちすくみ
母親恋しさにスタンプ貼りを一生懸命やっていた子役の女の子がかわいそうで
かわいそうで、泣き出したくなった。

「おばちゃんのとこにおいで!」と言いたくなったおばちゃんたちは
私以外にもきっと複数いるだろう。

そういえばこのドラマが登場した頃
母性神話の崩壊が世に問われていたっけ。

「女性に母性はあるのが当たり前」を否定する考え方は
いまはごく普通のめずらしくもない思考だと思う。
女が子供を産めばみんながみんな母性に目覚めて母親になれるとは
私も考えてはいない。
子宮から分泌される母性系ホルモンが多くないヒトだって
体質的に普通にいると思うのだ。
さらに、貧しさや孤独や悲しみ苦しみ等による環境要因が
ホルモンの分泌を減少させてしまうことだって起こるだろう。

でもね~分泌や代謝に頼るだけでなく
育てることも出来ると思うのよ、母性って。
好きだ大事だ大切にしたいって思いを
自分より上に持ってこられるように努力したら
母性は育ってくると思うんだ。

だいたい私みたいに上がっちゃった女は
そもそもホルモンの分泌なんかほとんどなくなっちゃっているから
そんな自然に頼っちゃいられない。

もう習慣で心がうずいて「おばちゃんのとこおいで!」と言いたくなるんだよね。
「この子はいまおなかが空いているんだ」
「この子はいまとても不安なんだ」と思えば
なにかせずにはいられないじゃない。
無責任だ、短慮だといわれたら、その通りだけどね、
しょうがないじゃない、
おばちゃんはそういうふうにならなきゃ一人前じゃないのよ!

この前北風の吹く寒い駅のホームでね
6歳くらいの女の子とその弟みたいなのが、
どの電車に乗っていいのかわからなくて泣きそうな顔で立ってたの。

電車の中からそれを見た私は急いで降りたんだけど
ほかのドアからおばちゃんやお姉ちゃんたちが4人も降りて
その姉弟たちのところへ駆けつけていってた。

「どうしたの」「どこ行きたいの」「おかあさんは?」とか
取り囲んじゃってさ。
いい景色だったよ。
おせっかいな、たくましく、優しい母性たち。

本心から笑える日

生きていくこと
12 /17 2016
私の病気は若くして発病する人が大半で、
必然的に恋愛や仕事、結婚、出産の時期に重なり
そのゆえに深く悩み傷ついて、心の病になってしまった人も少なくない。

前回の入院でも1人、そういう人に会った。
彼女は30歳になったばかりだった。
世の中にはうつ病、そううつ病の人たちが普通に増えているから
めずらしい話でもないだろうけれど
今回は、心の病気と体の病気がリンクするときに起こる
劇症といってもよい状況を目の当たりにしたので
それを記録しておこうと思う。

彼女は生来頭脳明晰で、
医学に携わる研究者になるべく将来を嘱望されていたのだが
研究室で病に倒れ、そのときから人生が変わってしまった。

いまの医学ではこの病気に完治は存在しない。
彼女は多くの生活上の制限と入院と、
複数回の手術を余儀なくされた。
腹部の病変を切除することは出来たものの
彼女の内臓から膣に至る箇所の病変を完全に排除することは出来ず
彼女は二十代半ばで人工肛門となった。

恋人は人工肛門でも気にしないといったが、
彼女はなにもかもに嫌気が差して恋人と別れた。
実際問題として膣病変は彼女の若者としての性を
是とすることが出来ないし、
大きな腹部の傷跡と、常に袋をぶら提げている人工肛門の存在も
若い女性としての彼女を、徹底的に苦しめた。

彼女に心の病気がはっきりとあらわれたのはその頃だった。

私の入院中、彼女は外来から緊急的に病室に運ばれてきた。
口も利けず、意識も不明瞭で、歩くことも出来なかったが
検査結果では彼女の体の病気それ自体は著しい悪化も見えず
点滴を続けるうちに落ち着いて、2週間ほどで退院が決まった。

