哀しみのときに思うこと

神様
05 /26 2012
FC2ブログの訪問者リストの記録を消したことがなかったので
どれちょっときれいにしてみようかと足跡をのぞいてみたら
全然知らない人がいたので
なんとはなしに興味を感じて飛んでみた。

そしてとんでもなく後悔した。
今まで見たことがないほど、醜く恐ろしいものを見てしまった。
アメリカの学生が面白がって投稿したのであろう、いじめの動画であった。

話に聞いたこともあるし、テレビドラマで見たことはあっても
実際に起こっているその状態を見たことはなかった。
書くこともはばかられるほどその方法は残酷で
人間の尊厳を完膚なきまでに踏みにじるものであった。
その下劣きわまるいじめの後の、
被害者の悲しみと諦めに満ちた表情を、私は一生忘れないかもしれない。

私は席を立ちあがると、こんな祈りを口にしていた。

あの少年がどうか、もう二度とこんないじめに遭いませんように
彼の傷ついた心と自尊心が出来るだけ早く癒されますように
どうかあの少年を助けてあげて下さい。
非道ないじめをした少年たちには、あなたの正しい裁きがくだされますように。



私は右の頬をたたかれたら左の頬を差し出すべきクリスチャンである。
7回の70倍、人を赦せと、イエス・キリストに教えられている。
しかし、私は動画の中に見たあまりの行為を許せなかった。
クリスチャンとしては不合格である。

だが私は、許せない自分をなぜか反省できない。
いじめ被害者のあの孤独と悲しみのまなざしを見て、
いじめた側を本心から赦すことなど、私には到底できないし
強く言えば、「赦そうとも思わない」。

「いじめた子たちをお赦しください。
彼らはなにもわからずにやっているのです」
なんて祈れる人がいたとしても、私は同意もできないし
もちろん否定もできないだろう。

ときどき神様の与えたもう試練は、人間の小さな器と弱い体には大きすぎると思う。
その試練がなんのために与えられるのか、
小さな人間たちにはわからない。

あんな酷いいじめに遭わされている子が存在し、
世にはいたるところにとてつもない苦しみや辱めや痛みがある。
とどまることを知らぬ人間の文化文明のたどり着いた
ネットの中に平然と、当たり前のように存在する
悪意と敵意、醜い言葉と徹底的な嘲笑。

そんな汚れに日々にまみれつつ
「神に栄光あれ(ハレルヤ)」と賛美するしかない私にとって
神様の意思は多分死ぬまで分からない。

この世があまりに分からないから、天国はある。
すっきりと、すべてが澄み渡った天国がある。

茨の冠

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コメント

非公開コメント

なんということか・・・

私のところには そういう感じの足跡はなさそうです

なんちゅうこっちゃ
ありえんよなぁ
でも 現実にはあることなんだ

壊れちゃった人間というのは いるんですよね 悲しいことに

レモンの木さん

今日はね、ペンテコステという日なんです。
聖霊降臨の日なんですよ。
今日の教会の説教でがっちがちに何度も牧師が言いました。
「キリストと契約したものは過去現在未来の罪すべてから解放されている!」・・・・
釈然としない部分あります。
いじめた側の子にもいろいろ家庭事情とか会ったのかもしれないとは思うんですが、
被害者の痛みを思ってしまってなかなか
「あのいじめた子も罪から解放されている!」とか思えなくって。

きっと神様は見事にそのあたり、きちんと対処されているんでしょうけれどもね。

当分動画は見ないことに決めましたよ~