学習机に寄せて

こころ
03 /13 2014
娘に影響されて自分の部屋やそのほか気になった場所などを片付けしている。
自分の部屋はおおかた終了した。
(押し入れをのぞく)

ずいぶん捨てたので室内が広くなった。
物がなくなってそして気がついた。
私の机の上板、つまり机として一番大事な面板が
ゆるやかに撓っていたのだ。
面板の真ん中あたりが凹む形になってしまっている。

インテリア性に富んだおしゃれ机ではない。
いわゆる学習机である。

考えてみれば鉄ではないし、一枚板ではなく合板であるから
歪みや撓りが起きてもおかしくないのだろうが、
あの分厚い面板に撓りが起こるなど、思ったことがなかった。

これは2代目の私の学習机になる。
4才でスチール製のがっちりした学習机を買ってもらって
その20年後に木製に買い替えてから25年以上が過ぎた。
初代よりも長く傍らにいてくれたことにやっと気がついた。

そういえばこの数年は、ほとんどあの子を使ってやらなかった。
気がつけば自分が持っていた
「いつか子育てが終わったら、また学校に行って思いきり勉強しよう」
という希望すら、すっかり忘れてしまっていた。

ああ、その夢をいま書くことも、ちょっと切ない。
私は零細企業の中途半端な事務員として
経理や各種庶務をして生きてゆくことを
当たり前として要求されているから。

だがこんなセンチメンタルを抱えることは無意味だ。
私がもっとも強く望んでいたのは知識でも学歴でも趣味でもなく
「痛みも熱もなく、普通に生活できる体」だったはずで
その望みは、ある程度かなってきたのだ。

健康体から見れば、私の体はまだまだ異常で、余計なものも付いているし
あるべきものもたくさん取り去られているけれども、
半端ながらも仕事が出来たり、片付けが出来たりするのだから、
感謝して余りあるほどに恵まれている。

私が今ここにこうしている(在る)ことを
私の神様が望まれていて、私はそれに従うのみ。
私は喜々としてそれを受け入れるのみ。

撓ってしまった机だけれど、まだ使えるうちは使う。
大事な私の机。
もう机として役に立たないよ「えらかったよ」、というところまで使ってやろう。
神様が私を最後まで使って下さるのと同じように。

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