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昨夜11時ごろから、午前3時あたりまで
埼玉も台風の暴風雨圏内となり、
洗車場みたいな四方八方から降りつける雨の音とともに
今まで耳にした覚えがない風の音が、
もう、生き物みたいに迫ってきては走り去り、通り過ぎた。
雨戸を閉めていたけれど、あの風がいまにも
雨戸を吹き飛ばし、硬い飛来物で窓ガラスをぶち割ってきそうで
こわかった。

雨風の音がうるさくて、どうしたって眠れそうにないので
ゲームをし、スーパーからとってきた衣類通販のカタログを読み、
ツィッターをのぞいたりした。
ツィッターには、この雨風の音で、飼い猫がひどく落ち着かず
怖がり、すり寄ってきて離れないという書き込みを何個も見つけた。

猫は嵐を恐れるものらしい。
ちょっとした隙によって、嵐の中へ猫が逃げ出さないようにと
注意喚起する愛猫家も複数いた。
家の中よりも外は雨風がもっとひどいはずなのだが
怯える猫たちはとにかく現状から逃げ出したいがために
ややもするとパニックになってしまうのだろう。

死んだ黒いオス犬も、そういう子だった。
図体の大きいのんびりした性質の子だったが
雨が激しく降ったり風がびゅうううっと鳴ると、非常に怯えて
耐えられないレベルになると震えながらくうーんくうーんと鳴きだす。
いつもは自己主張しない子がそのときばかりは決して引っ込まず
助けてくださいと鳴き続け、震えてバタバタ動き回るのだ。

もしも昨晩の台風時にあの子がいたら
風や雨よりあの子の鳴き声がうるさくて
怯えて歩き回る足音が耳について、
かわいそうだけどどうしようもなくて困り果てたことだろう。

何年前になるのか、雷が数日続いたある夏、
黒オスは真夜中の雷がとうにおさまった朝に
犬の散歩にでようとした娘ととうちゃんをすり抜け、
玄関を飛び出し、猛烈な速さで走り去っていってしまった。

黒オスは雷の音が数日来怖くて怖くて
それが収まってもなお恐怖から逃れられず
パニックにとらわれたままだったようだ。

娘はぎゃんぎゃん涙を流しつつ黒オスを探して歩き
とうちゃんも懸命に探して歩きまわり、
諦めかけて自動販売機でコーヒーを買おうとしたそのとき、
とうちゃんに走りよってきたのだそうだ、黒オスがとてもうれしそうに笑いながら。

近づいた後、また走り去ろうとした黒オスの首輪をとうちゃんはすかさず握り
ほとんど家に引きずるようにして連れ帰ったという話だ。
娘は黒オスを見てわんわん泣き、泣きながらひっぱたいたらしい。

(私はその日入院してた、手術の日だった、娘もとうちゃんも
その日に黒オスを探しまわるハメになり時間に遅刻してきた)

昨日のような日は、あの子が天国でのんきにしていてくれてよかった。
けれどこれから何年たっても、
こんな悪天候のたびにあの子をこうして思い出すに違いない。
ううん、雨風のたびにあの子を思い出していたい。
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10 01
2018

昨日、台風がまだ関東に接近していない昼ごろ、
とうちゃんと私は認知症実母のいる施設に秋冬物の衣類を持っていった。
実母は今度の誕生日で90歳にもなる。
以前はひとりでマシンガンのようによくしゃべり
わけのわからない歌を歌い続ける明るい認知症症状を見せていたのだけれど
昨日の母はすっかり大人しくなって、出てくる声も小さかったし、
表情もほとんどなくなり、ただぽつんと座っているだけだった。

母には新しいパジャマとズボンも買って持っていった。
いつも複数枚のパジャマを持っていっているのに、介護の人たちはきっと忙しくて
手近なものばかり着せ続けてしまうのだろう、
去年の秋冬のパジャマが一枚、部分的にぼろきれになっていたからだ。
ズボンも一枚、ポケットから脇にかけて、ざっくり縫い目が割れていて
これもきっと去年はカタキに着させられたのだろう。
洗ってある清潔なものだとはいっても、毎回同じ格好をさせられているかもしれないのは
身内としては多少悲しい部分もある。
だが、これが預けるということだと、線引きをする。

ホールには誰も見ないテレビが台風情報を流しており、
母はただ無表情に椅子に座っていた。
母の隣に私はしゃがんだ。
母を苗字「●●さん」で呼ぶ。
母にはもう過去がないので、私という娘も存在していないから
介護の人みたいに苗字で呼ぶことにしている。
「●●さん、元気ですか、今日は雨ですよ、台風なんですよ」

母は私を見て、よくわからないことをつぶやき、
不思議な旋律に不思議な言葉を載せてひとりごちる。

「●●さん、ご飯食べましたか? おいしかったですか?
寒くないですか? 」
母からまともな答えなど最初から期待していない、
なんでもよい、ただ瞬間に気持ちを通わせるために
母の顔を見ながら思い切り微笑んで細い肩を抱きしめると
母はやっとこさ、にこにこーっと笑い、また不思議な言葉をしゃべる。

