高次元の魂

いろいろ感じたこと
04 /24 2013
先日読み終えた本に「高次元の魂を持った人」という言葉が出てきた。
この言葉に漠然とながら、理解を示せる人はどれくらい存在するのだろう。

高次元の魂、までは行かなくとも、透明無垢な魂になら
何人か会ったことがある。
透明無垢な魂を持った人は、心が表面にあらわれて、その存在自体が透明で無垢に感じられる。
私の知っている透明無垢な魂を持った人たちは
どなたもみな透き通るような悲しみを身の内に秘めていた。

高次元の魂を持つ人とはどんな人だろう。
普通の人間なら心も体も破壊されるほどの、善意や良心など吹き飛ぶほどの
凄まじい経験を経てなお、人間を愛し、信じ、喜びに満ちている人なのだろうか。
命が弾み、溢れるように流れ出して、周囲にその喜びが伝播するような人。

その本の主人公は、ルワンダ紛争の生き残りのツチ族である。
彼女の家族はみな尋常ならざる殺され方をしたが、その殺戮を実際に行った人間に対して
彼女は泣きながら必死で言ったのだ。「あなたを許します」。

テレビで残虐な犯罪を見聞きするだけで、赤の他人の私でさえもが
「こんな奴は死刑になればいい」と言ってしまう。
それを実際の被害者の家族が、殺人者に向かって「許します」と言った。

高次元の魂は、そこまで出来ないと獲得ならぬものなのだろう。
本の作者である彼女に会った人は、彼女から発するなにか尊く喜ばしいエネルギーに
圧倒されてしまうのだそうだが、私もちょっとだけ会ってみたい。

彼女はどうも普通ではない人だから、
この本を読んで疑問を抱いたり、嘘だと糾弾する人も少なくないそうだ。
多分それらの人たちは、
普通でない魂を持った人たちのことを知らず、
(透明無垢な人にすら)会ったことがないのだろう。


ところで、この半月来、あるブログ同士で諍いがあり、
この二人をなんとか普通の間柄に出来ないかと気を揉んでいたのだけれど、
私の中で今日、なにか決定的な感じがあった。

私はどちらにも長所を認めていたし、短所にも気がついていた。
どちらにも見習う点があり、どちらにも批判できるところがあった。

双方どちらにも謝罪があり、その度にどちらかが態度を硬化させ
ねじれ、ねじれて今日まで来たのだが、
その一切がたったひとこと「わたしはあなたが嫌いです」で終わってしまった。
(諍い中に使われたのは二度目?だが)

それは正直な言葉かもしれない。
だがそれは刃物の言葉だ。
直截的に世の中の出来事を語り、身内を家族をズバッと切るのはかまわないが
(お身うちは慣れておいでだと以前返信いただいた)
心を持ったほかの人間、個人に対して切りつけるのはもはや暴力である。
非常に凶暴な暴力である。
少なくとも、大人として使用するべきではなかった。

言葉は刃物だ。
言葉だけでも人はズタズタに切り裂ける。



ふっと思い出した。
ふたつ目の大学を卒業したとき、部活動に仲の悪かった子がいて
その子が電話で私に謝ってきたことがあった。

「謝ればすべて済むって思ってるんだろうけど、
大人なんだからちゃんと理解しなさいね、
謝っても許してもらえないことってあるのよ、今回がそれ。
私はあなたを許しません」

確かそんな風に私は言い放ったのだ。
彼女は半泣きだった。
ああ、なんて愚かな、バカげたことをしたのだろう。
あの子はまだ21歳だったのに。
いったいどれほどのことをしたんだって言うのだ「許さない」だって?
家族を殺されて民族種族が何万人も殺されて自分だって何度も危ない目に遭って
それでも許しますと言う人がいるこの世界に、
どれくらいすごい「許さない」があったっていうんだ、
ああ、私ってどうしようもない。

Kちゃん。
ごめんね、あのときは。
私の方がどれほど馬鹿で愚かで狭量だったか。
なにが許さないだよ、ほんと、私って大馬鹿、もうどうしようもない大馬鹿。
ごめんね、ほんとうにごめんね。
ごめんね、ほんとうにごめんね。
どうか私を許して下さい。





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コメント

非公開コメント

家族を殺戮されたことを赦す高次元の魂も、その虐殺した方の低次元の魂も、同じ人間だということですよね。

心が低次元になっていくことは慣れもあるでしょう。殺戮を繰り返すうちに心が荒んで残虐なことを好むようになっていく。一般人をそれも残虐なやり方で殺すと言うことに何も感じなくなっていくことは理解できないことではありません。
戦争は国単位の人殺しですが、現場では個としての人殺しが存在するのに、社会的には全て許されるのが不思議です。もちろんひどい場合は軍事裁判もあるわけですが。

高次元の魂の行いは説明がつきませんね。それこそ神に等しい存在なのか。年月が憎しみを風化させることはあっても、直ちに人を許せるものなのか。嘆き悲しむあまり感情を失った人に「赦す」という言葉は使えないはずですしね。
ただ、神のごとき行為のあとには静寂が訪れるでしょうね。人を許すことが自分を許すことになりますから。
あぁ、ソウイウヒトニワタシハナリタイ。