調子が良くなった頃から彼女は私のベッドサイドに来て
あれやこれやと長話をしていくようになった。
彼女が好きなイラストを仕事にしていきたいということや
また恋がしたい、きれいになりたい、セックスがしたいという話などを
たくさんたくさん聞かせてくれた。
え、また来たの? ちょっと横になりたいんだけど、と私が思っても
彼女は機関車みたいに、どんどんどんどん話して話して
にこにこ笑って笑って止まらなかった。

体調が落ち着くとともに躁状態になったのだろう。
しかしそれが、彼女の中で悪化する体のほうの病気を隠してしまっていた。

彼女の変調は退院当日の朝だった。
彼女はまったく起き上がれなくなっていた。
あまりに唐突な変化で、芝居かしらと疑いたくなるほどだったが
看護師が彼女の低血圧に気がついた。
彼女はひどい嘔吐を催し、ろれつがおかしくなり、目が焦点を失い
血圧は夜には上が40にまで落ち込んだ。
私は過去入院中、何度もさまざまな緊急事態を見てきたが
これはまさに劇症的な急変だった。
入院経験の少ない同室の数人は、
彼女の凄まじい状態に恐怖を覚えたという。

上が40といえば、死に至りかねない値だ。
彼女は夜中に6人部屋から症状観察室に運び出された。
そして翌日の昼には症状観察室からも姿を消した。

まさか、あのまま逝ってしまったのか。
「彼女どこいったの?」「どうしたの?」
しかし看護師はプライバシー保護の観点から
ほかの患者のことを決して言わない。

同室だった患者たちは彼女が心配で落ち着かず、睡眠不足になった。
夜中にトイレに行くのを怖がり出した者もいた。
あの状況を目にすれば、彼女が死んでしまったと思うのも
無理はなかった。

それが数日続き、ある親身な看護師が、そっと教えてくれた。
「あのあと急に手術になってね、いまICUにいるのよ、
そのうちお部屋に戻ってくると思うよ」

ああよかった、と思うと同時に、私はぽろぽろ泣けてきた。
確かに癖のある子だったかもしれない、
心の病気があって、家族や周囲は振り回されて大変だったかもしれない、
でも、あの子は好きでああなったわけじゃない、
根っこは真面目で素直で、頑張り屋の、すごくいい子なんだもの、
あのまま死んだんじゃなくて本当によかった、
本当によかった。
自分でもよくわからなかったけれど、
彼女が死なずに危機を脱してくれたことがうれしくてうれしくて
泣けて泣けて仕方が無かった。

彼女のところには友達のひとりも見舞いには来なかった。
心の病が、彼女から友達を遠ざけさせてしまったのだろうと思う。
私は彼女とほんの数日間しかともにいられなかったから
こんな風に思うのかもしれない。
でも私は彼女が命の緒をつなげてくれたことがうれしい。
終わりにならなかったことがうれしい。

きっとまだたくさん苦しいことが起きるだろう、
人生においても、病気においても。
けれども、負けないで欲しい。

いつかまた、病院で会うことがあったら、
いくらでも話を聞こうと思っているから。
いっぱい、いっぱい。

生きていれば、必ずいいことがある。
本心から笑える日が来るから。
絶対に。

「私の内面」ばかりのブログ

いろいろ感じたこと
12 /22 2016
普通一般のブログで
年齢や住まいや家族構成や仕事
誕生日や結婚記念日、学歴、出身校、趣味
今日はどこへ行った、何をした、とかの項目を書くと
身元が特定されやすい気がする。
写真がつくとなおさらに。

かといって身元が特定されないようにステイタスをぼやかしたまま
毎日ブログを書き続けると
内面の問題を語る内容が大半を占めるようにならざるをえない。

それがいくら文章の達者な人のブログであっても
数カ月も読み続ければ、読み手は飽きる。
むしろ達意の文章だからこそ、毎回論旨の落ち着く場所が同じになって
読み飽きる。