秋の終わりごろ、母にはひ孫が生まれるのだ。
母が私を懸命に支えてくれたように、私もいまできる限り
娘の力になろうとあれやこれやと努力協力しているが
それでも私の娘は健康体だし、近くに住んでいてくれるし、
車を運転して自らうちまで来てくれる。

私が母にかけた心配や苦労はこんな比ではない、
比べるのもおこがましい。
重い病気を抱えて子供を産んで育てるという私を
母は出来る限りのすべての労を惜しまず
あらん限りの心を注いで助け支えてくれたのだ。

母が必死に守ってくれた私、
私が通院するたび遠方から幼い娘をみにきてくれた母、
その幼かった娘が子供を産み、私はおばあちゃんになるのだ。
その私がこうして生きられたのは、この母の愛によるのだ。
こうしていくつも命が続いていくのは、
この母が持ちうる限りの愛を惜しまなかったからなのだ。

母の体を優しく抱きしめながら、お祈りをして、
ありがとう、といってみたら、もう涙がとめどなくでてきて
しょうがなかった。
母は相変わらず不思議な歌を小さな声で歌っていた。
もう日本語すらほとんどわからなくなっているのかもしれない。

ひとり小さな声で歌い続けている母を置いて
母の居室に入って衣類の整理をした。
オシッコの拭き残りがまだ床に少し残っていて
臭いが鼻をついた。
てきぱきと衣類を入れ替えるとまたホールにいる母のところに戻り
「●●さん、また来るね」と挨拶をした。
母は笑っているのかな、という曖昧な表情で、ちょっとだけ手を振ってくれた。

少し前にどうにか出来上がったの。
まじめに編んだはじめてのかぎ針編み。
(テキトウに、いい加減に編んだことならあるんだけどね)

古い人間なので、「かぎ針編み」にはダサいイメージを持っていたのだけれど
(わかります? 昭和のかぎ針編みのイメージ、
長編みばっかりの渋い色のセーターやベストを着ていたおじさんとか)
そのイメージかなり変わりました。
かぎ針編みもなかなかいい感じに作れるってことがわかったので
これからはときどきやってみようかな。

301004.png

たださ、かぎ針編みって裏と表がわかりにくいのだわ。
特に今回のブランケットなんか編み物知らない人が見たら、
どっちが表になってもいいような感じ。
そこがなぁ、編み手としてはちょっとナニかな。
もしも、裏返しで赤ちゃんにこれがかけられていたら
私絶対表に戻しちゃう。
よく見ればわかることなんだけど、編まない人にはきっとわかりにくいよね。

さてこれからの編み物なのだけれど
とりあえず、あまったベビー用毛糸でちっこいベストなんかを
テキトウ(今度はまじめにじゃなく)に編み始めたよ。
かぎ針じゃなくて棒針編みでね。
うは~、毛糸が細いからさ、針が細い細いんだわ、でもさ
モノがちっこいのでそこそこちゃっちゃっと出来そう。
(まめに編めばね、でもテキトウだからな~)

昔々、姉に赤ちゃんが生まれたとき
頑張ってベビードレスを毛糸(棒針編み)で編んだのだけれど
毛糸の細さに参っちゃって、ほんと編むのが嫌になった覚えがあるんだ。
でも何とか編み終えてプレゼントしたのだけれど
今思うとさ、きっとへたくそだったね。
あれを着せてくれたかどうかも、私の記憶にはなくってね、
いまあれ、私に返してくれたら編みなおすのだけどなぁ。
姉のことだから、きっと誰かに上げちゃったんだろう。

この前ネットで読んだの。
赤ちゃんが生まれて間もないおかあさんがね
赤ちゃんの手編みのベストをご主人のお祖母さんにもらったんだって。
たしかにね、田舎っぽい昔ながらの手編みベストだったそうだけどね
赤ちゃんのお母さんは、手編みなんかもらったことも見たこともなくて
手編みの内包する「やさしさ」みたいなものを感じて
感動してウルウル泣いちゃったらしい。

そんなこともあるものなのね~
まぁ、産後の繊細な時期だったのかもしれないから
泣いちゃったんだと思うけどさ
泣いてくれるような人にだったら私も手編みをプレゼントしたいと思ったよ。
娘はというと、手編みを見慣れてるせいか
「かわいいね~」のひと言で済んじゃったww

でもまぁ、きっとそれでよいのだわね。
いろいろなものが売っている現在ではさ
手編み製品はどうしたって必要な衣類ではなくて
言ってみれば編み手が「編みたい」からつくるという趣味の品物だからね。
趣味のものを相手が喜ぶかどうかは相手の趣味との共鳴が必要だもんねぇ。

