趣味の通信教育やりたいんだよぅ

こころ
04 /17 2017
通信教育ね、なにをやろうか迷ってる。
かなり以前に、ユーキャンの実用ボールペン字をやったことがあって
まぁ確かに、それまでの文字とは意識そのものから変わったかもしれない。
もっとも常に字を美しく書こうと思わない限り
字はどんどん乱雑でいい加減になっていくんだけど(-∀-)

いま欲しいのはなるべく純粋に楽しめる趣味で、
出来れば一生続いたりしたら最高だね。
で、そんなにお金がかからないって言うのは必須ね。

俳句って趣味としては最高だと思うんだ。
まず安上がりで、いつでもどこでも出来て
年をとっても出来て、句会とか入れば仲間も出来てさ、
いろいろな面でボケ防止にもなりそうな気がするんだよね~
だけど、なんか渋すぎてね、
もっと年をとってからでもいいんじゃないかと思ったりして。

絵は憧れるよ~
油絵は高くつくから水彩画とかさ。
美しい絵を描くのって楽しそうだもんね。
でもやったことがないんだ、絵画系って。
水彩画は道具類をまず広げなきゃいけない点が面倒かも。
自分の部屋があってそこで常に広げてあるならいいんだけどね。
(お習字とペン習字もそうだけど、気軽さって大事なのよ)
色鉛筆絵画って言うのがあって、なかなか楽しそうかなぁって思ってるの。
でも、どうだろう、飽きちゃうかなぁ。
お金を払うわけだから、飽きるものは嫌だなぁ、なんてけちなこと思ったり。

ガーデニング講座とかもいろんなところでけっこうあって
やれば多分すごく楽しいとは思うんだ。
ああ、そういえば椿の木に虫が付きだす頃だから消毒しなきゃいけない。
枝も込み入ってるところ切らなきゃいけない
・・・・・そうなのよ、ガーデニングは体力が基本なのよ、
人並みの体力がない場合はお遊び程度が精一杯ってところ。

でもなにかやりたいんだ!
そうでないと今度こそメンドクサイ病が進んでボケてしまうっ!

イースターエッグを食べながら

こころ
04 /16 2017
イースターエッグをもぐもぐ。
お塩をかけて食べているぞ。
今日はイースター。

近所のスーパーでは
「イースターは春を喜ぶお祭りです」なんて堂々と店内放送しちゃってる。
イースターって春とうさぎと卵のお祭りってな感じですか。

イースター

イエス・キリストが十字架に磔になって死んで(金曜日午後3時ごろ)
3日目(日曜日)の朝復活したっていう、
それがイースターのお祝いなんだよ~
なんて言ったって、はぁ? ってな感じなんでしょうな。

いいですよ、いいですよ、教会ではきちんとお祝いやってますから。
イースターエッグだってちゃんと配りましたから。
教会でイースターエッグもらったら、そりゃもう、本物です。

・・・・でも、なんで卵で、なんでうさぎなのかな。
だってプロテスタントだもん、卵に関することなんて聖書にないしさ。

調べてみるとやっぱり
春を喜ぶいろんな伝統や習慣とまざりあって、うさぎと卵なんだね。
それからカトリックと正教会では、礼拝中に卵の祝福を行うんだって。
へぇへぇへぇ、なんかかわいい。

イースター

子供の頃通ってた日曜学校では、
大きな公園に遠足に行って、卵探しとかやった思い出があるよ。
なんで卵なんだかわからないまんま、きゃあきゃあ言いながら卵探した。
「なんで~?」とか聞こうとも思わなかったな。

子供の頃ってすべてが「なんで~?」だから
いちいち理由なんか聞かないで、あるがまんま受け入れちゃう。
「なんで?」って思い始めて、納得できないと不快になるのは
何歳ぐらいからなのかしら。

「なんで?」をとにかくたずねる「歩く疑問符」みたいな子供は
やっぱり頭のつくりが違うんだね、
賢いからこその「なんで?」なんだろうね。
私なんかいまだに、わからなくてもほけ~っとしていられるからね。
理解が必要なものでさえも、わからないままにほったらかしたりしてさ。

私このごろ、自分がほんとに
何にも知らないなぁって強く感じるようになってきたんだ。
謙虚とか謙遜とかじゃなく、芯から「無知」なんだって感じる。
だからブログ村のカテゴリー「50代の生き方」なんて
そんな偉そうな、自信に満ちた響きのあるカテゴリーにいるの、
いたたまれなくなって変えたんだよね・・・・

何にも知らないって感じられるのって、悪くないよ。
少なくとも見栄ははらないで済むからね。
でも現状に甘んじるのも怠惰だよね、
なんか始めなきゃって、いつも思ってる。

で、はじめないんだけどね、いつも。
・・・・なんて平気で書いていてはいかんよねぇ。

面倒くさいが増えた

いろいろ感じたこと
04 /15 2017
さっきまで雷雨だった。
ゴロゴロって遠くで不気味な音が響いてきたとき
北の核実験、あるいは米の国の空母からなんか飛んだ?
って思っちゃったよ (゚Д゚≡゚д゚)エッ!?

ああ、雷か、よかった・・・・と、
思うまもなくものすごい雨がじゃんじゃか降ってきた。
大雨だって思うと、つい外がどんな感じになってるか見たくなる。
で、窓を開けると、雨の音でテレビが聴こえないほどの降り。

ほや~、と何気なく家の脇にある小花壇を見ると
あれれ~、花壇の横の地面からなんだか水が湧きだして見えるじゃない。
えっ? この水地面の下から湧き出してるの?
えっ、えっ、えっ、これ、地面のなかの下水管から水があふれちゃってるの?
こ、これは、非常にヤバイのではないの~~~~~~っ!!!!