論旨と言うと難しそうだけれど
「私は結局こういう人間である」
「私は結局こう考えている」 で落ち着くってことだ。
「身元こそ特定させないけれど
中身や思考はさらけ出すわよ、さぁごらん!」
って言われてるみたい。

最初のころはうまさに感激して面白く読みに通うのだけれど
これこれのことが起きて、こうみるとこれこれで
私の場合はああしてこうしてこう考えて・・・と
「要するに私ってこういう人」という記事が連発されると
ああまたですか、と思っちゃって、もう無理だなぁ。

私は身元の特定をそれほど意識はしていないのだけれども
書きたがり語りたがりの悪癖があって
やたらに長くて、内省的な内向きの内容を書く。
無意識のうちに自分自身を語りたがるんだもの
嫌になる、ほんと。
まさに「私の内面」ばかりだわよ。
やっぱり毎日ブログを更新する力量は私にはないなぁ。

身バレを適度に考慮してはあるものの
ニュースやご飯や仕事や学校や趣味や毎日の出来ごとを
サラサラっと書いてあるブログは
「これ読んで読んで!」という筆者の迫力を感じない分
毎日は通わなくても、ふらっと暖簾をくぐるように読みに行ったりする。
気楽に暖簾をくぐれるって、私は好きだなぁ。

神様からのギフト

こころ
12 /26 2016
クリスマスイベントも終了し、「♪もういくつ寝ると~」が流れるスーパーから帰ってきたら
大雪で欠航ばかりの新千歳空港で中国人が抗議で大騒ぎを起こしたとかで
はっきり書くけど
中国人だろうと日本人だろうと、そういう人たち嫌いだなぁ。

大雪は空港スタッフのせいじゃないし、
飛行機が飛べないのもスタッフのせいじゃない。
いつになったら帰れるのか、相当困っているのだろうから
気持ちはわからないこともないのだけれど
暴れるこたぁないだろう。
暴れて雪がやんで滑走路の雪が溶けて飛行機が飛ぶならやりゃあいいけど。

ところで今年のクリスマスには、心境の変化があったんだ。
ここ何年も日本のクリスマスのイベント化にぷりぷりしていたのだけれど、
今年はそれに関してほぼ不快感を感じなかったんだ。

ずっと意識がなくて眠り続けていた妻が聖夜に目覚めたのを
「聖夜に生まれた神様」のではなく「サンタ」の「プレゼント」とか言ってるテレビを見ても
ははは良かったね~、と笑っていられた。

これは私の信仰心が薄れてテキトウになったのか
それとも瑣末なことにこだわらない大きな信仰心に至ったのか
そのあたりははっきりしないんだけどね。
テレビや周囲がなんと言おうとどう思おうと、
真実は変わらないんだもんね。

ところで神様からのプレゼントの中に
「ギフト」とか「賜物」とかいわれているものがあるんだよ。
それはおのおのに与えられた能力のことなのだけれど
「歌」「踊り」「楽器演奏」「詩作」「文章」「絵画」「数学」
などの技能学術的要素以外にも
「いるだけでなごむ」とか「笑顔がすばらしい」とか
「話がめちゃくちゃ面白い」とかいろいろあるんだ。

自分に与えられたギフトってなんだろうなってよく考えるんだけど
まだちっともわからない。
多少文章が書けるかなと、思っていた時期もあるし
入院中には病室の灯火的な役割を担うことも出来ると考えていたのだけれど
決定打じゃないんだよね。

教会にいると、ときどきすごいギフトを与えられた人がいるのを見ることがあるよ。
たとえばさ、日本人は多くの場合「宗教を押し付けられるの大嫌い」じゃない?
私の知るふたりの女性は「伝道」というものすごいギフトを与えられていてね
彼女たちはただ普通に優しさと分け隔てのなさをして、
何人もの人たちに神様を教えて、信仰に至らせてしまうんだよ。
彼女たちを見ていると「その神様なら信じられる」気がするんだろうね。
彼女たち自身が人に信じられる人だからなのだろうけどね。