それにしても、やっぱり美しいセーターとか編みたいな。
去年はアランセーターだったから
今年はフェアアイルに憧れちゃうなぁ。
大人が着られるフェアアイルセーター。
この冬は赤ちゃん系の編み物しかできないような気がするから余計にね。


昨日、台風が関東だけをどうにか晴れにしてくれたおかげで
やっと土曜日に休むことが出来たとうちゃんとふたり
栃木県佐野市の佐野アウトレットに行った。

佐野アウトレットは東北自動車道の佐野藤岡ICから見えるところにあって
あしかがフラワーパークも同じインターチェンジを利用するので
実は何回か横に見て通ったことはあるんだ。

今回も時間があればあしかがフラワーパークに寄ろうかなんて
とうちゃんは都合の良いことを言ってたけど、
いやぁ、絶対に無理だわ、と私は最初からわかっていたよ。

だってさ、お買い物って想像以上に疲れるものじゃない?
しかもそれが、「ここも見たい、あそこも見たい」と
次々有名店ばかりが並んでいればさ
1周で万歩計の目盛りも相当いくのじゃないか知らん。

今回はね、晩秋から冬に着られる衣類を何枚かと
とうちゃんの新しい靴
新しい急須を買うっていう目標をちゃんと立てていたんだ。

なにせ3連休だから、高速は渋滞するのじゃないかと踏んで
とうちゃんは下道で佐野アウトレットを目指すことにした。
うーん、往復の高速料金は確かに掛からなかったんだけどね、
もしも高速使って混んでなければ、30分は早く着き
1時間は早く帰れたと思うんだけど、
まぁ、とうちゃんの判断なのでしょうがない。

佐野アウトレットは、半年くらい前に行った阿見アウトレットより古くて
規模も小さいから、阿見よりはずっとすんなりと、
全然迷いもせず、すっとこすっとこ歩けた。

めずらしく私が方向音痴にならず
とうちゃんのほうが道がわからなくなっちゃってた。
とうちゃん買い物慣れないもんね。

とうちゃんは、Tィンバーランドのウォーキングシューズと
同じくワイシャツを、まず買った。
二つで2万円弱くらいだったかな、
定価だと4万近いらしいからとうちゃんは一気にご機嫌になった。

とちゅうで「Jun」があってね、
このブランドは50代男性には高校大学時代の憧れブランドだったものだからさ
とうちゃんほいほい店に入っていくんだわ。
店内にはとうちゃんくらいの年齢層のおっさんがいっぱいいた。
でもさ~売ってる服は昔から「Jun」のイメージを守っていてさ
すらっとしたおしゃれなお兄さんたちの服なわけよ。
決してハゲたり、腹が出たりしたおじさんたちの服ではないのよ。

客層年齢と並んでいる服のイメージの差に気づいたとうちゃんは
「違う!」と一言発して、あわてて店の外に出て行ったもんね。
いや~、店員さんたち、腹の出たおじさん方を相手に
「サイズ」などでご苦労されていそうだわんww
50代男性って日ごろ衣類なんて店で滅多に見ないからさ
若い頃買ったり、欲しかったりした店のものに
ついつい足を運んじゃうんだわねぇ、
若い頃と同じもの着てたらやばいのにね(´∀`*)

えーと、その後まぁいろいろ回ったんだけど
期待してたGャップには、今年の晩夏のものが多くて
結局とうちゃんは生まれてくるお孫ちゃん用にって
綿のニット帽子を買っただけになっちゃった。
以前はGャップってもっとよかった気がするんだけどなぁ。
店員もだれてたし。

Eディバウアーはきっぱりと
去年の販売終了品を売っていると銘打っているからさ
ちゃんとシーズンに合った衣類がいっぱい合ってね
店員さんも感じがよくってナイスだったな~
しかもさ~前年の秋のものの30パー40パーオフの衣類をさ
2枚買うとそこからさらに10パーオフとかするからさ~
ハンパなく安くなったりしたのよ。

私はね、カーディガンとワイシャツ、
とうちゃんはバッグとパーカーを買ったよ、
あわせて2万くらい安くなったんじゃないかなぁ。

あ、急須ね。
ここには「Tち吉」があるの知っていたからね
私はそれが目当てだったんだ、だって楽しいよ~
「Tち吉」のアウトレットは楽しい、大好きよ、きれいなんだもん。

で、これ買いました。
301006.png

急須のふたの取っ手が、うさぎさんなのよ~~~
きゃあきゃあ!!

