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偏狭な読書感性

読んだ本の感想
10 /07 2018
むかしむかしは、本読む子供で
むかしは、本よむ少女で
10年前なら、本読むおばさんだったのだけれど
本読むおばあさんにはなれないとはっきりわかってきた昨今、

本の内容の理解度においても著しい偏向があったことを
今またあらためて思い知らされてしまって
へこもうか、へこむまいか、いや、
この程度でへこむ私じゃないやと開き直った今日の午後です。

私はとあるブロガーさんの読書について
以前から敬意を持って拝見してきたのですけれど
そのブロガーさんが、しびれた100冊を選び出すことをはじめて
昨日の「コレクター」に関する賞賛はまだ理解できたのですが
その前に選び出したアゴタ・クリストフの「悪童日記3部作」を
賞賛感嘆絶賛してなお余りあるブロガーさんには
後ろめたい気持ちで、ぺこりと頭を下げたくなったのでした。

アゴタ・クリストフの「悪童日記」は日本語訳された当時から
一部の読書家の間に大変な衝撃を巻き起こして
たとえば糸井重里も、自作のゲームキャラクターの名前に
「悪童日記」の双子の名前をつけたりして
その「どっぷり」な様子を思いっきり表現していたし、
「悪童日記」に関しては名高いプロ評論家や
素人有名読書家なども口をそろえてその凄さを書いたり語ったりしていたのですが

ごめんなさい、
私、あれちゃんと通読はしたものの
読むたびに「ああ読みづらっ!」とか「ああ、もやもやするっ!」とかで
衝撃という衝撃はあまり受けなかったのです。

悪童日記を読んだころは
ギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」や
パトリック・ジュースキントの「香水」とか
ありえない展開の物語が続いていて神経が麻痺していたのか
あるいはがきんちょの頃から
アメリカやヨーロッパの反戦小説を好んで読んでいたせいもあるかもしれないし
同時期あたりにユン・チアンの「ワイルドスワン」が出て来て
事実は小説より奇なりを世界中にかっ飛ばしちゃったので
私の好奇心はそっちにもって行かれちゃったのかもしれないです。

でもね、いくら弁解したところで
私にはきっと「悪童日記」を理解できる感性も脳みそもなかったのだと
断言します。
私はあれを読んでいてただただ苦しく、息が詰まるような閉塞感を
覚えるばかりでした。
私は、子供が大人にも社会にも保護されず、
踏みにじられ、純粋でもなく美しくもなく、
じわじわと生き続けていくタイプの物語がとても苦手です。
なぜ苦手なのか、どうしてそれがはじまったのかわかりませんが
ただただ、嫌で嫌で逃げ出したくて仕方ありませんでした。

名作傑作と世に言われて、
買って読んで見たところ、自身には何の感銘も残らなかったという本が
私には少なくないように思います。
そして私が偉く感動して
生涯はなさないと誓った本の中には絶版となったものが複数あります。

私の小説類に対する感性はとても偏狭だとあらためて思います。
両親が普通の人の普通のおうちに育っていないことと、
十代で予想もしなかった病禍に生きるよりなくなったことも
多少の関係があるのかもしれません。
しかしながらきっと、私自身がそもそも
文学を理解しようとしない、自分の好きなものだけ理解する、という
脳足りんだからだと思うのです。

悪童物語、再読しようかとせめても思えばよいものを
ちっともそうは思っていないまま、夕方になりました。
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