私はこれからもずっと、与えられたギフトが何なのか
探し続けるのだろうな。
う~ん、でもほとんど多くの人たちが、クリスチャンの大半の人たちでさえも
それがなんなのかわからないまま、生きていくのじゃないかな。

でもきっと確かにあるんだよ。
私たちの目から見ると「そんなの大したことじゃない当たり前でしょ」っていうようなものがさ
実はすごく大事なことでさ
「子供を立派な大人に育てる」とか「一生懸命ご飯を作る」とか
「花をいっぱい咲かせる」とか「お掃除大好き」とか
そういうものだってきっと神さまのギフトなんだと思うんだ。

うん、探さないとね。

大掃除したことないよ

いろいろ感じたこと
12 /29 2016
ハイ、すみません、大掃除しません。
普段の掃除しかしません。

窓なんか拭きません、寒いし、腕なんか上がりません五十肩だし。
カーテンも洗ってません、シーツ洗うのがせいぜいです。
換気扇なんか触りもしません、もともと素人が洗えないタイプだし。
お風呂も特別ゴシゴシやりません、いつもと同じにさらっとです。
ガスコンロもトイレも同様です。
玄関の扉拭き込んだりしません、ドアノブ以外触らないもん。

実は子供の頃から大掃除ってしたことありません。
両親ともに年末年始は激務の仕事だったので、うるさく言われませんでした。
たいして綺麗好きな親ではなかったですし。

いまも怒られないです。
大掃除して正月に熱出して寝込まれるほうが嫌だと言われてます。
それに甘えてひたすらだらだらしています。
それに夫も、それほど綺麗好きの潔癖でもないのでちょうどいいです。

シベリアンハスキーの混じりだった大量抜け毛の黒わんこがあっちの世界にいったので
うちの中の埃、ゴミは激減しましたから
むしろ例年より今はずっと綺麗です。

と、怠け者は理屈をこねるわけです。ハイ

配達員さんおせちありがとう、来年は少し考えます

いろいろ感じたこと
12 /31 2016
ここ何年か○島屋デパートのサイトでおせちを注文しているのだけれど
今年は混雑の報道どおり、まだ届かないよ~

再配達させては申し訳がないので朝から家で待っているのだけれど
到着は夜になるのかもしれないね。
凍ったおせちではないからまぁ今日中に着いてくれればいいとしよう。

でも夜中に着いたら
解凍しなければならないおせちは、きちんと解凍できる時間もなくなっちゃうね。
そういうお宅は大丈夫なのかしら・・・・

宅配便の混雑ぶりをニュースなどで見るにつけ
ネット購入は出来るだけ控えようと思う。
あるいはコンビニに取りにいけるようにしようかな。

年末に駆けずり回っている宅配便の社員さんが気の毒でしょうがない。
病院からの医療品が
クリスマスイブの夜の10時半に佐川急便で届いたときはびっくりした。
配達員は30代くらいの女性でね、車にはまだたくさんの荷物が載っていたんだ。

クリスマスイブの夜だよ、あの配達員さんにだって家族はいると思うんだ、
お子さんが待っていることだって、ないとは言い切れないでしょう?
水商売や医療従事者が真夜中まで働くなら
まだ納得のうえだろうからいいけど、宅配便のパートさんたちが
あんな真夜中まで働かないといけないなんてなぁ。

そのうち大手の宅配業者の中から過労死が出るかもしれない。
だとしたら、安易にネット通販ばかりに頼る私にも責めがある。

・・・・・

いま、おせちが届いたよ。
クロネコのお兄さん、家の前までおせちもって走ってきてた。
車はすぐに走り出せるよう、路地奥の我が家の前までは入ってこなかった。
どうもありがとうって、言わずにはいられなかったよ。
まだまだ配達あるのだろうね。
今年中に家に帰れるのかなぁ、あの人。