それとね、それとね、これも一目ぼれ
どんぐりの箸置き!
うれしいなぁ、もう眺めてはニコニコだわよ。

ええと~とうちゃんがゴディバの甘すぎるソフトクリームを食べた後
ようやくアウトレットを出て、
今度は佐野ラーメンを食べに行こうってことになったんだわ。
関東では一応有名なのね、佐野ラーメン。
アウトレットには観光案内所があってさ
そこの人にオススメのラーメン屋さん聞いていったんだけどね、
最初のお店は50人くらい楽勝で並んでてさ(午後2時なのに!)
あせりながら2件目に行ったらどうにか入れたんだわ。

佐野市のご当地キャラ「さのまる」を並べて写真とってみた。
いやー、肉厚の皮に大量に詰め込まれた具がすごかった。
おいしいんだけど浅草のちっこくて高い餃子がすきなとうちゃんには
ここの餃子は食べ甲斐がありすぎたみたい。
301006-2.png

で、ラーメン。
あっさりすっきりの昔ながらのラーメンで
とうちゃんは非常に喜んで食べてたよ。
お年よりもいっぱい来ててね~、
この味ならお年よりも安心して食べるだろうなって思ったよ。
たださ、なんでこんなにどんぶりの口ぎりぎりまでスープ入れるのか
その意味がわかんなかったんだけどもね。
301006-3.png

と、言うことで、5月以来、久しぶりのお出かけとっても楽しかったんだ~
今度は紅葉を見に行く予定なんだ。
その日もよいお天気だったらいいんだけどな!
10 11
2018

あのさ、病気になる人は少なくないし、
その病気が治らないものだったりする場合だって
ものすごく珍しいわけでもないし、
元気だった人が高齢になって重い病気になって亡くなることも
珍しいことなんかじゃないよね。

でもさぁ、20代、30代、40代くらいで
すこーんと命を落としてしまうとか
病名が分かるまでに月日がかかるような複雑な病気になるとか
あるいは病名がわかったところで治療法がないとか
そういうことってさ

普通一般世間に暮らしているとさ
それほど頻繁に見聞きすることじゃあないと思うんだよ、
自分の身近なところにはね。

でもさぁ、どこもそうだと思うんだけど
教会って、どうしてそういう人多いのかなぁ。
本当に多いの。
病気だけじゃなくってね、たくさんの災難が
いろんな形できているのを
いやというくらい見聞きする。

むかし、カトリックの曽野綾子がさ
(いまはヘンテコリンな説をがんがん書くばあさんになったけど)
重たい眼の病にかかってさ
失明するかもしれないってときにさ
こう考えてたっけ。
キリストはすべての人間の罪を背負って十字架にかかったが
あれから2000年も過ぎて人間の罪はますます増えて
イエスの十字架で背負いきれない罪を購うために
私はこの眼の病を与えられたのだって。

まぁ勝手に思って下さいって感じだけれどもね、
曽野綾子みたいに考えたら
与えられた災禍や病苦に対する姿勢が
少し違うのかもしれないなって思う。

理由もなく苦しみに遭わされるのって
人間なかなか納得できるものじゃないからさ、
その理由を与えられれば、違うよきっと。

その苦しみは試練という名前でね、
試練は人間を磨くのだって。
磨くために、神様は人間を試練に合わせるのだって。

人間は神様からの試練に歯を食いしばって耐えると思う?
神様はそこまで望んでないんだよ。
助けてください、この試練を取り除いてくださいって
泣き叫んでかまわないんだって。
恥も外聞もなく、小さい子が母親にすがりつくように
わんわん泣いて助けて助けてって
すがりついてかまわないんだって。

だって子供が母親にすがりつくのは
母親をとにかく無条件に信じているからでしょ、
神様は人間が「パパー」とすがりつくのを
待っているのだって。

そんなふうに教えられていてもさ
やっぱり現実の苦しみは出来れば与えられたくはないよね。
願わくば苦しみの味を忘れていられる生活がしたい。
子供のように神様にすがりついても
「おいで」とそのまま命を取り上げられることもあるし
「もっと磨こう」って試練を強められたり長くされたりすることもある。

理不尽だなぁって思うよ、苦しい時は特にね。
確か「大草原の小さな家」にこんなセリフがあったっけ。

「楽しいことは喜んで受けるくせに
苦しみや悲しみは受けないつもりなの?
同じ神様からなのよ」

そうね、とにかくどんな試練にも
全幅の信頼を損なうことなく
天を見上げて神に祈ることをしなければいけないわけで、
ちょっとでも揺らぐと
そこからめざとい悪魔がつけいってくるわけでさ。

それでもさ、教会の人たちに
よくもまぁ次々と
いろいろな試練をお与えになりますものよ、神様は。

NHKの朝ドラ「まんぷく」が、とてもよい感じに発進している。
長年朝ドラを見てきた身としては、飛びぬけて面白そう、というほどでもないのだが
前作があまりにアレだったために、余計に安心感がある。
ただ一点、松坂慶子演じる母親が、娘の人生にあれこれ口出ししすぎるために、
自分の母親を見ているようで苦痛に感じる視聴者がちらほらといる様子だ。

それともうひとつ、主人公の姉、
母親よりもずっと頼りになるしっかりもので家を支えてきた長女が
やっと結婚して自分のシアワセを手に入れたと思ったら
結核であっという間に重症化して、
今朝にはあっという間に亡くなってしまったのだが
この「結核」という病気に関して、ツイッターでは
「結核は隔離しないといけないはず」
「なんで普通に会話してるの? 感染するでしょ?」
「天皇の料理番でも結核のお兄ちゃん離れにいた」とか
「まんぷく」の長女が隔離もされずに病院に入院しているのが
しんじらんな~い的な書き込みがちょこちょことなされていた。

