娘の心を絞りあげ、すり潰した私

こころ
05 /17 2013
久しぶりに娘とケンカをした。

問題それ自体は大したことではない。
ただ日々積み重ねてきた感情が、問題を大きく、複雑にしていく。

ケンカしたのが午後9時ごろで、
じき翌日になろうとする時間帯、午後11時半ごろのこと、
揉め事を翌日に持ち越すまいと、
私は二階でふてくされている娘のところに忍んで行った。

同じ二階で眠っている夫に声の響かぬよう、
ドアをしっかりと閉じて、小声で娘に話しかけ、
まずは一方的に私が謝った。

娘は布団の中からすっとスマホを差し出してきた。
見ればいろいろ書いてあった。


娘は小さな頃から、私に叱られる際に繰り出される
「恫喝的表現」「脅し文句」が非常に恐ろしく、
それがために自己を折って、私に泣いて謝ってきたという。
私による「脅し」から逃れられる方法がそれだったという。

子どもを相手に叱る際の「脅し文句」とは
一般に「もうご飯作ってあげないよ」とか「ゲーム捨てちゃうよ」といった
大人には簡単なものではある。
だが子どもにとって最も大切な「ゲーム」の廃棄や「ご飯」の取りあげは
その言い方いかんによっては、
子どもを相当なところまで追い込むことのできる方法となりえるものだ。

そして私はその「恐ろしい言い方」「恐ろしい雰囲気の作り方」が
異様にうまい。
この他者を追い込む演技的な能力は、人格障害者の父の血である。

さらになにをどう言ったら相手が最も傷つくか、
嫌がるかを、即座に掴む能力にも私は非常に長けている。
これは母方の弁護士系の血筋だろう。

私は子どもが最も言われたくないことを子どもが最も怯える言い方で言う。
それは今日も同じだった。

娘は泣きながらそれをスマホで文字にして、私に見せた。
「そんなふうにママに追い詰められるとなにも言えません、怖くて何も言えない。
だから悔しい。でもやっぱり言えない」

私は腕に鳥肌が立つのを覚えた。
ブログの複数のお友達がポツリポツリ書いて来た親たちの非道な行為、
親が投げつけてきたという言葉が、暗く切迫したイメージで突然脳裏に浮かんだ。
老いて弱った親の言葉や態度に、いまも心が血を流すほどに穿たれる彼女らと
私の娘の将来が、重なった。


娘は私が「怖くて何も言えなく」なり
「泣いて逃がれる方法」でなんとかやってきたというのだ。

それらの文字にしんからぞっとした。
私はなんという恐ろしいことをしてきたのだろう。
私は娘の心を圧搾機で絞りとり、
おろし金でギシギシすり潰すような行為をしてきたのだ。

私は自分が怖かった。
少し震えていたかもしれない。
私はベッドに座っている娘の手を取った。
そして体を折ってその手に額をこすりつけて何度も謝った。
謝りながら私自身が父にそうされて育ってきたことを告げ、こう頼んだ。

「もし私がまたそんなことをやったら、『ママがおじいちゃんになってる』って教えて。
そしたらママ、すぐ気がついて、嫌になって、ぞっとしてやめられるから」

娘は泣きながら何度も頷いた。

脅かすこと、怯えさせ、追い詰め、相手の心を萎縮させて反抗心を奪い、
言うことに従わせるやり方は、暴力に他ならない。
そのやり方は、生涯にわたる深いトラウマを作るかもしれないのだ。

私は決して、その方法を用いて話してはいけない。
どんなことがあっても、するまい。
するまい、しませんように、と一生懸命祈る。
一生懸命祈る。

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コメント

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気づけてよかったですね。
そうしてくれた娘さんに感謝です。
強者は弱者を簡単に嬲ることができますが、弱者はそれから逃れる手立てを持ちませんよね。
虐待を受けた子は虐待をしてしまう。
レッド自身も子供に対して言葉の暴力がなかったかと言われれば、あったかもしれないとしか言えません。
ただ、子供が義務教育を終えてからは、子供が心の病を得て、きつい言葉をかけることができなくなったのは幸いだったのかもしれません。
自分の子でさえ、自分の思い通りにはならない、そう子供が教えてくれて、ただじっと見守るだけ、自損したときは病院へ駆けつけ、泣いてやることしかできない、そんな弱い親になってしまいました。
たまには叱った方がいいのかもしれませんが。