つい最近、レッドのブロ友さんも一人去っていきました。
記事にパスワードをかけたことが理解できなくて、それを解こうとするよりも関係を絶つことを選んだようです。
釈明してパスワードを書いたコメントも消去し、リンクもさっさと削除したのを見て、決意を知りました。
まさに無言の抗議でした。
ふだん、どんなに親しい言葉を使っていても、ネットでのつきあいってこんなものです。
相手を簡単に切って、つぶして、砕いてしまえる。そのことに良心がうずくことすらない。
自分は閉じられたドアの前でくるりと背を向けて立ち去るだけでした。
こんな扱い、慣れてるよ、悲しくなんかないよ、と言いながら。

若かりし大学生の思い出もつらいものですね。
許せるってことがどんなに素晴らしい行為なのか、気づかなかったのですね。でも気づきって、どんなに遅くなってもないよりましです。
レッドもこの歳になって、いまだ許せないことばかりです。
人の話は簡単に許せるような気がするのに、自分を傷つけた相手をいまだ許すことはできていません。顔も見たくありません。
相手が謝罪もせずいまだ傲慢な態度というのもありますが、それでも許す高次元な魂が、私にあるとはとうてい思えません。
相変わらず低次元な魂でのたうちまわって生きていくのでしょう。

redeyesさん

私の個人的な解釈ですが、「許すこと」はなによりもまず、相手のためではなく自分のためだと思うのです。
憎しみや悪意や敵意を抱き続けたまま生存し、折に触れて怒り憎しみを再び湧き立たせて己の心を汚し
揺らがせ、やけどのようなあとを残す。
「許すこと」はなにより「あなたへの憎悪を断ち切ります」ということであって
自分自身を縛りつける憎悪や悪意から自己を切り離し、新しく前へ進むことを意味するのではないかと。
許すことは残酷なことだ、とある人は言います。
なぜなら許したところで、相手には法の裁きや、ほかのことがちゃんと存在し続けるからだと。

「裁くな」と聖書にありますね。
そして
「復讐するは我にあり」ともありますね。
この「我」とは神様ご自身のことです。
痛ましい刑罰や処罰やその他恐ろしいことは、私は神様にお委ねします。

私のような未熟者は、まず自分のために相手を許すのですから、相手の先々のことは知りません。
ただもう自分の憎悪を手放して解放され、次の新しい道へ進むのです。
本当はもっと高い次元での許しこそが本当の許しなんでしょうが、私にはこれが精一杯でしょう。
精一杯どころか、それでさえものすごく難しそうですww

ネット上でのお友達のことですが、本当にこの関係性はもろいですよね。
それが素生を晒さないゆえんなのだと思います。
レッドさんは先日お顔も、ご家族すらもブログに上げられましたが、
大変勇気のいることだと思います。
お友達は、一歩進んだ関係性に入ることに二の足を踏まれたのだと思います。
ネットがらみで、いろいろとややこしい経験をなさってこられた方なのかもしれません。
少しさびしいけれども、ほとんどの方が残られたのですから、うれしい方を喜んでまいりましょう。



はじめまして

ブログ村からきました。
何度かブログを拝見しているのですが、やっとコメントをする勇気を持つことができました。今回の記事のおかげです。

私はテレビで何か事件をみると「ひどい奴だ」などと平気で言っています。自分がこういうことに全く縁がないような善良な人間だと勝手に思い込んでいるのです。

泣きながら「赦します」と言える境地にはとても達することができないだろうけれど、というかできないからこそ、その行為にとても驚き震えるような衝撃を感じています。
感受性の麻痺から、実際にはすぐ近くに高次元の魂をちらりと垣間見る機会があるのかもしれないのに「赦しなんて私にはできない」と決めつけて門戸を閉じて、勇気を出していないのかもしれないですし。
だって、非難する言葉は山ほど出てくるのに、「ゆるす」言葉はなかなか出てきたためしがないのですから。

あぁ次元が低くてわらけてきますよわはは。

今回は勇気を出してコメントします。
考えさせてくれてありがとうございました。
ちやこさんが教えてくれた高次元の魂にいつか出会える機会を引き寄せられるようにゆるす言葉をたくさん覚えていきたいです。長話すみません。

ヒロさん

コメントありがとうございます。
「許す」ことは、その身に受けた傷が大きければ大きいほど難しいものです。
上述の本にあった「あなたを許します」は、
狭いトイレに女性8人が隠れて、殺戮の声や脅しに震えながら、横になることもできずに数か月過ごして、その間にひたすら考え、神に祈って祈ってたどりついた心理状態でした。
 彼女ほどすごい場所には行けないけれども、数ミリでも近づけるように成りたいなぁと私も思います。
批判したり非難したりするのは、私も大得意ですけれども、自分からの視野だけでなく相手のスタンスや視野に立って考えることも覚えたいと思っています。
でも、むずかしいよぅ~www
私もしっかり低次元です。

No title

高次元の魂のままこの世界には普通は来れない。(魂に高次元も低次元もないからこの世界に適応できる緩衝材的な心の衣?をまとわずにといった方がいいかも)
きてしまったらそりゃもう大変。
崇高な知性もセットでなきゃ観ざるになっちゃうよ
この人はそれもセットで持ってこれたんだね

Re: お返事

コメントありがとうございました。
この記事はかなり前に書いたものなのですが、この本の主人公のことはいまだに心に強く残っております。
彼女がこの後どうなったのか知りたいなぁと、今日改めて思いました。
おっしゃるとおり、この世の人ではないレベルの人なので、今でもこの世においでになるのかどうか?
なんて思ってしまいます。