で、私が今日書きたいのはそこ。
私の父親が結核だった。

なんでも戦争前に父親は結核にかかったらしいけれど
幸運にも軽症で済んだのか、生き残った。
祖父の仕事柄、栄養のある食べ物を入手しやすい環境にあったからかもしれない。
今現在隔離隔離という人たちは、当時の結核発症者の数の多さを知らないのだろうが
結核と診断された患者を全員結核療養所に隔離することなど
到底不可能な数だったそうだ。

ツイッターには患者が出た家の人は世間にも忌避されてたはずなどもあり、
ハンセン氏病と勘違いしているのではないだろうか。
あるいはどこかの地方ではそんなことがあったのか。

ネットでそのことを調べてみたら壇一雄の「リツ子その愛・その死」
に触れている人がいて、
ああ、これは私が一生涯放さないぞと決めた本なんだよなぁと喜びつつ読んでいたら
なんとこれも「絶版」であった。
(でもkindleでは買える!!!!)

壇一雄の話しはずっと昔にこのブログでも書いたことがあった
その壇一雄が最初に結婚した相手が律子さんであった。
蜜月の頃はそれはもう親密で親密で、お見合いでもこんなに仲良くなれるんだ
とさえ思ったくらいなのだが、壇が戦争に行き
戦後やっと戻ってくると、愛しい妻の律子は結核になっていた。

壇一雄という人に関する論評やエッセイ、小説などを読むと
女性としては到底お近づきになりたくない男なのだが
この最初の妻との出会いから死までを描いた本書は
彼が普通以上に愛情深いのだということがわかる。

戦争から帰ってきた壇一雄は、結核の妻の世話をひたすらにし続ける。
飯を作り、洗濯をし、体を拭き糞尿の始末をする。
妻の病状はどんどん悪くなるが、妻は命を諦めない。
「こんなになってもまだ生きようとするのか」と壇一雄が思うほどに
ぼろぼろになってもだ。

この「こんなになっても生きる気か」という感情を
真実書き得た作家はそうそういない。
病を持つ私はこの作品に自分の根っこをぐらぐら揺さぶられた気がした。

ちなみに、本書の結核は肺結核ではなく腸結核のほうだ。
あたりまえだが結核菌で、
肺結核の菌が咳で飛ぶのと同様に、結核菌は便に混じる。
壇一雄はその便を始末し
子供に食べさせるご飯も炊く。
当然だが結核でも入院による隔離はされていない。

今現在、開放性の結核だった場合に自宅で治療する人はいないだろう。
私の父親も60代後半での結核再発の際は
診断がついたらそのまま清瀬の療養所に送られ2年ほど入ることになった。
娘は生まれたばかりで、結核がうつっているかも知れないからと
まだ小さいのに何度も何度も注射されるはめになった。

人にうつらない結核は今現在も普通に生活し、
投薬と休養で治癒を待ち、当然隔離されはしない。
今日もそれなりの数は存在している。
私も学生時代にふたりほどそういう友達がいた。
大学時代のゼミの教授は、
若い時代に4年ほど療養所に隔離されていたと聞いた。

結核=隔離と想像する人は結核になったリアルな人たちを
ほとんど知らないのかもしれない。

いわゆる「ガーデニング」が流行し始めた20年くらい前だと
この季節、秋というのは本当に花が少なかったような気がする。

自分の庭を持ったのがちょうどそのあたりだったので
郊外型の巨大ホームセンターに出かけては
花の苗を買い込んでいたからよく覚えているんだ。

秋にはね、春に咲く球根類や種はたくさん売っていたけれど
今現在花の咲いている苗といえばパンジーが主流でさ、
秋の花壇って寂しいなぁって、つくづく思った。

ところがぎっちょんちょん、
うちの門扉脇にある植え込みは現在花盛りなんだ、ニコニコ

301015-2.png
301015-1.png

いや、これって右側から写したのと左側から写したもので
同じ場所なんだけども、2枚乗せたくなるくらい咲いてるんだぞというわけで。

ここは夏場、こんな感じだったんだよ。
7174.png

植えてある花もまったく同じでね、
オレンジ色のマリーゴールドが落とし種からまだ芽吹いていなかったとこが
違うだけなんだ。

真夏にどーんと咲き誇っていたニチニチソウが
秋になってどんどん元気になってきたアンゲロニア(紫)と
ペンタス(ピンクと白)の勢いに押されているのが今現在。

ニチニチソウもきれいだったけれど、
やはり気温が下がると花の色がぐっと冴えて美しいね。
アンゲロニアなんて同じ花とは思えないくらい鮮やかになった。

今の季節にこれだけ華やかに咲き誇ってくれているのが
とってもうれしいんだな。
ペンタスもアンゲロニアも別に秋の花というわけでもないんだけれど
10月の半ばを過ぎてなおこれだけ元気に咲き続けてくれているから
今年は初夏に植えた花の種類が、うまくいって、
長く楽しめているというわけなんだろうね。