私は母に頭を押さえつけられてきました。
黙って、自分の意見は心の中でつぶやき母の言葉を全身で受けます。

そんな環境で育つと、夫にも押さえつけられます。
自分の意見がもてない、言えない。
そして、今は自分で育てた娘にも何も言えなくなりました。

自分以外の人間に言いたいことが山のようにあるのに
否定されるのが恐いので口は閉じたままです。

お嬢さんとよい関係をもてますように。
やさしそうなお嬢さんなので許してくださいますよ。

ちやこさんなら、きっと大丈夫ですよ。

私の祖母と実母の場合、自我構造が脆弱なので、自分の非を認めることに耐えられないわけです。
彼等は、自分を正当化するための物語で、幾重にも身をくるんだまま、死んでいくんでしょう。
彼等は、死んでも治らない。むしろ治りたくない。治らない方が楽だから。
子としては悲しいけど、親の自我構造を鍛えるなんてムリ。
40数年に亘る葛藤の末、出した結論です。

でも、ちやこさんとちやこさんの娘さんの関係なら、きっと大丈夫だと思います。

redeyesさん

はい、娘が勇気を振り絞って教えてくれたことに感謝です。
スマートフォンという文明の利器があって、彼ら若者が常にそれを持って歩くことで初めて、私は自分の行ってきた恐怖による行動支配に気付かされました。本当に感謝です。
子供を叱ると言うことは実に難しいですね。
一片でも、自分自身の腹立ちを正当化するような文言を混ぜてしまったら、もうすでに虐待の域に入ってしまったのかもしれません。
感情に支配されて子供を怒鳴ることの愚、
その感情を子供のせいにして正当化する卑劣、
それは自己の怒りの感情を子供によって美化しているに等しいことでした。
なおかつ、理論をひっくり返させないように、二重三重に張り巡らせた、子供には到底破れない理論武装。
私は小さな子供の前に巨大化し、「私が正しくお前が間違っている」と自己満足する化けものでありました。
娘がそんな私に立ち向かってきてくれたことに、本当に感謝です。
これからは決して怒りの感情をむき出しにしないでいたい、と思っています。

エコさん

エコさんも辛い思いをいっぱいなさってきているのですね。
今回娘が勇気を出して私に教えてくれたことで、これからの娘に変化が訪れるかもしれません。
もしも彼女もいろいろ抑制してきたのであれば、そこから解き放たれてくれるかもしれません。
そう願うのみです。
エコさんもどうか、勇気を出して進み出て、ご自身を縛るものから解き放たれてください。
いつかそうなれるよう、お祈りしますね。

Y.Kotaniさん

恐縮です、コメントいただけて感謝です。

毒になる親に関する記事を、同世代の女性の中でずいぶんたくさん見てきましたが、
おっしゃる通り、どの親御さんもご自分の非を認めることが出来ない方々のようです。
非を認めさせようとすると、親が決死の覚悟で挑んできたり、ヒステリーを起して泣き叫んだりと大変な状況になるようです。
自我構造が脆弱であるがゆえに非を認められない、というのにはちょっと驚きました。
逆に強いから認めないのかと思っていましたが、そうですね、認めたら再構築する必要が出てきますね。
再構築には力と気力、新生が必要ですものね、うん、確かにそれは年寄りには厳しいのかもしれません。

私は今回娘に教えられて本当によかったと思っています。
娘が勇気を奮い起こしてくれたことに感謝しています。
50を過ぎてなお、教えられることがたくさんで、ありがたいです。

ちやこさんへ

今日の記事も また とても心に沁みました
お嬢さんの気持ち 手に取るようにわかります
でも その文字を見て ちゃんと理解し 心の苦しみを受け止め
お嬢さんの心に近寄ったちやこさんは 決して 毒親ではありません

本当の毒は 全くといっていいほど 理解ができないのですから
そして 意図してということも あまりないように思えます
ほんのちょっとの意図だけで あとは意識なしに 言葉の暴力を圧倒的力で誇示します

