FC2ブログ

オプジーボ

いろいろ感じたこと
10 /05 2018
ノーベル生理学、医学賞を本庶博士が受賞なさったということで
テレビではその功績業績をたくさん流し続けてくれたので
博士の研究結果からいち早く日本で使用されるようになっていた
抗悪性腫瘍剤のオプジーボの薬価が
どーんと4割も下がるのだそうだ。

報道では、言葉に慎重を期して説明する番組もあれば
まるで夢の新薬登場みたいに能天気に報道するところもあって
日本に山ほどいる癌の患者さんやその家族たちが
情報に一喜一憂して振り回されてないとよいなと思う。

オプジーボの薬価が下がっても、
一般庶民にはなかなかに厳しい値段であることは間違いがない。
さらに、この薬がすべての癌に適用されるわけでもない。

テレビの報道を希望的に受けすぎた人々、あるいは藁にもすがる勢いの人々は
「どうかオプジーボを!」と
病院につめかけているのではあるまいか。

しかし私が今日書こうとしているのは
オプジーボが世に知れ渡って、テレビでもてはやされても
病院に問い合わせるどころか
金銭的な問題で治療をあきらめざるを得ない人々のことである。

そんな人はいないと、思っている人の方が多いのかもしれないが
実は普通にいるのだ。
癌になっても病院で治療を受けずに、
受けられずに亡くなっていく方々は。

オプジーボの効果が何度も報道されて
私が最初に思ったのは
癌治療を受けられずにいる人々の気持ちは
どんなだろうかということだった。

後期高齢者とか、いろいろと医療費を削減出来る方法はあるが
癌進行が遅くならない年齢の人たちは
たいていの場合そこに引っかかることが出来ず
有り金はたいてなお医療費が足りずに
ついには癌治療そのものを止めてしまう場合もある。

あるいは癌と診断を受けたけれども
貧しさのゆえに通院が出来ず
短い間に亡くなってしまった人々も見て来た。
この日本で、この時代に、医者にかかれない人たちがいるということを
リアルに知る機会は一般的には多くはないだろう。

だが金銭的な問題で
子供にご飯を思い切り食べさせてやれない親がいるのだから
癌治療なんてとんでもない話だということは
想像に難くないはずだ。

日本国憲法 第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、すなわち「生存権」にある
「最低限度」には高額な癌治療はおおよそ含まれはしない。
現実は、いつもたいてい厳しい。
関連記事
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

そうかあ……

私は医療費の増加ばかり考えて気を揉んでました。
薬がどれだけ高額でも 個人負担に上限がある以上
「二割の人しか効きません」と言っても 全部の人が使うだろう。
そうなったら医療保険制度はパンクする。
かつて、その「二割」と「二割を特定できない今の技術」を
批判的に報道していたくせに
今回のこの手放しの賞賛はどうよ と。

でも そうか。
上限のある負担でも負担は負担だものね。
昨日の新聞に癌などでも障害者認定は受けられるけれど
発病から1年半待たなければならないとかで
申請の翌日に亡くなったという話を読みました。
緊急搬送されても入院を断って帰宅する。

諦めるしかない人にとっては拷問のような報道ですね。
切なくなってきました。

Re: ウロさん

有効で高価な新薬の登場は確かに医療費の増大と結びつくかもしれませんから、いまのところそれなりの線引きがつけられている模様です。
すべての癌ではなく、ある一定の部位や段階や症状などの条件などを満たした後、ほかの治療法が効果なしと思われた場合に使用されることが多い様子です。
とはいっても、ここまで厳密にすると、重篤な人ばかりになりかねないので、実際はもう少し緩やかに使用されていると考えて良いと思います。
ですので、使って欲しいと訴えても、使ってもらえない人もたくさんいるでしょうね。

そもそもが、経済的に癌の治療が出来ない患者も気の毒ですが
治療費をもちろん払おうとしているのに使用はまだダメといわれる患者さんも、かわいそうですよね。
昔から、癌患者に対して国は思いやりのない態度をしてきているんですよ。
数が多すぎるだけでなく、治療が多岐にわたり、かつ難しいからなのでしょうね。
それでもこの数年、徐々に変わりつつあるのは。すごいことだと思っています。