さて、これからの季節はパンジー、ビオラが中心になるのだけれど
あれらには正直少し飽きちゃった感じがあるんだよ。
でも日曜日の朝にNHK趣味の園芸見ていたら
ビオラの寄せ植えをやっていてさ、
基本的に寄せ植えはあまり好みではないんだけれども
冬も来るし一鉢位はビオラあってもよいかなと早速作ってみたんだよん。

301015-3.png
うんとね、テレビで言ってた三角植えというやつ。
ビオラは花数を増やすためにほとんどちょん切っちゃったので
花がなくてとっても寂しいのだけれど、
植えてすぐよりそのうちよくなるのを楽しむのが園芸ってモンだわよ。

それからメキシカンセージがとりあえず咲き始めてる。
301015-4.png
これこそ去年、花壇がさびしくて仕方なしに植えた花だったのだけど
まぁ~そこそこ放置してたのに元気に咲いたわ。
この何とかセージって言う花たくさんの種類があって、
うちのあたりじゃよく見かけるんだよ。
でもさ、放置でよいからって手入れしないもので
丈が1メートルは楽に越えてる場合が多くってさ、
それは嫌なのでね、7月はじめに摘心したおかげで
ちょうどいい丈になっているんだなぁ。
ハーブだから、いい香りもするよ~

そうそう、とうちゃんはフリージアがすきでね、
(香る花がすきなんだよ、とうちゃんは)
それでこの間一般的な黄色いフリージアの球根を買ったわけよ。
で、植えた。
植えて3日目に、なんともう芽が出ちゃったんだよ!
で、今こんな感じ。
大丈夫なのかい、これ?
301015-5.png

本当は深く植えつけるべきなのだけれど
鉢だから球根1個分だけの深さにしたんだよ、
そしたらこんなに早く出てきちゃって、
こんなんじゃ真冬にはどうなっちゃうんだろう、心配。

それからミックス種を古い土に蒔いた。
丈夫なんじゃあないかと思って全部再生土に蒔いたのだけど
う~ん、みんな細かい細かい土になっちゃっていたからねぇ
最初は良くてもやがて目詰まりして育ってくれないかもしれない。

そうなったら、なったときのことだけどさ・・・・
やっぱり咲いて欲しいなぁ。



義父がねぇ、弱ってきちゃっててさ。
それはもうね、80代も半ばになるわけだから
しょうがないっちゃあ、しょうがないんだけどもさ。

義父は自分がどんどん体力落ちて弱くなってきてるってことは
十分自覚しているわけよ、
自覚しているんではあるけどね
まだ「そこらへんのヨボヨボ爺ではない」とも思っているんだよね。

確かにね、来年の更新まで車も運転する気でいるし
仕事面ではとうちゃんの知らないこともいろいろ知っていて
とうちゃんに頼りにされているところもある。

でもねぇ、生活面においては、義父さんもうほとんど一人では
寝食もままならないというか、
義母さんがいないと到底無理という段階に入っているんだよ。

実はね、そこが最大のネックなの。
特に食事。
義父さんは胃癌で胃を半分以上切り取っちゃってから
食の問題がとても大きくなってしまったの。

胃を切り取った人たちが術後にさまざまな障害を抱え込んでしまうのは
決して少ないことではないんだよね。
それらの多くの障害を落ち着かせるには、とにかく徹底的な食事管理と
食事療法しかないのだけれども
義母さんは、それをこなせるだけの知識がないの。
胃切除後の食事のためのレシピ本とか、そういうものは
娘も仕事柄探してきてプレゼントしたのだけれど

・・・・・とても残念なことだけれども
義母さんは本を読んで学び覚えるということを
過去もほとんど経験したことがなく、
60代を過ぎてからはなおさら、それをする気にはなれず
いわゆる「おかゆ」とか「うどん」とか「煮魚」とか
一般に「病人食」みたいなものでやり過ごすつもりだったみたい。

でもね、義父さんの胃切除後の症状は、
風邪の人間が食べる食事みたいなもので済ませられるわけはないのね。
術後は「食べられない」「欲しくない」が常に根底にあるようになって
さらに好き嫌いも増えたのだけど、義父によると
好き嫌いではなくただただ「食べられない、飲み込めない」のだそうだよ。

義父は炊事なんてしたことがないからさ、食に対する感覚が幼くてね
目で見て欲しいと思うもの=食べられるもの、と思ってしまう。
だから簡単に言うのよ「どこそこのステーキ肉」
「どこそこの鉄火巻き」なら食えそうだ、なんてことを。
義母はいそいそとそれらを買ってくるのだけど
結局義父は箸もつけづに「食えない」となるの。