ちやこさんは 大丈夫
お嬢さんとの関係も大丈夫

「ママがおじいちゃんになってるって教えてね」
素晴らしいことです^^
ああ いいな~^^

パパ店長です

気付けたちやこさん、それに気持ちをぶつけてくれたお嬢さん
どちらも素敵です。
私も、父親に押さえつけられながら育ってきました。
反発したいが反発できない、反発しようものなら「拳」で20、30発と殴られるからです。
事実、過去にそうした「力」でシメラレた事が2度ありました。
それはもう「トラウマ」以外のなにものでもない。
「殴られた」時からは一切の口は利かず。

今でこそ、たった2人しかいない同じ職場で働いていますので会話はします。
それでもコミュニケーションのとり方は「親子」ではなく「他人同士」に近いです。悲しい事だと思いますがでももう、仕方がありません。

言いすぎ、やりすぎは良くないことだと思います。
かといって甘やかしてしまうのも・・・
結局は「感情」ではなく「心情」で接することが1番なのかもしれませんが、それがまたむずかしいですね。

レモンの木さん

正直に言って、私と娘の間はまぁまぁいい関係だと思い込んでおりました。
それはきっと、娘が自分を抑え、私の気持ちを逆立てまいとしてきたからなんですね。
悲しいことに、性質や気質には遺伝があり、私の怒り方はきっと非常に恐ろしいものなのだろうと思います。

若いころは感情に逆らわず、素直に自己を発散するのが正しいことだ、と信じていました。
そう思っていたのは、自己を抑制せねばならない恐怖の対象が存在していたからだったのだと改めて気付きました。
逆に今は、自己を抑制するのは大切なことだと知りました。
激しい感情の爆発や露出は、特に親にそれをされる子供にとって喜ばしいことではありませんよね。
自分がさんざん見せつけられてきて、嫌だったのに、気がつけば自己自身がそれをやっていたのです。
いくつになっても自己発見はありますね。
いくつになっても自己研さんは必要だと思いました。

パパ店長さん

父と息子の関係もまた、母と娘の関係のように、距離の取り方が難しいのですね。
表面上は穏やかに見える親子関係なのに、実は複雑な過去を秘めているものがなんと多いことでしょう。
特に同じ職場となれば、その接し方も気を使いますよね。
私の夫もそうですが、40代後半頃から夫の技術が義父をしのぐようになり、いつの間にか立場が逆転して行ったようです。
義父はプライドもあって一時じたばたあがいていましたが、年齢や病気をえたこともあって、次第に夫に従うようになりました。
同じレベルになり、やがてそれを追い抜いて初めて男の人は、心を許して相手を見るようになるのかなぁと感じています。

はじめまして。
子供の性格や、受け止め方もあるのでしょうが、
私も、息子にですが、似たような事を言われました。
私も息子との関係は、いい方だと思っておりましたので、とてもショックでした。
ちやこさんと違って、私は息子に対して怒りの方が大きくて、未だに反省しきれておりません。
また私は両親に対して、息子が私に抱く感情を持ったこともありません。
なので、なおさらショックでした。
いつまた、ショックな事を言われるかと思うと、逆に恐怖です。
ただの遅い反抗期なのでは・・・?と思いたいくらい未熟な母です。
でも、言える子供、言ってもらってやはり私も良かったと思っております。
言ってくれたおかげで、子離れできたような気がしております。
手探りでしかなかった子育てに、なんの曇りもなく、ママ、ママと慕ってくれた幼かった息子、大人になった今、本心を言ってくれて本当は、ありがとうなのでしょうね。
感情ではなくて、心情・・・。いい言葉ですね。
もうするまい、もうしませんように・・・と私も祈ります。

ブルーデージーさん

大変ショックだったというお気持ち、お察しいたします。
まさかそんな風に感じていたとは・・とまさに青天のへきれきですよね。

世の中で言われる「育てやすい子」の怖さというのは、きっとそういうところにあるのでしょう。
うちもそうですが、そういう子はきっと、親に心配をかけまいとしたり
家の中に和をもたらそうとして自分を抑えてしまうのだと思います。
私たち親は、「うちの子はいい子だ」と安堵してしまう部分があって
それを子供自身による抑制とは気付かないで見過ごしてしまうのかもしれません。
本当に、息子さんも言葉に出してくださってよかったですね。
もしも何も言わないまま時が過ぎて行けば、心にもやもやを抱えたまま大人になってしまうかもしれなかったのですもの。
子供たちの言葉によって目を覚まさせてもらったこと、私たちのような年になっても成長して行く術があったことを感謝したいですね。