と、ヤバさにうろたえ始めた頃、雨の降り方が緩くなって
同時に湧き出す水も少なくなって、
小降りになるともう、湧き出してくる感じはしなくなった。

・・・・かなり強い雨だったから下水管に雨水があふれて
地中の継ぎ目から湧き出しちゃったのかな・・・・
どっちにしても、梅雨や台風に備えて
一度水道屋さんに見てもらわないといけない。
なんて、そんなことを考えると面倒くさくてため息が出そう。

おお事にならなきゃいいんだけどなぁ。

最近本当に、ちょっとしたことをするにも「面倒くさい」って思うようになった。
こういう症状ってボケの兆候なんじゃないかしら。
ここで、「面倒くさい」事から逃げられる環境だと
自然何にもしなくなって、きっとボケちゃうんだろうな。

なにかやらなきゃいかんよね、と切実に感じてる。

春と戦争

いろいろ感じたこと
04 /14 2017
桜がふわふわ舞い落ちてる道をちび犬ととことこ歩いて
公民館まで狂犬病の注射を受けに行った。
あんまりいいお天気なので
「今日はまだ17人しか来てないよ」と獣医さんが苦笑した。

hana1.jpg

はがきは2枚持っていて、連れてきた犬は1匹。
「いつ死んだの?」と獣医さんのほうが先に聞いてきた。
そして黒オスの名前が自治体の狂犬病注射リストから消えた。

ちび犬はおとなしく注射を受けて、
もと来た道をとことこ元気よく進む。

おひさまが明るいね。
温かいね、ぽかぽかだね。
土のうえには草がもしゃもしゃ伸び出して
ちっさいお花がちょこちょこ咲いてるね。

hana.jpg

桜の花びらが敷かれた道を、知らないわんちゃんとすれ違う。
どのわんちゃんも春に喜んでいるみたいに
しっぽを振って歩いてる。
(注射をしに行くってわかってる?)

こんなに明るい、美しい世界の、
海の向こうには戦争が待ち構えていて、
私はそれを漠然と聞いていながら、
春の命に満ちた世界を、素直に喜んでいる。

海の向こうではじまり、
ここに広がってくるかもしれない恐怖のときも
私は相変わらず間抜けな顔をしているのだろうね。

思いやりで耐えること素直に泣いてすがること

こころ
04 /10 2017
教会での結婚式の誓いの通り
互いに信じあい愛し合い助け合い守りあってきた後期高齢者のご夫婦。
仕事のことお金のこと子供たちのこと舅や姑のこと親戚のこと、
大概の苦労はひととおり、人並みに、いや、人の倍は乗り越えてきたご夫婦。
子育てや介護、生活の苦労は当たり前に。
70代になって隣家からの出火で自宅が丸焼けになっても、
互いに入院するような重い病気になっても、
お二人は仲良く手を取り合って、支えあいながら乗り越えてきた。

ただ、今回は違うのよ、と奥様が語った。
ご主人の半年前の手術で取りきれたと考えられていた癌が
非常に良くない場所に、良くない段階で見つかってしまってから
ご夫婦の形が少しだけ変わってきたのだという。

明るくて活発で意志の強さを隠さないご主人が
何をするにも気力が出ないようになり
(抗がん剤のせいもあるらしい)
身の回りのものなどを、処分、片付けはじめ、
滅多にしないはずの書き物に没頭していることもあるそうだ。

「お父さん言いたがらないから、私も聞かないんだけど、
かなり良くないんだと思う、心も体も」
奥様は続けて、だからどうか主人のために祈ってください、
と、婦人会のメンバーに小さく語った。

クリスチャンは、死を恐れるようには教えられてはいない。
天国にいけることは約束されているから、むしろ喜びでさえあると
そんな風に私は考えてきていた。
だが、このご夫婦の話を聞けば、そう簡単には割り切れないことがわかる。

信仰篤いご主人は死を恐れてはいないだろう。
ただ、最愛の奥様やお子さんたちと、これまでの自分の人生との別れに
折り合いをつけるのが、非常に辛いのかもしれない。
お互い死ねば天国で会えるはずの二人であっても、
遺して行くのは心配でつらくて、遺されてゆくのは寂しくて悲しい。

厳粛な事柄を精一杯覚悟しようとしている夫に
妻はただ変わらぬ日々を守り、自然に振舞い、
流れに任せ、事実を探りはしない。
これは夫婦のよそよそしさでも溝でも秘密でもなく、
互いを思う愛の形に他ならない。

私もこのご夫婦くらいの年齢になったら
そんな風に夫を静かに見守るように愛せるかな、と考える。

今の私は愚か者だからきっと、耐え切れずに夫に泣きつき
死なないで欲しい、と言ってしまう。
むちゃくちゃな言葉とわかっていても言ってしまう。
言われたことで相手がさらに苦しんでも言ってしまう。

私の行動は思いやりがない、忍耐もない包容力もない。
なにより夫の苦しみを黙って見守ることのできる強さがない。
私はぐちゃぐちゃに泣くだろう、
夫もぼろぼろになって泣くかもしれない。
一緒に泣けるだけ泣くのも、大事な時間だと、無理にも思う。

愚かでも素直なのがいい場合もある。
大事なもののためには愚かになってもかまわない。
と、いまだ青い自分を見つめている。