義母は一生懸命義父の希望を聞いてかなえようとするのだけれど
義父自身は自分の胃袋をよく理解してないから
結局食べられなくて、どんどんやせて衰えていくの。
痩せて動けなくなって不機嫌になって依存が強くなり
望み通りにならなくてさらに不機嫌になり、
もう悪循環だわよ。

確かにお義母さんの勉強不足はあるけれども
それでもさ義父さんは作ってくれている人、用意する側の労を
もっと考えてあげなきゃいけないんだと思う。
でも無理みたい。
お義父さんは自分の不調で手いっぱいだから。

でもさ、そんな日々が重なると、義母の方が参っちゃってね、
ときどき「うつ」っぽくなってきてしまった。
この義母を解放させるために
義父をたとえばデイサービスとかに行かせるのも一つの方法だと思う。
でもね、だめ。

義父は自分を「そこらのヨボヨボ爺」とは違うのだって思っているから
まだ自分で車運転できるうちは行かないって言ってる。
きちんと設備の整ったお風呂に入りに行く、くらいの気持ちになってくれると
お義母さんも助かるのだろうけどねぇ。

実際よく聞くよ、「そんなところに行けるか!」という
ご老人の話はさ。
でもさぁ、せっかく介護保険料払っているのだから
ひとつ使ってやろうか、これも社会勉強だ、くらいの気持ちになれないものかしらね。

義母はもともと義父にたてつく人ではなかったのだけれど
このごろさすがに強烈な愚痴や文句を発言するようになって
義父は義父でこれらに激怒して、
これまでの信頼を義母に対して一気に失ってしまったと言っている。

ああ難しい。
どうしたって無理なのかも、老老介護だもの。
間に入って誰かが助けてくれなかったら無理だよね。

仲良く年をとるのは、ほんとうに大変。
仲良くいるためにこそ、デイサービスなどの各種サービス事業を
進んで使うくらいでちょうどいいのかもしれない。

とうちゃんは働き者なので5月の函館旅行の前から
仕事がいっぱい詰まっていて
それがどうにか落ち着いた感じになった先日の土日
やっとこさ宮城県の鳴子峡に紅葉を見に行けたんだわよ~

今回もク●ブ・●ーリズムで行ったんだよねー
どうしてかというと、新幹線が大宮駅(埼玉なのよ)で途中乗車できるから~
だってさー、うちから東京駅って2時間はかかるんだもんなー
バス旅行なら春日部からも乗れるのも\(^o^)/

ただね●ーリズムの旅行では1度失敗したことがあってさ、
それがミステリーツアーだったのよ、
確かにテレビで何度も取材されてた人気ある店でご飯食べたんだけど
いや~、「酷いのなんのって、まぁ」だったし、
わけのわからない「石」売ってる店に連れてかれたりして
もう二度とミステリーツアーには行くまいと誓ったもんね。

でもね、前回5月の函館はとてもよかったので
今回も期待して行っちゃったんだ。
でもさーでもさー、宮城行くのになんで福島で新幹線降りるんだか
バスでの移動が長いんだわよ、
ただでさえリクライニング禁止されて狭いバスなのにさ~

301020.png
昼ごはんの笹かまぼこ屋さんでお店の人に写真とってもらったら
後ろが伊達政宗だった・・・・
もしかしてインスタ映えのためにわざわざこのような?


今回はなんといっても、バスガイドさんがネックだった。
70近いのじゃないかっていうおばあさんだったんだよ。

ご老人だからなんだろうね
同じ話を1分も過ぎないうちに繰り返すんだ、
もう完全にお年寄りのお茶のみ話につきあってる感じだった。
内容は伊達政宗と仙台の本間氏と、おしんと
白虎隊と東日本大震災の話だけなの、
移動時間全部あわせて7時間あまりの間に
それらを東北弁で何度も繰り返されちゃって、もう大概くたびれた。
とうちゃんなんか、ガイドさんの声がトラウマになったって。

しかもさー、間違いがけっこう多いのよ、
日ごろから年寄りの話し相手になることが多い私としては
旅先まで聞き役になったり間違いを受け流したりって、
けっこうつらい。
好人物には間違いないんだけどね、
バスガイドさんとしてお願いするのはどうなんだろ。
うーん、やっぱり東北はバスガイドになる若い人が少ないのかなぁ。
紅葉の季節はそのガイドさんでも、何度もお仕事出るそうだよ。

宿泊した鳴子温泉ってね、こけしが有名だし
日本の源泉の11種類のうちの9つが経験できるという
レベルの高い温泉地なんだよー
301020-2.png
駅前にあった手湯に手を入れたらさ、全身あたたまるような
とっても素敵なお湯だった。
もう3年近く温泉って触れてないので、シアワセ感じて大騒ぎしてしまった


でもさ正直言って相当なもんだった・・・街の衰退の度合いは。

ホテルという名のついた旅館に泊まったのだけど
働いている人は、みんな人がよくて、ご飯はさすが宮城県だから
米がめちゃくちゃ美味しかった、
お料理もとても頑張っている感じがしたよ。
お湯は当然すばらしかったそうだよ。
(私は点滴してるので温泉入れない)

でもねー、トイレと仲良しの私にはかなり無理だった。
和式を洋式に変えたのだろうね、トイレが狭くて、
まぁいろいろと難だらけでねぇ。
室内の床には妖怪鳴家がいて、歩くと軋んでね、床がゆがんでいるのが
足裏に伝わってくるくらいだった。
洗面所の明かりが暗くって、化粧が出来ないってのも初めての経験だったなぁ。

マイナス点だけ書いちゃったけど
鳴子峡はさすがに名勝、人間の造成物なんぞ
目じゃないって具合に、それはそれは景勝地だったー
あと3日ほどしたら、もっと濃い赤や黄色になるらしいけど
いやー、鳴子温泉街では通行人には会わなかったけど
鳴子峡は大賑わいの大渋滞だったもんね。
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ほかに安達太良山にも行ったのだけれど
こっちの紅葉はもう終わっちゃってる感じだった。

どうなんだろうなぁ、今回の旅行は。
ガイドさんとホテルのおかげで印象には残ると思うんだけど
それがいいのか悪いのか。
少なくともとうちゃんは、いまだ頭から消えないガイドさんの声を
とにかく忘れたいらしい。

そんなに安い値段の旅行ではなかったんだけどなぁ。
とうちゃんは、東北はもう結構になってしまったよ。
紅葉のピークだからこういうことになっちゃったのかしらん。

まぁたまには、こういうこともあるんだね。






ここのところ晴れていたからさ家中のカーテンを洗ったんだ。

まず煙突みたいにタバコを吸うとうちゃんの部屋のカーテン。
濃い色のカーテンと、レースカーテン
塩素さらし禁止の濃い色のカーテンは漂白できなかったけど
(かわりに多めの香りつき柔軟剤を投入した)
レースカーテンはもちろんばりばり漂白したよ。

干す場所がないから、一日ひと窓と決めて洗濯を続けたけど
晴れが続いたおかげで、どの部屋のカーテンもみんなきれいになったよ。

でさ、
わかったんだ。

私いま、元気なんだ、体力あるんだって言うことがね。

これまで私、カーテン洗うのって一仕事だと思ってた。
埃だらけのカーテンはずして
洗って干して、またカーテンをかけてという
その一連がすごく大変ですごく体力を奪われてた、これまでは。

まず、腕を高く上げてカーテンをはずすだけで、
とても疲れてた。
洗って重くなったカーテンを干すのも、楽じゃなかった。
乾いたカーテンをレールに戻す作業、これがいつも、すごくきつかったんだ。
10分ちょっとくらいなのだろうけど、
たったそれだけの間、腕を上げて作業すると
もう半日何もしたくないほど疲れてしまっていたんだ。

ばかみたいでしょ、
元気な人、強い人、健康な人には理解できないでしょ、
でもリアルだったの。
本当に肩から先が抜けるようになって
全身の力が抜けちゃう感じだった。

腕を肩より高く上げて作業するのが
よっぽど苦手なのか、筋肉なさすぎなのかな。
基礎体力が低いことは理解はしていたのだけど
あの作業は本当に、全身の力が削られるようだった。

だからうちのカーテンは年に2回洗ってもらえれば幸せな方で
ひどい時はまるまる1年埃にまみれたりもしてきたんだ。

それがね、今回は違ったの。
あれ、カーテンってこんなに簡単に楽に扱えたのかしら
って、なったてたの。
腕を高く上げて作業していても、そんなに苦しくない、
息も切れない、めまいもしない、腕のだるさも大したことない。

24時間高カロリー輸液点滴をはじめて2年と2カ月。
その間体重は45キロ当たりを維持出来ている。
私きっと、基礎体力がきっちり上がったのだね。

ありがたいなぁ、うれしいなぁ。
ねぇ、みんな普通の体の人たちは
こんなふうなことが楽に出来てしまうのね。
私これまでカーテンの洗濯に
楽だ簡単だって感覚一度も持ったことなかったから
うきうきとうれしくなっちゃった。

私のいまの体、
チューブがついてたり袋がぶら下がったりしてはいるのだけど
病気になって以来、こんなに体力充実していたこと
きっとなかったと思うんだ。

この恵みは永久じゃあないってことくらいわかっているけど
それでも
こんなによい50代半ばを下さった神様に
ただもう感謝をするの。

それでね、
にこにこするの、きゃあきゃあ声も出すの、
けらけらしたり、くすくすしたり、
笑うの。

テーブルの上に柿があったら、にこにこ撫でてるの
りんごがあっても、いい子ねって撫でてるの
ウサギの急須にも、かわいいかわいいって撫でてるの
とうちゃんは「あらいぐま」だっていうの。

私はなぜだかうれしくて、きゃらきゃらしてるの。
笑うの。
よろしく
ちやこ。 いまのところ50代。
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